第34話 流浪の影撃士と逃げ出した獣
大学から戻ったあと、その日の夜営業が始まってからしばらくして、店が落ち着いたあとでコーディが来店した。
女性だと知った以上は、初めから女性向けの酒を出すというわけでもない。コーディは相変わらず男装しているので、店での振る舞いはさして変わらなかった。
「どうした、今日は特に機嫌がいいな」
公爵家の中で最も騎士団の手を煩わせていたのは、ヴィンスブルクト家であった。以前も騎士団に対する貴族の干渉を弱めるようにと国王に働きかけたわけだが、さらに問題だらけの公爵家の力が弱まったことで、コーディの悩みはさらに軽減されたことだろう。
しかしそれだけが理由ではないようで、コーディは俺を見やると、爽やかに笑って言った。
「騎士団が貴族たちの用件で動員されることも随分減ったから、今度の日曜に、半日だけ休暇が取れそうなんだ」
「おお、よかったな。できるだけ怠惰に過ごせよ、普段の疲れをリフレッシュしたほうがいい」
「身体というのはね、一日動かさないだけでも錆びついてしまうんだ。だから僕は、休みの日も関係なく一定の鍛錬の時間を取っている」
コーディが真面目すぎるというのはこういうところで実感できるが、それを悪いとは思わない。
うちの店は年中無休である。回復魔法が使える人間にとって、日常生活における疲労など、疲労の類に入らないのである。4時間半寝れば十分なところを6時間は毎日寝ており、身体にガタも来ていない。魔力に満ち満ちたエルフはさらに疲労に強いらしく、時間の感覚も人間とは違うので、72時間ごとに休むだけで十分だそうだった。なので、今の生活でもヴェルレーヌは楽園のようにのどかに感じているらしい。
「そんなわけで、魔法大学の実技訓練場が近いから予約しておいたよ」
「おまえと訓練すると、久々に筋肉痛になりそうだな」
「うん、僕もそうなるんじゃないかと思って。でも心配はいらない、君が回復魔法を使えるからね」
「心配いらないって、俺が言う立場じゃないのか……?」
なぜこうも俺と訓練をしたがるのか。分かっている、同レベルの相手がいないからだ。
しかし俺の剣術における『現在の戦闘評価』はどうなっているのだろう。かなり前に測定器を使って測ろうとしてみたのだが――と考えて、俺の脳裏には、壊れてガラクタとなった測定器が浮かんだ。
測定器が無理なら測定技術を持つ人間に頼まねばならない。そう思いつつも面倒で測るのを忘れていた。ほかの魔王討伐隊の面々も、おそらく5年前から再測定をしていないだろう。
「……少し目の色が変わったね。何か思うところでも?」
「ああ、少しな。よし分かった、訓練には付き合おう。建物を破壊しない程度にな」
『光剣』の威力は、近接武器としても絶大だが、それに留まるものではない。密着、近距離、中距離、長距離、
超長距離をまったく苦にしない、恐るべき戦闘技能である。ミラルカの殲滅魔法と違って範囲攻撃は苦手だが、直線的な攻撃において、おそらくこの世界に並ぶ者はいない。
俺のカバーできる射程も多岐にわたるが、超長距離における光剣の唯一無二の射撃性能にはどうしても追随できない。見ていて羨ましくなるほどである。剣精の力で作られる光弾を再現しようとしても、どうしても速度で劣ってしまう。
「やる気を出してくれてよかった。面倒なのに付き合わせたら悪いからね」
「そっちこそ、貴重な休暇をそんなことに費やしていいのか?」
「これ以上有意義な時間の使い方はないよ。騎士団長として部下に実務をさせるだけでは退屈なんだ」
「ははっ……前までは忙しすぎて目が死んでたのにな。だいぶ、いい職場になったみたいで良かったよ」
「楽すぎると今度は余計なことを考える時間が増えてしまう。ほどほどが一番だね」
コーディの意見に、全くもって同感だった。俺はエールを飲み干し、今日の三杯目を頼もうとする――すると。
カランコロン、とドアベルが鳴る。そうして入ってきたのは、ハードレザーアーマーの上から黒い外套を羽織った、蒼黒の髪を持つ若い男だった。
その姿には覚えがある。現在王都に滞在するSSランク冒険者5人のうちで、最強を争う力を持つという男。
頬に傷を持つその男は、ヴェルレーヌの前までやってくると、無表情のままで声をかけた。カウンターから見てもその体躯は恵まれているが、筋肉はむやみに肥大化せず、絞り、研ぎ澄まされている。
しかし言ってしまえば、SSランクとSSSランクの間には、やはり超えられない壁がある。ほかの人間が対峙すれば威圧感の塊だろうが、俺とコーディはそんなプレッシャーは全く感じない。
「……このギルドの、ギルドマスターはいるか?」
「失礼ですが、お客様。こちらは夜の部は、酒場のみの営業となっておりまして……」
ヴェルレーヌも気圧されず、落ち着いて受け答える。男は不快な顔をするでもなく、ただ静かに目を閉じた。
王都を賑わせる舞台の役者でも通用しそうな、無表情ながらも整った顔立ち。頬の傷があっても、それがまたその男に強い印象を持たせる要素として働いている。
「……では、一つだけ伝言を頼む。『氷の洞窟』に来ることは許さん。もしこのギルドの人間が来るようなら、命の保証はできん」
氷の洞窟――コーディにも飲んでもらったことがあるが、この店できつめの酒に入れて氷割りにするときに使う『永久氷塊』が取れる場所である。
その場所こそが、まさにうちのギルドのリゲルに任せた仕事で向かう先だった。動物商が逃がした猛獣は、氷の洞窟の奥に逃げ込んだというのだ。
「お客様、一方的にお話をされるだけでは、こちらもすぐには把握しかねます。カウンター席でよろしければ、お掛け願えますか?」
「……長居をする気はないが。同業者には、それなりのルールがあるというものか。分かった、郷に入っては郷に従うとしよう。だが、俺の言いたいことは変わらん」
この件から降りろ、と彼は言う。そんな彼に、酔っ払いであるところの俺ができることは一つだ。
俺はヴェルレーヌに目配せして、男にもエールを出すように指示した。男は目の前に置かれたエールを、やはり無表情のままで見つめる。
「……酒で誤魔化すというつもりでもなさそうだな」
「まずは一息ついてからだ。何かこの店に話があるのなら、それからでもいいんじゃないか」
声をかけると、男は静かに俺を一瞥する。値踏みするでもなく、本当にただ見ただけ、という仕草だった。
「その氷の洞窟っていうところに、用があるんだね。なぜ、そんな場所に?」
コーディは客には聞こえないよう、声を落として尋ねた。男はエールを飲むと、コーディの方ではなく、ヴェルレーヌを見据えながら言う。
彼女をこのギルドの重要人物と睨んでのことだろう。俺のことはノーマークというのは、今の様子から見て間違いない。
「個人的な事情だ。俺は冒険者で、『青の射手亭』に所属している。依頼人はギルド同士で競わせてでも、逃げた獣を捕獲しろと言っているようだが……そんなことは時間の無駄だ。『あれ』を追うのは俺だけでいい」
「お客様、恐れ入りますが、所属を証明するものは拝見できますか?」
「……これでいいのか?」
男は素直に、首にかけているギルドタグを引き出し、ヴェルレーヌに見せた。
ギルドタグは、小さな鋼板に冒険者の所属情報などを刻むものである。ちらりと見えただけで読み取れた――SSランク冒険者、青の射手亭に所属するゼクト・クルシファー。年齢は22歳で、職業は『影撃士』。青の射手亭に所属しているのは半年前かららしい。
国内の別の場所で冒険者をしていて、王都に流れ着いたのが半年前ということか。俺から言うことではないが、なぜ十一番通りにある知名度の低いギルドに、あえて所属しているのだろう。
そのきっかけも気になるが、一番は、猛獣の捕獲依頼になぜそうもこだわるのかということだ。報酬が破格というわけでもなく、危険度に見合った相場通りの額のはずである。
「拝見させていただきました。事情の全ては把握しかねますが、青の射手亭で依頼を独占したいということでしょうか」
「……個人的な事情だ。青の射手亭には、関係ない」
「そうはいかないんじゃないかな。君は冒険者なんだろう? 所属するギルドの代表として仕事をするというのは当然のことだよ」
「……横から口を出すな。俺はこのギルドのマスターを呼べと言っている」
すげなく言い返され、コーディは肩をすくめる。これでは埒が空かないと言いたいところだが、俺はヴェルレーヌを介して、ある点について尋ねてみることにした。
「その獣というのは、お客様にとって、何か特別な意味があるのですか?」
酒場の喧騒の中にかき消されそうな声だが、男――ゼクトの耳には届いていた。
ゼクトは答えず、エールをあおる。そして杯を空にすると、無言で席を立ち、店から出て行った。
「……何も答えない。それが答えということか」
「まあ、そういうことだな……」
考えられる可能性は幾つかある。一つは、ゼクトが動物商と懇意にしているか、あるいは因縁があり、逃がした獣を自分で捕獲したいと思っている。
あるいは、氷の洞窟に逃げ込んだ獣に憎しみを抱いているか、その逆も考えられる。
何も分からないも同然だが、一つ言えることは、猛獣捕獲に赴いたリゲルのパーティがゼクトに妨害者と見なされれば、かなりの危険を冒すことになるということだ。影撃士はその名前の印象と違い、どちらかといえば補助的な役割を担当する職業だが、それでも平均ランクがBのパーティでは絶対にSSランクには勝てない。
「動物商から逃げ出した猛獣……か」
「どうする? 僕も手を貸そうか」
「いや、その必要はない。まあ、気にせずに飲んでくれ」
これは俺の考えるべき問題だ。それを分かってくれたのか、コーディはそれ以上は何も言わなかった。
本当に力が必要なときは頼らせてもらう。しかしまだ、俺のギルドが単体で解決するべき範囲の問題だ。
ゼクトが競合するギルドとして、俺たちのギルドを特定できたのはなぜか。それについては、素直にゼクトの調査能力を評価したいところだが、それよりも思ってしまったことがある。
「……くやしいな、そんなに楽しそうにして。訓練に誘ったときは、そんな顔はしなかったのに」
「そうか? 訓練もちゃんと楽しみにしてるぞ」
「エールだけでは、先ほどのお客様に満足のいくおもてなしはできていない……ということですね」
ヴェルレーヌの言うとおりだ。あれほど優秀な冒険者を前にして、俺がギルドマスターとして思うことは、ゼクトを勧誘することができれば、俺のギルドに良い影響をもたらすだろうということだった。
彼が『青の射手亭』に身を置く理由はまだ知らないが、上手くすれば引き抜ける。その鍵を握っているのは、まさに今回の依頼だろう。
ゼクトとぶつかり合わず、彼の目的を尊重し、なおかつ依頼を達成する。
SSランクの冒険者を勧誘すれば、俺はもっと隠居した生活ができる――というのが本音でもあるが、青の射手亭と比べてうちのギルドの仕事の質が劣るということはないので、ゼクトも損はしないだろう。
「猛獣を手なづけるための準備が必要ですね」
そう――ゼクトが何を考えているにしても、俺たちが打つ手を決めるために、知っておくべき情報が一つある。
逃げ出した猛獣の素性。それを今から知ることは、俺のギルドの情報網を用いれば決して難しいことではなかった。




