閑話2 王女への魔法指導と特別研究生
ヴェルレーヌに留守を任せ、俺は差し入れの準備をすると、魔法大学行きの馬車に乗った。
研究室棟の受付には、今日もポロンがいる。俺が訪問するのはこれで3度目になるが、すでに顔なじみとして認識されていた。
「いらっしゃいませ、デュークさん。ミラルカ教授でしたら、今はご在室ですよ」
「ああ、ありがとう」
初めに名乗った名前で呼ばれる状態が続いているが、実は偽名だったのだと言うわけにもいかず、そのままだ。ティミスたちの件もあり、デュークは現実にいる人物であり、俺はその友人だという設定で認識している人物も多い。
こうなったら火竜研究者として、デューク・ソルバー名義を運用しても良いかもしれない。魔法大学でそういう研究が求められてるか分からないが、論文の評価をミラルカ教授に頼んでみるというのも手だろう――いや、普通に彼女のアドバイスを受けて魔法の研究をすべきか。
「ふふっ……いいですね、お弁当やお菓子の差し入れをしてくれる男性がいるなんて。私なんて、味気ない購買と学食で済ませる毎日です」
「手作り弁当とかは作らないのか? それなら、配達してやっても構わないが」
「本当ですか? 社交辞令にしておくなら今のうちですよ、私、本気にしちゃいますよ?」
「昼前に魔法大学を訪問することがあれば、ついでに持ってくるってことならいいんじゃないか?」
「ついでにっていうのは引っかかりますけど、デュークさんって本当に面倒見のいい方だっていうことはわかりました」
現状の食事に不満があると言われると、どうも全力で美味なるものを食べさせたくなるというのは、食事を出す店をやっていれば不思議ではない思考のはずだ。
「お気持ちはうれしいですし、甘えたい気持ちもありますけれど、デュークさんの差し入れがすごく美味しかったりしたら、ふだんの食事がますます味気なくなりそうですし。今のところは遠慮しておきます」
「いつでも気が向いたら言ってくれ。めちゃくちゃ美味いかは分からないが、昼の軽食には自信がある。あと3時のおやつにもな」
「至れり尽くせりですね。デュークさんがそこまでお世話を焼くのって、それだけミラルカ教授が魅力的な女性だからってことですよね」
「う、うーん? いやまあ、それは否定しないけど。それに釣られてるわけじゃなくて、ちゃんとした理由があるとは言っておこう」
「そうなんですね。あ、いけない、あまり引き止めちゃいけないですよね。ごゆっくりどうぞ」
ポロンに挨拶を済ませ、ミラルカの研究室に向かう――すると、ミラルカが廊下に出てきていた。
じっとりと見つめられ、俺はかなり前から見られていたのでは、と察する。
「……やっぱり。あなたの好みの系統だものね、ああいうほわほわした人懐っこい子は」
「まあ否定はしないが、世間話をしてただけだぞ」
「うそつき。購買と学食が物足りないから、美味しいものが食べたいって言われてたじゃない。あの子、前に私があなたのお菓子を分けてあげたとき、すごく気に入っていたもの」
「なるほど、それで俺の差し入れの評価が高かったのか。だが、あれは序の口だぞ。差し入れが続くほど、質は上がっていくからな。二度と同じものは出さない、それが俺の流儀だ」
酒場の日替わりメニューを毎日変えるというのも俺のこだわりだったが、100日ほど続けたところで断念した。季節ごとの食材を使ったメニューでローテーションするのが、客の需要を最も満たしていると分かったからだ。
しかし差し入れはまだ三回目だ。一度目のクッキーがそこまで受けていたとなると、今日持ってきている白パンの三色サンドイッチは、さらに高い評価を受けるに違いない。肉、魚介、そして新鮮なフルーツとクリームのサンド。食べ過ぎを考慮して大きさはプチサイズにしてあり、全て二つずつ用意してある。余ったら俺が帰りに食べればいいという戦略だ。
「料理のことになると、急に目が輝きだすのよね……あなた、本当は料理人になりたかったの?」
「料理は趣味だ。でも店で客に出すとなると、手は抜けない」
「趣味でプロ意識があるっていうのも、何か矛盾したものを感じるわね……そうだ、今日はマナリナが来ているから、彼女にも食べさせてあげていい?」
「だったらちょうどいいな。残ったら俺が食う予定だったが、二人で分けるといい」
「……あなたって時々いい人すぎて、突っ込みどころに困るのだけど。何か下心でも持っていてくれたほうが、落ち着くくらいよ」
「実を言うと、俺は女性が美味しそうに食べる姿を観察するのが好きなんだ」
「っ……あ、あまり見るのは趣味がいいとは言えないわよ。何が嬉しくてそんなところを見たいの? そういうのを変態っていうのよ。知らなかったのなら教えてあげる」
ミラルカの毒舌が調子を取り戻すと、安心してしまうのはなぜだろう。俺もすっかり毒舌耐性がついてしまったということか。
◆◇◆
研究室に行き、待っていたマナリナにも食事を摂ってもらう。うちの店には何度か来てもらっているから、俺の考案した料理は食べてもらっているわけだが――今回の喜びようは、見ているこちらもほっこりとしてしまうほどだった。
「こんなに美味しいパンがあるのですね……私が日ごろ食べているものはなんだったんですの……?」
今日のマナリナは、勉強するときはそうしているのか、ブルネットの髪を後ろで結っていた。ふだん下ろしているので、ギャップがあって新鮮な印象だ。
ミラルカは今日は左右でおさげにしている。その髪型は昔から時々やっていたが、見るのは久々だった。やはり彼女も勉強するときは、長い髪が本にかかったりするのを気にするらしい。
「んむ……はむ。んくっ……頭を使ったあとにこんなものを出されたら、私まで餌付けされてしまうじゃない」
「考えるにも、食べないと頭が回らないからな。足りなかったら果物もあるぞ」
「ミラルカ、こんなに美味しいものを定期的に差し入れてもらっているんですのね……はしたないですけれど、すごく羨ましいですわ」
「これはまだ序の口だぞ。徐々に奥の手を出していかないと、最初の方で飽きられるからな」
「本当に恐ろしいわね……すでに、私らしくないことを言ってしまいそうだもの」
「次に来る日を早めてほしい、と言いたくなってしまいますわね。ディック様、そのときは私もご一緒してもよろしいですか?」
「ああ、いいぞ。マナリナはこのゼミの生徒だしな」
「だ、だから。そんなに簡単に、誰のオーダーでも請けるのはどうなのかしら。私は、あなたにお礼として、差し入れをしてもらっているはずなのだけど……」
ミラルカに言われて思い出した――俺は食事を届けるお得意先を増やしに来たのではなかった、決して。
「……私が大学で関わっている人たち限定ならいいわ。それ以上まで手を広げないこと。いい?」
「ああ、分かった。俺もあまりギルドを離れるわけにいかないしな、人任せにしておくのも悪い」
「では、私までは許可をいただけたということですね。ありがとうございます、ディック様」
当たり前のように会話しているが、彼女はこの国の姫君であり、第一王位継承者である。
そういえば、ヴィンスブルクトの件で彼女も狙われていたわけだが、その件について彼女は把握しないままだったのだろうか。
「下の妹が、私と母が同じで王位継承権を持っているのですが、まだ八歳だというのに、ジャン公爵が婚約を申し込んできて……お父様も最初はジャン様との関係を強くすることに乗り気だったのですが、それでおかしいと思ったようです。その後に、ヴィンスブルクト家の大きな問題が発覚して……本当に驚きました」
「マナリナが婚約破棄を望まなければ、もっと難しい事態になっていたかもしれないわ。あなたの人を選ぶ目も大したものね」
「い、いえ……私は、本当を言うと、互いをゆっくり、自然に理解できる関係にあこがれていたんです。そんなふうに、相手を選んではいけない立場だと分かっているのですが……」
身分の高さゆえに、結婚する相手を自分で選べない。生まれに応じた義務というものがあるというのも分かるが、マナリナの気持ちは否定されるべきものではないと思う。若造の考えかもしれないと分かってはいるが。
「好きなように生きられたら、それが一番だな。もしそうすることが難しくなるようだったら、また俺のところに依頼を持ち込んでくれ」
「そ、そんな……すでに、一生かかっても返せないほどのことをしていただいたのに。ディック様に、あまり甘え続けるわけには……」
「気にしなくていいのよ、マナリナ。この人は面倒がっているように見えて、人の世話を焼くのが大好きなんだから」
「面倒なことは御免だが、マナリナの悩みの相談に乗るのは、面倒だとは特に思わないな」
一度依頼を受けて人生に関わったのなら、後のことにも責任を持つ。何もなければそれでいいが、後で問題が生じるようなら、それも含めて『銀の水瓶亭』の仕事だ。
「……ディック様は心からそう思って言っていらっしゃるので、何も言えなくなります。胸がいっぱいで……」
「ディック、あなたがいるとマナリナが勉強に集中できなくて単位を落としてしまいそうだから、そのときこそ人生の悩み相談に乗ってあげてね」
「勉強は苦手なんだがな。まあ、魔法は得意分野ではあるから相談に乗るぞ」
「本当ですか? 私、炎の精霊と契約はできたのですが、なかなか基礎の『蛍火』が発動できなくて……」
「習うより慣れろってやつだな。一回やってみせてくれ」
「は、はい。少し待っていてください、ノートを見ながらでないと、呪文が……」
マナリナは勉強するときはいつもそうしているのか、眼鏡をかける。ミラルカも教授モードのときはそうなのか、同じように眼鏡をかけた。金色の髪には赤い眼鏡が似合う、と発見してしまった。マナリナの眼鏡は珍しく縁がないタイプだ。
「マナリナ・リラ・アルベインの名において請願する。炎の精霊よ、我が前に小さき火を灯したまえ……」
「それじゃ魔力が精霊に干渉してないぞ。まずそこの訓練からだな。最初だけ『補助』してやるから、それで感覚をつかんでみようか」
「っ……は、はい。よろしくお願いします、ディック様」
ギルド員の中にも、加入した当初は魔法が使えず、才能に気づいていない者がいる。
彼らは精霊と契約しても、魔力を精霊に接続し、力を借りるという感覚を持っておらず、自分には魔法の素質がないと諦めていることが往々にしてある。
マナリナも魔力を持っているが、最初のきっかけが掴めていない。俺は彼女の頭に手をかざし、『精霊感知上昇』という強化魔法をかけ、精霊に対する感度を上げた――すると。
「この、感覚は……精霊は、こんなに身近に存在しているものだったのですね……」
「ああ。精霊魔法の基礎には『精霊招集』っていうのがあって、場の特定の精霊力を増やすことができる。精霊と魔力をつなげられるようになったら、次はそれをやってみるといい」
「はい……マナリナ・リラ・アルベインの名において請願する。炎の精霊よ、我が元に集まりたまえ……『精霊招集』!」
空間の炎の精霊密度が上昇する。ミラルカは精霊魔法の理論はわかっているが、習得しようとはしないので、俺の授業をマナリナと一緒になって聞いていた。
「これで『蛍火』を使ったら、爆発したりしない?」
「蛍火はそこまで強力にはならない。かなり明るくなるだけだ」
緊張した面持ちにマナリナに、俺は頷いてみせる。今の彼女でも、発動要件は満たしているはずだ。
「……マナリナ・リラ・アルベインの名において請願する。炎の精霊よ、我が前に小さき火を灯したまえ。『蛍火』!」
緊張しながら詠唱を終えるマナリナ。ぎこちないながらも、魔力が火の精霊に干渉し――そして。
彼女のかざした手の前に、ぽわっ、と小さな炎の玉が生まれる。それはふわふわと、上下に揺れながら揺蕩い、そして消滅した。
「で、できましたわ……っ、ディック様、ミラルカ、私、魔法が使えました……っ!」
「きゃっ……な、なぜ私に抱きつくのかしら。私は見ていただけで、何もしていないのに」
「いいんじゃないか。俺は授業料をもらうつもりはなかったからな」
「い、いえ……これに乗じてディック様に甘えるわけにはいきませんわ。差し入れも、このたびのご指導も、ディック様にはなんとお礼を言っていいのか……」
「精霊魔法の指導の仕方として今のやり方をレポートにしたら、俺もミラルカゼミの門下生になれるか?」
「な、なにを突然言い出すのよ……私のゼミに入りたいって、それは私の研究旅行などに、あなたも同行してもらうということになるのだけど……」
魔王討伐の旅をしていたときも長い旅路だったし、特に問題はない気がするのだが、ミラルカとマナリナは揃って何か言いたげにしている。
「こんなこと、ディック様の前でいうのははしたないですけれど……これから、とても楽しくなりそうですわ」
「何を楽しみにしているのよ……いい? ディック。あなた、レポートなんて出したら騒ぎになるし、有名になるわよ。その対策はできているの?」
「ああ、できてる。これで俺も魔法大学の図書館を利用したり、ミラルカの研究室で実験を見学したりできるようになるわけだな。研究、いい響きじゃないか」
こうしてミラルカゼミの学生名簿に、特別研究生として『デューク・ソルバー』の名前が加わることになった。
デューク――俺の書いた『魔法適性の有無の客観的判断基準と、初歩魔法発動の手引き』というレポートは、魔法大学に入ったはいいがなかなか魔法が使えずに悩んでいる学生たちにとって、救いの教本になってしまった。
結局俺にしかできない指導法なので、デューク・ソルバーを講師とする『初歩魔法指導室』が開設されるという話にもなりかけたが、さすがにそれは辞退した。正体を隠すために仮面で授業をするわけにもいかず、姿を見せずに魔法だけを覚醒してやるというのも都合が良すぎるので、レポートを読んで努力してもらうことにした――俺はミラルカと違って先生ではないので、それで勘弁してもらいたい。
「あなたが書いた火竜研究のレポートを学会に出したら、王室から研究者としてスカウトがかかると思うわよ」
「そう言われると、企業秘密にしておきたくなるな。何事もほどほどが一番だ」
「……また何か書いたら、私には見せてね。代わりといってはなんだけど、私の研究レポートも見せてあげるわ」
ミラルカのゼミに学生として顔を出すのも悪くはない。俺は『大規模建造物の重心計算と効率的破壊』と書かれた、ミラルカにしか実践できなさそうな論文を見ながら、もっと汎用性のある研究をしたまえ、と教授ばりに言いたい気持ちをぐっと我慢するのだった。




