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閑話1 飲んだくれと侍女服の店主

 アルベイン王国の暦には、『星神』と呼ばれる神たちの名前がつけられている。それはギルドの名称にも使われていて、俺のギルドは水瓶神の名前を冠している。それで『シルバー』の『水瓶』亭というわけである。


 今は五番目の月で、『獅子神の月』と呼ばれている。星神と数字の対応については暦を決めるときに適当に決められたらしく、別に法則性は無いらしい。 


 だいたい3月~7月は同じような温暖な気候で、8月だけが異常に暑い。火の精霊王が最も活力を増す月だからだそうである。アルベイン王国の領内に火竜が生息しているのは、そのような事情もあるそうだ。


 今の時期、朝日はだいたい5時半に昇る。それと同時に俺は目を覚まし、とりあえずカーテンを開けて日光を浴び、もう一回閉める。すぐに朝に弱いヴェルレーヌを起こし、朝食を摂り、朝十時の開店に向けて準備をしなくてはならない。


 一日中飲んだくれるためには、店にある程度客が入り続ける状況を維持する必要があるのだ。そのためには料理の質については常に考える必要があるし、人気のないものは調理や材料にテコ入れをしたり、メニューの名前を変えたり、あるいは新メニューに入れ替えたりする。酒や飲み物についても同じで、高級酒は店の地下の保存庫で温度と湿度を管理して保存し、果実のジュースの類を作る際にも、絞る前に鮮度を確認している。


 今日仕入れられる食材については出入りの業者に任せているが、俺が王都の朝市に通っている時期もあった。あのときに食物を鑑定する資格を身につけたが、楽をするために努力をするというのは、当然必要なことであろう。


 飲んだくれにも身だしなみというものもあり、服はヨレヨレ過ぎてもいけないし、かといって小ざっぱりとしすぎていてもいけない。


 絶妙なコンディションとなった服を一週間分+予備分用意しておき、古くなってきたら新しい服を適度に着古してからローテーションに採用する。「あの客、いつも同じ服で飲んでるぜ」などと噂が立っては、不衛生な店だと思われかねない。同じ理由で、俺は髪を切る周期もほぼ固定している。子供の頃は姉の機嫌次第で切ってもらったりもらえなかったりして伸び放題だったりもしたが、今では一ヶ月に一度、なじみの店で切ってもらう。


 俺はほとんど髭が伸びない体質なのだが、一応顔を剃ってもらうときに、顔剃りをしている理髪屋の娘の大きな胸が頭に当たり――というのはいいとしよう。


 大きな胸は見慣れている、しかし接触する機会はない。それは、全く機会に恵まれていないからというわけでもなく、目の前に常にぶら下がった人参を、食わずに我慢する馬のような心境だった。


 俺は洗顔を済ませたあと、事務室のドアをノックした。こうして起きなかった場合は、入室しても良いと許可されている。


「入るぞ」


 一声かけてからドアを開け、中に入る。事務室からは資料部屋に入ることができるのだが、まだスペースに余裕があったので、ヴェルレーヌはそこにベッドを入れて寝起きしていた。彼女は資料をギルド員に整理させ、自分の家具を設置したりしているが、よく働いてくれるので許可している。


「……すー」


 俺が入ってきたと同時に、ころんとヴェルレーヌが寝返りを打つ。その狙ったようなタイミング――実際に狙っているのだが――に、彼女がもう起きているのだと明らかにわかる。


「もう何度目だと思ってるんだ。朝の挨拶として順応してきてるぞ」

「……むぅ。ご主人様はつれない。自分は釣り師として名を馳せているだけに、釣られるわけにいかぬということか」


 正直を言うと、視線がその一点に止まらないようにするなど無理な話である。ヴェルレーヌはシャツ一枚で寝ていて、前のボタンを胸の下あたりまで外しており、仰向けになっている――そんな体勢になるとどうなるか。一つ間違うと大変なことになってしまう。


「そのうちボタンがはじけ飛んだら、ご主人様は責任を取ってくれるはずだと踏んでいるのだが……」

「身体を張るのはいいが、そんな格好で寝てると風邪ひくぞ」

「魔王として城で暮らしていたころは、裸で寝ていたのでな。何か身に着けていると落ち着かない、というのは説明したはずだが」

「その配慮には感謝するが、下をはいて寝てくれ」

「下着ならばつけているが……と、とぼけてばかりいても、露出趣味だと思われてしまうか。難しいものだな」


 ヴェルレーヌはベッドから降りる。このギルドにやってきた初めの日に、俺が寝間着代わりに貸したシャツを彼女は気に入っており、たまに俺の部屋から持っていってしまう。今日もそのうちの一枚を着ており、下にはズボンをはかないものだから、褐色の素足があらわになっている。


「はいたほうがいいと思うけどな……というより、普通の寝間着を着てみないか?」

「締め付けがきついのは、勤務中だけで十分だ。もう慣れたが、侍女メイド服は着るのも脱ぐのも大変なのだぞ? 本職の侍女にあらかじめ教えてもらってはいたわけだが、私はその手間に感服して、彼女たちの給料をその場で2割ほど上げてしまったほどだ」

「普通の服装で店主をしてもらってもかまわないぞ。一応、用意はしてあるし」

「ご主人様が用意した、酒場の女店主としての衣装……それは興味深いな。一度だけなら試してみてもいい。いつもメイド服では、お客様も飽きてしまうからな」


 ヴェルレーヌのサービス精神には頭が下がる。彼女のメイド姿を見るために来ている男性客も実際多かったりするので、彼女が定期的に服装を変えると客が増えるかもしれない――いや、もう客が多すぎて入店制限がかかっていたりするので、彼女の衣装替えは慎重に行わなくては。


 彼女は立ち上がると、浴室に向かった。夜も朝も風呂に入るのが好きだというが、そんな貴族のような生活をしてるやつはこの12番通りにはそういないだろう――いや、元魔王だから不思議でもないが。


 ◆◇◆


 三十分後、支度を終えたヴェルレーヌと一緒に朝食を摂り、階下に降りる。そして開店までに必要な種々の準備を終え、日替わりのメニューを更新し、開店時間を迎えた。


 最初の客――いや、ギルド員の一人がやってくる。中肉中背で黒髪を短く切った小ざっぱりとした青年で、リゲルという。一年前に冒険者認定試験を受けて合格し、縁あってうちに入ってきた。普通なら12番目のギルドを選ぶ者などいないのだが。


 リゲルはBランクで、最近はライア、マッキンリーと共にパーティを組み、依頼をこなしていた。Aランク相当のライアがリゲルの下についているのは、ギルドに入ってからの経験を重視した俺の判断だ。ライアは特に不満はないようで、Bランクの依頼から慣らしていくという俺の方針を受け入れてくれた。マッキンリーはあれから俺に心酔してしまっており、俺の言うことなら一も二もなく聞くという状態だが、経験を積めば自然に自立心が養われるだろうと思っている。


「兄さん、今日もすでにできあがってるみたいですね」

「よう、なかなか調子がいいみたいじゃないか。まあ俺のおごりだ、一杯飲んで行けよ」

「ご馳走様です! いやぁ、昼から飲むエールはたまんないっすね!」


 リゲルは調子に乗りやすいところはあるが、基本的には真面目な性格だ。剣の腕もそこそこ見込みがあるし、5年もしないうちにAAランクまでは上がれるだろう。


 Sランク以上は才能の世界で、時間と経験があれば到達できる領域ではない。現在Aランクのライアでも、年齢を考えると伸びしろには限界があって、Sランクまで上がれるかは難しいところだ。


「ところでこれ、預かりものなんですが……」


 リゲルはできるだけさりげなくカウンターの上に紙を置き、こちらに出してくる。


 そこには『親愛なるギルドマスター様 ギルド員一同』と書かれていた。


「……またか。こんな飲んだくれを呼び出して、何が楽しいんだ?」

「みんな日ごろから感謝してるんです。いや、それは真面目に言わせてもらいますけどね」


 俺のギルドの構成員は、百名余りである。これを多いか少ないかでいえば、12のギルドの中では最も少ない。最大の『白の山羊亭』は千人を擁しているが、二位のギルドからはがくんと数が減り、300人以下となっている。


 冒険者という仕事を成り立たせるには相当数の依頼が必要だが、今の冒険者の数でも少し供給が過剰になっている。俺はこれと見込んだ人物は迷いなくスカウトしてきたが、たまには事情があってギルドを抜けていく人物もいて、一年あたりで十人ほどメンバーが入れ替わり、100人を大きく超えることはない。


 国内の各地方にもギルド員を配置したいところだが、今のところ転移陣を設置してある場所、そして主要な都市、俺が決めた拠点だけに、50人ほどがいる。残りの50人は王都にいて、この店に顔を出してはヴェルレーヌから依頼を受け取り、必要があればパーティを組んで仕事をしている。


 銀の水瓶亭の席数は、カウンターの8席を含め、62席。つまり王都のギルド員が一堂に会することはできるわけだが――そんな会合を開いていたら、こうやって依頼を渡したり、こちらでパーティ編成をしてメンバーを引き合わせたり、個別にやっている意味がないではないか。


「お客様、良いのではないですか? 前回からおよそ一ヶ月ぶりですし、数日後に店の貸し切りもできます」

「やっぱり店主さんは話がわかるな~。兄さん、ほんとに良かったですね! こんな綺麗な人が来てくれて!」

「俺は客で、彼女は店主だ。まあ、確かに綺麗ではあるが」

「ふふっ……お客様、ありがとうございます。お世辞であっても嬉しいお言葉です」


 白いエルフの姿で、ヴェルレーヌは微笑んでみせる。お世辞ではないが、彼女は店主でいる間は、こうやって謙遜するのである。


「分かった、まとめて俺がおごってやるよ。何人でも連れてこい」

「ホントですか!? あ、いや、すみません大声出しちゃって……」

「ところでリゲル様。最近、お客様からこんなお話を伺ったのですが、ご興味はございますか?」

「あ、はい! 俺、何でも興味ありますよ!」


 こうやってヴェルレーヌは『噂話』の体で、ギルド員に依頼を振る。誰にどの依頼を振るかは、前日までに彼女と事務室で検討して決めていた。


 開店してしばらく経ち、店内には客が入ってきている。そこまで忙しくはならないが、厨房係も出勤してきて、店は賑やかになってきた――こうなると、依頼の話は大っぴらにはできないので、雑談の体を装う必要がある。


「最近、王都の近くである商人の一行が、『事故』を起こしたらしいのです。そのとき、商人たちが運んでいた動物が逃げ出し、近隣の洞窟に立てこもっているとか……」


 その依頼は、昨日のうちに誰に振るかと話していたものだった。


 商人の一行とは、珍しい獣を扱う動物商のことだ。その動物がどうやら人間の手に負えない猛獣らしく、捕獲してくれという依頼が出ている。


 すでにいくつかのギルドに並行して依頼を出しているので、請けるギルドが重複することになるかもしれないが、その場合は成功したギルドに報酬を払い、あとのギルドは前金のみにさせてもらいたいという契約だった。


「へえ……そういう話があるんですね。『もっと詳しいことを聞かせてもらえませんか』」

「はい。『お話をするお時間はございますか?』」

「はい、『予定なら空いてます』」


 ギルド員が依頼を受諾するときの合言葉。これで、リゲルに依頼の資料が渡され、彼はそこに示されたメンバーと組んで、依頼を遂行することになる。


 依頼にとりかかるのはできるだけ早いほうがいいが、俺からの『仕込み』もあるので、一日は時間をもらうことになる。リゲルはそれを分かっていて、酒を飲み干すと席を立った。


「ありがとうございました! 兄さん、今日はまた『知り合いを連れて』夜に来ます!」

「ああ、また来いよ」


 知り合いを連れてくるというのは、店を貸し切りにする前に、ギルド員を連れて飲みに来るということだった。


 まあ五十人の予定を合わせるには時間もかかるし、それは全く問題ない。『銀の水瓶亭』のギルド員は、いつでもうちの店に来てくれて構わないし、その時は気楽に飲んでいってもらいたい。


「お客様は、今夜のご予定は?」

「俺も知り合いが何人か来るかもな」

「ふふっ……そうですか。最近は、来店される頻度が増えていらっしゃいますね」


 ヴェルレーヌが思わせぶりに言う。フリーではあるが、うちのギルドの一員のようなものであるアイリーンはいいとして、ミラルカ、ユマ、そしてコーディが、代わる代わる店に来るようになったのだ。


 酒が飲めないユマにも飲めるものを出したことが、彼女をいたく感激させてしまったようだ――本来なら、忙しい彼女のもとに持って行ってやってもいいくらいなのだが。


 そう考えていて思い出した。今日あたりミラルカの研究室を訪問しないと、差し入れを持っていかない日が4日続いてしまう。しばらくはあまり間を空けずに通うことにしていたので、4日は少々空きすぎだ。


「……すまない、昼になったら一度店を出る」

「かしこまりました。私はいつでもお店で待っておりますので、ごゆっくりどうぞ」

「悪いな、いつも」

「心は世話女房、ということでございます。どうかお気になさらず」


 店に客が少ないからといってヴェルレーヌは大胆なことを言う。

 俺は彼女が出した三杯目のエールに口を付ける。そんな俺を見ながら、ヴェルレーヌはグラスを曇りひとつなく磨き上げ、満足そうに微笑んでいた。


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