第33話 戻ってきた平穏と執事の招待
ヴィンスブルクト公爵家の企みは、他の二公爵家の後見を得て、キルシュ・アウギュストによって国王に直接報告された。初めは宰相に報告されるはずだったが、宰相自ら、国を揺るがす事態について未然に防いだ功績を評価し、国王への謁見の場を設けられることになった。
歴史の長い公爵家の一つが、ゼビアスの代から腐敗していたことについては、他の公爵家も察知していないわけではなかった。公爵とはいえ一貴族であるヴィンスブルクト家の当主が、王女との婚約を強引に進めようとしたことを、公爵の中でも筆頭とされるオルランズ家、そしてシュトーレン家でも由々しきことと見なし、ジャンの放蕩な女性問題もあって、内部事情の聞き取りを行うべきという声が高まっていたのである。
シュトーレン家は、かつて所有した屋敷が俺のギルドによって安全に運用されていることを知ると、友好的な書状を送ってきていた。オルランズとシュトーレンの信頼関係は強いもので、そこをツテにすることで、キルシュの件の後見人になってもらえたわけだ。
どんな仕事でも受けておくものだ、と思う。あの屋敷に集まる死霊を浄化してくれたユマも、今回の件に間接的に助力してくれたと言えるわけだ。その話をすれば、ユマも一人だけ参加することができなかったと寂しがることはないだろう。
◆◇◆
ヴィンスブルクト家は爵位はく奪の憂き目に遭うところだったが、温情を受けて子爵に降格ということで落ち着いた。ゼビアスとジャンに一族全員が加担していたというわけではなく、彼らのしていることを把握していない者もいたからだ。
公爵家のひとつは空席となり、侯爵から再選出されることになった。侯爵家の中でもっとも公爵にふさわしいとされる家を決めるまでは十分な期間を設け、それまでは二つの公爵家が貴族たちの頂点に立つこととなった。
キルシュは幸運にも、オルランズ家に雇われることになった。その能力と、国のために主君を諫めようとした忠誠心を買われたのだ。彼女の部下は、裏切りを犯した者以外はそのままキルシュの下につくことになった――彼女の近況と報酬については、また日を改めて話すことになっている。もう貰うものは貰っているとも言えるのだが、キルシュはそれでは気が済まないと言っていた。
そして、国王からの裁定が下りて、一週間後。
俺は仮面の執事として、『救い手』の四人をベアトリスの屋敷でのディナーに招待した。
晩餐の席に着く前に、今回の依頼で協力を要請しなかったことについてユマと話したが、彼女は何も気にしていないようだった。
「人と人との争いで、私の力がお役に立つとしたら……それは、無念を抱えて亡くなられた方々を鎮魂することになってしまうでしょう。それが私たち僧侶の本来の仕事の一つではありますが、それを喜んでいたらディックさんに心配をかけてしまいますしね」
「ユマ……大人になったな。全ての魂を鎮めたい、って言ってたのに」
「いえ、本当はお鎮めしたいですけど……我慢して、我慢して、溜まってきてから、ディックさんにお願いして、鎮魂の場を設けてもらうのもいいかなと思っていまして」
間違いなく聖女と言える微笑みを浮かべているが、言っていることは、どこかしら背徳を感じさせられる。
「……仮面の僧侶では、ちょっとしかストレス解消できないのか?」
「は、はい……すごく満たされますし、私がアルベイン神教会の僧侶というのは、仮面をつけていても服で知られていますので、寄進の額は増えるいっぽうです。でも、ベアトリスさんが死霊を集めてしまったとき、一気に浄化したときのあの感覚が、忘れられないんです……ああ……あのときみたいに、ディックさんの魂に触れたい……」
「そ、そうか……触れるだけでいいのなら、いつでも構わないぞ?」
ユマは俺を見て、ぱちぱちとつぶらな瞳を瞬かせる。その反応の意味が、俺にはすぐにわからなかった。
「いいえ。ディックさんがおじいさんになって、ご家族に看取られて神のみもとに旅立たれるときまで、とっておきます」
「……家族か。まず家族を作るには、嫁をもらわないとな」
「あっ……は、はい。その件についてはですね、私のお父様とお母様も、将来的には、ディックさんさえよかったら……あ、あのっ……」
「執事さん、ユマ。もう着席してずっと待っているのだけど、まだお取り込み中かしら?」
「っ……す、すみませんっ。執事さま、今のお話はまた、また今度でお願いしますっ……!」
ユマはぱたぱたと走っていき、ミラルカの隣に座る。ミラルカは俺を牽制してくるかと思いきや、ふっと笑っただけで、ユマと何やら話していた。
「お客様方、食前酒はいかがなさいますか?」
「私は執事さんのお勧めでいいわ」
「私もー! ユマちゃんはミルク? 今日くらい禁を破ったりは……だめだよねー」
「はい、ミルクかお酒以外の飲み物をお願いします」
「じゃあ、僕は……いつものにしようかな」
オーダーを最後に出すのは――コーディ。今日は私服姿で、アイリーンの隣に座っている。
俺にどんな服を普段着てるか、と聞いてくるくらいに、コーディは服装には頓着しないやつだ。俺がいつも世話になっている仕立て屋を紹介したこともある。
これからも、そんな日々が続くのだろうと思っていた。
数少ない、腹を割って話せる親友。そういう存在を失いたくないからといって、俺は今後も一生、自分が見たものを否定し続けるのか――。
のぞき見をしたことを知られたら、コーディは俺を許さないだろうか。
コーデリア・ブランネージュ。彼女の故郷の村には、その名前で出生記録が残っていた。
それは、俺の情報網があれば、動かずして調べられることだったのだ。俺は仲間たちの素性を改めて調べようなんて思ったことはなかったし、コーディの出生について知ろうと思ったのも、これが初めてだった。
彼女がブラウンの髪を常に短く切っていても、時折長く伸びてくると思うことがあった。俺と一緒に旅をしているのは、隣で飲んでいるのは、本当に男なのかと。
そのたびに、そんなことはありえないと考えを打ち消してきた。実は女なんじゃないのか、そんなことを尋ねれば、信頼を無くしてしまうと思った。
だからこれからすることで、コーディを怒らせ、絶交されたとしても仕方がない。
それでも、もう少しだけでも、彼女が楽にしていられるように。これからも男を装い続けなければならないとしても、どこかで肩の力を抜けるようにしたい。
「本日は皆様を労う、特別な晩餐会でございます。よろしければ、コーディ様のお飲み物も、お任せいただければ幸いです」
「……? うん、それじゃお願いしようかな」
心臓が跳ねる思いがした。こんなことをしなくても、知らないふりをして、俺は酔って夢でも見たのだということにすれば、同じ関係を続けていられる。
それが、俺の望んだ平穏だ。それで間違いはない。
これからすることが間違いだというのも分かっている。こんなに怖いと思うのは初めてだ。
俺はコーディが定期的に店に顔を出してくれることを嬉しく思っていた。
それはコーディが男であっても、女であっても、変わることのない気持ちだった。
「失礼いたします。食前酒のご用意をさせていただきます」
ベアトリスが、食前酒のグラスを乗せたワゴンを押して、ダイニングルームに入ってくる。
そのワゴンの上には、4つの色のブレンドした酒を満たしたグラスが置かれている。ミラルカは赤、アイリーンは青、ユマは白、そしてコーディは黄色。
「『銀の水瓶亭』のオリジナルブレンド、『虹の雫』でございます」
ブレンドの最後に加える一滴で、七色に変わる酒。リキュール、ブランデー、ジュースを独自の比率で混合したベースだけでも十分に美味いが、最後の一滴で大きく味の印象が変化する。
「……ディック……これは……」
俺は仮面の執事という体だが、コーディはそんなことは気にしていられないというように、俺の名を呼んだ。
何も言わず、俺はベアトリスにワゴンを押してもらい、四人の前にグラスを置く。三角のグラスに、四人それぞれの色をした、透き通る酒が満たされている。
コーディはエールを頼むだろう――そう思った。それは初めに店に来たとき、「だいたい男性客はエールを頼む」と俺が教えたあとから、ずっと守られている習慣だった。
そのあともコーディは、「男が飲む酒」をそれとなく俺から聞き出して、それしか頼まなかった。
優男だと言われるのがいやで、男らしく振る舞おうとしている――そう思っていた。それは半分は正解で、半分は的外れだった。
俺に女だと悟られないために、演じていたのだ。
だから、俺が終わらせなければならない。言葉にしなくても伝えられる方法で。
「……これは、何かの間違いじゃないかな。僕は、エールかラムしか……他のお酒は、よほどの例外がなければ頼まないよ」
「いえ、例外ではありません。決して、気の迷いでもない」
ミラルカとユマ、アイリーンの表情が変わる。信じられない――そんな顔をされるのも無理はない。
五年間だ。五年間ずっと気づかずに、今日という日を迎えたのだから。
コーディは俺に何か言おうとする。初めは怒っているようにも見えた……しかし。
「……君には、後で問い詰めなければいけないことができた。これはきっと、大きな貸しになる」
「ええ……承知しております。それでも、今お出ししているものに、間違いはございません。もし気分を損ねましたら、何なりと罰をお申し付けください」
俺は深く頭を下げる。バカにしているのかと怒られることも覚悟しながら。
しかしいつまでも叱責は訪れない。そして、コーディはふぅ、と息をついた。
「……何のつもりかは後で聞くとしよう。でも、そういうことだと思っておくよ。覚悟を決めるべきは、僕の方だったみたいだね」
頭を上げることを許され、俺は四人の視線を浴びる。
誰も責めるような目はしていない。むしろ、ミラルカとアイリーンは今更気がついたのかと言いたげだった。
「なぜ今日という日を選んだのか、いつからなのか……いろいろ聞きたいことはあるけれど。今日のところは、コーディに免じて、不問に付してあげる」
「恐れ入ります、ミラルカお嬢様」
「えー、それでも執事のままなの? ディック、素顔でコーディと話すのが恥ずかしいんでしょ」
「……僕はあまり気にしないけど。今までだってそうだったし、これからも……」
コーディはそう言いつつも、耳まで真っ赤になっている。
そんな顔を見たのは、魔王討伐隊として旅をしているときに、一緒に風呂に入るかと誘ったとき以来だった。
「それにしてもディックは、これで男性の親友がいなくなってしまったわね」
「い、いや。僕はいいんだ、これからも男性扱いしてくれていい。そうじゃなかったら……そ、その、困るから……」
「いろいろ察してね、っていうことね。そんなわけで、今日は飲むぞー!」
「あ、あの、私、執事さまのお気持ちはうれしいのですが、お酒は……」
「同じ仕立てにしてありますが、ユマ様のものだけは酒精を抜いてありますので、ご心配なく」
「さすがディック様ですね……お酒なしでも、近い味になるブレンドの仕方を用意しているんですから。これからも、定期的にレシピをお教えしていただかなくては……」
ベアトリスはもう十分に、この屋敷の主人としてこなれているのだが、彼女がそう言うならば定期的な訪問は必要だろう。
しかし四人の目が恐ろしい――ベアトリスの屋敷を訪問するということは、つまり彼女の実体化を維持するために、魔力を供給するということでもあるからだ。必ず毎回というわけではないが、彼女もそれを期待しているふしがある。
ユマは笑っていて、コーディも顔が赤いままながらも、いつも通りの爽やかな笑顔に戻っているが、こちらを見る目の意味が微妙に変化しているように感じた。
「……今後はやきもちを焼くと、そういう意味に取られてしまうのか。みんなも大変な思いをしてきたんだね」
「やー、やきもちなんて焼いてもしょうがないって。ディック、全然自覚ないし」
「本当にね。引きよせるだけ引き寄せて、餌をあげないタイプよ。とんだ釣り師ね」
「ぐっ……私はただの仮面の執事でございまして……」
「私も仮面の僧侶です。そんな私から一言言わせていただきますと……もっと私をかまってください」
ユマがいきなり爆弾を投下する――しかしそれは、みんなを笑顔にする。
彼女には昔からそういうところがある。浮世離れしているようで、本当はそうでもない。
「ディック、私との約束も覚えているわね? 忘れたなんて言ったら許さないから」
「あ、今回の仕事ってそういうのもOKなの? じゃあねえ、今度うちに来て一緒に飲も? ヴェルレーヌさんも連れてきていいよ」
「じゃあ、僕は……ディックははぐらかしていつも先送りにするから、剣の稽古に付き合ってもらおうかな」
みんなが口々に俺への要望を出す。俺はずっと酒場で飲んでいたいわけだが――どうやらそれだけではいさせてもらえないようだ。
「それではディック様……いえ、仮面の執事様。乾杯のあいさつをお願いいたします」
「なぜ私が……と言ってる場合でもないか。皆様、グラスを掲げていただいて……乾杯!」
『乾杯!』
魔王討伐隊、そして今は仮面の救い手が声を揃える。
今夜の晩餐会は、終わる時間を予定していない。彼女たちは大いに飲み、大いに話し、互いに労いあった。
今回の一件を通して起きた変化があり、そして変わらない部分がある。
明日から俺は、また変わり映えのしない日常へと帰るのだろう。今は皆と共に、心地よく酔わせてもらいたい。
「執事様、何か飲まれますか?」
「僕たちにも作り方を教えてもらえないかな。君だけいろいろ知っていてずるいと思っていたんだ」
「ディックはねえ、レシピは見様見真似で覚えろっていうから、見せてもらえばいいよ」
「ふぅん……どんなふうに作っているのか、興味深いわ。やってみせて、仮面の執事さん」
「では、リクエストにお答えして……」
ベアトリスが用意した酒をブレンドするためのシェイカー――これは王都の酒場には普及していない。酒を混ぜるという文化自体、俺が異国の人間から聞いて興味を持っただけで、アルベインには広まっていないからだ。
シェイカーにブレンドする材料を入れ、振り始める。そしてグラスに注ぐところを、親愛なる俺の仲間たちは、まるで宝石でも見るかのように目を輝かせて見つめていた。




