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第32話 忘却の五人目、再び

 フェアリーバードの先導に従って火竜を降下させ、まずミラルカをジャン・ヴィンスブルクトの足止めに向かわせる。そのまま俺はヴィンスブルクトの屋敷に向かった。


 火竜を貴族の邸宅が集まる地区の外れに降下させ、飛び降りる。事前に調査していた屋敷、その広い前庭で、今まさに凶行が行われようとしていた。


 キルシュと数人の部下が、腕を後ろ手に拘束され、並んで座らされている。その後ろには、処刑刀を持った男の姿があった。


 キルシュの目の前に立っている、豪奢な衣服を身に着けた禿頭の老人。その瞳は氷のように冷たく、口元には歪んだ笑みが浮かんでいる。


「お前たちはベルベキア軍に通じ、我がヴィンスブルクト家を脅迫し、不当な利益を得ようとした。キルシュ、お前はジャンの忠実な下僕だと思っていたが、とんだ雌猫だったようだな」

「くっ……!」

「おっと、動くなよ。動けば、その首を切り落とせと命令を下さねばならん。キルシュ、最後の機会をやろう。あの愚かな息子はもう逃げ出したが、儂の下僕として働く気はないか? もし忠誠を誓うならば、お前だけは赦免してやろう」

「ま、待ってください、ゼビアス様! それじゃ、俺たちは……ぐぁっ!」


 キルシュだけが赦免される、その言葉を聞いた部下が声を上げるが、ゼビアスの配下の男に蹴りを入れられ、悶絶して沈黙する。


「いつ口を開けと言った? 儂は実力を買った者しか手元には置かぬ。貴様らなぞ、幾らでも替えが効く存在でしかないのだ」

「そんな……お、俺が、キルシュ隊長が盗賊を逃がしたってことを言わなければ、あんたは……」

「貴様も逃がしたことに変わりはあるまい? 密告者が厚遇を受けられると思うなどと図々しい」

「っ……くそぉぉぉっ……!」

 

 キルシュは配下の密告によって、ゼビアスの前に引き立てられた。経緯は理解した――これ以上見ている必要はない。


 俺はどのようにキルシュを救出するかを考える。

 何も難しいことはない。しかし、ゼビアスの部下に一人だけ、Aランクの戦闘評価を持つ剣士が混じっている。奴が動いてキルシュを狙ってしまうと、後手に回れば彼女が命を落としてしまう。


 万全の仕事をするためには、俺が姿を見せるしかない。Aランクの剣士を引き付け、後は――。


(どうとでもなるか。あのご老体が、驚きすぎて死ななければいいが)


 この場合、キルシュたちの身を守るために最も有効な手段は、強化の魔法を発動することだろう。


 本来強化魔法は食事に付与するものではなく、それは俺が後から編み出した手法であって、元は戦闘中に味方を強化することが基本だ。


 魔力を隠蔽し、誰も気が付かないままに、俺はキルシュを強化する。しかしそれだけでは、仕込みは足りない。キルシュの強化は念のためであり、敵にかけるべき魔法があるーーそれで、準備段階でかける魔法は完了だ。


 俺がもう一つ選んだ魔法は、今まで何度か練習してきてものにしていた。ミラルカの前では拙すぎて見せられないが、実用に足る効果が発現することは確認できていた。


 キルシュは顔を上げることを許され、ゼビアスを見上げる。彼女は捕縛されるときに抵抗したのか、結んでいた髪をほどかれ、唇には血がにじんでいた――殴られたのだ。


「私は……私は間違ったことをしたとは思っていない! ゼビアス・ヴィンスブルクト! 貴様がしてきたことはいつか、白日の下に晒される! 私がここで死のうと、誰かが必ず……!」


 彼女は全く折れてなどいない。そう、折れる必要などどこにもないのだ。


 ヴェルレーヌは言った。キルシュが自分の選択に誇りを持つこと、それが銀の水瓶亭が、彼女に報酬として求めるものなのだと。


 契約は履行された。ならば俺たちは、キルシュの依頼をどんな方法を使ってでも達成してみせる。


 ゼビアスは静かに、しかしキルシュの反抗に、度し難いほどに憤激していた。

 奴が出す答えはわかっていた――処刑人に仕事をさせる。ゼビアスにとって、キルシュが欲しい理由はラーグと同じで、女性として見目麗しいというくらいだったのだろう。


「……儂は罪人を捕らえ、身内の恥を濯ぐべく、断腸の思いで処刑を行うのだ。理解してくれるな」

「っ……!」


 キルシュはそれでも瞳の光を失わなかった。その頬に涙が伝っても、彼女は決して屈してなどいない。


 処刑人が、ぎらりと光る剣を高く掲げる。

 そして振り下ろそうとしたとき――俺は『二つの魔法』を、同時に発動させた。


(――『戦闘力貸与スピリット・ライジング』――そして、『戦闘力低下スピリット・レデュース』!)


「うっ……!?」


 処刑人が動きを止める。そして刀を持っていられずに、ふらふらとバランスを崩して倒れこんだ。


「お、重い……け、剣が、急に……!」

「おい、何をしている! 儂は殺せと言ったぞ! ええい、貴様がやらんならお前がやれ、グランス!」

「――処刑なんてのは、悪人が裁かれるものだ。そうは思わないか?」


 俺はすでに動いていた――こればかりは、自分で姿を見せるのが一番効率がいい。Aランクの剣士が拘束されたキルシュたちに向かう前に、剣を抜いて切りかかる。


 久しぶりに人間と切り合う。しかし、俺にとってはこんなものは、戦いとして成立すらしない。


「そんな仮面をつけて、正義の味方のつもりか……ふざけやがって!」

「俺はただ仕事をしてるだけだ。あんたと同じだよ。『紫の蠍亭』のグランス・バルドーだったか」

「それがどうした……死ねっ!」


 Aランク――冒険者強度1万のうち、ほとんどを剣術の評価で計上されているようで、なかなかの腕だ。


 しかし『斬撃強化スピリット・ブレード』で強化した俺の剣と一合でも打ち合うのは、普通の剣を使っている以上は自殺行為としか言えなかった。


 ギィン、と鈍い音がする。魔力によって硬度を高められた俺の剣は、グランスが使う鋼鉄の剣の刃を、半ばから断ち割っていた。


「バカなっ……黒鉄の剣が、ただの鋼の剣で……!」

「ベルベキアから供与された武器でも使ってたのか? これは根が深い問題だな……!」

「ぐぉっ……!」


 武器を失った相手に切りかかることもない。俺は蹴りを繰り出し、グランスを吹き飛ばした。

 『蹴撃強化シュート・ライジング』。常に強化魔法を使う必要もないが、手加減ばかりしている主義もないので、つい発動させてしまう。


 しかしグランスが飛んでいく先に大木があり、激突した衝撃で木の幹に亀裂が入った。


「さて、次は……ん、もう誰もかかってこないのか? じいさん、顔が赤紫色になってるぞ」

「む、無能どもがぁっ……ここを逃げ切れば、逃げ切りさえすれば……っ」


 もはや、部下を陰で操り、この国を手に入れようとした策謀家の顔などどこにもなかった。

 息子にも離反され、最後の手を打ったつもりが、すべての希望を絶たれようとしている。ゼビアスは自ら剣を抜き、俺に切りかかってくる――その顔にあるのは権力への妄執と、俺への憎悪だけ。


「ウガァァァァッ!」


 理性を失い、獣のような声を上げながら、剣を繰り出す――しかし。

 自らの実力はCランクにも満たないゼビアスの攻撃を許してやるほど、俺は甘くはなかった。


 様々な方法の中から、俺はあえて『実験』を選ぶ。そう、俺にとっては、これは初めから戦いではないのだ。


 俺は『魔法陣』を、『隠蔽したまま』展開していた。


 そういう使い方ができないかと、ミラルカを見ながらいつも思っていた。


 彼女以外に、空間展開魔法を使える者はいないだろう。彼女のことをずっと見てきた、あらゆることをそこそここなすことのできる、『器用貧乏』の俺以外は。


 ――『限定殲滅型六十六式・粒子断裂陣』―― 


 ゼビアスが剣を突き出す――それは俺の体に届いたかに見えた。


「ど、どうだ……儂はこんなところでは終わらぬ……決して……」

「いや、終わってるよ。そして、二度と始まりはしない」

「なっ……あ、あぁっ……!」


 ゼビアスの剣がぼろぼろと、黒い炭のような塊になって崩れ落ちる。武器を失ったゼビアスは腰を抜かし、ただ化け物を見る目で俺を見ていた。


「け、剣が……貴様、魔族……魔族だな。魔族が王都に入り込み、国を侵そうと言うのか!」

「魔族を侮るなよ。ゼビアス、あんたよりもずっと誇り高い魔族を俺は知ってる。いや、あんたには誇りなんて初めから無かったんだな。国を売るようなやつに、誇りなんて言葉は勿体ない」

「……ぐがっ、がっ……!」


 ゼビアスは敗北を認められず、口から泡を飛ばして何かを言いかけたが、それは言葉にならなかった。

 憤激のあまりにゼビアスは失神する。まだ残っている部下の誰もが、戦う力など残していなかった。『戦闘力低下スピリット・レデュース』の効果を受けた者は、一定の強さがなければ武器を握ることすらできないほど弱体化するからだ。


「主人を連れて逃げろっていうのも、むしろ酷な話だろう。おとなしく捕まってくれ」


 誰もが言葉もなく、頷くこともできないでいるが、俺の言葉に逆らう気力ももうないだろう。


 俺はキルシュたちの拘束を外してやる。解放されたキルシュの腕に縄が食い込み、血がにじんでいたので、彼ら全員に『癒しの光』をかけた。


「この光は……回復魔法まで……」

「ひ、ひぃぃっ……俺は悪くねえ! 全部キルシュ隊長が……ぐぁっ!」


 キルシュのことを密告した彼女の部下には、仕置きの意味も込めて手刀を食らわせ、失神させる。


「他に、彼女を裏切った者はいるか?」

「……いえ。他の者の中にそういった気持ちを持つ者がいたとしても、それは私の不徳が原因です」

「そ、そんなことは……」

「キルシュ隊長、すみませんでした……俺は、あなたがゼビアス様の部下になって、俺たちを見捨てるものかと……」


 キルシュの部下の三人の男性が、申し訳なさそうに言う。しかしキルシュは笑って言った。


「そう思うのは無理もない。そうしたら助かるかもしれない、と思ってしまったことは確かだからな……しかし、あの老人に屈従するよりは死んだほうがいいという気持ちが勝った。それだけのことだ」

「隊長……」


 本来は、キルシュは彼らに慕われているのだろう。その信頼関係をおかしくしたのは、彼女たちに汚れ仕事を命じたジャンと、利用するだけして切り捨てようとしたゼビアスの父子だ。


 ミラルカもつつがなく任務を完了したのだろう、フェアリーバードが上空を横切っていき、その後ろをミラルカの乗った火竜が飛んでいく。


「あ、あの……仮面の方。なぜ、私たちを助けてくれたのですか?」


 仮面を着けていると声が偽装されるため、キルシュは俺の正体に気づいていない。

 彼女は俺の答えを待っている――俺はそれよりも、捕縛されるときに破られてしまった彼女の服が気になり、着ていたジャケットを脱いで羽織らせた。


「あ……も、申し訳ありません、そのようなお気遣いまで……っ」

「いや、気にしないでくれ。これくらいは当然のことだ」


 俺は踵を返し、立ち去ろうとする。あとは王都の役人を呼び、キルシュたちに処理を任せるつもりだ。彼女ならば、事情を理路整然と伝えることができるだろう――難しければ、コーディの力を借りる必要が出てくるが。


「か、仮面の方……っ、どうか、お名前だけでも……!」

「俺の名前か。名乗っても忘れられるから、名乗らないようにしてるんだ」


 それは半分本当で、半分は嘘だ。俺は決して、表舞台に名前が通るようなことをしたくない――今回自分で仕事をしたのは例外的な措置だ。


 本人を補助するか、ギルド員に指示を与えるか。あとは酒場で飲んだくれるだけの酔っ払いに、名乗る名前など必要ない。


 必要ないのだが――だからこそ、俺はここに仮面を着けてきたのだ。


「俺は『仮面の救い手』の五人目だ。そう覚えておいてくれればいい」

「は、はいっ……! 絶対に、この恩は忘れません……ありがとうございます、『忘却の』勇者どの!」

「っ……!?」

「勇者……あの男が?」

「俺たちを助けてくれたっていう意味での、勇者じゃないか?」


 キルシュの言葉に部下たちは勝手に納得してくれたが、俺は少なからず動揺していた。


 まさか、知られていたのか――いや、銀の水瓶亭のギルドマスターの名が、ディック・シルバーであることを、どこかで調べて知ったのか。公式にそう記録されているので、調べればわかる話なのだが。


 彼女が依頼を持ち込んだ銀の水瓶亭と、ディック・シルバー、そして仮面の救い手が結び付けられてしまった――だが、あまり目くじらを立てるのも野暮だろう。


 キルシュは秘密を守ってくれる。もし守ってくれないならば、ヴェルレーヌを介して、成功報酬にこんな条件を追加させてもらいたい。


 『仮面の救い手』は、当ギルドとは無関係の、王国を守る集団である。

 もし彼らに救われたとしても、それは当ギルドで一切関与しない出来事である――ぜひ、そのように念を押しておきたいところだ。

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