第27話 虎人族の感謝と鬼娘の潜入任務
夜風が分解された野営地の粒子を吹き流すと、後には黒土の広い空間と、テントや櫓を建てるための杭や、柵が打ち込んであった部分の穴が残るのみとなった。
俺が初めに『睡眠』をかけて眠らせた兵が取り残されていたので、もう一人気絶している兵のところまで連れていってやる。
「……ん? なんだ、まだ夜か……」
「お目覚めだな。もう、お前の仲間は全員逃げていったぞ」
「え……なっ、なっ……」
何があったのかすぐに理解できるわけもないが、懇切丁寧に教えてやるのも面倒なので省略する。
「心配するな、指揮官も含めて全員逃げたから命令違反の責を問われることはない。お前はこいつを背負って連れていけ。そのうち起きるだろう」
「は、はい……うわっ、な、なんだその仮面!」
「答える義理はない。分かったらさっさと行け、虎人族の村で捕まえてもらってもいいんだぞ」
「ひ、ひぇぇっ……お助けぇぇっ!」
絵に描いたような悲鳴を発し、兵士は俺の手刀で昏倒していた仲間を担いで逃げていった。それでは山を降りられるか分からないので、情けとして『癒しの光』をかけておいてやる。
捕虜はすでに捕らえている5人で十分だ。あまり数が多くても虎人族の村の負担になってしまう。
そして、逃げて行った敵兵たちだが――装備を整えなおして再びここに戻ってくることはもうできない。ミラルカがベルベキア側からの軍道への入り口を殲滅魔法で塞いだので、もう一度道を作るまでにはそれなりの時間を要するだろう。撤退の際に、彼らは山中を進むことを余儀なくされる――獣や魔物も出るこの山で無事に生き残れるかは、彼ら次第だ。それくらいの脅しはかけておかなければ、懲りもせずこの山を侵そうとする可能性がある。
しかし山を抜けて攻められないとなれば、ベルベキアはアルベインの国境警備の隙を突くことにこだわらず、正面から戦争を仕掛けてくるということもありうる。
ベルベキア側の動きを知るために、俺はすでに今現在、アイリーンに潜入調査を頼んでいる。今はまだヴィンスブルクトの部下として彼の屋敷にいるキルシュに協力を頼んでいるので、屋敷に潜入するまでは簡単だろう――念のために、アイリーンには俺の『目』をつけているので、後で状況を見てみようと思う。
「さて、虎人族の村に帰るか……おいおい、まだやってるのか?」
森に隠れて野営地の崩壊と、ミラルカの降伏勧告を見ていた虎人族たちは、軍道の封鎖を終えたミラルカが火竜に乗って戻ってくると、ずっと地面に頭をつけていた。
「あなたからも面を上げるように言ってちょうだい、ずっと微動だにしないから困ってるのよ」
「虎人族が危機に陥るとき、その者空より火竜と共に舞い降りて、悪しき軍勢の砦を泡沫に帰す……この伝承は、長きにわたって虎人族の支えとなるでしょう。此度の大恩、このジェダが長老にしかと報告させていただきます」
壮年の虎人族男性は、精悍な顔つきで2メートル近い体躯を持っているのに、まるで少年のような目で俺たちを見ている。ミラルカの姿が、あまりにも絵になりすぎていたからか。
「仮面の魔法使い様、ああ、なんとお美しい……」
「仮面の剣士殿も剣の腕は達人の域を超え、魔法の力も一級とお見受けします。もしやあなたがたは、さぞ名のある英雄なのでは……?」
ルードという若い男性とその奥さんも、興奮冷めやらぬ様子だ。やはり賞賛されるのは落ち着かないが、今回ばかりは甘んじて受けるほかはない。
「俺たちはティグ族のリコがベルベキア兵に追われていたから、あんたたちが捕まってるってことを偶然知っただけだ。そういう窮地にあるときは、俺たち『仮面の救い手』が助けに来ることもある。そう思っていてくれ」
「仮面の救い手……獣人を見れば搾取することしか考えない人間の中に、そのような志を持つ方々がいたとは。人間も、判を押したように同じというわけではないのですな」
俺たち以外にも、獣人を敵視していない人間は居るだろうが、残念ながら王国全体を見渡してみれば、『獣人は人間より劣った存在』という、間違った認識を植え付けられている人の方が圧倒的に多い。
俺はそうでないことを知っている。計り知れない知識を持つ獣人の賢者もいるし、戦闘においても人間より優れた基礎運動能力を活かし、凄腕の傭兵をやっている人物もいた。
そんな彼らがなぜ軍に捕まったか。それは獣人が火を恐れることが理由だろう。ベルベキアはその弱みを突いて、無辜の民である彼らを搾取しようとした。その罪は、この戦争が終わったあとに賠償させなければならない――そのための道筋も考えておかなければ。
「私たちに対して、あまり恩義に感じることはないわ。あなたたちの安全は保証するから、村に戻って穏やかに暮らしなさい。アルベインからあなたたちに干渉することのないように、何とか動いてみるから」
今回のミラルカは特に面倒見が良くて、俺から言うことがほとんどなかった。正義感が強くなければ魔王討伐隊に志願などしないといえばそうなのだが。
ジェダと名乗った男性は、ミラルカの言葉を受けて、身を低くしたままで顔を上げた。
「虎人族には、受けた恩を必ず返すという掟があります。あなた方が先を急がれるのであれば、無理にとは申しません。しかし、もう夜もすっかり更けております。この近くにある我らの村で、心ばかりの歓待をさせていただきたい」
そして、全員で再び地面に手を付き、その上に額をつける姿勢となる――こうなると、俺もミラルカも弱かった。
幸いにも、今から急いで王都に戻らなければならないということはない。
アイリーンの肌に魔法文字を描かせてもらい、『小さき魂』の魔法を施してある。あちらに意識を飛ばせば戦闘の補助もできるが、そうでなくても状況だけは伝わってくるのである。
彼女はヴィンスブルクトの屋敷に侵入する予定だったが、キルシュと接触したところで予定が変わった。ヴィンスブルクトの手先として動いている家来たちが、屋敷の外で会合を開くというのだ――キルシュはその会合の参加者が、謀反の計画に加わっていると見ていて、アイリーンが潜入調査を請け負ったのである。
そして彼女は、今まさに会合が行われている一番通りの宿に潜入し、窓の外に潜んで会合の内容を聞いているところだった。ときどき「ほうほう」とか「そろそろやっちゃっていい?」とアイリーンが尋ねてきているので、もう少し待って全部話を聞いてしまえ、と引き止めているところだった。
どうやらベルベキア軍は、山中の軍道がもし使えなくなった時には、南の平野にある国境を強行突破するつもりでいるらしい。ベルベキア軍の主力である『黒鉄騎兵団』は、本来ならば馬の機動力を最大限に発揮できる平原でこそ力を発揮するもので、ベルベキア共和国を束ねる指導者は、その力に絶対の自信を持っているとのことだ。
「リコとも約束しているし、一晩泊まるかどうかは別として、ティグ族の村には立ち寄りましょうか」
「ああ、そうだな。あんたたち、俺たち人間の匂いが苦手なんだよな?」
「恩人であれば話は別ですが。我らの村に入るのであれば、確かに老人たちを驚かせてしまうかもしれませんから、虎人族の匂いはつけておいた方がいいですな。おい、おまえたち……」
「ああいや、リコがやってくれるって言ってたからそれは問題ない。ルードの奥さんの尻尾でやってもらうっていうのは、何か申し訳ないしな」
「い、いえ、決してそのようなことは……むしろ救い手様にそのようなことをさせていただけるなど、私も妻も光栄に思うところです」
ルードが勝手に奥さんの気持ちを代弁しているわけではないようで、奥さんの方が俺とミラルカを見て顔を赤らめている。
こうして見ると、虎人族といえど、腕の先や足など、人間より体毛に覆われている部分が多いだけだ。着ている服は多少露出度が高いが、革や布の加工技術がそこまで発達していないのと、人間ほどしっかり肌をカバーしなければ恥ずかしいという文化でもないのだろう。
「……よその奥さんに尻尾をこすりつけてほしいの? それとも、必要もないのにモフモフしたいのかしら。尻尾の先の丸い毛玉が、いかにも柔らかそうだものね」
「確かにな。でもそこまでは考えてないぞ。リコの尻尾ならいいのか、という話でもあるし」
「大人の女性と、無邪気な子供ではわけが違うわ……と思ったけれど。リコって何歳なのかしら」
「リコは今年で13歳ですな。虎人族は12歳から一人前とみなされますから、彼女も立派な大人の女性です」
「リコ様は長老の玄孫さまですので、私より一つ下の世代の者は皆憧れております」
リコが『長老様』と呼んでいたから分からなかったが、彼女自身も長老の血を引いているということか。ティグ族は、長老の一家を中核として集まっているのかもしれない。リコが玄孫ということはその上に孫、子の世代がいるわけで、長老の血を引く人たちが多数いると考えられる。
「……一つ聞いていいかしら。結婚できる年齢の虎人族が、人間の男性ににおいをつけるというのは、何か特別な意味があったりはしない?」
「ええ、友好のしるしということにはなりますが。ご安心ください、それだけで嫁がなければならないとか、そこまでの掟はございません。リコ様も、『尻尾に触れて欲しい』とは救い手様には頼まぬでしょうし。彼女も分別がつく年齢ですからな」
ジェダ氏が話している横で、4人いる虎人族の女性たちが苦笑している。
それがなぜなのか分からず俺は首をひねるが、ミラルカは何か察したらしく、仮面越しに俺をじっとりと見つめていた。
◆◇◆
ティグ族の村の外に、リコの言っていた傷のついた大木があった。どうやらイノシシか何かの巨獣が体当たりしたようで、樹齢何百年という巨木の幹に大きな古傷が残っている。
ジェダ氏たちが先に村に戻っていったあと、入れ替わるようにしてリコがやってきた。彼女は一度家に戻って着替えてきており、手や足首などに飾りをつけている。そして、黄色と黒の混じった髪は綺麗に整えられ、先ほど会った時とは見違えるようだった――唇には紅までさしている。
ミラルカが額を押さえて天を仰いでいたが、俺はその意味をたっぷり五秒ほど考えてようやく理解した。
リコは立派な大人の女性だとジェダ氏は言った。その彼女が着飾って俺を出迎えたということは、何を意味するのか。
「あ、あの……救い手さま、匂いつける前に、ひとつお願いしたいこと、ある……」
「ん、んん?」
「何がんん、よ。舞い上がっちゃって」とミラルカが毒づいているが、俺も我ながら情けない声を出してしまったという自覚があった。それは、リコが何を言い出すか予想がついていたからだ。
「……リコのしっぽ、触ってほしい。しっぽ、もふもふで気持ちいいと思う……だ、だから。救い手様、ちょっとだけでいいから、触って」
「き、気持ちいいというのはその、こんな野外においてはなんというかだな……」
「リコ、尻尾を触らせるというのは、どういう意味があるの?」
ミラルカに尋ねられると、リコは両の頬を押さえて恥じらい、俺から逃げるようにして走っていき、うずくまってしまった。
「……尻尾、大事な人にだけ、触ってもらう。だいじょうぶ、二番目でいい」
「に、二番目……待ってくれ、俺は多くの妻を娶れるような立場にはない。しかも出会ったばかりで、互いのこともまだ理解してない。俺たちは、まず多くの時間を対話に費やすべきだ。そう思わないか?」
「何を堅物みたいなことを言ってるのかしら、酔っ払いのくせに」
「俺は酔っ払いだが、酒は飲んでも飲まれたりはしない。リコ、尻尾は触ってもいいが、それには特別な意味はない。そういうことでも許してくれるか?」
なぜ俺が下からの態度になっているのだろうと思うが、こんな無垢な瞳をした少女の心を傷つけたくない。しかし尻尾を絶対に触らないと言えば、それも傷つけてしまう気がする。自意識過剰と言われればそれまでだが。
リコはしばらくして落ち着いたのか、立ち上がってこちらに戻ってくる。そしてにっこり笑って言った。
「仮面の人、私といっぱい話してくれるって言った。いつか、また来た時に触ってもらう」
「ああ。その時は俺も腹をくくるよ。結婚するとまでは約束できないけどな」
「……すがすがしいくらいに最低なのだけど。いたずらに期待を持たせないところは評価してあげる」
やはり尻尾を触らせるのは、虎人族の女性からの求婚行為だったようで、リコは耳まで真っ赤になっていた。
彼女の尻尾で俺は軽く全身をなぞってもらい、人間の匂いをカムフラージュする。次はミラルカの番なので、俺は腕を組んで見守っていた。
「腕、上にあげる。そこもちゃんとしないとだめ。だいじょうぶ、私も虎人族の香をつけてる。いいにおい」
「ご、ごめんなさい……くすぐったいのは弱いものだから……」
外套をめくられ、腕を上げさせられ、リコのふわふわとした尻尾で弱い部分をなぞられるミラルカを、俺は何の不純な気持ちもなく、少女同士の交流として見守っていたのだが――気がついたミラルカに下等な生き物を見る目で見られたので、やむにやまれず目をそらした。
そのときちょうど、王都で潜入任務中のアイリーンが、しびれを切らしている様子が伝わってきた。
『ねー、もうやっちゃっていい? いいよね? ディック、いっちゃうよ?』
(待て、俺もそっちに意識を五割くらい移す。こっちも安全なところに来たから大丈夫そうだ)
『ん、分かった。うまくいったみたいって声の感じでわかるよ。さすがミラルカとの黄金ペアだよね。よーし、あたしも負けてらんない!』
「二人とも、俺はこれからちょっと上の空になるかもしれないが、あまり気にしないでくれ。何かあったら頭にチョップするなりして教えてくれるとありがたい」
「え、ええ……『あっち』に行くのね。分かったわ、心配しないで行ってきて」
「……? こんな夜に、どこか行く?」
「いえ、ちゃんと村には訪問するわ。ちょっと彼の反応が鈍くなるけど、しばらくの間だけだから気にしないで」
ミラルカとリコの了解を得たあと、俺は『スモールスピリット』を発動させた。
◆◇◆
アイリーンの胸に書いてある魔法文字から、俺の写し身が生まれる――つまりそれは、彼女の服の胸元から飛び出してくるということだった。
「ふぁっ……び、びっくりしたぁ。こんなふうに出てくるの?」
『ああ。待たせたな、奴らはこの中にいるのか』
一番通りの宿の二階の部屋、その外のベランダ。アイリーンはそこで息を潜めて、中の様子を伺っていた。
悟られないように部屋の中を伺う。すると、中にいた四人の男のうち一人が、決定的な一言を口にした。
「ベルベキア軍が動き、西方平原の国境線を破ったら、我々が王女殿下のいずれかを誘拐する。できればマナリナ第一王女が良いが、王位継承権を持っている第三王女でも良い」
「ラーグ殿、王女を手に入れてしまえば、私どもがゼビアス閣下に成り代わるということも……」
「私は何も聞かなかったぞ。ジャン様は凡愚ではあるが、その部下はなかなか優秀な者がいるから侮れぬ。特にキルシュは、見目も麗しく、命令に忠実な良い女だ」
「また悪いクセが出ましたか。ラーグ殿は女と見れば目がないですからな。あれほど優秀な女なら、欲しがるのは理解できますが。一応、同僚なのですぞ?」
いかにも下品で、胸が悪くなるような話だ。酒場でどこそこの店の看板娘が可愛いと噂をしている人々が、いかに健全かと思い知らされる。
この部屋の中にいる男たちは、利己的な考えしか持っていない。女を道具としか考えていないのだから。
そしてそういう連中に対して、アイリーンがどう考えるか。そんなことは、彼女の今の姿を見れば明白だった。
「できるだけ手加減するけど、もし無理だったら……ごめんね♪」
楽しそうに言いながら、アイリーンは俺達とは色違いの青色の仮面をつけ、両手に使い込まれた指ぬきグローブを嵌めた。
『妖艶にして鬼神』。その二つ名の所以を、今から見せてもらえる。そう思うと、俺も血が騒ぎ、武者震いがくる思いだった。




