第25話 山中の遭遇戦と決め台詞
火竜の巣となっている洞窟には、天井から出入りできる穴が開いている。火竜はなぜか、地上から自分の巣に出入りすることを好まないのである。それは、地竜などの天敵が留守中に巣穴に侵入し、待ち構えているという事態を、種族の本能として恐れているからだと言われている。
そんなわけで、俺たちは竜の巣から天井の穴を抜け、空へと飛び出して行った。竜の表皮には磁力を含む鉱石の成分が含まれているので、乗っていると方位磁石が利かなくなる。しかし空から見える王都の方向が東なので、その逆に進めばいいわけだ。
シュラ老の言っていた通り、翼が前足と一体化しているワイバーンと比べて、飛行中の上下動が少なく、乗り心地がいい。竜笛は吹くものではなく、首飾りとしてつけ、魔力を込めて音を発生させる、魔道具というやつだ。これで方向を示すだけで、火竜は俺の意志に従って西の方角に飛んでくれる。
「……ねえ、何か魔法を使っているでしょう? 気持ちが落ち着きすぎていて、逆に怖いくらいなのだけど」
「さすがにこの高さを初体験だと、誰でも恐怖感はあるだろうからな。怖いっていう感情はリスクが大きい。そんなわけで、『精神防御』をかけさせてもらった」
「怖がる私を見て喜ぶとか、そういう趣味はないのね。普段の仕返しをすればいいのに」
「どうせなら、この景色を楽しんでもらいたいところだしな。怖いと思うことがなければ、なかなか見られない絶景だと思わないか」
ミラルカはまだ俺に背中を預けるのが落ち着かないようで微妙に身体を浮かせていたが、だんだん遠慮がなくなってきて、体重がこちらにかかってきた。やけに軽いのは、頭脳を使う仕事でもエネルギーを消耗するからということだろうか。
「……重たい、ということはないと思いたいのだけど。思うところがあったら言うべきだと思うわ」
「いや、軽すぎてびっくりするくらいだぞ。さっき運んだ本より確実に軽いな」
「そ、そう……それならいいのだけど。あなたは無神経だから、重たいと感じていないだけかもしれないわよ」
「デクの棒と言われるほど身長はないがな。まあ、ミラルカの代わりに本は取れるが」
「高めの靴を履けば、私でも手が届くわよ。足が痛くなるからあまり好きじゃないのだけど」
これから敵国の侵攻を阻もうというのに、俺たちはいかにも平和な話をしている。それもこれも、俺たちにとってベルベキア軍がいかなる大軍であり、精鋭を揃えていたとしても、まともに戦ったら敵にすらならないからである。
ベルベキア共和国には、ヴェルレーヌの魔王国とは違う魔王の国が隣接している。その魔王は、ヴェルレーヌの話によると、Sランク相当の力しか持っていないらしい。その魔王を討伐することができず、毎年大量の貢物を送る条約を結んでいるというのだから、ベルベキアには最強クラスでもAAランク――冒険者強度20000程度の者しかいないということになる。つまり一般兵はCランク以下だ。それは、アルベイン王国においても同じことなのだが。
つまりベルベキアは、アルベイン王国の魔王討伐隊――俺たちが、SSSランクの魔王であるヴェルレーヌを討伐したことを知らない。
そしてヴィンスブルクト公爵家は、魔王討伐隊がいかに強くとも、物量で押しつぶせるという勘違いをしている。
「子供のけんかに、大人が出ていくみたいなものだと思っているんでしょう。私も同じ気持ちだから、分からないでもないわ」
「実際に戦った魔王国の連中じゃなければ、俺たちの強さが実感できないんだろうな。人間同士の戦いは、俺たちの専門外だ」
「凶悪な魔物の集団だったら、問答無用で吹き飛ばしてあげるのにね」
ミラルカはその言葉通り、魔王討伐の道中で、人間を襲う魔物の巣をいくつか壊滅させている。
話が通じない獣もそうだが、知能のある亜人種が大集団で巣を作ったりすると、周辺の人里への被害は甚大なものとなる。
そういう光景を見たあとのミラルカは、まさに魔物にとっては荒れ狂う天災――『可憐なる災厄』そのものだ。
「ディック、何か見えてきたわよ。私よりあなたの方が目がいいでしょう?」
「森をある程度拓いて、一定の距離ごとに目印の石塔が置かれている……間違いない。あれが、ヴィンスブルクトの作ったベルベキアに通じる経路だな」
「国の防衛費を使って、あんなものを作っていたなんてね。愚か者には、相応のお仕置きが必要だと思わない?」
「ああ、俺もそう思うよ。マナリナに婚約を申し込んだ時点でここまで読んでれば、もっと静かに事を済ませられたんだがな」
「そこまで読めていたら、あなたはこの国の支配者になれるわよ……魔王討伐を終えた時点で、誰かが王になることを望んでいたら、そうなっていたかもしれないけれど」
ミラルカに言われて思うが、俺たちは揃いも揃って、権力というものに無頓着だ。
特にアイリーンは無頼漢のような生活を送っているが、その気になれば武術の師範にでも、この国の拳聖と呼ばれることも、難しくはないだろうに。
「今からでも、アイリーンに王様になってもらうか。そうしたら、もっと引き締まるかもな」
「それはいい考えだけれど、彼女は角があるから、王冠をそのままでは被れないわ」
珍しいミラルカの冗談に、俺は思わず笑ってしまう。まったく、緊張感がなくて困ってしまう限りだ――と考えたところで。
山岳地帯を抜ける、森を拓いて作られた道。それに視線を辿らせていった先に、集落のようなものが見える。
「あれが、この一帯に暮らしている民族の村ね……すぐ近くを、軍道が通っているじゃない」
「ああ。ベルベキア軍との間に何もなければ……待て、何か見える。あれはベルベキアの斥候部隊か?」
「どうやらそのようね。私たちの国では、騎兵は『黒鉄』を使った武具を用いない。でも、彼らは……」
ミラルカの視力でも、敵が黒い鎧を身に着けていることは分かるらしい。赤褐色のマントに黒い甲冑を身に着けている彼らは、五騎ほどで一つの部隊を組み、山中の軍道を駆けている。
何か、荒々しい声を上げている。まるで、獲物を見つけて追い立てる狩人のようだ。
視線を巡らせると、想像は的中していた。ベルベキアの斥候が、何者かを追い立てている――弓を持った騎兵が、矢を放とうと番えたところで、俺はミラルカの身体を強く抱いて固定する。
「きゃっ……な、なに? そんなことをしてる場合じゃ……きゃぁぁっ!」
「ミラルカ、下降するぞ。あいつらは、誰かを追いかけてる……このままだとまず殺される」
「っ……そ、そういうことね。分かったわ、ちゃんと固定していて」
俺はミラルカを抱いて姿勢を低くさせ、竜笛を胸に当てて念じる。火竜は命令を受けて、翼の開き具合を調節し、滑空の姿勢に入る。
「くぅっ……そういえば、こんなふうに空から近づいたら、敵に気づかれると思うのだけどっ……」
「大丈夫だ、この火竜には『隠密ザクロ』を食わせてある。すぐ近くに来るまで、奴らは気が付かない。遠くに仲間がいるとしても、視認はできないさ」
「準備がいいわね……分かったわ。相手の上空をかすめるように飛んで、『それだけで終わらせる』から」
火竜が近づいているのに、不思議なほど黒い騎兵たちは気が付かない――だが、さすがに高度が下がってくると、目の前から来る圧迫感が、隠密ザクロの効果を勝ったようだった。
「な、何か来るっ……」
「りゅ、竜だっ。隊長、空から火竜が……っ」
「どこに潜んでいやがったんだ……くそっ、矢を放てっ!」
上空から弧を描くようにして、急降下をかける。最も高度が低くなり、五人の騎兵の頭をかすめるように飛んでいくところで、俺は確かに見た。
瞬きをしただけで、見逃してしまいそうなほどの速度。『可憐なる災厄』は俺の腕の中で身体を縮めつつも、その瞳を騎兵に向け――そして。
「『限定殲滅型六十六式・粒子切断陣』」
ミラルカの身体から、魔力で編まれた魔法陣が、視認できない速度で展開する。
それは猛進する動く標的、騎兵たちを、急降下して交錯する刹那の間に捉える。
魔法陣の範囲に入ったならば、あとは起動させるだけ――ミラルカが指をパチンと鳴らすと、展開していた魔法陣が音もなく効果を発現する。
「なんだ、何が起きたっ……なぜ矢を撃たない!」
「ゆ、弓が、鎧がっ……うぁぁぁぁぁっ!」
騎兵たちは、何が起きたのかも理解していないだろう。
上空から突如として降下してきた火竜が猛然と通り過ぎたあと、発生した豪風によって馬たちが煽られて歩みを止めた。それだけにとどまらず、自分たちの防具が一つ残らず、ぼろぼろときめ細かな砂のようなものに変わり、崩れ落ちたのだから。
一度上空に舞い上がったあと、俺は火竜に切り返しを命じ、上空にホバリングする。
装備をすべて失って全裸になった騎兵五人のうち、隊長と呼ばれた男――思ったより若い――が、辛うじて混乱する馬を御し、俺たちの方を振り仰いだ。
「な、なんだ貴様らっ……アルベインのドラゴンマスターか!? ふざけた仮面など着けてないで、顔を見せろ!」
まだ噛みつける威勢が残っているようだが、下着一枚で馬に跨って威圧されても迫力がない。
ミラルカは魔法陣を展開させ、精密極まりない制御で、下着だけを残して装備を破壊していた。女性らしい細やかな気遣いではあるが、やっていること自体は常軌を逸している。物質を分解して砂にするなどという魔法を呼吸するように使えるのは、俺の知る限りでは彼女だけだ――これからも、他の使い手に出会うことなどあるのかと思うほど、希少な才能である。
「コホン。あなたたちはベルベキア軍の人間のようね。私たちはゆえあって、貴方たちを本隊の元に帰すわけにはいかないわ。大人しく降伏して、拘束されなさい」
「やはりアルベインの……くそっ、無能な奴らめ……!」
悪態をつく対象は、ヴィンスブルクトだろう。分かるように言わない辺り秘密を守るように命令されているか、あるいは末端の斥候部隊には、アルベイン側の内通者が誰なのか知らされていないのかもしれない。
「隊長、馬は無事ですから逃げきれます! 一人でも帰還すれば……!」
斥候の一人、若い男が震える声で進言する。隊長は返事をしなかったが、五人の騎兵全員が動き始め、逃げ出そうとする――しかし。
「ミラルカ、耳を塞いでろ」
「……? 何をするつもり?」
俺はミラルカの耳に手をかざし、聴覚保護の魔法をかける。彼女が俺の言う通りに耳を塞いだあと、同じように自分も耳を塞ぎ、火竜にある命令を下した。
竜笛という魅力的な道具を教えてもらって、俺は久しぶりに戦いの中で胸を躍らせている――こうやってミラルカと二人で竜に乗り、連携して空中戦をするというのも存外に楽しいものだ。シュラ老の言葉を借りれば、血がたぎるというやつだ。
「――グォォォォアァァァォォォンンッ!」
滞空しながらの、竜の強靭な声帯を振り絞るような咆哮――これが本物の威圧だと言わんばかりのバインドボイス。
馬たちは震えあがり、すくみあがって動けなくなる。乗っていた騎兵たちはひとたまりもなく失神し、馬の上でぐったりとうなだれていた。
咆哮を終えた火竜がズズン、と着陸する。すると、ミラルカは失神している騎兵たちに向けて言い放った。
「たとえ天が許しても、私たちの仮面の奥に光る瞳は、決して悪事を見逃しはしないわ」
俺はどんな顔をすればいいのか分からず、みんな失神しているのだが、と突っ込むこともせず、とりあえず胸を張ってふんぞり返っているミラルカが、楽しそうで何よりだとか日和見的なことを考えていた。
「……それ、みんなで考えたのか? 『仮面の救い手』の決め台詞」
「いえ、今私がひとりで考えたのだけど。やはり天に対応させて、『地』にかかわるセリフを入れるべきかしら」
「ま、まあ、毎回変えてもいいんじゃないか。それより、追われてた方はどこに行った?」
周囲を見回そうとしたところで、手を打ち鳴らす音が聞こえてくる。
後ろを振り返ると、俺たちより少し年下くらいの獣人の少女が、ぱちぱちと手を叩いていた。軍道の脇の木陰に隠れていたらしい。
「ミラルカ、拍手してくれてるぞ。良かったな」
「ええ、助けてあげたのだから当然よ。やはり決め台詞は必要だということね。私の見立てに狂いはなかったわ」
俺の皮肉はまったく通じず、ミラルカは嬉しそうにしている。基本的には大人びているはずなのだが、正義の味方をやって興奮冷めやらぬ姿は、俺より年下なのだということを改めて確認させてくれる。子供っぽいとは口が裂けても言えない、俺も正直を言うならば、そういう趣向は嫌いではないからだ。
騎兵五人を一度に無力化するという難しいことを呼吸するように成功させつつ、ミラルカが決め台詞を考えていたのだと思うと、アイリーンがいてくれなかったことが悔やまれてならなかった。彼女ならば、ミラルカの機嫌を損ねることなど恐れず、お腹を抱えて笑ってくれただろうからだ。
耳の形と縞柄の尻尾を見た限り、虎人族らしき獣人の少女は、俺たちを見て目を輝かせながら、ぱちぱちと手を叩き続けていた。




