それぞれのわがまま。(アナの願い)……2
「これからお話しするのは、トーラとして立つだろうあなたにトーラの看視者としてのお話をします。だけど、それをどう解釈するのかはあなた自身がお決めくださいね」
ラルーはそう前置いて話し始めた。
トーラには3人の娘がいた。一人はアナ。そして、ルタとルカ。
アナはルタとルカとは違い、トーラが紡いだこの世界が存在する前にトーラという女性から生まれた少女だった。
少女は父であるコラクーウンとトーラの一人娘だった。
父は権威ある科学者の一人で、主に『記憶』を専門とする研究者だった。そして、一つの仮説を立てたのだ。
――例えば、この世界にある全ての記憶を書き換えることが出来たのならば、過去は書き換えることが出来るのか。
夢物語のように思われるかもしれない。しかし、ある国でその考えは受け入れられた。
科学に鷹揚だったというのはあるだろう。
実験段階での小さな世界で何度か成功しているというのもあったのだろう。
――例えば、いじめられた記憶を完全に消す。いじめた側の記憶も消し去る。楽しかったというだけの記憶を植え付ける。
両者は全く関係のない社会の中で生きていき、大人になって出会った後もトラウマになることも、再度同じ相手へのいじめにつながるということも少なかった。
最初はそういう小さな世界での記憶差し替えが行われ、6割の成功率を誇るようになる。
コラクーウンとトーラとの出会いもそんな実験の中、良き出会いを果たしたと言えるのだ。しかし、世界の破滅を招く出会いだったとも思われる。
恋人同士になった二人はこんな夢を見るようになった。
――例えば、とある戦争の記憶を全て消し去ってしまうことが出来たのならば、今現在にいがみ合う国同士が仲良くなれるのではないだろうか。
夢物語は世界平和へとつながると研究者として若い二人は信じて疑わなかった。
しかし、研究費は嵩む一方。そして、世界を変えようと思えば、その対象が広大すぎた。
そんな中、生まれたのがアナだった。トーラもコラクーウンも彼女の成長を喜び、良き世界を創ろうと必死になった。
両親の輝く未来の話を聞いて、真っ直ぐ育ったアナ。彼女が十歳を迎える頃、それは大きく変わってしまうのだ。
夢を叶えるには金がいる。
父、コラクーウンはそんな妄想に苛まれるようになる。そして、そこに付け入る人間はいつの時代でも存在する。
――例えば、過去に起きた事実を全て記憶から消し去ってしまえば、犯罪は消え去ってしまうのか。
とある政治家が彼に尋ねた。金に糸目はつけないと。
コラクーウンは膨大な研究費を得ることが出来たのだ。うまみを知れば、人は簡単に揺れる。
彼の名前は闇の中で轟くようになる。
幸せな家庭に強大な力。彼はとても充足した日々を送っていたそんな中、妻であるトーラの病気が発覚したのだ。
それが彼に拍車を掛けた。
彼女が病気にならなかった世界を創りたい。
ある国が彼に声を掛けてきた。
――例えば、過去に起きた事実を自分のものにしてしまえば、その者は英雄として成り代われるのか……。
表向きはそんな内容だった。
しかし、その望みが叶えられた時、この世界から一つの国が消え去っていた。それに誰も気づかない。
今ある『トーラ』の力の基本、なかったことにする術がそこにできあがっていた。
痩せ細ったトーラは、うつろに天井を眺めながら、彼に告げる。
「私が病気にならなかった世界に、私が愛したあなたはいるの?」
彼にはそれがいったいどういう意味を持つのか、分からなかった。彼自身は存在するし、彼女も存在する。もちろん、二人の娘アナだって。
「もちろん」
「そう……」
悲しげに微笑まれたその笑みを最期に、トーラはアナと彼の元から消え去った。
容量があるはずなのに、全て使われずに一生を終える場所がある。彼はトーラを生き返らせるために、彼の技術を全て費やした。そうすることで全ての者が幸せになれる気がしていた。なんと言っても彼は彼以外の人間達を幸せにしたという奢りもあったのだ。
『脳』とは不思議な記憶装置だ。曖昧なくせにそれが全てを支配する。彼は世界の記憶と彼女の記憶を、そして彼女の『脳』をつなげた。
そんな力を持った彼女の命が狙われないようにするために。
甦った彼女は確かに『トーラ』だった。しかし、妻の記憶は破綻して、そこにはいるのは彼の知らない誰かだった。
トーラは人の望みを叶えるように存在する。誰かが何かを望めば、過去を書き換え、今を書き換えた。無表情に、無慈悲に。『愛』たるがなんなのかも分からずに。
コラクーウンのことすら愛していないかのように。
そんな彼女を見て、彼は言い放った。
「おまえは、私の妻なんかじゃない」
最初はコラクーウンの望みを叶える存在。人の望みは底もなければ、天もない。絶望を覚えたコラクーウンはトーラをあの一国を滅ぼした国に預けた。好きに使って良いと。その代わり自分の研究費を出せと。
コラクーウンは諦めが悪い男だった。彼は彼女の生きた世界を取り戻すために彼の中にある世界の記憶を司る『銀の剣』を作り始めた。
トーラはどんな時の中にも存在している。その記憶を辿って、やり直すために。
コラクーウンの妻であるトーラの記憶は完全に消えたわけではなかった。だから、時々トーラは「よく分からない」と思うようになった。
どうして一人の少女を思い描いてしまうのか。
どうして彼を思えば心苦しくなってしまうのか。
少女が時々幽閉されている自分の元へやってきて、悲しそうな瞳を向けるのはなぜなのか。
願いを叶えようと言っても嬉しそうな顔もしない。
人々が世界を混沌と変えていく。
平和な世界が地獄へと描かれていく。だけれどそれは人々が幸せになった証。皆が幸せを願った結果なのだ。
今日も少女がやってきた。
「あなたは、私のお母さんなんかじゃない。私のお母さんを返してよ。お母さんはあなたみたいな世界を創ったりしないわ」
驚くこともなく見つめているトーラに彼女が最後に言い放った。
「こんな世界、いらない」
「そうすれば、あなたは幸せになれるの?」
トーラが呟いた先、世界が広がった。そこはトーラのある世界。トーラが全てを司る世界だった。
なぜだか分からないが、彼女を幸せにすることが、トーラの求めることのように思えたのだ。




