不器用な魔女(空木春陽について再)……3
春陽に案内されて空木家へと招き入れられたワカバは思った。
空木春陽は怒りっぽいと。そして、その春陽は思っていた通り小者であると。
あの後、春陽の目に見えていた傷を治し、春陽の手の動きを見つめていたワカバは、ワカバが掴んだその手が折れていないことを確信し、少しだけほっとした。
「手、動くみたいでよかった」
その言葉を皮切りに、春陽はワカバの状態を気にした後、急に、謝ってきたのだ。
「あ、あのさ、さっきは悪かった……っていうか、その……」
その謝罪は素直なところと小物っぽさを表わしていて、ワカバはやっぱりそんなに気にするのなら、はじめから手をあげなければよかったのに、と思ってしまう。
「あのさ、首、大丈夫か? 悪かった……その、なんかあったら、怪我とか……一応女子みたいだし……首って大事な場所だし……」と言葉をグズグズ零し始めた。
一応女子。
同級生に言ったならまずそこを指摘すべきところであるが、ワカバはとりあえず、春陽がワカバのことを人間として認識していたことに驚いていた。
だから、本来小者である春陽に、もう一つ約束をしたのだ。
「ううん、大丈夫。あのね、だから、空木春陽の友達からも護ってあげるね」
それは、ワカバにとって簡単なことなのだ。二度と関わりたくないと思っている相手なのだから、ただ、彼らから『空木春陽』の記憶を抹消させればすむことだから。
後は、適当に記憶をあてがう。
変に接触して、二の舞になっても可哀想なので、一応、春陽にはその旨を伝えてある。信じているかどうかはワカバにとってどうでもいい話。
だけど、春陽はワカバをすっかり元に戻っている家に上げてくれ、カップラーメンとやらをご馳走してくれたのだ。だから、ワカバはご機嫌だった。
いや、カップラーメンで餌付けされてしまうワカバもワカバなのだが、『しょうゆとんこつ』とドカンと書かれているパンチの効いたその味は、今まで食べたどの食べものよりも空腹を満たすものだと思えたのだ。
「これ、おいしい」
「だろ?」
しかし、先ほどまでものすごく嫌っていた相手に対し、得意そうに自慢する春陽も春陽だ。唇の傷も完全にワカバに癒やしてもらい、『味噌キムチレッド』という喉の奥が痛くなりそうな赤い汁を啜っている。
「まだまだあるから、いくらでも食って良いからな?」
春陽は嬉しそうに笑った。
まぁ、お金で解決しようとしないところが、春陽のかわいいところかもしれないし、ワカバもお金を渡されるよりもこの初めて食べる『インスタントラーメン』に魅力を感じていたのだ。まず、なんと言ってもワカバもそれで許せる程度にしか春陽の攻撃に重みを感じていなかった。
「うん」
ワカバはご機嫌だった。さっきまでこの世の果てまで行ってきたような気持ちになっていたのだが、今はこの世界が好きかもと思いながら笑っていた。
すぐに妖魔に取り巻かれる人間達のいる世界。世界を望みながら何故かその世界の破滅を望む人間のいる世界。不思議極まりない理の中、迷い彷徨うのも無理はない。ラルーの言葉を借りるなら「人間とは愚かなものであり、強かで信じるに値しないもの」
そんな者たちが世界の命運を握っているのだ。
汗を掻きながら「辛っ」と楽しそうに呟いて水をごくごく飲み、またその辛い食べものを啜る春陽を見ながら、ワカバは全くその通りだと思った。
辛いならば食べなければ良いのに、彼はそれを好んで食べてしまう。
嫌ならやめておけば良いのに、突き進んで傷ついて、それでもまた歩もうとする。
人間は弱い。だけどとても強か。信じるに値するかどうかなんて考えるだけ無駄なのだ。そして、いろ葉を考えた。
いろ葉の望む未来ってなんなのだろう。
今ワカバの目の前にいる春陽の口周りは汁の色なのか、辛くて腫れているのか、真っ赤かになっている。
「でさぁ、何でお前そんなに強いの?」
それでも赤い汁を纏った麺を啜りながら、ごくごく当たり前の質問をワカバに投げかけた春陽は、おそらく初めてワカバの顔を真正面から眺めたのだろう。そして、なんとなく恥ずかしくなって視線を赤いラーメンに落とした。それに違い、ワカバは真っ正面から春陽を眺めて、たった一言呟いた。
「魔女だから」
魔女だから……ワカバにとってそれが一番の理由だった。しかし、突き詰めれば、春陽よりも強い人間など腐るほどいるのも確かだ。かといってそれを今彼に説明する必要もない。だから、ワカバは言葉をそこに止めた。
「ふーん」
魔女だから……しかし、春陽には納得出来る部分が有り過ぎた。先ほどの記憶の話はもちろん、魔法を使うような魔女がいるというそんな現実離れした話を素直に信じたわけでもないのだが、確かにワカバは高層ビルから落下してもきれいに着地していたし、泥棒に入った時も変な術を使っていた。加えて、春陽の傷を完全に癒やした。これはもう魔法で片付けた方が早い。
春陽の良いところは自分の理解の範疇を超えている場合、否定せずに受け入れることの出来る性格だというところにある。そして、考えるのだ。一体どんな力が働くとそうなるのだろう。落ち着いて因果を考える研究者向きでもある。そして、何より、彼自身が魔法やなんやで興奮するような真似は、小さい子のようでしたくないのだ。
「じゃあさ、なんで……」
鈴木いろ葉と一緒にいるんだよ?
春陽は言葉に詰まってしまった。春陽の中で生まれた疑問は、そんなに強いのに「どうして鈴木のような奴と一緒につるむのだ?」というものだ。しかし、彼女の名前を出すことに躊躇いを感じたのだ。自分でも思うには思うのだ。よく言う、他人にされて嫌なことは他人にしてはいけない、という分野にガツンと引っかかってくるということも理解している。そして、結構酷いことをしていたなと。ただ、彼の中ではまだ反省というものにはたどり着いていないのだ。だけれど、何故か口に出すことを躊躇われる言葉として彼女の名前が彼の中にあるくらいにはなっている。これから一生、もしかしたら封印した方が良い歴史なんじゃないか、とも思えるようになっている。
「いろ葉はいい子だから一緒にいるの。だから、春陽もちゃんと謝れば……」
そして、無意識に言葉をつなげてしまったワカバは「あ」と言葉を止めてしまった。
「あ、あ、あのね、わざとじゃないの。えっと、あのね、ごめんなさい。えっと今のって、口から言葉出てなかったよね。ごめんなさい」
黙っていれば気付かれなかっただろうに……。ワカバが何に慌てだしたのか、意味が分からなかった春陽に、その意味が伝わった瞬間、春陽の言葉が吹き出した。
「え? あ、まじっ。マジかぁ。嘘だろ、マジで? 何なの、心読むの?お前……ていうか、今オレ変なこと考えてなかったよな? 考えてなかったと思うんだけど……」
変なこととは何なのか、ワカバは首を傾げながら、春陽から聞こえていた言葉を思い浮かべた。春陽はこの時、ラーメンうまい、一緒に食べてくれる相手がいて嬉しい、楽しい、こいつ以外と良い奴かも。あれ、普通に見れば意外にかわいいかも、と考えていた。
後は鈴木いろ葉のこと以外は考えていなかったのだが、春陽は耳まで赤くなってワカバから視線を外してしまった。
「たぶん……えっと怒ってない? 本当にごめんなさい。もう大丈夫。ちゃんと聞こえないように気をつけるから……でも、いろ葉はもっと痛くて怖かった」
「…………」
痛くて怖かった……。
春陽はワカバが述べた当たり前のことに目を向けることがやっと出来た。その後、ずっとワカバの視線が春陽に注がれているのを春陽は知っていた。陰りを知らない新緑色の光を持つ瞳が彼を見つめているのだ。だけど、その視線に自分の視線を合わせることが出来なかった。オレも怖かったんだ、とは言えなかった。鈴木いろ葉が春陽の怖さと全く関係のない場所にいたことも全部理解していた。
ワカバはそのまま黙ってしまった春陽を見つめた。そして、思った。逆かもしれない、と。ワカバが向けた話をそらすように視線を空に移した春陽が思い出したように言葉をつなげる。
「……あのさ、なんか聞こえてたとしても、本当に変な意味はないから」
ワカバにはその意味がやはり分からない。ワカバにとって変な意味がある言葉といえば、この国を滅ぼそうと企む、トーラを狙うくらいのことでない限り、流れていってしまう些末なことなのだ。言い換えれば、それ以外のことが自分に関係すると思っていない節すらあるのだから。
「だけど、あの時、ほんの少しいろ葉を心配してたんだよね」
「いつの話だよ……」
春陽はワカバから視線を外したまま、気まずそうに赤いラーメンを啜り始めた。
そんな春陽を見ながら、ワカバは思い至った。
そうか。逆なんだ。
ワカバはそんな春陽から視線をそらして、もう一つ思った。
空木春陽が空木春陽であるために必要な者が、いろ葉なんだ。




