第七話 ―その2―
用意してあった朝食は少し豪華で、山小屋の食事とは思えない。食後の紅茶まで頂いて、さてこれからどうしようかと思案していたら、朗らかな表情のコレットがむんずと腕を掴んで言った。
「食材採りに行く手伝いして欲しいなー………もうお腹いっぱい食べたよね?」
「……………」
この極上の笑顔でのゴリ押しは、ある意味でラウナやレジーメよりタチが悪い。しかしご馳走になった手前……しばらく滞在する手前、仕方ない。
それに外に出てみたくもあった。件の結界について知りたかったからだ。
コレットにそのことを言うと、
「いいよ。っていうか、その中に飛び込んでいくんだから」
半そでのシャツとコートを渡される。
指示されたままに厚手の服やリュックの用意をして玄関に向かうが、コレット自身は食材を入れる籠と小さなバッグを担いだくらいで、服装は軽装な民族衣装のまま。ちょっとそこまで、といった出で立ちだ。
「あ、私はもう慣れてるから」
その一言で疑問を一蹴されると、自分が倒れたのは何だったのかと首を捻ってしまう。
とにかく、出発。一歩玄関から出れば、辺りは普通の山の景色だ。標高がかなり高いために草はほとんど生えておらず、酸素も薄い。この間のような違和感はない。
(逆に言えば、あの〝家〟の材料はどこから調達したのか……?)
山小屋はそこそこ年季が入っているが、山の気候に十分に耐えられそうだ。しかも割と大きく、内装もシンプルながら綺麗。修行場の逗留所というよりは、コレット個人の邸宅といった風である。だからもう〝家〟と呼ぶほうがいい。
「ねえ、あの家はどうやって建てたの?」
「んー? ああ……町にあった空き家をばらして運んで、また組み直したの」
「こんな高地まで……結界を抜けて?」
「途中までは手伝ってもらったよ。結界から先は自分一人でやったけどね。いやぁ、さすがに大変だった。ちゃんとした建物になるまでメチャクチャ時間かかったしね」
「どれくらい?」
「え? まぁ……あはは、それなりに」
言葉を濁した…?
「………アンタ、いつからここにいるの? 歳は?」
「歳とか聞かないでよねー。といっても、見たままだし」
「見た目だけでは判断できないものもいる……。アンタ………不死者じゃないわよね?」
「…………」
立ち止まって振り返るコレットの表情は一転、深と静まり返っている。
(剣を……)
抜くべきか? それとも――――
がぶッ
「いたッ!?」
突然コレットが手に噛み付いてきた!
しかしその様は不死者のそれと違って………まるで、犬だ。
「うあははふほ!」
「何言ってんのかわかんないって……放せ!」
押しのけると、なぜか噛み付いてきたコレットのほうがブスッとして、イーッと歯をむき出しにして見せる。
「キバなんかついてないでしょ! 全くもって失礼!」
「だからって噛むことないでしょうが!」
「大聖者さまのお膝元でウロチョロしてる不死者がどこにいるっての!」
「あ………そうか」
山全体に結界を張れるほどの聖人が、不死者が棲んでいるのを知らないというのも確かに変だ。
「…疑って悪かったわ」
「ダメ、許さない。だからハイ」
アシェルの背負う籠の上に、さらに籠をドンともう一つ。
「今日一日、フル労働ね」
「はぁ? なんで…」
「じゃあ宿泊費払う? 一応は命を救ったから、相応の額を頂きますケド。アシェルさんの命はいくらかナー?」
「………わかった」
渋々承諾すると、コレットはまたニパッと笑顔に戻る。さっぱりしているのだろうが、このテンションについていくには一苦労しそうだ…。
「さて――。そろそろ雲がかかってきたの、わかる?」
「ん……」
コレットの声に、アシェルは辺りを見回す。
三十分ほど下りれば、ここだけでなく周囲の山々も薄っすらと雲を纏っている。
「えー、ズバリお答えしまして! このビラコーサ七合目の雲こそが、マキルマサイタ様謹製の大結界『大季圏』でございます!」
「タイキケン……?」
「春夏秋冬のあらゆる気候が雲の中に流れているの。上の方はある程度空間が固定されてるんだけどね、下がっていくほど空間が歪んで、それこそ嵐のように季節が流れちゃってるわけ。だから初めて下から来る人は道に迷いながら急激な寒暖にさらされて、息絶えることが多いんだよね」
「ね、て…」
「慣れればどうってことないよ? マキルマサイタ様に認められれば、結構すんなり出入りできるし。それに……まあいいや、行ったらわかるから」
コレットの後に続いて道なりに山を下りていく。すると―――
「うわ……」
辺り一面が一気に秋色に変わった! しかもこの山の秋ではない。岩ばかりの斜面は消え、紅葉鮮やかな木々が立ち並ぶ。まるでどこか高原の秋模様をそのまま移したかのようだ。
「ここは『大秋圏』。見ての通り、どこもかしこも実りの秋ね。じゃ、手近なトコから回ろっか」
コレットが足取り軽く歩み出すが、結界で迷ったアシェルは気が気でない。今でさえ、すでに来た道がどこかわからなくなっているのだ。
「ねえコレット…」
「まずはここね」
いつのまにか目の前には、遠くまで黄金色の穂が波打っている。
「これ……麦畑?」
「そう。手入れをしているわけじゃないんだけどね、勝手にいつでも実ってるの」
「勝手に??」
「ハイ、収穫急ぐ。まだまだ他にもあるんだから」
言われるままに麦を刈り取り、続いて果物やら野菜やらを手際よく採っていく。籠はあっという間にいっぱいになった。
「ようし、じゃあ次行こう」
次は春だった。ここでも春野菜を採り、今度は夏へ―――
「さてさてさて――!」
見晴らしのいい深緑の丘で、コレットがピタリと足を止める。
「何?」
訊きながらアシェルは上着を脱ぐ。先日のような身を焦がすほどの暑さではないが、それでも日差しは強い。顔色一つ変えないコレットが信じられない。
と、コレットがクルリと振り返ってウインクする。
「お肉、食べたくなぁい?」
「は? いや、まぁ………」
「今晩あたり、食べたいでしょ? ほら、香草で焼いたり、野菜と一緒に煮込んでシチューにしたりー」
「食べ……たいけど」
思わず喉が鳴ってしまった。
「じゃ、これ」
ポンと手渡されたのは、弓矢一揃い……。
「……獲ってこいと?」
「そういうこと」
「私が狩りをできると?」
「なんとなく。そんな顔してるし」
……どんな顔だ。
「私は夏野菜をゲットしてくるし。結構大物でもいいよ、アシェルが持てるなら」
「何よそれ」
呆気にとられたままのアシェルを放ってコレットは歩いていく。と―――
「えっ!?」
瞬く間にコレットの姿が消えてしまった。
「…………」
これも、結界の力なのか?
一人残されて辺りを見回す。日差しは相変わらずキツイが、風は心地好い……。
(……ものは試しか)
狩猟の感覚を研ぎ澄ませる。戦いにも応用できることだが、敵の気配のみを探るのではなく、空間を広く把握する。草の揺れる音、土の匂い、肌に触れる空気が己と混じり、自然に溶け込むことで、初めてモノが見えてくる―――。
「いた……!」
左斜め前に、小さな動物の気配。足音からすると……ウサギだろう。持って帰るのには手ごろな獲物だ。
風下に回り、点在している木々の陰に身を潜めながら少しずつ距離を縮めていく。
(これくらいなら……狙えるな)
ちょうど微風。絶好の位置取りだが、もし外したら木々の隙間に逃げられてしまうかもしれない。
(弓はこの前、失敗したからな……)
頭の中でいやな回想が流れそうになって慌てて振り払う。直感が優先する場においてはイメージを強く思い浮かべることが成功への秘訣。逆に言えば、悪い想像は悪い結果しか生まないのである。
一度構えを解き、静かに、ゆっくり息を吐く…………次の瞬間、一気に引き絞り―――
シュカッ――――ズドッ!!
「外した!?」
ウサギは、まさに脱兎となって逃げ出す!
「ち…疾っ!」
後を追って距離を詰め、再び矢を射る。が、当らない。
「ウソっ!? このっ……てぇやっ!!」
ガスッ
一撃を受けたウサギは大きく跳ねて動きを止めた。
「はあっ………はあぁ……。何やってんのよ、私は……」
腰にくくりつけていたザイル、その先の金具を投げつけたのだ。
(これじゃ、ラウナに笑われるわよね……)
弓を使うより手で物を投げた方が成功率が高いとは……自嘲するのを通り越して呆れるだけだ。
「ゲットしたー?」
突然の気配に反射的に身構えるが、声の主は言わずもがなのコレットだ。
「おりょ、ウサギ? ハハハ…!」
「何がおかしいの?」
「いやいや、意外に獲物が小さくて、しかも手間取ったみたいだし」
「……悪い?」
矢で仕留めていないのはすぐにわかることだが、バカ笑いされるのは心外だ。
「ゴメンゴメン、怒らないで。ただねー……なんとなく、思っていたよりは期待ハズレだったかなーって」
「なっ――!」
アタマにきた―――。
「〝なんとなく〟で言わないでくれる? そりゃ私だって自分で上手くやったと思わないけど、仕留められれば結果は十分でしょうが!?」
「まあね」
アシェルから弓矢を受け取ったコレットはおもむろに矢を番え、放つと、
「ヴモ…ッ」
「あ……!?」
矢は大きなイノシシの眉間に命中。イノシシは糸が切れたようにその場に崩れた。
「どう?」
鼻を鳴らすコレット。いい加減に放ったように見えた矢が起こしたとんでもない成果に、アシェルはぐうの音も出ない――――というか、あんなところにイノシシがいたか?
「折角だし、あれも持って担いでね」
「担いでねって……」
イノシシ、見たことがないほど大物。百キロはありそうだ……。
「――無理よ、無理。ただでさえ野菜でいっぱいの籠を二つ背負ってるのよ? どこに担ぐスペースがあんのよ」
「こう両手で、頭の上にグワーッと」
「できるモンならやってみなさいよ」
「あ、そう? できたら? できたらどうする? 狩りの腕もイマイチで荷物持ちもできなかったら、立つ瀬がないよねー」
「アンタね……!」
「あー、ハイハイ。いい加減イジメるのも可哀想だし、タネ明かししましょう。ついて来て―――それを担いで」
コレットに野菜籠を渡して、イノシシを背負うことに。手足はザイルで縛る……。
予想通りに重いが、実は背負えなくもない。身の丈三メートルの巨熊闘士と打ち合えるアシェルにしてみれば、野生のイノシシは大した重量ではない。しかしそれは不死者の血を受けた故であって、普通の人間では当然そんなわけにはいかず……異常な行動は余計なアクシデントを生むことになる。自重しなければならないのだ。
(まさかとは思うけど………それを見越して言っているわけじゃないわよね)
アシェルの二つ名「不死者殺し(ノストキラー)」は不死者の間である程度知れ渡ってしまっている。それはつまり、不死者と対峙する聖人・聖騎士団にも言えること。が、ノストキラー=アシェルという認識は持たれていないはず。対峙した不死者はディルノアークを除き、すべて始末したからだ。
(しかしどうにしろ、油断はできないか……)
急に日差しが柔らかくなった。また大春圏に入ったらしい。
「あそこに川があって、その川原にベンチとか作って置いてあるの。そこでお昼にしよう」
板と丸太で組んだだけの簡素なものだったが、調理場らしき台に簡単な屋根までついていて、見事にバーベキューできるセッティングである。
(っても、ここは山の上なのよね……)
風景も空気も、まるで低地のようだ。ひたすらにのどかで、気分が尖る隙間がない。執拗にからかい続けてくる女を除けば。
「さーて。ここでそのイノシシさんを解体しちゃおう。捌くのとか大丈夫?」
「心配無用よ。これでも小さい頃から狩猟生活してたんだから」
「へぇー。じゃあ、ザイルでウサギ仕留めるのは伝統なんだ?」
「うるさい…!」
本当に一言多い!
しかし気付けば、遠慮なく悪態を返しているのも確か。いつの間にか馴染んでしまっている。手玉に取られている? まさか……
「えー、お昼の献立ですが。せっかくだからウサギをご馳走になろうと思うんだけど、どうかな?」
「それでいいけど……どうして聞くの?」
「一応、獲ったのはアシェルだし。それに晩御飯のメニューとの兼ね合いもあるから。昼も夜も肉でいい?」
「選べるほどにレパートリーがあるの?」
「あ、しっつれいしちゃうわ~! 意味もなくたくさん野菜を採ったりしないし。よーしわかった、毎食違う料理出して見せるから! 辺境に伝わる幻の料理とかご披露しましょう?」
コレットの目の輝き方がおかしい。よくない予感がする。
「えっと…とりあえず、普通の料理だったら文句言わないから。私も手伝うし」
「ホント!? うれしい……誰かと一緒に料理するなんてすっごい久しぶり! それじゃそれじゃ、おそろいのエプロンとか作って―――」
「とにかく、先に昼の準備!」
コレットを調理代に押しやって、自分はイノシシの前へ。
横たわるイノシシは体長一メートル半をゆうに超える。結構な大物だが、初めてではない。それに捌き方に獲物の大小はそれほど関係ない。特に注意するのは毛皮を細切れにしないこと。それはコレットから直々のお達しだ。毛皮や日持ちする穀物などは定期的に下山して売りさばき、塩などと交換してくるという。
(なるほど、確かに山の上で入手できないものもあるから当然か)
この辺の事情はサムギラグム寺院と同じだ。
「おっ、アシェル上手! 手が早いし丁寧だし」
「……アンタ、調理は?」
「焼いたら終わりだよ? あと五分くらいでできあがり」
「…………」
こっちはようやく皮を剥ぎ終ったところ。獲物の大きさに違いがあるとはいえ、コレットも相当な手並みだ。
「それで……」
「ん?」
「いつ、タネ明かししてくれるわけ?」
「あー、そうだね。つまりはこういうこと。この結界はマキルマサイタ様のお力によって季節が流れてる……それはOKでしょ? で、そこに自分の意志を放り込むの」
「意志を放り込む……?」
「明確な意思によって流れている空間は固定され、思い描く状況が投影される。行く先々で野菜が生ってるのもお肉が歩いてるのも、すべては思い描いたから。大きいイノシシが現れて、それを一発で仕留められたのもね」
「そんなことが…!? じゃあアンタは、大聖者の法力結界に割り込んだっていうの!?」
「私は許可されているから。で、狩りのときにアシェルもできるようにこっそり仕込んでみたんだけど………プクク!」
口を押さえて笑いを堪えるコルサ。
「小さなウサギ相手に必死だし。それってつまり、自分の腕に自信がないってことだよねー。ハハハ!」
「くっ…」
けたたましい笑い声は無視して、黙々と肉を捌いていく。コレットの言葉を証明するように、上質な肉だということが手ごたえでわかる。ナイフが良く通り、作業に集中すればあっという間に解体できた。
「でも……頭の中に浮かんだことが実際に起こるなんて、在り得るの? どうやってそんなことを……」
出来上がったウサギの香草焼きを口にすれば、感触、温度、味……全てが確かで、幻覚の類いだとはとても思えない。
「んー…私もよくわからないけどね。でも自分自身はここにあるわけだし、アシェルだってここにいるし、ウサギさんも美味しいから、別にいいんじゃないかなぁ?」
「楽天的にもホドがあるんじゃない…?」
「あはは。長くいるとねー、慣れちゃう」
「………ひょっとして、その姿も若作りしてる……?」
コレットはピクッと手を止めると――――突然ピッタリくっついて、頬擦りしてきた。
「アシェルさーん? このキメ細かいお肌の、どこが若作りなのかな~!?」
「わかった、わかったから離れてよ……!」
突然咬みついたりくっついたり、行動が極端すぎる! スキンシップ過剰というか、落ち着きがなさすぎだ! しかもこちらが手を上げる寸前で止めるという引き際の良さ! すっかり遊ばれてしまっている……。
「はーい、ご馳走様。じゃ、最後に大冬圏に行くからね」
吹雪の大冬圏はコートを着込んでも寒さが身に染みる。ふと、さっき肉料理を食べたのはスタミナをつけておくためだったのかと思い当たった。
いくらか歩いて辿り着いたのは、毛先まで凍りそうな洞窟。中には氷と食材がたくさん保存されていた。どうやら、これが氷室らしい。イノシシの肉やらを置いて、代わりにいくらか食材を出して籠に詰めた。
帰っての晩御飯は鶏肉の入ったクリームシチューで、これまた美味い。そして、家の裏手には露天の温泉がある―――。
「何て療養地だろ、ここは……」
広い風呂場で湯に浸かりながら夜空を見上げていると、ついそんなことを口走ってしまって、目的を見失いかけている自分の頭を小突く。しかしここは本当に気が休まる……。それにコレットも何だかんだで気を遣ってくれているようだ。
(結構いいヤツよね。気を張らなくていいし……)
新しい友達ができたみたいで、アシェルはこれまでにないほど浮き足立っていた。
真夜中にアップするというマイルールはどこへ。素直に上げられるときに上げます。




