第五話 ―その2―
時刻は深夜十一時―――。岩山の頂に巣食う不死者を狙って動き出す。
岩山は生臭い空気で満ちている。湿っているような、腐っているような、吸い込めば目の奥がグラグラしそうな臭いが乾燥した空気に乗ってやってくる。これは不死者の魔力に当てられたとか関係なく、近寄りがたい。
原因はすぐにわかる。そこらじゅうでウロウロしている蜥蜴兵である。不死者が兵として使う獣人はこれまでどれも結構な獣臭さだったが、これはまた違った気分の悪さ……。
「何でトカゲなの…」
岩陰で様子を伺いながらボソリと呟くと、キルガが細かく反応する。
「トカゲは結構使える。乾燥に強いし、動きも素早いし、尻尾切られても平気だろ?」
「そういう問題……?」
「爬虫類特有のウロコが刃筋に強いってのは本当だ。しかし変温動物だから気温の下がる夜は鈍くなる」
「それって、兵隊として使えるの?」
「別に問題ないんじゃないの? 夜は不死者の時間だろう」
「…そうね」
とはいっても、不死者は夜が馴染むだけで、活動に昼夜は関係ない。
「獣人ってのは不死者の魔力で生まれる、従者のできそこないみたいなもんだ。ただ哺乳類とか鳥類はよく見るけど、トカゲはねぇなぁ。意志の疎通が難しそうだし」
「アンタ、よく知ってるのね」
「そりゃ職業柄。そもそも不死者は正体不明みたいなイメージがあるが、情報は必ず出回るもんだ」
「どうして?」
「不死者と通じてる人間がいるからな」
「……嫌な話ね」
できるかぎり見張りに気付かれないルートを探すが、あまりに道なき道はフェイムが無理(キルガは勘定に入れていない)だから避ける。しかしいよいよ頂上付近ともなると、道を選ぶこともできなくなってきた。
「フェイム、大丈夫?」
「平気です」
フェイムもさすがに旅慣れたようで体力もついているみたいだが、そもそも息切れしたところを見たことが無い。元々表情の薄い子だが、ポーカーフェイスというわけでもないのか。
「さてさて………ここからはどうやってもトカゲと接触することになるわけだが、どうしたもんかね?」
キルガの期待の眼差し。仏頂面で返す。
「どうして欲しいわけ、私に」
「そりゃあ………ねぇ?」
「女に先陣きって斬り込ませて、返り血に染まれと?」
「か弱い女の子はそんな言い方しねぇかなぁ」
剣の柄に手をやると、キルガは慌てて両手を挙げる。
「ちょっとちょっと! 今の、剣を抜くような話!? 軽いジョークじゃん!?」
「いい加減アンタの相手もだるくなってきた。特に策もないんなら、『お任せします』と頭を下げて引っ込んでいろ」
「ア…アシェルさん、乱暴ですよ」
「そうだ、フェイム君の言う通り! ジョークも緊張を和らげる意図あってのことじゃねぇの………空気の読めない女はモテないぞ」
セリフを返す代わりに睨みつけて剣を抜く―――。
「悪かった、悪かった!」
キルガは頭を下げるが、あくまでオーバーアクション……。
「…………もういい。私が行く」
「あ、じゃあ俺がサポートに―――」
「必要ない!」
一気に飛び出し、見回りのトカゲ小隊が声を上げる前に斬り伏せながら、そのまま道を駆け上がる。十分もしないうちに開けたところに出た。
そこは山のてっぺんのとんがり部分を切り取ったような平らな台地で、空が視界いっぱいに広がっており、月が近い。星明かりを掬う皿のような場所である。おそらくこの山は元々火山だったのだろう。
そして神秘的な夜空の下では―――目算で三桁を超える蜥蜴兵が蠢いており、その奥には闇に潜む華美な屋敷が建っている。
追っ付け来たキルガとフェイムは息を呑んだ。
「これはちょっとな……。明らかな待ち伏せだが、多勢に無勢っていうか………」
「数は関係ない。アイツらも言葉はわかるんでしょうが……」
自分ひとり進み出て、蜥蜴群に無遠慮なまでに間を詰める。そして―――高らかに唱えた。
「キサマらの相手などできるか! 道を開けろ!!」
「「「!!!!」」」
その声は毛先まで響くようで、意思を超越した力を持つ。蜥蜴兵は海が割れるように左右に下がり、屋敷までの一本道ができた。
「な、何だ……!? オタク、トカゲ語とか喋れるクチ?」
「どんな口よ。さっさと行くわよ」
アシェルはズンズンと先を進み、キルガとフェイムはそれに続く。トカゲの壁は道を開けてくれたとはいえ、決して友好的な面構えではない。食事のおあずけをくらっているかのような凶暴な目つきだ。唸りを上げて牙をカチカチ鳴らし、今にも飛び掛ってきそうな空気が渦巻いて息苦しい。
しかしそれすら無視してアシェルは突き進み、五分で大きな扉の前に着いた。
「やっぱり開かねぇな………呪術的にロックされてやがる。よし、まかせろ! こういう時こそ俺の出番だろ? 三分もありゃ解呪は―――」
「どいて」
アシェルが左手で扉に触り、目を閉じた。数秒後……
「開け」
扉は音をたてて開錠し、重々しく開いていく。
「何だ、一体どういう手品なんだ!? オタク、魔術扱えるのか!?」
「……………」
「ダンマリですか。ま……大したウルトラレディだよ、オタクは」
それでキルガは質問を止めた。が、納得してはいない。アシェルを見る目つきが鋭くなっている。
玄関口を抜けるとホールになっていて、その先は天井の高い廊下になる。夜中だが灯りは全く無く、窓から入る月明かりだけが屋内を照らす。蜥蜴兵で埋め尽くされた表とは打って変わって静寂に包まれている。
無人―――。
誰もいない? いや……
「……止まって」
前方からやってくる影が三体。トカゲではなく人なのだが………
「うわ」
フェイムが思わず声を上げるが、同じ気分だった。三人は皆一様に瞼と口を縫い付けられている。服装も皮の拘束具のようなもので、黒光りする身体でヌラリと武器を構える。しかもナイフを構える一人は女だった。
「コイツはまあ、趣味が窺い知れるってとこだねぇ。ここの不死者はよっぽど他人と話すのが嫌なのかね」
「クソ……」
あまりに無惨な姿に剣を握る手が鈍る。
「代わろうか?」
「は……?」
キルガの言葉の意味が理解できるまで少し時間がかかった。
「いや、やりにくそうだから。まあさ、この辺りで俺の実力も示しとかないと、ついてきた意味がないじゃん? ちょっと気張ろうかなと」
「助けない約束だけど…?」
「そういう約束だねぇ」
キルガは少しおどけて見せると前に出る。
「俺の戦いぶりを見てく? オタクほど凄くないけど、ちょっとおもしろいかもよ?」
「愉しむために戦ってるわけじゃない」
「ご尤も。でも見といてもらわないと、この先連携もとれやしない」
「相手を甘く見ないほうがいい。これまでずっとトカゲで、ここにきて人………ヤツらは切り札、従者よ。まして相手のほうが多い。普通の人間が勝てる相手じゃない」
「とすると、オタクは普通じゃない?」
「っ……ふざけてんの!?」
「まあまあ、任せなさいな」
向かい合う三人の従者とキルガ。
戦闘開始の切っ掛けはキルガだった。おもむろに手を上げると、チョイチョイと指で挑発するのだ。
「………!」
表情はわからないが、怒ったらしい。一斉に飛び上がり、壁や天井を跳ねる立体連携攻撃。そのスピードは獣人とはまた別の速さがある。目で追うこともままならず、気付けばキルガに一点集中―――。
しかしキルガは、
「ハハハッ!!」
「「!!?」」
手斧の男と剣の男の前には空中からの攻撃を防ぐように黒い槍が出現し、弾き返す。唯一キルガに届いた女従者のナイフは右手に召喚した黒い剣で受け止め、左手に―――
(チョーク……?)
女従者の腹にサインをするように白チョークを滑らせ、他の二人の元へ蹴り飛ばした。そして、
「罰を与える針床よ――!」
「―――!!」
女従者の身体からウニのように光りの針が飛び出て隣の男従者二人を貫き、三人の従者は固まって動けなくなった。法術による結界で拘束されたのだ。
さすがに息を呑む………一度切り結んだだけで決着がついた。変則的ながら鮮やかに、完璧に。仮に自分が戦っていたとしても、こう上手くはいかない。
「結構やるだろ? まあこんなにカッコよく決まるのも稀だが。さて……」
キルガが腕を翳すと、天井付近に黒い揺らめきが。
「…何をするの?」
「あん? トドメだけど」
「もう決着はついた。そんな必要はないわ…」
キルガは眉を顰め、大きく肩を竦めた。
「必要ないって………じゃ、どうするわけ? いくら俺でもここから離れれば結界の効果は消えるから、このまま不死者の所に突っ込めば追われて挟み撃ちになる。第一、オタクは不死者を倒すんだろ? 不死者の息が止まれば魔力供給されている従者も滅ぶ。どっち道同じことだ。……あれ、もしかして知らなかった? そんなわけないわなぁ?」
「……………」
「アシェルさん…」
フェイムがそっと袖を引く。
「…私とフェイムは先に行く。後は任せる」
フェイムの手を逆に掴み返して奥へと駆け出す―――キルガの顔は見ずに。
「あらら……」
見送りながらキルガは小さく溜息を漏らし………薄く唇を釣り上げた。
「まったく……だから可愛いんだよね、あのレディは」
頭上の黒い揺らめきはやがてはっきりと形を浮かび上がらせ、巨大な斧刃が落ちた。
敵はもういないらしい。
当然だろう、通常なら侵入者は外の蜥蜴兵に始末されているだろうし、万が一取りこぼしがあっても、戦闘のみに特化した改造従者が残らず片付ける。千を越える軍勢だったり、聖人やらが集った対不死者の精鋭でもなければ、人間はせいぜいトカゲの餌でしかない。たった三人、しかも一人は全くの戦力外ともなれば、不死者は気にかけることもないのか……。
(考えてみればおかしい。この屋敷の庭は、普段からあんなに蜥蜴兵であふれているのか? それとも、先日私がヤツらを数十匹始末したからか……いや、今さら考える必要もない)
最奥の扉はいかにもな雰囲気で、ここが不死者の潜んでいる場所に違いない。
「フェイム、ここで待ってて。すぐにカタをつけてくる」
「……大丈夫ですか?」
「え?」
自分に全く外傷はない。さっきの従者に心が揺らぎかけたことを言っているのか……。
(コイツもこっちの挙動がわかるようになった? それとも、顔に出るほどだったかな)
どちらにしろ、不死者相手に隙を見せれば死が待つだけだ。
「大丈夫……心配しなくていいわ」
フェイムが頷いたのを見届けて、扉を開いた。
悠々とした足取りでキルガが部屋の前に辿り着くと、フェイムが一人だった。明かりの無いこの屋敷の中では、すっぽりと黒いマントを被るフェイムはわかりづらい。ふとすると闇に紛れてしまいそうでもある。
わずかに引っかかるものを感じたが、フェイムの邪気の無い顔を見るとそれも消えた。
「ウルトラレディは?」
「アシェルさんは中です。ここで待つように言われました」
「あ、そう。んじゃ、俺も―――」
キルガがドアに手を伸ばそうとすると、フェイムが通せんぼする。
「んん? どういうつもりだ?」
「待ってるように言われました」
「いや、言われたのはキミだろ? そりゃキミがそばにいたら何かとやりにくいだろうし………っていうか、どうしてキミはここまでついて来たわけ? そもそも、キミは何ができるんだ?」
「少しですけど、治癒法術が使えます」
「治癒法術ねぇ……あのウルトラレディにはあんまり必要なさそうだが」
「そうでしょうか」
「……ま、いいだろ。なんかあんまり言うとキミをイジメてるみたいだし、こちらもウルトラレディの実力を量る、いい機会だしな。手助けするなっていうんなら待つね。やられたらやられたで、俺が不死者と殺り合えるんだから」
キルガは扉の脇に座り込む。フェイムも反対側で、小さくしゃがみこんだ。
一歩踏み入れば、茶葉のような植物の香りがする。
不死者の私室は書斎といった風だが、綺麗に片付けられていた。本がいくらか机の上に積んであるが、赤い絨毯には何一つ落ちてはいない。高級な家具も加えると、ご多分に漏れず貴族趣味な不死者である。
そしてその豪奢な机の向こうに、この地域を領とする不死者が立っていた。外見は頭の禿げた初老といった感じだが、どこか醜い人間臭さを感じる。
「貴様がこの地の不死者か」
「人間だというのか? ……そうか、貴様らだな。このごろ頻繁に蜥蜴兵にちょっかいを出していたのは!」
「ん?」
頻繁に?
「蜥蜴兵は知能こそ低いが同族意識は高い。こう何度も襲撃を受ければ獰猛にもなる。事実、ワシの命令もそこそこにしか聞かん状態だ。一体どうしてくれる!?」
「私がやったことじゃない。それよりも聞きたいことがある。ザクルムはどこにいる?」
「むっ…!? 貴様、人間の分際であの者とどういう繋がりがある!」
「借りがある。居場所を言えば、見逃してやらなくもない」
「ふぉっ!? フ……フッフッフッフ………調子に乗るなよ小娘が、このモルス=ガドランに対して!!」
モルスと名乗った不死者が魔力を解放する。途端に室温が下がり、部屋の色が薄くなる。
「ここまでたどり着いたからには相当な人間と認めてやりたいところだが、所詮は運が強いだけの女よ!」
「あれだけの蜥蜴兵の群れと従者を突破できたのが、運? 脳が死んでるのか、不死者」
「黙れ! 被害報告は聞いていない……大方、裏の崖からでも忍び込んできたのだろうが」
なるほど、外を見ていなかったのか。
「貴様のような者にはもったいないが、不死者を侮辱した報いだ。一瞬であの世に送ってやる!」
「……無駄だ。貴様の魔法は当たらない」
「必ず当たるから魔法というのだ、バカめ!」
瞬時に結晶化した氷の塊は、刺々しい刃を突き出す無数の手裏剣となってアシェルを襲う!
しかし………
「な……に…!!?」
四方八方から霰の如く降り注いだ氷の牙はどれ一つとしてアシェルに触れることはなかった。
「言ったはずだ。魔法は当たらないと」
「まさか……耐魔した!? いや、そんなはずはない! どんな手を使ったのだ!?」
「貴様の知ったことか。さあ、もう一度だけ問う。ザクルムはどこだ」
剣を抜き、モルスの鼻先にピタリと止めた。
「従者をあんな姿にしてまで露払いさせるほどだ、お前自身はさして戦い慣れてはいないだろう。ましてそんな欲だらけの濁った目を見れば、不死者としての実力も知れる」
「小娘が、何を…!」
「言うのか!? 言わないのか!?」
首筋に刃を立てると、強気な老人も口を滑らせるしかなかった。
「ザクルムは………この地から五百キロ東の、カモーナ森林の奥に居を構えている………」
「東……」
剣を首から離して、机に乱暴に突き立てた。モルスは小さく飛び上がって後ずさりする。
「今後、人間に干渉するのは止めろ。私が次に訪れた時も同じ状態だったなら、次は問答無用で討つ」
「くっ……」
「…………」
剣を収め、部屋を出ようと―――
「ぬぅんっ!!」
氷の刃が背後からアシェルの心臓を狙うが、アシェルはすでにそこにはいない。
「ザクルムの居城は北のマニアス山岳の谷間―――やはり東はウソか」
「な……なんだと!?!」
後ろからザクルムの首を押さえるアシェルの左手、その薬指にはめられた指輪が淡く光る。
「な、何者だ貴様………人間ではあるまい…!」
「怖い? 私が……」
指先にモルスの震えが伝わってくる。しかしアシェルの瞳が揺れることはない。
「私はただの人間よ。少し力があって、少し速くて、少し丈夫なね…。でも騙し合いのレベルでは貴様と同じか。私は最初から、下衆な不死者をのさばらせておく気はなかった!」
必殺の剣が逆向き、不死者を貫く―――。断末魔の叫びの代わりに、窓辺の鳩が飛び立った。
「あ……アシェルさん!」
扉を開けると、フェイムとキルガが待っていた。
「終わったのかい?」
「……」
キルガがヒョイと部屋を覗き込むが、すぐに顔を引っ込めた。
「うわあ……こりゃ確かに、フェイム君には見せらんないわ。しかし返り血も浴びず一突きとは、後ろからグサリってとこか? 暗殺者もビックリだな」
「いい言い方じゃないわね。私はちゃんと正面で剣を抜いたわ。ただ相手がノロマだっただけの事」
「そうかい。不死者相手でも尋常じゃないなオタクは。さすがはウルトラレディ」
「あっそ」
「……血は啜ったのかい?」
「え――…」
背筋を冷たく撫でられたようだった。一瞬、思考が停止する。そして唇に甘い感触が呼び起こされる……。
「……どういう意味?」
「普通は不死者の血を受けると従者になり、身も心も不死者に束縛されてしまう。だが滅び逝く不死者の血ならば従者にならず、力だけを得ることができるらしいな」
「…それはウワサでしょ」
「いやぁどうだろうな? 昔、オタクのように不死者を狩りまわっていたヤツがいて、不死者を倒す度に相手の血を喰らい、人外の力を高めていったらしい」
「不死者の血は誰でも従者にできるわけじゃない。相性があって、その血脈に適さなければ毒でしかない。誰それ構わず血を口にすれば死ぬ」
「へぇ、よく知ってるな。どうやってその知識を得たんだ? 気になるねぇ」
後ろでキルガの目が光っているのが手に取るように感じられる。
「………教えといてあげる」
拳を握り締め、キルガに振り向く……ようやく振り向けた。
「私は不死者に復讐するために剣を握っている。不死者は滅ぼす。人間に害なす不死者は一匹残らず滅ぼす、それが私の生きる意味。そのためには手段は選ばない……だけど、汚らしい血を啜るほど堕ちてもいないっ!」
「そりゃ……悪かった。………悪かった手前、あえて言っておくが……」
「何よ」
「オタクの目、不死者も真っ青なほど惨酷だ」
「―――!!」
思わずキルガから目線を逸らし、代わりにフェイムと目が合う。
フェイムは、何も言わない………。
前話の予告通り?アップですー。
あとで見直すと第三話になってました……他と同時進行してるせいかわけわかんなくなっております。すみません(笑)
地震、止みませんね…。もう三日目になるのに…。




