第四話 ―その6―
「…誰も投降せず。そりゃそうだろうな」
少年姿の自分に対し、明らかに格下相手の視線をぶつけてくる傭兵団。しかしとても精錬されてはいない。
「仕方ねぇな。あきらめろよ、姉貴」
「え!?」
「どうしようもねぇって言ってんだ」
アロンはマントの隙間から出した右腕を戦慄かせる。少年の細腕は屈強な男たちを打ち倒すにはあまりに貧弱に見えるが、不死者が人間を相手にするのには関係ない。
まして、凶悪な魔力を宿せるのなら―――。
急速に膨れ上がっていく魔力。そして周囲に闇を落としていく殺気。魔力を感じ取れなくても、恐怖は本能をたたき起こす―――精神防壁もできない雑兵なら尚更のこと。
たじろぐ有象無象を、アロンは嘲笑う。
「へっ………くだらねぇ!」
アロンは武器を抜く。右手に宿った魔力は不可視の二枚刃となり、その殺傷力は歪んだ表情が示している。そしてアロンは黒い獣となり、暴れ狂うように兵団に飛び込んだ!
最初の一人が三枚に下ろされて絶命―――それを皮切りに次々と鮮血の花が咲き乱れ、城の前はすぐに甘い芳香で満ちていく。
「……っ」
一人一人、丁寧すぎるほど急所へと刃を突き立てるアロン。普通の人間から見れば突風のようなアロンの動きもエデアから見れば余裕たっぷりで、表情は愉しんでいるようにしか見えない。
エデアは目を背けた。こんな光景は見たくもない。
(これほどまでに力の差があるというのに、なぜあえて殺す必要があるの?)
しかし向かってきたのは人間たちの方――いや、それだって不死者に唆されての事ではないか。それさえなければこんな地獄絵図にはならなかっただろう。
エデアが苦悩する一方で、アロンはすでに四十人ほど倒していた。残りは闘争心を失ったのか、身動き一つ取れない。そんな中、アロンの猟奇的な瞳は棒立ちのままの鎧男を捕らえていた。
「なに傍観者決め込んでんだテメェ――多少いい鎧つけてるからって、図に乗るなよっ!!」
振り上げる右の掌から伸び出たのは異形の鞭・『王の腸』。
エデアの雷撃が無効化されたのを確認しているため、武器による物理攻撃にすぐさま切り替えている。人間相手に王の欠片を迷わず使用するあたり、アロンらしい、冷徹なまでに合理的な判断だ。
銀色の残像を残しながら放たれる鞭は先端に牙を生やしており、例え盾であろうと鎧であろうと食い破り、貫通する。威力を自ら実感しているゆえに、その結果を確信していたのだが――――
カキン……
鎧男に真っ直ぐ伸びていた鞭は徐々に勢いが弱まり、軽い金属音を立てて鎧に弾かれた。
「うっ!?―――ぬあっ!?」
鎧男の斧槍の反撃を受けたアロンの身は軽々と吹き飛んだ。
「アロン! 大丈夫なの!?」
「チィッ、痛ぇな……やっぱり小僧の肉体じゃ四つにゃ組めねぇな。しっかし……」
鎧男をしばし観察したアロンは、駆け寄ってきたエデアにぼそりと注文する。
「姉貴。何でもいいから、ヤツらがまるごと吹き飛ぶ一発を頼む」
「そ、そんなのを撃ったら、周りの人間も巻き込む……」
「ったく―――いい加減にしろよ!!」
アロンがエデアの頬を平手打ちした。
アロンが姉であるエデアに手を挙げたことなど、過去二百年間でただの一度もない。エデアは数瞬の間、我を忘れた。
「いいか姉貴! 今こうして割り込んで戦ってんのは俺の勝手だが、結果的には姉貴の代わりなんだよ! わかるか? さっきから俺を止めてない姉貴は、もうヤツらを殺してるのも同然だ! いい加減に覚悟を決めろ!」
「め、滅茶苦茶な理屈を――」
「アンタが遠い理想にこだわってチンタラやってる間に、マレルの阿呆は危機に陥るかもしれねぇんだぞ!? 姉貴はどれが一番大事なんだ!」
「―――!!」
アロンの言うとおりだ。
マレルがやられるとは思わない。下手に魔力だけ強い自分よりは十分に戦えるはずだ。でもそれは敵もわかった上でのこと。自分に対して対策を練られている以上、マレルが向かった先に恐ろしい罠がないとは限らない。
マレルの強さを信じていないわけではない―――しかしそうではないのだ、つまりは。所詮気持ちは気持ち……体現しなければ意味がない。
(そうだ、私とマレルは――)
夜通しの言いわけすらキス一つで飲み込んでしまえる。そういう関係だったはずだ。
「……わかったわ、アロン」
今ならはっきりとわかる。自分に手を上げられなかったマレルの辛さ……私を想っての苛立ちをはっきりと伝えられなかった悔しさが。
「私はマレルのことを一番わかっているのに、一番わかっていない………傷つけてばかりいて!」
解放されたエデアの魔力は一瞬にして世界に満ちる。それはアロンの比ではない。アロンが邪悪さで敵を慄かせたのなら、エデアは只々圧倒的な力で畏怖させる。単純にスケールが違うのである。エデアの発する圧力はマレルの領を越え、魔力の才のない一般人ですら怖気を覚えるほどだろう。いうなれば、その凄まじさとは王そのものであったのだ。息も苦しくなるほどの重圧を受けながらも―――
「へっ…」
アロンは鼻で笑っていた。
晴天の霹靂のごとく、城の方向に突如現れた巨大な気配。
しかし、
「フウゥッ!!」
「くっ――!」
アシェルとマレル、打ち合う刃が火花を散らす。凶器から目を逸らすことは、即ち死なのである。
やはり同程度の体格でも、不死者であるマレルは腕力が違う。ともすれば剣ごと真っ二つにされるのではないかと、一撃交えるごとに悪寒が走る。声に気合と魔力を乗せるだけで精一杯であり、とても何かを考える余裕はない。
いや、考えあぐねていることはある……。
「何をグズグズと……アシェル!」
鍔競り合う刃の向こうでマレルは怒鳴るが、満身創痍なのは一目瞭然だ。それでも気迫は衰えさせていない。
「わかっているでしょう……まだ私が手加減しているのを…っ!」
マレルは弱々しく歯を鳴らし、しかし瞳だけはギラギラと光っている。侵食してくる呪いに抗い、意識だけを辛うじて保たせているのだ。アシェルが致命傷を負っていないのも、マレルが剣の勢力を抑え、軌道をずらしているからに過ぎない。だがその抵抗も徐々に弱まりつつある。
「ちっ…!」
「あぐっ!?」
マレルはアシェルを蹴り飛ばして間をとらせた―――とはいっても、かなりの威力だ。わずかでも防御しなければ危なかっただろう。
「うくっ……はっ、はーっ……」
「はぁっ、はぁっ………くそっ…」
二人とも酷い有様だ……息を落ち着かせようとしても、吸い込む空気は獣人の死臭に満ちている。
「アシェル……死にたいの?」
喘ぎながらの低い声――。
「このままいけば、いずれあなたは死ぬ……」
「死にたくは、ない……」
「だったら―――」
「それはもっと嫌だ! アンタだってわかってるでしょうが。心臓に剣を突き立てることなんて、できるはずがない!」
「この期に及んで泣き言を! 不死者に復讐するんでしょう!?」
「でもそれは………アンタに対してじゃないっ!」
「――!」
マレルはぐっと息を呑み、一息の間だけ瞳に哀しみを映して―――歯軋りした。
「……全く、この子供は…!」
また激突が始まる。だが何度剣がかすめて血をこぼしても、動きを止めて隙を作られても、反撃する気には到底なれない…!
(エデアが……エデアが来てくれさえすれば何とかなる! 私が時間を稼いでいれば!)
負けない! 私かマレルか―――どちらが倒れても、あの卑劣な紳士気取りに負けることになるのだ! だから今は全力で攻撃を凌ぎきるしか――――!
「押オォ―――ぁ…!?」
ぶちっ。
生々しい音が身体の内に響いて、直後、背中を耐え難い激痛が襲った。
肉離れ、もしくは筋肉の断裂か。言霊呪法による肉体過負荷―――エデアのアドバイスによって精度を増した呪力に、ついに身体が悲鳴を上げたのだ!
一つ歯車が壊れれば、全体が瓦解するのは早かった。マレルの剣を受け止められなくなった途端、足を掬われ、地面に叩きつけられ、右肩を踏まれ、逆手で振り上げられた切先は喉元へと―――それは絶命への最短距離。
死―――――
ズザンッ!!!
「――――……っ!!」
「ぐっ………はあっ…」
凶刃は、ギリギリ真横に逸れていた。
「殺して、しまったのかと………」
力を失って覆いかぶさってくるマレルはアシェルの耳元で荒い息を吐き出しながら、ついに敗色の言葉を漏らす。
「限界が、近い……」
血の滲む首筋にマレルの舌が伸び、アシェルは息を震わせた。温い感触は、疲労困憊にしてなお破廉恥な変調をもたらす。そしてそれはマレルの方にも顕著に現れていた。荒々しい中に、濡れた吐息が混じるのだ。
密着する身体の暖気に既視感を覚えるが、今は頬を叩いてやる力も出ない……。
「はっ……私はこうやって貴女の血を口に含むことで本能を呼び起こし、無理矢理意識を保たせている。フフッ……言い換えれば、貴女へのふしだらな衝動で他を我慢しているのよ。醜いでしょう……?」
「眷族を増やすために咬むだけなら、ふしだらじゃないでしょ……」
「フッ………そうね……私が抱きたいだけか」
力の入らない自嘲を漏らすマレル。両腕をアシェルの背中に回すと、首の傷に吸い付く。
「んっ……あっ…!」
甘い声が洩れたのは、マレルだけではない。
「はっ……これが最後通告よアシェル……。私を滅ぼせないのなら、今すぐ不死者にする」
「断る……」
「駄々に付き合う余裕はもうないのよ……! さっきはなんとか牙を立てずに済んだ。でも次は……! 私は、貴女が死ぬくらいなら―――」
「それは無理……アンタは、私を咬めない!」
「うっ――!? 言霊呪法を……!」
しかし効果に驚いたのはむしろアシェルのほうだ。通常の人間に対しても行動を促す程度の効力しかもたないのだから、不死者の行動を制限できるわけがない。なら、それは……
「見透かされた!? 躊躇っていることを……!」
「マレル、アンタは…!?」
「…………もういい。私は私で、わがままを通す……!」
突然、マレルは自分の唇を噛み切る。
「一体、何を―――っ!?」
―――身体が少しも動かないことに気付く。
「なっ……」
マレルの瞳が限りなく近く……吐息が混じり合う距離で、苦しく、切なく。
「我慢できないのよ……私は!」
唇が重なった。
強引なキス……ではなかった。優しく……やわらかく……暖かくて……
(う……こんなの……)
身体がボロボロなのも、ここが戦場であることも忘れてしまう。
マレルは執拗にアシェルの口内に舌を滑らせる。擦り付けられる鉄の味が自分のものか相手のものか判別できないくらい、すべては緩やかに融かされていく………。
「ん…っ、はぁ、はぁ…」
唇が離れてもまだ感触を租借している………そのことに気付いたのは、見詰め合ってしばらくしてからだった。
我に返って息が詰まるが、こんな間近で目のやり場もない。誤魔化して、半端に睨み返すのがせいぜい………。
呪いで苦しいくせに、マレルの目は笑っている。羞恥心で血圧が上がるのがわかった。
「アンタ……魔術をかけた!?」
「お互い様よ。もっとも動けなくしたのは唇が触れる瞬間までだったから、キスに応えたのは貴女の意志だったわけだけど」
「なっ…うそ」
「………………冗談よ」
起き上がったマレルはフラフラとアシェルから離れて、剣を杖代わりに膝を折る。
しばしの沈黙………。
突然のキスだったが、怒ることもできなかった。どちらかが死ぬかもしれないという今………名残を惜しんでのことか。
(それだけ本気だったことは認める。あんなにアプローチされたんだから……)
もしマレルが不死者じゃなかったら? どうなのだろう……。首を縦に振るかどうかは別にしても、もっと心は揺れていたかもしれない。
そんな淡い夢も血に染まり闇に消え去る……それが不死者の世界。太陽は山に落ちて辺りは薄暗く、死臭が濃く漂う。
振り返ってみれば、マレルとの一番綺麗な情景はあの湖だった。現実はあまりに無残………キスでさえ血の味なのだから―――。
(あれ……?)
あの唇の血は、何だったんだ…?
「ザクルム=サグザウダント……」
「あ……?」
「あのクソヒゲの主で………アシェルの仇の不死者」
思いも寄らない告白に、ただ口を開けるしかなかった。
「どうして……? 何か特別な繋がりがないと、教えるわけにはいかないって…」
「繋がり、ね……あるわよ」
口元はうすら笑い。目元は苦悩の色。ふざけているのではなく諦めているのだとわかって、アシェルは悟った。
「さっきのキスは……!?」
「不死者の血を受けると従者になる。ただし、三日以内にその血の主が滅びればその呪縛から解かれる」
目の前が、真っ暗になった―――。
「………待ってよ…」
「大丈夫よ。元々血は合うのだから、メイやレイのような中途半端なものにはならない。魔力は消えるけど、代わりに不老不死の強靭な肉体が―――」
「拒否するには、アンタを……殺せってことでしょ……」
「…………『殺す』んじゃない。『滅ぼす』のよ」
「同じことでしょうが!! アンタは……アンタは!!」
憎い不死者に怒りをぶつけているはずなのに、涙がぼろぼろ落ちる。悔しくて……哀しい。
不死者の戦争を自分がどうにかできるなんて、思っていなかった。手助けを……借りを返したかっただけだ。なのに実際は馬鹿みたいにしゃしゃり出てマレルに庇われているだけ。マレルは最愛のエデアを差し置いて、私の身代わりになろうとしている……!
「アシェル……不死者というのは、死を超越したわけではないわ。死から遠い分、何よりも滅び(死)を怖れる……。私はあなたにいなくなって欲しくない。これなら私が殺してしまっても、従者となって甦ることはできる。でも拒絶するのなら………私を討ちなさい」
「そんな……そんなことを……!」
「ザクルムを倒して、結果的に仇をとってくれればそれでいいわ。さぁ……決着の時よ。立ちなさい、アシェル」
もう指先まで黒い呪いに蝕まれているというのに、マレルは堂々とアシェルを見下ろしていた。それは不死者になっても変わらなかった、勇猛な姫君の姿。
最後になる―――。
剣を取り、涙を拭う。目前の不死者はまるで隙だらけで、負ける気がしなかった。
「……ちゃんと構えろ!」
「フ………」
その微笑は別れの挨拶か―――。
「だああぁーッ!!」
真っ直ぐつっこんで来るマレル。速い――これまでで一番速い!
私は―――!
ずん……
(なに……これ……)
マレルの剣は迷わず私の心臓を狙っていた。その切先はブレることなく、威力も速度も自分の知る限りでは最高だったはずだ。
なのに―――。
容易く胸を貫いていたのは、私の剣だったのだ。
「まさか……剣だったとはね……フフ……」
崩れるマレルを受け止める。命が消えつつあるのか、マレルはただ重いだけだ。その結果をアシェルは理解できない。
「何なのよこのザマは……どうなってるのよ!」
「生きながら不死者の血を飲めば、一時的に不死族に近い能力を得る。そして従者になる前に血の主が滅べば、血脈から解放された人間は、その力を自分のものにすることができる。その昔、不死者を狩り回っていた人間の男が使っていた手よ……」
「なっ……」
ということは、今のはマレルが仕組んだイカサマ――……
「どうしてそこまで、私を……」
「好きだからに……決まってるでしょ」
マレルは自分の指にはめていた指輪を外してアシェルの左手の薬指に通すと、心底満足そうな顔で微笑った。
「これは『王の目』。触れたもの……どんな記録でも、読める……ごほっ」
血を吐き出したマレルの息が細くなる。
「う…あ……っ」
「どうして泣くのよ……」
「だって……だって…!」
「一つだけ、お願い……」
「な……何?」
「エデアを助けて……私がいなくなったら、エデアは塞ぎ込んでしまうから……。お願い、ザクルムを倒すまでで、いいから……」
「わかった。絶対に守るから……絶対に……!」
「ああ……アシェル……」
マレルは震える指をアシェルの指に絡めてくる。
「なに…」
「ごめん…ね……」
魔力の灯が、消える……。
「何が………ごめんなのよ……!」
私を愛した不死者の死に顔は、とても優しかった―――。
陽はすっかり沈み、やってきた夜は、嵐のごとく荒れていた。
風は吹き荒れ、大地は揺らぐ。ここまでくると重圧は波というでも壁というでもなく、もはや空間全体=世界そのものである。事実、どこを振り返ってみてもエデアの魔素で満たされている。
人間の傭兵はアロンによって大半が倒されたが、残りもいよいよ逃走するより他なかった。ようやく、ここが常人の踏み入れる場所でないことに気付いたのである。残ったのは全身甲冑で巨大な戦斧を携える鎧男のみ―――。
しかし敵が一人になってもエデアの魔力は増す一方で、ふっかけたアロン自身が内心畏怖していた。
強大な魔力を秘めている――――そんなことは幼い頃から感じ取っていた。しかし出会いから約二百年、エデアの全力を見たことはなかった。エデアは無闇に魔力を発揮する性格ではないし、そんな場もなかった。それがエデアの限界だとアロンは……いや、おそらくはマレルも半ば確信していたのだ。だからアロンもマレルも率先してエデアを守ろうとする。エデアは戦えないから。
だが、その定義は崩れ去ろうとしていた。
こんな力は在り得ない。単純な魔力の大きさでは、この世に並ぶ者などいないのではないか。不死者王でさえ、アロンとの戦いの時にこれほどの魔力を操ることはなかったのに……。
「…ハハハ」
……これは興奮する。闘争においては役立たずと思っていた姉が、最強無比の存在に化けたのである。こんなエデアをマレルは嫌がるだろうが、力には憧れるものだ……不死者ならば。
「……消えなさい!」
鎧男に向けてエデアが腕を伸ばした途端、巨大な岩のような魔力が流星群のように、瞬くほどの間断で鎧男に収束し、無限の閃光を生み出す―――。
「オイオイ………マジかよ」
アロンは絶句する。
魔力を爆裂させる炎の魔術。不死者なら誰でも使えそうな低級魔法。だが、エデアが放ったのは単純にそういうものではない。威力は一般的な不死者の数十倍、それを一秒間に数十発同時に、連続して放つ。そしてなにより驚異的なのは、結界を反転させ、敵の周囲数メートルに効果を限定していることだ。熱はもちろん、爆発の振動……音すら封じ込めてしまっている。激しく煮えたぎる光球は目もくらむような眩しさで、真夏の太陽より禍々しい。
(これは、大魔法レベルじゃねぇのか……!?)
すべては基礎―――そういうことだろう。アロンもエデアに教授されていたころは何度も言い聞かされてきた。だがこれはケタが違う………しかもエデアにとっては片手間のことなのだ。
「これでいいかしら、アロン?」
「………極端なんだよ、姉貴は……」
吹っ切れたように微笑も漏らさないエデアは、幼い頃に感じた恐怖を思い起こさせる。厳しい表情の姉には絶対に逆らってはならない。子供の時に感じた直感は正しかったと、今さら証明されたのだ。
やがて、大地に現れた暴威の塊は薄れていく。三十秒近く燃え続けていたわけだが………鎧男はとうに蒸発してしまっているだろう。エデアが制御しなければ、城から森、山まで焼け野原と化していたであろう熱量のはず。耐えられる生物など存在しない。
ところが―――
次第にシルエットをはっきりと形作って現れた鎧男は、なんと無傷―――。
「う……………!??」
さすがにエデアも愕然とするしかない。フルフェイスのマスクでは正確な状態こそ掴めないが、少なくとも仁王立ちで大往生、というわけではないらしい。
「姉貴、もう一発撃てるか? あー……できれば眩しくないやつで」
「要望が多いわね。でも、確かにこの脅威は何とかしないといけないわね……」
焦っているのかと思いきや、さらに集中力を高めるエデア。左手の指先に唇を触れさせ、ギンと眼が光る。
「天地の摂理をここに。その怒り、我が魔力により高まれ! 全てを巻き込む息吹を!」
爪が瞬いて刹那、巨大な竜巻が出現した。森が戦慄き、雲すら飲み込まれる三重の竜巻は、アロンには見覚えがある。
「砕き、潰す螺旋………王の欠片か!」
王の左手の爪はそれぞれに災厄が封印されていて、かつて王は任意にそれらを喚びだすことができた。取り出しこそ容易なのだが、どの災厄も人智を超えた力を持つため、封印するには相当のテクニックとキャパシティを必要とし、さらに一度放てば制御するのが難しい。
元々、『砕き、潰す螺旋』は遥か昔の魔術師が編み出した大魔法だ。層ごとに逆回転する竜巻が相互に力を供給する仕組みになっているらしく、永久に霧散することがないのだという。威力を上げるには三つの竜巻を同時に加速させればよい。すると断層は限りなく真空に近い状態となり、吸い込まれると文字通り粉砕されるというわけだ。
アロンも爪に封じられた災厄の全てを見たわけではないが、おそらくは制御が難しい部類に入るはずだ。喚び出す場所は指定できるが、その後は気圧の影響を受けたりしてどこへ流されるとも限らない。これなら先刻の魔法の方がまだ実用的で………そもそも、たった一人を相手にこうまで巨大化させる必要はない。ここにきてようやく、アロンはエデアが制御に苦戦していることに気付いた。
「姉貴っ、このままだと城が……!!」
「わかってる…わ……!」
やはり使うのは初めてだったのか、大分手間取っているようだ。しかしエデアの能力なら自分のものにするまでそう時間はかからないだろう。
「ん………?」
竜巻の中心でぼんやりと何かが……。目を凝らすと、すでに粉々になっていておかしくない姿がわずかに光り、その足元の影から黒い腕が伸び―――……
(………そういうことか)
竜巻が消える。エデアはかなり力を消耗したようだが、まだ余裕はある。そして鎧男は………やはり、黙して仁王立ちしていた。
「一体何なの、これは!? 私の力を超えて対魔消滅しているとでも……!!?」
「いや……。助かったよ姉貴。タネはわからねぇが仕掛けはわかった。それで十分だ。あとは休んでてくれ」
「仕掛け?……待ちなさい! 油断しては――!」
ぺろりと舌なめずりをしてアロンは拳を握る。勝てる勝負ともなれば、油断などありえない。負けるはずはないのだから。
鎧男は斧槍を構え、小さく震えている。
「クックック……」
……どうやら哂っているらしい。
「出来モシナイコトヲ吹聴スルカ。父殺シデアリナガラ、姉ノコトハ大切カ」
「さてな…。ただ、どうやっても姉貴にだけは勝てねぇよ。逆に姉貴以外のやつが俺の邪魔をするって言うのなら、身の程を知らせて叩き潰すまでだ。それを今から教えてやるよ」
地面を滑るように走るアロン。黒い姿が闇に溶けるようで、気配すら薄くなる。
「ウオッ!?」
姿を見失った―――鎧男の後方頭上だ!
「ザクルムの得意技だったな、複数同時詠唱は! だが! 俺も一人で四つくらいならできるんだぜ!」
火、水、風、土―――片手に二つずつ、属性の異なる魔法を。ザクルムは確かに『複数同時詠唱』できるが、『身一つで四種同時発動』は、おそらくアロンくらいのものだ。
しかしせっかくの魔法を集中させず、拡散して放つ。しかも直接攻撃せず、力場を作るに留める結界魔法。数ある分、威力も削がれているようで、大した効果は期待できそうにない。エデアは首を傾げるしかなかった。
「アロン!?」
「フン……つまりコイツはな―――」
四種の結界が狭まる。そのとき、鎧男の脚元から黒い影が腕を伸ばし……
「えっ、何!?」
「『仕掛け』はこうだよ。あの『影』が魔法を瞬時に分解して魔力変換する。だけどそれだと純粋な威力が消せるわけじゃないから、それを『タネ』が吸収する」
影はフル稼働して四結界を分解・解除するが、解いた途端に中から別の結界が出現する。
「アハハハッ、手間取ってやがる! 一つ当たり四重のトラップを仕込んだからなぁ! 姉貴みたいな単純な構成の魔法だと相性がいいが、俺みたいに捻くれたヤツだとボロが出るみたいだな。自動で作動するように仕込むから、避ける必要もない小手先魔法の前に身を晒すハメになるんだよ!」
アロンは自らの影を伸ばし、鎧男の影を釣り上げた。影は地面から離れると、夜に紛れるように姿を消した。
「逃げたか。大方、秘法を知られたくないってとこだろうが……なんとなくはわかっちまったな。さて、残るはゴツい甲冑だけだが……」
傭兵たちが落とした剣を拾って投げつけると、鎧男は斧槍で防いだ。
「どうやら『タネ』を使うのも『影』だったらしいな。武器の威力まで消失させられたときは驚いたが、これでようやく正々堂々ってわけだ………さぁ、一騎打ちといこうぜ!」
右腕から伸びる白銀の鞭を大上段から振り下ろす。鎧男は斧槍で防ごうと構えたが、魔性の威力に柄は折れ、次いで兜がひしゃげた。
「ん…?」
続いて横薙ぎの一閃。上段に構えたままの腕、そして首が跳んだ。鎧の首の部分からは、サラサラと砂がこぼれ落ちる。
「…なるほど。血を流さねぇと思ったら、泥人形ってオチか。くだらねえ……くたばれ」
鞭の乱舞は甲高い音を鳴らして空気を切り裂き、鎧の塊はあっという間に細切れになる。舞い上がっては落ちる鎧のパーツからは、砂がこぼれるだけだ。全て解体するまで五秒とかからなかった。
「よし……こっちはカタがついたな。姉貴―――」
「……………」
「……姉貴? 何呆けてんだよ!」
「え? あ……何でもないわ…」
エデアは唖然としていたのだ。ザクルムの仕掛けた『罠』もさることながら、それを見破り、上回る手段をあっさりと講じたアロンも狡い。しかもあれほど複雑な魔法を……とても一朝一夕でできる芸当ではない。
(アロンがお父様を倒したというのも、単に騙まし討ちというわけじゃなかったというのね……)
先ほどの結界魔法……一つ一つはまさに小手先の魔術だが、四種を四重―――十六発同時発動ともなれば話は違う。これを〝才能〟の一言で片付けられるものだろうか?
しかし真の強さとは、単純な能力の高さではなく、実力の差を埋めるためにどれだけ心血を注げるかということである。そのことを、エデアは初めて実感しつつあった。決して自惚れていたわけではないが、己の力に納得していれば、いつかは寝首を掻かれる―――その点において油断のないアロンは最も不死者らしく、それこそ天才的であるのだろう。
だが………それと父親を殺した動機は別問題だ。理由だけは必ず問いたださなければ。
「アロン…」
エデアがようやく外へと意識を向けたとき―――黒い気配がするりと現れた。
「ご機嫌麗しゅうございます、グランスダイトの血を継ぐ……む? そちらはもしや、アロン様では?」
「誰…?」
慇懃な言葉遣いに警戒心のないエデアを引っ張るアロンは、鎧男を相手にしていた時以上に敵意をむき出しにしていた。
「テメェ………ザクルムの懐刀のレイクマルドだな」
黒の紳士の瞳が一瞬怯む。が、すぐさま嘲笑に変わった。
「これはこれは……驚きましたな。不死者の中でも私をご存知の方は指折るほどと思っておりましたが、全く油断でしたな。王殺しも伊達ではありませんか……。エデアとマレルだけでも厄介だというのに、貴方とあのアシェルとかいう小娘まで加われば………ぞっとしませんな。とはいえ、他のお嬢様方に関してはとりあえずクリアですが」
「! 二人に何をしたの!!」
「それはすぐにわかることでしょう。私の方はこちらを回収して、今日は退散という段取りでしてね」
レイクマルドは足元に転がる鎧男の胴体部分のアーマーをひっぺがえすと、崩れた土くれから丸い輪を抜き出した。手のひら大の輪はわずかに光を帯び、その内側の空間は塗りつぶされたように真っ黒である。
「それがタネ………王の欠片か」
「察しがいい。これは『王の胃』ですな。わが主はこれを組み込むのに相当苦労されたようです」
「そんなモン見せられて、みすみす逃がすと思ってんのか…?」
「さて……エデア様ならともかく、父殺しのアロン様相手では、人質もそれほど意味を持たないのかもしれませんな」
「テメェ………ナめた態度取ってんじゃねぇぞ。二人のどちらかでも死んでてみろ。テメェもザクルムも、生き地獄を味わわせてやる」
「フフフ……では、その時まで―――」
黒の紳士は霞むように姿を消した。
「欠片とはいえ、お父様を部品のように使うなんて………許せない!」
エデアが滅多にないくらい感情を吐き出すが、アロンは振り向かなかった。
「……急ぐぞ姉貴。ヤツの物言いからすれば事態は相当ヤバそうだ。この距離じゃ俺の耳でもはっきり聞き取れないしな。一時はアシェルの言霊呪法(声)がよく聞こえていたが……」
「今は聞こえない…!?」
「どうだかな。相手は獣人ばかりだったようだし、あの女もそうそうくたばりは………う…!?」
アロンの膝から力が抜ける。
「どうしたの!?」
「はっ、はっ……ガキの身体のせいか、少し無理がたたったかもしれねぇ……。問題ねぇ、少し休めば……治…る……」
「でも……」
「くっそ……さっさと行けよ! 姉貴のクセに、手を焼かすな!」
「! ……わかったわ」
アロンの強い声に背中を押される。正直に言うと、頼もしかった。いつの間にか……いや、もう随分前から、守る立場が逆転していたのかもしれない。
私を守ってくれるほど成長して……お父様を手に掛けるほどの実力を身につけて……。
(考えてみれば、ほんの十数年前のアロンの瞳は自分とお父様を等しく映していたはず。今ある私への優しさが本物なら、お父様のことは憎んでいたというの?)
わからない……どうしてそうなったのかが―――
ず――………
「―――え?」
「なによ………これは」
城の前は自分が戦っていた場所と比べようもない惨状だった。大地に血が染み、木々は薙ぎ倒され、武器やら鎧やら……死骸やらが転がっている。そしてそれらと少し離れた処に――――
「エデア……」
遠目からでもわかる。体から血を流し、風景に溶け込むように倒れているエデアは息をしていなかった。
「そんな………ウソでしょ!?」
背負ってきたマレルの遺体をエデアの隣に下ろし、アシェルは吐き出しそうな感情を必死で抑えて辺りを見回した。
フェイムは、フェイムは………いた! 草の陰に横たわっている!
「フェイム、アンタ……! 起きなさいよ!!」
「あ………」
「よかった、生きてる……」
パッと見分して、特に外傷もない。無事といえば無事だった。
「大丈夫!?」
「えと………はい。アシェルさん………一体?」
「え? ちょっと……何があったのよ!? アンタがここに来て、その後どうなったの!? どうして、エデアが………」
涙がじわりと溢れてくる。それでも我慢した。
「一体誰にやられたのよ! あのヒゲ!?」
「ヒゲ……? すみません……よく思い出せません。この近くまでたどり着いたのは覚えているんですが、その後は………」
「そんな………そんなわけないでしょ!! く……うぅ…っ!」
もう、駄目だった。残っていた力は全て、涙に変わっていく………。
月も星もない夜だが、暗さは感じなくなっていた。
城の中では、マレルの従者が人形のように動かなくなっていた。
(主であるマレルが息絶えて、魔力供給されなくなったからだ……)
そんなことがわかるのも、エデアがいろんなことを話してくれたからだ。結局自分はマレルから力を、エデアから知識を譲り受け、不死者に生かされている……。
―――惨めだった。
倒すこともできず、助けることもできず。
命をもらうほど愛されたのに、一緒に死んでやることもできなかった。
「……………」
惨めだ……。
「アシェルさん………埋めますよ?」
「……待って」
穴の底に並ぶマレルとエデア。身を貫かれた二人を補うには……自分の想いなんて、小さすぎる。せめて無念を仇との決戦の場まで引きつれて往くしかないのだ、私には……!
涙がこぼれ、エデアの頬を打つ。エデアの死に顔はどこか哀しそうで、脳に焼きつく。
「もう……いいですか?」
「うん……。ごめん、アンタにこんなことさせて」
「いえ……アシェルさんは座っていてください。終わったら、改めて傷の手当てをしますから」
「うん…」
墓から離れ、たゆたう湖の辺に腰を下ろす。
この湖も、いつかは私とマレルの出会いを忘れてしまうだろう。でも私は、死ぬまで忘れない。忘れられない………。




