77羽 出会った人は…
目が覚めると、ぼんやりとした光の中で揺蕩っていた。
光はまるでお風呂のように暖かく、チキを包み込み、じんわりと手足に力が満ちていくのがわかった。
(チキ、死んだのかな)
ユリウスとの時間は、間違いなくチキの体に一瞬力を漲らせたが、ほんの少し時間が足りなかったのだ。
チキの体はすでに限界を迎えており、漲る力は、すぐに端から零れ落ちていった。
器自体がすでに破損した状態だったと言ってもいい。水は注ぐ先からこぼれていき、完全に満ちることはなく、脆い器がボロリと崩れ去ったということだ。
(月の神様、チキの最後の願いを聞いてくれたかなぁ)
チキはぼんやりとしながらゆるゆると瞼を閉じていき、再び眠りの底へと引きずり込まれる。
だが、完全に眠る前に微かに声を聴いた。
『その願いはお前がなくてはならぬようだ』
『愛する人の幸せという願い。そこに欠ける者があってはなりません。あの子を救ってくれたお礼もしなくてはね』
どこかで聞いたような、懐かしいような、そんな声を微かに聞いた後、チキは眠りに落ちた…。
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次に目が覚めたのは随分と荒廃した町だ。
チキはちょっとボロの服を着ており、町をさ迷い歩いて、一羽のニワトリに出会った。
それがヘンナだ。
ヘンナはニワトリだが、ほんの少し月の魔力を帯びていて、昔出会ったニワトリのおばーちゃんのように、月に願いをかけていた。
願い事は『人間と同じくらい生きてあらゆることをやってみたい』。
人としてでなく、ニワトリのままいろいろやってみたいというのがヘンナさんの夢で、彼女は現在諸漫遊の旅をしていたそうだ。
少し寂れた国に入ってしまい、出会った時は食用として追われていたが…。
そんなニワトリ歴18年のヘンナさんは、チキを一目見て言った。
『卵がおる』
チキは腹の中にユリウスとの卵ができたと知って喜び、すぐにユリウスの元に向かうことにした。
だが、チキは思っていないが、人から見てチキは方向音痴なのだ。それはボブの農場にいる頃からの事実で、この時も、旅の仲間にヘンナを加えてアストール国アンヘンに向かったはずなのに、なぜか隣国セオドアの首都についていた。
ちなみに方向音痴の気はヘンナにもある。やはり彼女もそうだと思っていないが…。
「おっかしいなぁ」
気のいい旅人に馬車に乗せてもらって首都へと向かったらなぜかセオドア。
チキはその地でたまたま15番に出会い、ヴェンツェルという名を渡すことができたのでそこは良しとした。
ついでに10月10日の産み月を迎え、セオドアで卵を産むと、今度は女王と商談をしに来た義父フランツと再会し、今度こそ和平の調印を結ぼうというセオドアの大使のヴェンツェルと共にようやくアストールへ向かうことになったのだ。
そこにニワトリのヘンナが、卵を温め、子供の面倒も見てみたいと申し出て、チキは彼女も連れてアストールを目指したのだが…
道中馬車が壊れた。
ここでも偶然なのか、月の神様の采配なのか、通りがかった乗合馬車、それもジェームズの乗合馬車に拾われることになった。
「…またお偉いさんを拾っちまったよ」
感動の再会よりも、フランツやセオドア大使を拾ったことに飽きれる方を優先したジェームズには散々文句を言い、壊れたほうの馬車の馬にチキは乗って、卵はヘンナとフランツに任せることにした。
その際きっちりと翻訳してヘンナのことをジェームズに紹介すれば、ジェームズは呆れながらもヘンナと挨拶を交わしていた。
チキを知っているのでもう驚かないという事だろう。
そして
「薄情だなぁ。お前の子だろう」
ユリウスに会いたくて気持ちの逸るチキを見上げ、置いていかれる卵をちらりと見つめてジェームズが呟く。
だが、チキが卵を見やれば、ニワトリのヘンナが胸を逸らし、『任せなさい』とチキにしかわからないニワトリ語でいうので、安心してお任せすることにしたのだ。
「ユリウスに先に伝えるの! びっくりさせちゃうから!」
そういって馬を駆り、意気揚々と先へ進んだはずなのに・・・・
「ここはどこ!」
チキはどこかの町の大邸宅の門の前にいた。
大きい町だ。きっとアンヘンへの道を知っている人もいるだろうと誰かに声をかけようにも、なぜかこの邸宅の周りに人がいないのである。
となると、この家の人に聞くしかないという考えにいたって門を叩き、家令の人に事情を話せば、銀髪に蒼い瞳の、メガネをかけた男が一人、使用人を振り切り、転がるように現れ、チキをその胸に抱いた。
「ようやく帰ったか!」
(ん?)
チキは首を傾げる。
とても懐かしい声だ。
声だけ聴けばユリウスとほぼ変わらないのだが、姿かたちがユリウスと違う。
「誰?」
何者かと問えば、男は体を離し、メガネを指で押し上げてうっすらとほほ笑む。
ユリウスの微笑みが柔らかく暖かい太陽のような微笑みだとしたら(あくまでチキの捉え方)、こちらはぞくっとするような氷の微笑みだ。
顔もユリウスに似ているのだが、なんとなく別の恐ろしさを感じる。そう、どちらかと言えばリチャード寄りの不気味な恐ろしさだ。
「私はお前のちちだ」
突然の告白にチキは首を傾げた。
「・・・・チキのお父さんはフランツおとーちゃまです。あとは名もないニワトリ」
母親の顔と父親の顔は思い出せないが、人間でないことは確かだ。
いや、もしかして父親も魔法生物でこの男が本当に父である可能性も…?
チキが混乱しつつ男を見つめると、彼はチキの視線などまるっと無視をして、テキパキと使用人達に何かを命じている。その言葉の中には「お披露目」に「ドレス」や「湯あみ」など、チキが震えあがる単語が並べられ、チキは本能的にここは危険とそろそろと逃げ出す準備を始めたが、がしりと肩を掴まれて止められてしまった。
(こ、この人リチャードと同類だ! 人外の臭いがする!)
己を棚に上げて人外と評するチキの泳ぐ目を見ながら、男はふんと鼻を鳴らすと、すぐ傍に駆けつけたメイドにチキを押しやった。
「磨き上げなさい。あぁ、あのバカ息子への伝言を。今夜の夜会は大きなものになるからな、あいつもすぐには動けんだろうから、そこを捕まえて見目をよくしろ。陛下には直接お伝えする」
何やらバタバタとものすごい勢いで動きがあり、チキはそのままメイドに連れられて行った。
(…チキ、まさか…磨き上げられてパーティーでメイン料理になるんじゃ…)
ニワトリ姿でないのに、なぜか肉料理になる想像でチキは悲鳴を上げるのだった・・・・




