40羽 自覚 ※
ユリウス視点です (性的表現少しあります)
「チキに、いや、新入りに客として潜入させると?」
騎士団長ライルの言葉にユリウスは一瞬耳を疑い、無意識に彼を睨んでいた。
今回のパーティーは平和宣言30周年を祝うもので、本来ならば安全なはずだった。
しかし、ここにきて突然セオドアの使者と要人が現れ、城内は目には見えずとも大騒ぎだ。
騎士団長であるライルも連日会議に召集され、国防の要として全軍の配備を言い渡されている。
セオドアという国は、それだけ危険なのである。
「何かあっては」
「何かあっても国の剣となり、盾となるのが騎士団だ。それに、どの騎士も顔が割れている」
騎士は花形職だ。どんなに目立たないものでも知らぬ間に顔や名前を覚えられ、パーティーに警護以外で参加すれば、たちまち女性達に囲まれてしまう。
そう考えると、荒くれ者ばかりの第五小隊ならば囲まれる率は少ないが、彼等は社交の場に疎く、作法の点で少々難がある。特に今回は他国の王族を招く大きなパーティーであるために貴族程度の教養が必要となる。
「約二名貴族の教育を受けてはいないが、あれらは能力を買って参加させることにした。そのフォローがデルフォード、リュンナ、ドイスの三人だ。デルフォード家の教育を受けた三人なら何とかオーエン、ウーラの両名のフォローをしつつ立ち回ることができるだろう。奇策もあるしな」
「奇策ですか」
ユリウスの不思議そうな表情にライルが笑みを浮かべる。
「それについては見てのお楽しみだ。ところでユリウス、私はあの新人共よりお前の方が心配なのだが?」
ユリウスはライルに面白そうなものを見つけたというような目で見られ、眉根を寄せた。
ユリウスと同じ強面で美貌の持ち主であるライルは現在30歳。結婚もせず、いまだ婚約者も持たない彼は、つい最近まで同じ立場であり、女性と目を合わせると相手を気絶させてしまうという哀れな男に迷惑なほど同情し、いくつか縁談を持ってきたりもしたのだが、ユリウスがこの度内々に婚約したのを受け、時折彼をからかう様になったのだ。
その半分ぐらいは僻みのようなものだとユリウスは思っているが。
「私は王族と会場の警護に回るので何も起きなければ比較的安全ですが?」
とりあえず変にからかわれないよう真面目に返してみる。
実際警護に関して問題はないし危険度も少ない。
常時自分の周りには警護に回る騎士がおり、何かあれば全員で事に当たるのだ。チキ達のように個人でパーティーの警備と情報収集、それに要人の見張りをするわけではない。
「警備じゃない。お前の恋の方だ」
やはり、ライルが言ったのは真面目な話ではない心配のようである。
「…そんな話ならば失礼する」
いかつい顔の男から真面目な表情で恋などと言われてぞっとしたユリウスは踵を返し、部屋から出ていこうとする。
「まてまて、お前ちゃんと自覚してるんだろうな?」
「何を?」
振り返ったユリウスは、ライルが席を立ってため息をつくのを見た。
「何って、デルフォードの令嬢に惚れているだろう?」
「…あれはまだ幼い。惚れているというよりは妹のように思っている」
(潜入の話をしたら俺を殺しそうな目で睨んだのに…)
ユリウスは本気でチキを妹のようだと思っている。というか、思い込んでいる。
騎士になりたいと言われ、傍にいたいと言われて取り乱したチキを抑えるためにしたキスも、女の我儘はキスで止めろという騎士達の下世話な恋話を思い出して実践しただけだ。
キスが深くなったのは、最近娼婦街にも通うことがなくなったので、ついつい久しぶりの感触に男としての本能が反応したのだと思っている。
「妹ねぇ。それじゃあお前、その妹がデビューして社交の場で男共に囲まれたら?」
「引き離すに決まっている」
即答である。しかも、その表情は険しく、もしそんな男達が現れた時にはチキをどこかに閉じ込め、男達は抹殺しそうな勢いである。
自覚だけがなさそうだが。
ライルは長く息を吐き出すと、試してみた。
「じゃあ、たとえば、お前より身分も高く、非の打ちどころのないような男が令嬢に求婚したとしたらどうする?」
「チキが望むならおれは身を引こう」
これも即答ではあったが、彼がギュッと握った拳は、掌が白くなるほど強く握られているのをライルは確認し、さらに追い打ちをかける。
「たとえでなく、私が求婚したらどうだ?」
ユリウスはスッと息を吸い込んだ。
身分は王族。それも第二王子であり、今の国王に子が生まれなければそのまま王太子となる男が求婚した場合、チキの気持ちやデルフォードの位、ユリウスとの婚約など何の意味もなく婚約が成立する。
そうなればチキは…
「私と婚約したらあの娘は私に体を捧げることになる。心が伴わなくとも、それが貴族の世界だとおまえならわかるな? 身を引けるか?」
チラリとユリウスを見れば彼の表情は全て抜け去っていた。
「私は」
かすれた声が響き、ライルは呆れたように首を横に振った。
「いい、その答えはあの娘に会ってからにしろ」
ユリウスは元々堅物すぎる男だ。チキを抜きに話をすれば答えは「身を引く」だろう。
ライルはそう考えると、パーティーの当日にユリウスとチキを引き合わせることにした。
そうして迎えた当日――――――
ユリウスは自分が送ったドレスを着たチキを見て、その輝くような美しさにはっとした。
髪はかつらをかぶっているので色が違うし、長さも…
(そういえば髪を切っていたな…)
屋敷であった時は髪を団子にしていたので気が付かなかったが、食堂であった時はひどくショックを受けた。まさか髪を切る女性がいるとは思わなかったからだ。
彼女の侍女ですら髪は束ねるだけにしていたというのに。
髪の色と長さが違うのはひどくもったいない。本来の姿ならば、もっと化粧も生えて目を見張るような美人になるはずだとユリウスは思う。
そんなことをぼんやり考えていると、チキがライルに何やら聞かれ、騎士の敬礼をしてキラリと目を輝かせた。こういうところは半年前と変わらず無邪気で可愛らしい。
ライルと何か言いたげなバーデがユリウスとチキを残して部屋を出ると、ほんのわずかな沈黙の後、チキが嬉しそうに笑みを浮かべて抱き着こうと腕を伸ばし歩み寄る。ユリウスはそれを受け止める気で待つと、なぜか彼女はぴたりと足を止め、困った表情をした。
何かに悩むその姿に、もしもライルが彼女の婚約者に名を上げれば、この距離が当たり前になると感じてどきりとした。
「チキ? 抱きしめさせてはくれないのか?」
つい催促したのは彼女を腕に閉じ込め、ライルのモノではないと確認したかったのだ。
顔がはがれると言われて混乱し、押し倒したいと言われて焦ったが、チキが近づいてこないことの方が寂しく、その理由が化粧のせいなのだと聞いた時にはほっとすると同時に化粧に苛立った。
「おいで」と告げて手を取ると、重ねた手から広がるのはどうしようもない愛しさと…欲望。
(チキはまだ子供だ)
言い聞かせ、欲望などとそんなはずはないと心で首を横に振った。
だが、ドレスに感謝するチキの笑顔はたまらなく愛おしく、思わずその頬に触れる。
「顔がはがれますよ…」
化粧のせいで甘えてくれない。おまけにその化粧はチキには少し濃い。
変装の為だとわかっているが、大人の女を連想させるような化粧で会場内を歩けば、男共が寄ってくるのは目に見えている。
ただでさえチキは小さく華奢で、どこかはかなげな雰囲気を持っているのだ。
(彼女を手に入れ、組み敷きたいと思う男はおそらく自分の他にも)
嫉妬と共に浮かんだ考えは、まさに自分の偽りない心だった。
一瞬愕然とし、しかし、すぐに「そうか」と理解できた。
チキの唇に降れる指先がジンと痺れる、
「どうかしてるな、俺は」
チキはまだ子供だ。わかっている。だが、自分は彼女を愛しく感じ、欲しいと思ったのだ。
貪るように唇を重ね、それに応え、目を潤ませるチキに煽られてわずかばかりに理性のタガを外す。
(俺は、チキを…)
いまだ感じたことのない切なく甘い感情に溺れながら、ユリウスは漠然とした不安に苛まれ、深く口づけを繰り返すのだった。




