20羽 敵は巻き込むべし
「ただいま帰りました~っ」
チキとエマはナターシャの宿の一部屋をとってしばらくじっとしていたが、階下から聞こえてきた声にすぐさま部屋を飛び出すと、一階の食堂へと駆け込んだ。
「お帰りなさいっテレサ、ハロルドッ」
二人はフードを外し、マントをとると、チキとエマに借りていた身分証明書を渡す。
「どうでした?」
チキがキラキラした目で問いかければ、エマと同じぐらいの身長の宿の息子ハロルドは頷いてチキの頭を撫でた。つまり、作戦は成功したのである。
「やったっ」
チキが素で喜んでいると、女将のナターシャも現れてにこにこ微笑んでいる。
この作戦はナターシャがいなければ考えつかなかったろう。
全容としてはこうだ。
まず、ナターシャが言うには、騎士の試験の申請自体は本人でなくても行うことができるということだった。これは時々申請に行けない人間が出るためにできるようになったということで、申請は本人を確認できる身分証が提示されれば受付受理されるらしい。その時身分証を持っていくものが全く別の者でも問題はなく、登録されるのは持ち込まれた身分証だということだ。
ここでいたずらをして他人の身分証を提示、という事件が起きるかとも思われるが、その場合はその身分証の持ち主から辿っていき、いたずらをしたものを割り出して罰を科す制度になっているそうで、その罰が存外重いためにすでに数人がそれをして二度とやらなくなったという。
罰については噂が噂を呼んでどれが真実かはわからないが、自分が絶対嫌だと思うようなものになっていることは確かなようだ。
そういうわけで、今回は身分証を託してハロルドと食堂のウェイトレスのテレサに行ってもらうことになった。たとえ追手に顔を確認されても本人ではないので逃れられるし、確実に登録ができるのでこの方がいいということで、本物の二人は宿屋で待つことにしたのだ。
「単純な作戦の方がうまくいくものさ」
ナターシャの言うとおりである。
チキとエマはとにかく逃げて、逃げて、こっそり登録を行おうという作戦でもない作戦だった。だから、登録中にばれて取り消される可能性が大だったのだ。
「これでとりあえずは」
チキがほっとして息を吐きつつ呟けば
「安心ですかお嬢様?」
低い声がかけられ、チキはびくぅっと体を震わせて振り返ると、そこに立つのは呆れたような表情を浮かべた追手のギルバート。それと、二人ほど追加で男達がくっついている。彼等も追手だろう。
「ギル…」
すかさずエマが傍に立ち、ギルバートを睨みつけた。
「お嬢様に危害は加えさせませんよギル」
「人を悪人のように言うのはやめてほしいなエマ。どちらかと言えば今は君の方が悪人なんだよね。ロラン様の命を破ってお嬢様と飛び出し、お嬢様を危険にさらすなんて」
矢継ぎ早に攻め立てるギルバートに、エマが「うっ」とか「うぅっ」と呻いて反撃できないでいる。だが、これにはチキの方が反論する。
「ギルッ、これはチキが」
「ええ、お嬢様が何やら計画を立てて始めたのですからお嬢様の罪は重いですよ。何より今回はロラン様をも苦しめていかれましたからね。きっちりそこのところは吐いていただきます」
チキも「うっ」と呻いて一歩後ずさると、まるでリチャードを彷彿とさせるような黒いオーラを纏ったギルバートが、一歩一歩、ことさらにゆっくりと近づき、その顔にぞっとするような笑みを浮かべていた。
これはかなり怒っている。
逆らったらリチャードとタッグを組んで何するかわからないかもっ
だらだらと流れる汗をそのままに、チキはギルバートを睨み見上げると、彼はその視線を「いい度胸」と言いたげににこりと…チキにはにやりと見えたが…微笑み、チキを壁に追い詰め、両手をチキの顔の横について逃げられないように囲んだ。
「髪を切って脱走したうえ、騎士の試験に登録申請した理由を聞かせていただきましょうか?」
ばれてるー!
チキとエマはたがいに視線を絡ませ、だらだらと冷や汗を流す。
「そ、それは…」
「わざわざそちらのお二方に頼んで申請されておりましたが、見抜けないとでも?」
「だっ、だって…チキは…」
チキがハクハクと口を動かして反論を試みるが、リチャード仕込みの気迫にすでに呑まれていて何も言葉が出てこない。
エマも同様にどうにかしなくてはと思っているようで手を伸ばしては引っ込めるという動作を何度もしているが、行動に移せていない。
ギルバートはおろおろするチキをしばらく観察した後、手をどけて大きく息を吐き出した。
「どうせユリウス様の横に立ちたいとかそういう不純な動機でしょう?」
ビシッとチキの額に青筋が入り、エマが「あ」と口にする。
すでにスイッチの入ったチキはがばっと顔を上げ、ビシリッとギルバートを指さした。
「不純てひどい! ギルなんて彼女もいないドーテーのくせに!」
エマが「ひぃぃぃっ」と悲鳴を上げ、追手の二人組の男が苦笑し、ギルバートと言えば、雷に打たれたように固まる。
互いに言ってはいけない地雷を踏んだ。
「そういうことを言うのはどの口だ?」
みにょんっと頬を引っ張られ、チキはぶいぶい言いながら抵抗を試みるが、身長の差と実力差が邪魔をして蹴りもパンチも届かない。
そんな様子をエマはハラハラと見つめ、突然始まった子供の喧嘩に周りの大人達はただただ見物を決め込む。
「ふんだー、チキ知ってるもん。ギルは礼儀作法のイザベラ先生に迫って玉砕したってー。年増好きだってロランが言ってた」
「ロラン様っっ」
ガクリとギルバートは項垂れる。
年増好きと言ってもイザベラは男心をくすぐる堅物女子だ。中身がダイナマイトボディなのに隙のない服装でがっちり固めた姿は攻略せずにはいられないと護衛達の間で評判だ。ただ、護衛達はすでに25過ぎばかりで30歳のイザベラに迫ってもおかしくないが、18歳のまだまだ子供なギルバートが迫るとどうしても笑いが起きる、というのは使用人達の言葉だ。
ちなみにエマも時々その様子を目撃しており、つり合いのとれなさ加減と、イザベラの徹底的なお子ちゃまあしらいについつい笑ってしまうことが何度かあった。
思い出してふっと吹き出すと、ギルバートに睨まれる。
「お言葉にはご注意くださいお嬢様、地が出てますよ。とてもじゃないですがユリウス様に相応しい令嬢の言葉づかいではありませんね」
「おぉっ、反撃」
外野が面白そうに声を放つ。
チキはうっと一瞬ひるんだが、ユリウスの名前が出れば無敵だ。顔を上げ、つんと顎を上げて応える。
「そのような狭量な男ではありませんわ。大体なんです、女性の後を追い掛け回して恋路を邪魔しようなんて男の風上にも置けなくてよ」
エマが「そうだそうだー」とチキの後押しをすると、ギルバートに再びギラリと睨まれて首を竦める。
「騎士試験と恋路は関係ありませんよ。大体婚約を済ませておいででしょう。お嬢様に何の心変わりもなければそのまま結婚するのですから騎士になる必要などありません」
「大切な人を傍で守りたいと思って何が悪いのです!」
すかさず叫んだチキに周り中の男が口笛を吹き、ナターシャがうんうんと腕を組んで頷く。
「あなたは私より弱いのに?」
ギルバートの言葉にカチンッと来たが、チキはそこでふと思いついて不敵に笑う。
「そこまで言うなら試してみようではありませんか。ギル、あなたも騎士の申請をなさい。そこで勝負しましょう!」
「いいでしょう!…あ」
チキがにやりと微笑み、追手が「あちゃ~」と額に手を当て、エマが「よしっ」と拳を握る。
リチャードの秘蔵っ子と言えど、まだ18歳。詰めが甘い。
チキはぐるりとその場にいる大人達を見ると、ギルバートに向き直ってお嬢様然とした微笑みを浮かべた。
「ここにいる皆様が証人でしてよ? 二言御座いませんわね?」
ギルバートは熱くなった自分を反省しつつ、「やられたっ」と呻いたあと、不服そうに唸りながらも頷いた。
あまり事情を知らない見物人達からもわっと声が上がり、拍手が広がる。
チキは今度こそ素の自分でニカリとほほ笑むと、エマと手を叩きあった。
これで、ギルバートも騎士計画参入で敵はこれを聞いた二人の追手だけである。
ぎろりと睨みつけると、二人の大人は面白そうだからと笑い、黙っててくれることになった。
「よしっ、チキは騎士になるぞ~」
拳を固めて天に振り上げれば、周りからわ~っと拍手がわく。だが、その姿にエマが一言。
「地が出てますよお嬢様」
ギクッとするチキにギルが一言
「どうせ見た目が少年だから誰も気にしませんよ。だんだん女らしさから離れてますよね、うちのお嬢様は」
と告げて二人でうんうんと頷きあう。
チキはガクリと膝をついて項垂れた。
チキに厳しい友人兼臣下達なのであった・・・・。




