19羽 計画中
鉄の盆、皿、椅子に花瓶など、あらゆるものが宙を飛び、チキが避けるたびに店の男達が被害にあっていく姿に、さすがに驚いた厨房内の息子が飛び出してきて女将を羽交い絞めしたところでようやく騒ぎが収まった。
だが、店内は大荒れ。客の中には脅えて逃げ出したものもいる。そして、面倒なことにここにも警備兵があらわれ、チキは危うくお縄になるところであった。
「全部…アタシの勘違いだったのかい…」
女将ことナターシャはどうやらジェームズにチキのことを話された際とんでもない誤解を抱いたらしく、息子がどれほど取り成してもガンとして話を聞き入れなかったのだという。
よって、夫であるジェームズは泣く泣く村へと帰って行き、ナターシャの気が落ち着いた頃きちんと話そうと息子が考えていたところで本日の騒ぎとなったようだ。
一体ジェームズはどんな説明をしたのか、とチキは微笑みながらも額に青筋を立てている。
ナターシャはひどく落ち込んでうつむき、椅子に腰かけたまま動かない。
息子は警備兵に経緯を話して帰ってもらった後、ようやく席に着いた。
「改めて母が大変失礼なことをいたしました。申し訳ありません」
ジェームズの息子ハロルドは、29歳になる料理好きの青年だ。王都で一旗揚げると宣言した母を支え、学び舎で何年か学んだ後は、趣味であった料理の道に入った。
今現在は馬の尻尾亭の料理人の一人である。
顔立ちは美人の母親に似ているが、髪の色や眼の色がジェームズと同じで茶髪に青い瞳だ。時々はにかむ表情がジェームズに似ている。
「大公爵様の姫君に失礼をしちまって本当に申し訳ないっっ」
ナターシャも我に返ってテーブルに額を擦り付け謝る。それを、チキは必死に止めてようやく落ち着いたのは大騒ぎから一時間後ぐらい後だ。
店の店員総出で店内を片づけ、今は昼食の時間も過ぎたので店は閑散としている。ここは宿屋も兼ねているので、時折宿である階上から人が現れて外に出ていく。それを見送りつつ、ナターシャはようやくここにきてジェームズの言いたかったことの説明を息子にしてもらった。
「信じられない話だよ。うちのあのロクデナシが山賊に襲われて馬車を無くしたお嬢様とロラン様を助けたなんて」
そういうことになっているのかとチキはうんうんと頷く。
「それで、お嬢様は町を自由に歩きたいと屋敷を抜け出すような方だからもし泊る所に困ってたら助けてやってほしいって…本当にお嬢様なのかい? 貴族のお姫様は家から出ないと思ってたんだけど」
「町を自由に歩きたいというか、ちょっとやりたいことがあって協力をしていただきたかったんです」
にこにことほほ笑みながらチキはお嬢様風を装って話す。
こういう時はチキが何か企んでいる時なので、エマはできるだけ口は挟まず成り行きを見守るのである。その際、ぼろが出ないよう澄ました表情を崩さないのが必須条件だ。
「やりたいこと?」
「はい。実はですね…」
チキは騎士になろう計画を話し、ナターシャは初め貴族のお嬢様ならば遊びだろうと思っていた話を聞いていくにつれ、次第に熱が入りだす。
元々ナターシャは女だって強くあるべきだというのが持論だ。チキのようなぶっ飛んだやり方は自分には出来ないが、それを実行する者がいるとなれば協力は惜しまないつもりだった。
「よぉくわかった! そういうことならここを家にしてくれて構わないよっ」
チキは目を輝かせる。
騎士になろう計画には、仲間内に自分が誰の子供であるか秘密にするための生活住居の確保が必要だったのだ。
人間の友達制度には家に招くというものがあるので(思い込み)、チキは気軽に招ける「自分の家」が必要だったのである。それを髪を切った代金と、今後出るであろう給料とで何とか賄おうとしていたが、ナターシャが申し出てくれたことで何とかその問題がクリアできるというわけである。
「じゃあ、後は騎士試験の申請だね」
「そうです。追手に気付かれないよう何とか登録しないと」
ナターシャは腕を組んでう~んと悩んだ後、パンッと両手を合わせた。
「それならいい手があるよ!」
チキとエマはナターシャの案を聞くためにぐっと身を乗り出した。
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ざわざわと人々のざわめく町中で、チキとエマの追手であるギルバートは建物の陰から小さな宿屋兼食堂を見ていた。
二人が中にいるのは知っている。何しろチキのいくところトラブルありで、ここでも少し前に警備兵が出入りするような騒ぎがあったのだ。ただ、今回は誤解があっての騒ぎだったようだが。
「ギルバート、悪い、遅くなった」
30分ほど隠れていると、そこにロランの放った追手が数人合流してきた。門番にしてきた伝言はきちんと機能したらしい。合流場所はいくつか提示してきたのでその分遅くなったのだろう。
「問題ないですよ。お嬢様はジェームズさんの宿の中です」
「なんだ、お嬢は宿をつきとめたのか」
「誰かに聞いた様子はなかったので偶然入ったというところでしょうか」
「相変わらず運がいいなぁ」
ギルバートは頷く。
追手の言うようにチキはとても運がいい。それこそわざとやっているのではないかというほどあらゆるトラブルが起きるのに、そのどれもがチキのいいように動くのだ。
ここにいる追手にしても、本来ならギルバートと共に王都入りするはずだった。しかし、チキ達が通り過ぎた後にすれ違った馬車が壊れ、乗っていた者が子供と老人だったために追手の数人が彼等を救うために足止めされたのだ。そのせいで王都より手前で捕まえるはずがまんまと王都に入られてしまっている。
そして、ジェームズの宿もチキは人に尋ねることなく辿り着いた。
「魔法生物の特典かな」
「あん?、なんか言ったか?」
ぼそりと呟いたので聞こえなかったのだろう。男が怪訝そうに振り向くのに対し、ギルバートは首を横に振った。
「あ、二人組が出てくるぜ」
建物の陰から完全に出ている男の一人の襟首を別の男が引っ張り込み、ギルバート含む三人の男が狭苦しい建物の隙間から宿の方へ目をやれば、背の高い人物と小柄な人物がマントに身を包み、顔を隠してこそこそと宿から出てくる。その際厩舎にある見事な軍馬を引き連れて行ったので、二人の男が振り返った。
「お嬢とエマだな」
「後を追う」
ギルバートはわずかな違和感を感じて二人を引き留めると、とりあえず追うだけにして何をしていたかだけ見てほしいと頼んだ。
「お前は?」
ギルバートは問われて宿屋を指さす。
「少し聞き込みを」
「わかった。お嬢の確保はいつにするかだけ決めてくれ」
「では、夕刻にしましょう」
二人の男は『了解』と告げてフードの人物の後を追っていった。
だが、それを見送ったギルバートには確信があった。あれはチキとエマではない。
チキは体重も軽く身軽なため、どんな場所でもあまり足音を立てない。靴が変わったとしてもそれは変わらないのだ。だが、あの小柄な人物は宿の出口を出て小さな段を降りるのに足音を立てた。
そして、大柄なエマだが、確かに身長は高いが、彼女は細い。しかし、あのフードの人物はよく見れば体格がいい人物でがっしりしていた。おそらく中身は男ではないだろうかと思うのだ。
だが、どちらもどういう経緯があってか、二人の協力者のように見えた。とういうことは、いつものようにチキの悪知恵が働いているのかもしれない。
ギルバートはチキならどう動くかと考え、しばらくすると、動き出したのだった。




