53 アンナ、現実を知る
「いや~、良い商談でした」
「いやいや、俺はさ、アンナの課外授業についてきたんだけど、トーマス叔父さんのせいですっかり見逃したよ」
「これも領主の役目ですな」
「次期……だけどね」
確かに領主ともなれば自分の興味よりも、領全体を優先しなきゃだけどさ、まだ次期であって領主ではないはずなんだけどなぁ。
「……お兄様」
「おぉっ!? アンナ……どうした?」
やべえ、トーマス叔父さんとのじゃれあいで完全にアンナが傍にいることに気づかなかったよ。
っていうか、なんか落ち込んでるんだが……どうしたんだ?
「お兄様、平民ってみんなこうなのですの?」
「? よくわからんが、なにかされたのか? 邪魔するなって怒鳴られたとか、頭をポカリとやられたとか」
「マックス、ウチの従業員がそんな無作法するわけないでしょ!」
「ですよね。わかってますよ、ユリア姉さん」
「違うんですの。……お兄様、ここの従業員はお兄様くらいの年齢の方が立派にお客様に対応して、私と同じくらいの年齢の子が商品の名前や数の数え方をお勉強していましたの」
うん、アンナの言うことはそれはそうだろう。
この世界には労働基準法なんてものはないし、子供も立派な労働力だ。
なにより、商人という特殊な職業に着こうと思えばそれ相応の努力をしなければならない。
「アンナ、それは当たり前のことだろう? 商品の名前も知らない、お釣りの計算もできない、そんな人間は商人として生きていくことは出来ない」
「でも、こんな小さなころから……」
「……アンナ。わかっているだろう? 自分の我を通すためには力が必要だ。……ユリア姉さん、ここの子供たちは?」
「裏にいる子たちは農民の子供たちだね。畑を継げないから商人になりたいって子たちだよ」
「農民の子なのに畑を継げないんですの?」
「アンナもそうだろう? 俺がいるからゲルハルディ領の領主を継ぐことは出来ない……貴族として生きることは出来るけどね」
そう、これは平民だろうと貴族だろうと変わりはない。
家を継げるのは限られた人間で、それ以外の人間は家を継ぐ以外の生き方を考えなければならない。
ま、俺から言わせてもらえれば、継ぐことが決まってるからって努力を怠る理由にはならないし、努力を怠れば跡継ぎから外されるから苦労は一緒だけどね。
「……でも、平民の子供は遊んで暮らしてるって……」
「それも真実だよ。貴族にはそれ相応の教育が課され、生活そのものが勉強と言っても過言ではない。俺もレナも苦労をして今日まで生きてきた」
「では、やっぱり貴族の方が大変ですの?」
「それはアンナが最後まで課外授業を受けて、それから考えることだよ」
「……わかりましたわ」
まあ、自分でもひどいことをしている自覚はある。
相手のことを考えれば、問答無用で勉強させて、なにがなんでも貴族として生きさせるのが簡単だろう。
でもそうして育てられて人間は往々にして他人の苦労を知らず、自分ばかりが大変だと思いがちだ。
アンナにはそんな人間に育ってほしくないし、それは父上も母上も、レナも教師も、ユリア叔母さんもトーマス叔父さんも同じ思いだ。
「じゃあ、課外授業を続けようか。今日はまだまだ行くところがいっぱいだからな」
「そうそう、ウチはまだまだ序の口。ここで働いているのは平民の中でも上流階級だからね」
「……これより大変な人が?」
「そりゃあそうだよ。ウチで働いている人やアンドレ商会で働いている人は、身なりに気が使えて将来のためにお金を使える人たちだからね」
アンナの世界はゲルハルディ家の屋敷で完結しているから、貴族であり主でもある家族と、それに仕える使用人しかいない。
だから、平民と言えば使用人で、それよりもひどい生活をしている人など見たこともないだろう。
「……少し怖いですわ」
「ま、大変と言ってもそれも人それぞれ。お金がなくても自由がある方が良い人もいれば、自由なんていらないから明日の食料の心配をしない方が良い人もいる」
この辺は前世と全く変わりないな。前世でもフリーターで良いから趣味や遊びの時間が欲しいって人もいれば、老後に遊んで暮らすために若いうちは体力の続く限り無理するって人もいたし。
俺としては、ほどほどが良いけどね。ほどほどに頑張って、ほどほどに趣味の時間を持って、それで親しい人たちと笑って暮らせればそれが良い。




