第22話 両論併記
社内審査を経た報告書はクライアントであるNR北への正式な報告会前に、NR北の内部調整を経て、最終報告書として提出される。
ふつうはメールと電話で確認するだけで済むのだが、今回は鷹取社長の裁定でスジの悪い梁田案が割り込んで来ているため、調査経過と結論が支離滅裂になってしまっている。
一方、多田部長との件は気にするなと笑って異動に応じた山崎さんの行方は、杳として知れない。
船橋部長も、社内にいるはずの梁田氏と山崎さんの状況が分からないようだ。
報告会の日も迫るなか、慎重を期して、私とシャロンは最終報告書の説明のため姫川社長を訪問したのだが、この説明が意外に難航した。
「椎野課長、前回の聞き取り調査の時にあなたがいみじくも指摘したとおり、取締役は皆、自分の目の前しか見えていないようだ。お恥ずかしい限りだ。そこで頼りになるのが御社の報告書なのだが、砂田常務でさえ反論できなかったあなたの意見は、この報告書の中で言う『プランA』と『プランB』のどちらなんだ」
予想はしていたことだが、改めて言われると結論が二つある報告書というのは読み手を混乱させる。
「私の意見は報告書にある通りですよ。
プランAは現状から時計を少し早めて、将来絵図を先取りするものです。
『第三者』にと書いてありますが、日本で新幹線を運行できる事業者は御社を除くと4社しかありませんので自明でしょう。
それに対してプランBは、現状維持です。
醜く足掻いて、NR貨物や鉄建公団を巻き込んで現状を維持しようとするものです。
鉄道事業を縮小均衡させようとするなら、プランAを、鉄道事業を維持しようとするなら、プランBを選択して下さい」
説明しながらも、何か自分の気持の中で違和感を禁じ得ないでいた。
報告書に結論が2つあることで、実際の選択肢は3つになる。
プランAか、プランBか、どちらも採らずに現状の中期経営計画『砂田プラン』を推進するか、だ。
プランAが『砂田プラン』と変わらないなら、提示しないのが筋だ。
報告書に両論併記して議論が紛糾することで、漁夫の利を得るのは社内で練り上げられた『砂田プラン』ということになってしまう。
「内容は分かっているが、なぜ、方向性の違うプランを2つ示しているのかわからない。
我々、会社経営者にとって、経営というのは判断の連続だ。
大局を見誤り、重要な判断を間違えると取り返しがつかない。
今、NR北日本は大きな岐路に立たされているんだ」
私は、姫川社長の言葉を聞きながら、この人は優秀な部類の経営者なのだろうと思っていた。
目の前の選択肢を見ただけで、これが会社にとってどれほど重要で、その選択によって、何を得て、何を失うのか。
それを的確に『大きな岐路』と捉えているのは、その片鱗の証だろう。
あとは、何を理由に選択をするのか、姫川イズムが存在するなら、そこに彼の経営哲学が存在するに違いない。
姫川社長は、報告書を机において話を続ける。
「君の言うプランAは砂田常務が進める経営計画に事業譲渡を付け加えたようなものだ。
状況を放置するという選択肢の先にはプランAがある。
それに対してプランBはいろいろな人を巻き込む。
NR貨物や鉄建公団には、私の国営鉄道の同期もいる。
特に上場を目標に頑張っているNR貨物にとって、我々との提携はマイナス以外の何物でもない。
NR北の業容は非常に厳しいものだ。
とても、一緒に苦労してくれと言えるものじゃない。
椎野課長。この点、アドバイザーとして両論併記は『逃げ』だ。
あなたの意見はそうじゃないでしょう」
姫川社長は言い終えると、腕組みをしてシワの刻まれた下顎を擦る。
「すみません、姫川社長。
しかし、経営を数字で諦めてしまわれるか、苦しい判断をなさるか、そこの論点整理をすることこそが我々アドバイザーの仕事です。
軽々に、経営判断にまでは踏み込めません。
他人に迷惑をかけず、人の良い経営者を気取りたければ、7000人の従業員とその家族を犠牲にしてプランAを選んで下さい。
鉄建公団やNR貨物にいらっしゃる同期の方や、その従業員を巻き込んで、世間から厳しい評価を下されようと、北海道の鉄道事業を守るつもりならプランBを選んで下さい。
友人も大切でしょうし、ご家族も大切でしょう。
ただ……私には、まだ家族もありませんし、友人とは入社以来、忙しくて連絡もろくに取っていない有様です。
こんな私が、姫川社長に何かアドバイス差し上げるような資格はありません」
シャロンが持っていたペンで私を小突いて「言い過ぎ」と非難するが、私の仕事は選択肢の提示までで、決断するのは社長の仕事だ。
何度も言うよううだが、私は自分の仕事をしない人間は嫌いである。
私は、早々に逃げ支度を始めるが、姫川社長は簡単には離してくれない。
「ああ、そう言えば、お父様をガンで早くに亡くされていたんでしたね」姫川社長は少し腫れ物を触るかのような扱いで少し時間をおいて言う。「椎野課長、包み隠さず言いましょう。NR北が採るべきは、プランBでしょう……だが、社の方針はプランAにならざるをえないでしょう」
「それは、なぜですか?」
「社長の私が決めたと言っても取締役会は多数決です。
砂田常務を始めとして鉄道事業本部の支社長3人の取締役はプランAを支持するでしょう。
仮に票決で私が黒岩以下、残りの4票をまとめたとして、砂田常務は豊田会長の一番弟子のような存在でしたから、結果は4対5でしょう」
シャロンが先週話していた、高校野球最高の試合のスコアが『4対3』だと言う話が頭をよぎる。
もちろん、役員会では勝たなくては意味がない。
しかし、姫川社長の話では『4対5』の負けということだ。
先週、道庁を訪問した時に黒岩事業開発本部長が話していた砂田派5票、中間派1票、姫川派3票の話だろう。
自称中間派の黒岩取締役の票が、まったくキャスティング・ボートになっていないところが残念なのだが、当の黒岩取締役が、わざわざ必要もないのに、それに言及するところに引っかかりを覚えていた。
「社長、いま、黒岩本部長は社内にいらっしゃいますか」
「黒岩ならおりますが、こちらに呼びましょうか」
姫川社長が秘書に言うと、ものの五分で黒岩事業開発本部長が社長室に現れる。
「失礼します」
「黒岩君、ダリルリンチの椎野課長だ。来月取締役会に諮る報告書を持ってきてくれている」
「黒岩本部長、その節はどうも」
立ち上がって一礼すると、シャロンも気づいて立ち上がる。
なぜか、今日は口数の少ない黒岩本部長が、報告書の結論部分だけを丁寧に読み終えると、鋭い眼光を私に向ける。
「椎野課長、プランAというのはプランBに優先するということですか?」
「いいえ、単に仮称です。『甲乙』でも、『①②』でも構いません」
「しかし、『第三者』と伏せ字にしてありますが実態は『NR東』、プランAは砂田常務、プランBは姫川社長の腹案でしょう。
椎野課長、これは我が社の各取締役に踏み絵を踏ませるおつもりですか?」
今日の黒岩本部長は、ご機嫌斜めのようで、中間派と言うより砂田派といった印象だ。
「その点については皆様の御議論に任せます。ですが、その余地無く、5対4だろうという話もあります」
「いや、もっと大差に化けるでしょう。プランBに与する取締役4票のうち、姫川社長が本部長だったときに取締役に引き上げた入木鉄道事業本部総務部長、そして、松崎経営企画部長ですが、負けを悟ると2人は棄権するか、プランAに4票入った時点で2人共プランAの賛成に回るでしょう。
和をもって貴しとなす、と言えば聞こえは良いでしょうが、誰しも勝ち馬に乗りたいと思うものですからね」
「なるほど、分かります。しかし、今のお話、『4票入った時点で』ではなく、『5票』の間違いではないのですか?」
「いや、『5票』じゃなくて『4票』です。
豊田会長は取締役会議長ですので、規則上、最初は採決に加わりませんが、賛否同数の時に限って議長票を投じます。
つまり、最初にA=4票、B=4票で同数になると、豊田会長がAに票を投じて5対4になります」
「なるほど、手順を聞くと、プランAは4票集めた時点で勝利が確定するわけですか……参りましたね。
しかし、一方の砂田常務派も万全というわけではないでしょう。そうでなければ、すでにこの問題は社外に出る前にゴリ押されて消えていそうなものです。
おそらく、NR北のプロパーの方で砂田常務のプランAに疑問をお持ちの方がいないとも限らないでしょう」
「残念ながら、砂田常務は豊田会長の一番弟子のような存在です。
そして、砂田常務の子飼いの貞本旭川支社長も同じくNR東部日本からの出向組。ここまでは一枚岩です。
さらに、NR北プロパーの猿田函館支社長、新田釧路支社長は豊田、砂田に目をかけられて今の地位がある。しかも、保身に汲々としていて砂田の顔色を窺うことしかしない人間ですよ。
とても会社の危機に自分の地位を捨ててまで、会社のことを考えるような気骨の持ち主ではありません」
隣りにいる姫川社長が黒岩氏の話を否定しないということは、猿田、新田の支社長に期待するのは酷ということだろう。
「でも、黒岩本部長としては諦めているようには見えませんでしたが」
私が、黒岩本部長の顔を見て言うと、少し笑みを含んだ顔で言う。
「道産子として言わせてもらえれば、報告書の『第三者』という見え見えの伏せ字が気に入らないんです。
『NR東部日本』と書いて貰えれば、対立するNR北日本のプロパー役員に万に一つの可能性でも、愛社精神に訴える部分が出るかもしれないと思うのですが、可能でしょうか」
「どの程度の成算がおありなのかはわかりませんが、御社の要請であれば可能です。ご要請のメールを頂ければ最終版の報告書ファイルを折り返しお送りいたします」
本当にそんなことでいいのだろうか。これでプランBが通れば万々歳なのだが、黒岩本部長の策略にはめられて姫川社長が泣きの憂き目に会うのも忍びない。
しかし、最終的に姫川社長がこのように言う。
「椎野課長、要請のメールは私が出しましょう。取締役会の招集手続きもあるので、なるべく早くお願いします」
NR北を出て、気がつくと、札幌駅ビルの回転寿司の店にいる。
空港に行くまでの時間調整には持って来い、というところで店の策略にはまっているのかもしれない。
「かちょー、実はですね、なんと、姫川社長と黒岩取締役って出身大学が同じなんですよ」
「姫川社長は確か北大だよな」
「正解。しかも、お二人、法学部卒まで同じなんです」
「でも、10歳以上離れていると、先輩後輩なんて連帯感は微妙じゃないか?」
私が、懐疑的に言うとシャロンはそんな問題じゃないとでも言いたげな雰囲気だ。
「北大法学学士号の看板に偽りはありませんよ。そして、今回の件が4対3だということも私は信じています」
なるほど、シャロンとしては猿田、新田の両取締役の心変わりと、それに憤った砂田常務が退席するとか言う超高難度の着地点を探し出したのだろうか。
否、閉鎖的なNR北日本のマネジメントに期待するには無理があり過ぎる。しかも、砂田常務はプランAを推進している張本人だ。断じて賛成票を投じることだろう。
4対4でさえ危ういと言うのに、6対2という黒岩取締役の話を聞くと、なにか砂田常務の策に嵌っているようで、なんともやるせない気分になる。
帰りに勘定書を見て割り勘にしようと提案しようとした時には、シャロンは既に店の前まで出て、私にご馳走様してもらい有難うございましたと言わんばかりの場所にいる。
なるほど、今のところ私はなぜか、シャロンの深謀遠慮に捉えられているのは間違いないようだ。
※取締役会……代表取締役の選解任権を持つ、取締役を取り締まる会議。社長と取締役会、どちらが偉いかというと取締役会だが、権限と責任は驚くほど社長に集中する。
※御社の要請であれば可能……報告書の内容を勝手に改竄した梁田氏と、会社の承諾を経て修正するのは、まったく次元の違うお話になる。[関連]コンフリクト




