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北日本旅客鉄道の行方 ~孜々営々のハイエナ~  作者: 錦坂茶寮
Ⅱ.銀証烈烈 〜北日本旅客鉄道篇〜
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第15話 上下分離

「はい、どうぞ」

 月曜の朝、出社するやいなや、シャロンがとびきりのキメ顔で資料を出してくる。


「これは?」

 角2サイズのみすず証券の封筒に入った資料を横目に見ながら尋ねる。


「船橋部長から預かりました。ダリルリンチ・グローバー証券の社長が持っていた資料のようですよ」シャロンは私の顔から視線を移しながら、婉曲な表現をすました感じで言う。「なぜか、みすず証券の方を通じて手に入れたようです」


『NR北日本の経営支援策、上下分離方式の検討について、国交省資料……関係者限り』

 なんだか、見てはいけない資料のような気がするが、船橋課長が曰く付きで手に入れた資料だ。

 読まなくてはいけない気がする。


 資料の内容は、NR北日本を上下分離方式によって、線路、電路、保線の費用を自治体負担に付け替えた上で、自治体に対しては、国からの地方交付税特別交付金措置でこれら費用の半額を負担するという、稀有壮大な資金支援スキームだ。


 ただ、この方式のデメリットとして、自治体負担分をNR北日本、NR貨物に請求させる割合が、従来の『アボイダブルコスト方式』ではなく、『便益按分方式』となり、NR貨物・鉄建公団の経営を圧迫する可能性がある、とわざわざ大書してある。

 おそらく、鉄建公団の関係者に配慮しての記載だろうが、政策的に上下分離を実行したいのか、したくないのか分らないようにしている点が霞ヶ関流だ。


 最後のページには、資料の作成に携わった国交省のワーキンググループの電話番号と北海道庁交通政策局交通計画課の文字が見て取れる。


「シャロン、突破口が見えたぞ」

 私が言うと、シャロンはキョトンとしている。


「NR北が破綻すると困るプレイヤーをようやく見つけた」

「それは、かちょーのことですか?」


「私じゃない。この資料に書いてある。ちゃんと読め」

 口をぽかんと開けたシャロンを置いて、私は、資料を持って経営企画室に駆け上がる。


 幸い、船橋部長はミーティングから出てきたばかりで、ちょうど時間をとってもらえた。

「NR北とNR貨物の統合の取っ掛かりを見つけました」


 船橋部長は嬉しそうに言う。

「おっ、早速、例の資料を見たな」

「はい、NR北の救済策のネックになっている二つの問題、寒冷地の保線費用と新幹線開通後の青函トンネル利用問題、この両方に絡むNR貨物を巻き込まないと出口は見えません」


「しかし、NR貨物はウンと言わんだろう。彼らもNR九州の次は自分の番と、株式上場も視野に入れているらしいからなあ」

「そんな、NR各社に迷惑をかけてる『鬼っ子』が上場を云々するなんて片腹痛いですよ。実態を晒せば貨物の業績が不安定で大赤字なのは一目瞭然です」


 私のスキームについて、船橋部長は資本市場の観点からチェックを入れる。

「しかし、そうすると『経営危機』のNR北と『実質大赤字』のNR貨物とを統合させる結果になるな。ワーストディール確定だぞ」


「おっしゃる通り、上下分離を実行しない限り、民営事業として両社の事業は成り立ちません。今回、新幹線にご執心の鷹取社長や梁田さんには、この資料の上下分離の本当の意味が理解できなかったようです」


「しかし、資本市場で解決できない問題はダリルリンチの手に余る。それこそ、上下分離を認めるという自治体の政治決断に委ねるしかないんじゃないか」


「船橋部長、政治の手に委ねる前に鉄建公団に根回しをお願いできますか。もし、NR北が上下分離の決定をした場合にNR貨物に生じる線路使用料についてアボイダブルコスト調整金の支給を続けるということで結構ですので」


「鉄建公団と言えば、国交省か。内容的にはノーアクションレターに近いサウンディングだな。向こうも想定事項だから回答ぐらい用意しているだろう。だが、上下分離は線路保有会社である自治体が保有するというのが前提だ。自治体の合意アグリーメントは取れるのか?」


「いいえ、これからですが、道庁も何とかしたいようですので、かけあってみます」

「よし、国交省には私の大学の同期もいる。話をしてみよう」


 船橋部長はそう言うと、早速、メールを飛ばす。私も急ぎ、北海道庁のホームページを見て交通政策局交通計画課のアドレスにアポ取りをする。

 スキームを鷹取社長に回答する期限は今週中に迫っているので、無理押しに押すしか無い。





◇◇◇◇∽◇◇◇◇





 早速、昨日の今日でアポを取り、翌日、シャロンと道庁に向かう。

 目指す交通計画局は、観光パンフでおなじみの赤れんが庁舎の隣、本庁舎3階にある。


 来る前は、寒いだの、急だのとゴネていたシャロンも赤れんが庁舎を見てテンションが上ったのか、不満を口にすることもなくなっていた。


 道庁の3階、交通計画局に着くと対応に出た道庁の馬場課長代理に、ダリルリンチ・グローバー証券としてNR北の再生を検討していることを告げると意外に親身に話を聞いてくれると言う。

 手始めに、私は、国交省のNR北日本支援策の資料を馬場課長代理に見せる。


「ああ、この資料は国交省のワーキンググループのものですね。やはり、『関係者限り』と書いても出回るものですね」

 馬場課長代理はあまり意外に思っていないようで、更に立ち入って訊いてくる。

「ところで、この資料がどうか致しましたか?」


「じつは、この資料で触れられているNR貨物の線路使用料の『アボイダブルコスト方式』について、『便益按分方式』への切替試算が述べられています。いま、決算書を分析する限り、NR北の年間の修繕費と償却費は400億円を超えます。しかし、NR貨物から支払われる線路使用料は年間わずか10億円程度です。貨物と旅客の車両ベースでの運行割合は8:2に達する路線があることを考えると余りにも不合理です。NR北の再生には、NR貨物への応分の負担を求める必要があります」


「椎野さん、道としましても、ことあるごとに『アボイダブルコスト方式』の見直しを申し入れています。ただ、NR貨物さんもいきなり400億円の半分、いや、その半分の100億円でも負担しろと言われると、たちまち経営が行き詰まります。NR貨物の破綻は、道経済を支える貨物輸送会社の破綻を意味するので、私どもとしましても簡単に論じられても困るんです」


 道庁の馬場課長代理の説明に納得の行かないシャロンは言う。


「すみません、横から失礼します。NR貨物は自由競争の物流業界のプレイヤーの一社に過ぎませんよね。そこが立ち行かなくなるのが、どうして問題なんですか?」


「そ、それは、北海道全体としての多様な運輸形態維持の観点から、鉄道貨物、船便、航空貨物のベストミックスを目指しているんです。荒天時に人貨の輸送がまったく止まることは全道経済にとって脅威です。かつて、洞爺丸遭難事件を契機に国策で青函トンネルを建設したのも荒天時の孤立を恐れたからです。強いて言えば、NR貨物以外に鉄道貨物事業者がいないのが問題なのかと」


 さらに付け加えれば、それを支援するべき北海道の財政も苦しいというのが問題なのだろう。


「ですが、放っておけば、NR北の経営が行き詰まるほうが先です。我々ダリルリンチ・グローバー証券としましては、NR北も、NR貨物も、両社とも潰れてもらっては困る。そういうスキームを考えております。ご理解いただきたいのですが」


「……NR北とNR貨物を統合するなんてことはやめて下さいよ。NR貨物は全国NR7社の問題で、NR北の話とごっちゃにするのは困りますよ。椎野さん」


「誰もそんなことは言ってません、ただ、NR北の破綻は喫緊の課題です。道として万一の場合の対応を確認したいんです。弊社はアドバイザーとしてNR北の破綻を回避するためなら、NR貨物を巻き込んだスキームについて国交省と話をつけるぐらいの覚悟はありますよ」


「スキーム、ですか?」

「そうです。今、NR北には経営資源と呼べるものはありません。

 ただ、株式会社、すなわち営利企業ですので、息絶えるまで事業をする義理はありません。

 ですので、経営健全化のため、会社を分割し、路線を上下分離することを予定しています。

 道は、その際の線路保有会社の株を沿線自治体とともに保有して頂きたいんです。

 そうすれば、道の3セクが晴れて『便益按分方式』でNR貨物に正規の線路使用料を請求できます。

 これはNR北のため、北海道のためでもあるんです」


「ちょ、ちょっと待って下さい」


 課長代理は、席に戻って、課長を呼びに行き、課長は局長を呼びに、局長は交通企画監を呼びに行く。

 あっという間に道庁のナンバー2の交通企画監以下、局長、課長、課長代理が揃い、企画監室に通される。


「田邉企画監、NR北の財務アドバイザーのダリルリンチ・グローバー証券、椎名課長です」

 仰々しい、挨拶のあと、くどいようだが、さっきの説明を今一度、繰り返す。


「繰り返しになりますが、NR北の経営危機には抜本的なレジームチェンジが必要になります。

 そのため、国交省の上下分離の議論を背景に、NR北は日本一大きな旅客専門の第2種鉄道事業者になります。

 そして、日本一大きな貨物専門の第2種鉄道事業者と対等な立場で北海道での正規の線路使用料、残すべき路線、あと、青函トンネルの維持管理と利用について検討していきます」


 そして、私は、最後に道の役割を田邉企画監に依頼する。

「その際、NR北から分離される路線を保有する第3種鉄道事業会社を道の三セクとして面倒を見て頂きたい」


 少し、間が空き、私の緊張が最高潮に達する。

 そこまで聞いていた田邉交通企画監の返答には驚いた。


「いいんじゃないか。そのダリルリンチさんの案で」


 企画官のとなりにいた局長が、驚いて言う。

「企画監、交通政策課でそんな上下分離の下を引き受ける予算なんて取れっこありません。国に負担を求めるのが先でしょう」


 隣で慌てる課長、馬場代理を尻目に、田邉交通企画監は言葉を続ける。


「道庁でも、これまで国交省やNR貨物にアボイダブルコストルールをやめて貨物の負担増を求めてきたが、まったく効果はなかったじゃないか。

 あるべき論を並べても誰もカネを持ってきませんよ。

 実際に路線を道の三セク傘下に収めてNR貨物に請求書を書いて初めてカネになる。

 確か、岩手県の三セク、IGR銀河鉄道さんは、総延長82キロの規模で13億円の請求書をNR貨物に出しているんだ。

 路線1300キロを提供するNR北が10億円しか貰ってないのが歯痒くて仕方がない」


「しかし、NR貨物の経営が困難になると、また道の負担が……」

 なおも、反論しようとする局長を田邉交通企画監は一喝する。


「局長、負担を求めるのか、求めないのかハッキリしましょうよ。

 まず、NR貨物に正規の負担は求めないといけません。私はそう思っている。

 そして、それをNR貨物に請求する。

 そのNR貨物に対して国交省と鉄建公団がウラから調整金を渡すとか言う話は、我々には関係ない。

 我々は道として、NR北の路線の安全を守るために、NR北に修繕資金を確保してやることが第一のはずです」


 田邉交通企画監の言うとおり、IGR銀河鉄道はNRグループから外れることにより、NRグループの不平等条約『アボイダブルコスト方式』から逃れて、『便益按分方式』に切り替えることができた。

 そして、困ったNR貨物は、整備新幹線の都合で貨物の費用負担が増えることは理不尽だとして、国交省に負担増加分を『調整金』名目でNR貨物に交付することを認めさせたのだ。


 NR北を上下分離する究極の理由は、この『調整金』獲得にあると言っても過言ではない。

 局長を黙らせた田邉交通企画監は、返す刀でこちらを向いて言う。

「椎名さん、言っておきますが、道には鉄道技術も資金もない。

 第3種鉄道事業会社のNR北の線路保有会社は人も線路もすべて提供してもらう。

 そして、かかるコストは『便益按分方式』でNR北とNR貨物にすべて請求することになるが、それでいいんだね」


「はい、田邉交通企画監。有難うございます」

 よし、これでNR貨物も動かざるを得ないだろうと、私は頭を下げながらも興奮する。


「しかし、NR北日本を上下分離してもトータルで見ると強化されない。上モノの新鉄道会社を再建するプランはあるんだろうね」

 さすがは、道庁のナンバーツーの交通企画監だ。NR北の再生を考えてきた時間は私の何倍も上だ。その再生の困難さを最も身に沁みて分かっているのが伝わってくる。


「はい、そちらも今、検討を依頼しておりますが……」


「いや、その内容は聞かないことにしようか。専門家のすることに素人は口を挟むものじゃないからね」

「はい、畏れ入ります」


 再び、深々と礼をして、シャロンとともに道庁を出る。

 薄曇りの空の下、タクシーを拾って駅タワービルに向かった。

※赤れんが庁舎……北海道の旧庁舎で庁舎兼観光資源として残されている。国の重要文化財。札幌市主催の雪まつりでの露出も高い。ちなみに、札幌市役所は立派な高層ビルに入っている。


※道……他の都府県でふつうに『県道』と言われても理解できるが、『道道』は違和感があるらしい。また、団体の略称等に『どう』がつくことが多く、『ホク』も見られる。

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