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「一つ質問いいかしら」
リグ・ヴェーダの第一層、ごつごつした岩場が続く荒地のようなD3を歩いている途中で、セルマーが唐突に口を開いた。
「なんだ。退屈ならしりとりでもするか?」
「いえ、そういうのじゃなくて。なんであたしが荷物を担いでるのかしらって思って。あたし、依頼人よね?」
セルマーの背中には、大きな荷袋が背負われていた。言うまでもなく、大半が食料で埋まった、俺たちの荷物だ。
この道は徒歩ならばD7までの近道だが、そのぶんやはり足場が悪い。重たい荷物を背負ってるせいか、セルマーは少し疲れた表情を見せ始めていた。
「そりゃあ、消去法だろ」
「どんな消し方したのかしら」
「俺は護衛。メルティは哨戒。シアンは怪我人」
「敵がいないうちはあなたが持ってもいいと思うのだけれど」
「重いからなぁ……」
「その重いものを女性であるあたしに押し付けるのはどうなのかしら……」
まぁ、それはもっともな意見である。いや、途中までは持ってたんだけどね? 俺が持ってるのをいいことに、胃袋怪獣が食料を奪おうと画策してきたから、ここはセルマーあたりに預けた方が安心かなと考えたのだ。
シアンはほら、怪我もあるし、何より見舞いの時のことで胃袋怪獣が味占めてそうだし。
それを説明するとまたメルティの耳に入って小言や八つ当たりがうるさいだろうし、適当な言い訳をしたのだが、今度は逆にセルマーが不服そうだった。
「わたしもいいかしら」
シアンが手を上げる。発言の前に挙手をするあたり、やはり育ちの良さというものが感じられる。特に、ソーセージ片手にあくびをしながら哨戒している女にはぜひ見習っていただきたい。
「なんだ?」
「些末なことかもしれないのだけれど、わたし、まだ彼女を紹介してもらってないわ」
「ああ、そういえば」
完全に忘れていた。俺が両方知ってるから、そんなこと気にも留めていなかったというのもある。
確かにこれから道中共にする仲なのだから、名前くらいは知っておいた方がいいだろう。
「彼女はセルマー。俺の依頼主だ」
「はじめまして、セルマーよ。あたしはあなたのこと知ってるわ。シーバスの戦乙女、シアンさん」
俺の紹介を受けて、セルマーがシアンに対して含みのある笑みを浮かべる。シアンはただ一言、「そう」と返し、また俺を正視する。
「その依頼の内容っていうのは、聞いてもいいのかしら」
「ん? 第三層まで連れて行くだけだ」
「第三層……随分と危険な依頼ね」
「どうせ向かう先は同じだ」
依頼があろうがなかろうが、俺もまた登頂が目的だ。
厄介ごとが舞い込んできたのは不本意だが、俺自身の目的から逸れない以上、実のところ大した不都合はない。
俺の返答に、シアンは溜め息を漏らした。
「昨日から思ってけど……あなたここへ来て日が浅いわね?」
「へぇ、そういうの分かるんだな」
「軽々しく第三層へ向かうだなんて言えるのは、歴戦の戦士か新参者だけだわ」
「歴戦の戦士には見えないか」
「その年ではさすがに、ね。あなたが強いのは分かっているけど、第三層に挑むのは生半可なものではないわ。わたしたちですら三回しか挑めなかったのよ」
「へぇ……」
そう言われても、そもそも俺は、シーバスが実際にどれくらい強いのかすら知らないので、やはり想像がわかない。
しかし、それだけ実力があるのならば、見舞いの時に聞けずじまいだった疑問を聞かざる得ない。
「そのシーバスがやられるほどの敵って、結局どんなのなんだ?」
俺の問いにシアンの表情が途端に強ばった。藪蛇だったかとも思ったが、彼女は少しの逡巡ののち、ゆっくりと口を開いた。
「……ラクシャーサよ」
「ラクシャーサ……メルティ、知ってるか?」
「なんです? 新しいパンの製品名ですか?」
「全く話聞いてねぇな、お前」
なんとなしに聞いてみたけれど、ダメだわこいつ。
メルティはあてにならないことが証明されてしまったので、今度はセルマーに聞いてみようとしたら、「あたしも名前しか。彼女の方が詳しいわ」と逃げられてしまった。
まぁ、ここはシアンの言葉を待った方が懸命だな。
「ラクシャーサはピシャーチャのような作りかけの人形みたいなものではなくて、完全な人型よ。個体数が少ないからデータも少ないけれど、記録されている体長は二四七センチ」
「でかいな」
俺がメルティを肩車してちょうど、ってところか。
「戦型は巨大な斬馬刀を武器にした白兵戦で、その力は圧倒的。十年前に百人規模のパーティーがラクシャーサ一体に全滅させられたという記録もあるくらいよ」
「勝ったことある奴はいないのか?」
「遭遇して、生きて帰っててこれたは今までで五人、倒したのはたった二人よ。一人はローディナスで最強と謳われたジルバ。そしてもう一人は、ジャン」
「シーバスのリーダーか」
どうやらジャンという男は相当の使い手だったらしい。
しかし、それならば一度倒した敵と同じ個体に遭遇して負けるというのは解せない。小首を傾げる俺の胸中を察したのか、シアンが伏し目がちに、しかしはっきりと言葉にした。
「わたしたちを襲ったラクシャーサは二体いたの」
「ああ、そりゃあキツいな」
百人の人間を容易くを殺す異形が二体もいるとなると、さすがに戦いも厳しいだろうことは想像できた。
「本来ラクシャーサは第二層と第三層でしか発見されていないわ。しかも、単独で、決まったルートを巡回する傾向がある。視界に入らなければ襲われることもなかった。だからこそ第二層に駐屯地を設置出来ているの」
「第一層で遭遇した例は」
「ないわ」
シアンがそこまで断言するということは、嘘ではないのだろう。つまり、遭遇例のない第一層で、しかも二体同時に出現するという、多くのイレギュラーがシーバスを壊滅させた。
何かしらの変異が、異形にもあったと考えるべきなのだろう。それがどういったものかは分からないが。
なんにせよ、第一層も安全ではないということだ。登頂者からすればさぞや迷惑な話だろう。
だが、俺には僥倖だ。そんな化け物とやりあえるかもしれないなんて、胸が躍るじゃないか。シアンの話を聞いて、昨日感じた興奮よりも猛る血の滾りが全身を駆け巡っていた。
そんな喜びに打ち震える俺に、メルティがそっと微笑む。
「アイン、とても嬉しそうですね」
「ああ。嬉しいよ」
「嬉しいって……気は確かなの……?」
しかし、シアンはそんな俺が理解できない、という表情を浮かべていた。話を聞いてなかったのか、と言わんばかりだった。
「そんなんじゃ、あなたすぐにでも死んでしまうわ」
声を低め、諭すような口振りで、彼女は言った。
微かに怒りも滲んでいる。
死ぬ、か。まぁ、もっともな意見だ。仲間を失ったばかりの彼女の前で、不謹慎だったとも反省している。
確かに、リグ・ヴェーダは甘い場所じゃない。それは十分に理解している。だからこそ、彼女の物言いには少し不満も覚えた。
「前にも言ったと思うけど、俺は馬鹿と無茶をしに来たんだ。当然死ぬ気は無いけど、それでも俺が死ぬとしたら」
立ち止まって、シアンを見据える。
「その時は、俺がその程度だったってことだ」
師匠は俺に強くなれと言った。
師を超えて見せろと。
でも、故郷にいて分かった。故郷で師匠と鍛錬を続けていても、一生超えられない。
培ってきた経験が違う。
戦いに投じてきた時間が違う。
歳月が経てば勝てるだろう。けど、きっとそれでは本当の意味で師匠に勝ったとは思えない。俺が師匠に勝ったのではなく、師匠が老いに負けのだと、俺は思うだけだ。
お互いが万全で臨み、その上で勝たなくては、俺は師匠を超えたと自分で認めることはできない。
だからこそ、師匠との間にある、この歴然とした差を埋めるためには、生きるか死ぬかの極限に身を投じねばならないのだ。
そのために俺はここにいる。
「だから、俺の心配なんかしなくていいんだ」
考えるべきは俺のことではなく、仲間のことなんだから。
「それでも……」
シアンが擦れるような小さな声を絞り出した。
「もしもあなたが死んだら……わたしは悲しいわ」
「アインは死にませんよ。わたしがいますもの」
ささやきのような声をかき消すような力強さで、メルティが言葉を放った。どこから湧いてくるのか分からない、根拠のない自信たっぷりの笑顔を見せる。
それが初めて出会った時の笑顔とそっくりで、ふと俺の脳裏に記憶が蘇ってきた。いざこざに巻き込まれて、なし崩しにコンビを組むことになった時、メルティが言った言葉だ。「あなたがわたしを守ってくれる限り、わたしはあなたを守り続けます。どんな障害からも」そう言って、メルティは今みたいに破顔したのだ。
ちなみに、未だに守ってもらったような記憶はない。そこまでの危険がなかったってのもあるけど。
「まぁ、出来ることと出来ないことは分かってる。そのために相棒もいる。だから、あんたは仲間のこと考えろよ」
「あなた……やっぱり馬鹿だわ」
「知ってるって」
こなどうしようもなく優しい女性に、俺は苦笑することしか出来ない。勝つか負けるかなど、やり合うまでは分からないけれど、彼女を安心させるには、勝つしかないのだ。
師匠なら、すべてを杞憂にしてしまうのだろう。
まだまだ遠い。
あの人の境地に辿り着くまで、俺はあとどれくらい強くならないといけないのか。考えだけで気が遠くなりそうだ。
ここでの戦いは、全てが強くなるための一歩だ。
「行こう。次のD4を抜ければ、目的地だ」
なら一歩ずつでも着実に、前に進むしかない。
一足で強さを手に入れる術なんて、ないのだから。
「……ところで」
あまり喋らずにいたセルマーが、ここはきて唐突に口を開いた。
「結局、荷物は持ってくれないのかしら」
あー……うん。
どうやら、うやむやにはできそうにないようだ。
◆◆†◆◆
「ほふひへは」
メルティは口をもごもごさせながら喋り出したのは、D5の半ばに差し掛かったあたりだ。特に大きな戦闘に遭遇することもないこともあり、暇を持て余したこいつはひたすら何かを頬張っていた。
ちなみに今は細長い携帯食を食べている。
セルマーから荷物を受け取った途端、何本かかっさらっていった次第だ。まるで禿鷹みたいな奴である。
「食う喋るかどっちかにしろよ」
俺がそう言うと、食に集中し始めた。なんなのこいつ。
携帯食を食べきって、メルティはようやく話の本題へと移った。
「D7に他の人がいる可能性ってどれくらいなんでしょうね」
「ああ、それなぁ。少しは考えてたんだが……」
第一層いるのが俺たちだけということはない。日は経ってないけど、入れ代わり立ち代わり塔への出入りはある以上、他の登頂者がD7を通らないこともないのでないか。
死体の確認は結局してないし、どうなってるか分からないが、もしも遺品を盗むこそ泥紛いがいないとも限らない。
「心配ないと思うわ」
しかし、俺の懸念を打ち破るように、セルマーがきっぱりと言い放った。シアンも同意見のようで、小さく頷く。
俺がなぜかと問うと、セルマーが答えた。
「D7は通商ルートだけど、定期便はまだ先。略奪者が張ってる可能性は低いわ。……それに、ほとんどの人はD11で石拾いでもしてるでしょうし」
「なんでまた石拾い……?」
「D11は以前から希少鉱物が発見されてるの。高値で取引されてるから、小遣い稼ぎにはうってつけよ?」
「なるほどねぇ」
まぁ、そんな美味い話があるなら、そこに群がる人間も多いことだろうな。俺はあんまり興味ないけど。
D11は真反対に位置してるし、これまで全く他の人に会わなかったのにも頷ける。それならば、D7も手付かずで放置されている可能性は高いか。死体が放置されてるわけだから、気持ちのいい話ではないけれど。
しかしなんつーかあれだな。
「みんな、登頂に興味なしってか」
「それは仕方ないんじゃないかしら。誰しもが塔の頂上を目指すとは限らないんだし」
「そりゃまぁ、そうだろうけど」
でもシーバスのような名うてのパーティーだっているくらいなのだから、中にはもっと血気盛んな登頂者がいてもいいと思う。
「二年前の第三層攻略が失敗してから、みんなこの調子よ。諦観し始めてる。やっぱりジルバの死が大きいんじゃないかしら」
「ジルバって、シアンが言ってた……」
確か、ラクシャーサを倒した奴だっけか。シアンに視線を向けると、表情は消沈していたけれど、瞳はまっすぐ俺を向いていた。
「二年前に死んだわ。わたしたちもその時参加してたから、よく知ってる。本当に強い人だったわ」
「ジャンよりもか」
「ええ。人類最強と言われてたわ。実際、かなり強かった。彼がいれば第三層突破も可能だと、みんな思っていたわ」
「そんな奴が死んだのか」
「頼りすぎたのよ、みんな。わたしたちだって。けど、彼は全部背負い込んで……そして一人で死んだわ」
「ふぅん……」
どれくらい強いのか、試しに一度戦ってみたかったけれど、叶える術はもうない。それは残念でならないが、個人的な願望なので諦めはつく。
けど、何よりも残念でならないが、その男の遺志を継ぐ者がいないということだ。これでは犬死に同然ではないか。
「まるで犬死にですね、そのジルバという方は」
俺の考えていたことを、そっくりそのまま口に出したのは、携帯食を齧るメルティだった。わりとどうでもよくないことだけど、それ何本目だ。
「人の死に無為なものはありません。あるとすれば、その意義を足蹴にする人でしょう?」
「だから、わたしたちは!」
畳み掛けるように辛辣な言葉をつらつらと吐き出していくメルティに、シアンが声を荒らげた。しかしすぐに冷静になり、小さな吐息を漏らした。
「ごめんなさい……でも、わたしたちは諦めてなかった。シーバスは第三層を突破する気だったわ。今回の護衛はそもそも、そのためのものでもあったのよ……なのに……」
シアンは下唇を噛んで、悔しさを滲ませた。
暗澹とし始めた空気を入れ替えようと、俺は言葉を探した。
「ジルバとは親しかったんだな」
「彼は、ジャンの師匠みたいな人だったから……」
あちゃー藪蛇だったか。こういう時、よく間違って突っついちゃうんだよなぁ。
シーバスがちゃんとジルバの遺志を継いでいたのは安心したが、結局、そのジャンも道半ばにして死んでしまった。彼女からすれば、これほど悔しいこともないだろう。
挽回しようとしたのに、気不味い雰囲気が払拭されず、どうにも寄る辺のない気持ちにさせられる。俺は、そっとメルティに耳打ちをした。
「メルティ、とりあえずお前、謝っとけ」
「なんでですか。思ったことを言っただけなのに」
「歯に衣着せろってんだ」
「それを言ったらアインだって地雷踏んでます」
「俺のはお前の尻拭いじゃん」
「尻……アインは特殊なプレイが好みなんですか?」
「どうやったらそんな思考に至るんだ」
これでは埒が明かない。つーか本当にこいつ役に立たないな。
とにかくなんとか現状を打破しようと、慎重に言葉を選ぶ。
「まぁ、なんだ。俺がいるんだし、なんとかなるって」
「まるで根拠がないですね」
「ほっとけ」
メルティが水を差してくるが、俺は睨めつけながら言葉を投げ返した。だから、歯に衣着せろって言ってるじゃん。
しかし、功を奏したのか、シアンはくす、と微笑みを零した。怪我の功名とはこのことだ、という思いが心裏に浮かんだ。メルティも役に立つ時はあるみたいだ。
「あなたのそういうところ、少しジャンに似てるわ」
目尻に浮かんだ一滴の涙を指で拭いとると、
「ごめんなさい。変に気を遣わせて」
と、申し訳なさそうにしながら、はにかんで見せた。
「泣いてる女は笑わせろってのが、師匠の教えなんだ」
「素敵な師匠ね」
「素敵じゃねぇよ。あんなの敵だ、敵」
「でも、尊敬してるんでしょう?」
「そりゃ、な」
いろいろと、滅茶苦茶な人だったけど。
あの強さに憧れて、俺は戦う術を身に付けた。素敵かどうかと言えば、やはり素直に頷くことは出来ないけれど、シアンに褒められると、悪い気はしない。
妙に照れくさくなって、むず痒いうなじを撫でさすった。
「いつか、あなたの話も聞かせて欲しいわ」
シアンは優しげな微笑みを絶やさず、そう言った。
「……楽しくないと思うけどな」
結局、そんなぶっきらぼうな返ししかできなくて、草葉の陰から師匠に笑われているような気がした。
やっぱ敵だ、敵。




