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1話 カワセミズキ


 静かな時間を裂くように、空がピカリと光る。数秒も経たないうちにゴロゴロと大地を揺らすような音が轟く。


「5秒、ううん6秒かな?ってことは、2kmちょいくらいかな」


小学校で習って以来、私は稲光から秒数を数えるのが癖になっている。知ったところで私が何ということはないが、ちょっとだけ自分が賢くなったように感じるのだ。紅茶を片手に誇らしげに学者にでもなったような気分でニヤリと笑った。


「それ、正確には違うらしいよ」

「いいの、気分だから」


 読んでいる本から顔を上げることもなく、彼が最もらしい否定をしてくるので、私は少しだけ不機嫌になり窓から離れた。多分私よりも賢いし、知識勝負なんかしたら勝てっこない。


「で、いつ帰るわけ?」

「雨が止んだらかな」


 彼は嫌いな香りだと言っていた紅茶を一口飲みながら、さも当然のように言った。


「何それ?」

「仕方ないだろ、来た時には雨降ってなかったから、傘を持ってないし。それとも何か、俺にびしょびしょになりながらこの雷雨の中に帰れって言うのか」

「はいはい、分かりましたよ」


 また簡単に論破された。まぁ、今回の場合は負けたと言うよりも、納得してあげたのだ。私だって、こんな雷雨の中に今すぐ帰れだなんて言うほど、酷い人間ではない。とはいえ……


「なんか食べる?」

「うーん……いいよ、大丈夫」


 こうなると何か持て成さなくてはいけないような気がしてしまう。紅茶は出したし、茶菓子にチョコレートも出している。けど、空の様子からそんなにすぐに晴れるような様子もない。正直なところ、今日はそこまで好きではないがなんとなく毎週見ているドラマの放送日だ。それまでには止んでほしい。

そう思いながら私は紅茶を一口飲んだ。


――――――

 

「止みそうにないね」

「そうだな」

 

 あれから2時間。空は青空なんて存在していなかったのではないかというほどに雲に覆われていた。

彼は相変わらずに本をひたすらに読んでいる。大学の帰りに荷物を持ってもらった手前、社交辞令的に休んでいく、と言ったのが、まさかここまで長くなるとは。


「っていうか、家でもその格好なの?」

「へっ?」


 家に帰って数時間、私は部屋着とは程遠いようなピンクのジャケットに、それに合わせたロングスカート。キャンパスライフを楽しむための、キラキラおしゃれモードなコーディネートだ。


「別に、俺に構わずに着替えてくれていいよ」

「いや〜。それは、いいかな。お風呂とか、それから色々あるし」

「あっそ……」


 相変わらず紅茶を飲みながら本から顔を上げることもない。もう紅茶、何杯目だろう。私の家の茶葉を全部消費し切るつもりか?

 というか、着替えられるはずもない。今日の部屋着は2.5軍の少しヨレヨレのキャラ物ジャージの上下。こういうことがあるから、常に1軍の部屋着は1つだけじゃなくて何枚か用意しておけと何度も自分に言って聞かせようとしていたのに。


「っていうか、止まなかったら帰らないつもり?」

「俺だって、そこまで厚かましくない。もう帰るよ」


 ようやく本から顔を上げ、大きく伸びをしながら肩を鳴らした。流石にこの長時間の読書は、本好きの彼でも体に多少は堪えたようだった。


「あっそ」


 私はティーカップをカウンターに置いて、冷蔵庫の中身を確認する。


「それじゃあ、俺は帰るから。紅茶、それなりに美味しかった。次はコーヒーでも用意しといてくれ」

「はぁ? 5杯も飲んでおいてなんなの」


彼はふっと揶揄うように笑った。私も言葉ほどは怒っていない。彼の憎まれ口など慣れた物だった。


「ってか、本当帰るの? 強まってるよ雨」

「まぁ、ラッキーなことにフードついてるし帰ってすぐ風呂にでも入るよ」


シンプルな緑のハーフジップのパーカーなら、確かにフードを被れば、頭を守るくらいはできるかもしれない。けど、この激しい雨では気休めにしかならないだろう。私は、ため息をつきながら彼を引き止めることにした。


「もう少し雨宿りしていったら? 流石に風邪引くって」

「いいよ、別に」


 彼は肩をすくめて私の提案を拒んだ。まぁ、一度は遠慮するだろうというのは踏んでいた。逆の立場なら私もそういう返答をするはずだ。


「夕飯、簡単なやつでよかったら作れるし、遠慮しないで」

「ふーん、そんなにいて欲しいってか?」

「そんな風に言うんだったら、この曇天の中に追い出しますけどー?」


 彼の憎まれ口に、私は強気に返した。この状況なら私がどう考えても優位なはずだ。


「ま、そこまで言うならお言葉に甘えて夕飯まで貰うとするかな」

「はいはい。了解です、ほんと簡単なやつだから期待しないように」


 彼はソファに座り、読書を再開した。


「あ、夕食代と雨宿り代貰わないといけないかなー」


 私は調子に乗り、彼を揶揄う。夕飯までご馳走してあげるのだ、今回ばかりは彼も苦笑いするくらいしかないだろう。もちろん代金なんか貰うつもりはない。


「そうか、確かに払わないといけないよな」


 勝った、この時まではそう思っていた。

 

「そうそう。ま、でも特別に私の粋な計らいで……」

「あっ、そういえば前に奢った缶コーヒー代もらってなかったな。あと財布忘れたとかで弁当代も……」

「あー嘘です嘘です。代金なんかいらないです」


 また負けた。簡単に状況をひっくり返されてしまった。慌てて冷蔵庫から、野菜や肉を取り出して準備を始める。


「っていうかその格好で料理する気?」

「えっ……あーまぁ……」


 私は自分の格好を見る。確かに料理には向いていないし、汚したくもない。


「仕方ないな」


 彼は腕捲りをしながら、ソファから立ち上がった。


「雨宿り代に、夕飯は俺が作るよ」

「へっ?」


 彼の突然の提案に、自分でも恥ずかしいほどに素っ頓狂な声が出た。


「ここにある材料は使っていいんだよな?」

「えっ、いいけど。いや、流石にお客さんにそこまでさせられないよ」


 大袈裟に手を振ってそれを拒否した。


「いいよ別に。それとも、俺が料理に毒でも入れるんじゃないかって警戒してるとか?」

「そんな馬鹿な想像はしてないけどさ」

「じゃあ決まりだな、ほらどいたどいた」


 彼は私の肩にポンと手を置いて、軽く押して台所から私を追い出した。


「じゃ、じゃあお願い」

「はいはい。お客様はそちらへどうぞ」


 私は促されるままソファに姿勢よく座った。まるで、こっちがゲストになってしまったみたいだった。台所に目をやると、彼は慣れた手つきで材料をリズミカルに切っている。意外と料理も上手なようだ。

ただ、持て成すつもりが自分の家の中で持て成されている。なんだか、結局彼のペースに持っていかれてしまった。


「あっ、3軍の部屋着でも気にしないから着替えてこいよ」

「なっ……」


 彼はニヤリと揶揄うように笑っている。私はみるみるうちに顔が真っ赤になっていくのがわかった。


「3軍じゃない、2.5軍くらいだよ」

「へぇー」


 自分から墓穴を掘ってしまった。穴があったらその穴に隠れたい。私は大袈裟に足音を立てながら、タンスの方へと行き、2.5軍の部屋着へと着替えた。


「また負けた」


私はそう呟くしかなかった。

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