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アスタリスクを五線譜に*  作者: kisaragi
第二楽章 虹色オクターヴ
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第八小節 それは深く染みる音

 きっちり、三日。


 それだけ休んで響一は部活に復帰した。元々、風邪のような体調不良ではなかったのだ。段々と暇になり、最終的には普段通り学校に行くことにした。


 今日は朝練で合奏がある日だ。

 そんな日は響一では無く父親が弁当を作ってくれた。


 セレスタンには参加すると言う旨は伝えてある。

 癖でどうしても早く来てしまい、廊下にはまだ誰もいない。


「ちっす」


 と、思っていたらペットボトルのお茶が飛んで来た。九条寺だ。


「ああ、おはよう」

「うっす。もう大丈夫なんですか?」

「ああ、まぁ、大丈夫だろう」

「聞きました? 新しい指導が木管とパーカスに入りまして」

「ああ。話は聞いた」

「そのー……ええっと、結構色々弄られちゃったんすよ。大丈夫っすか?」

「何、そんなに上手くなったのか?」

「いやいや、そうではなく……」

「そういや、君が元ヤンだとバレたのか?」

「ああ、新しいセンコーと一部にちょろっと。まあ、大丈夫っす」

「そうか。なら、いいか」


 何となく聞いた話だが、部に伝わる程の大袈裟な話でもない。彼が大丈夫だと言うなら大丈夫なのだろう。



「一応、気はそこそこ使ってるんすよ」

「だろうなぁ。女子ばかりでキツいだろ?」

「想像以上に。良く部長なんてやりますよ、本当に」


 そんな海の言葉に響一は思わず笑った。


「大丈夫、任せなさい」


 響一は海の頭にちょん、とペットボトルを当ててさっさと先に行ってしまった。


「……何だ、思ったより元気そーじゃん」


 柚姫がやたら騒ぐので様子を見に来たが、至って響一は普段通りの響一だった。



 やはり、全員揃うと違うものだ。

 誰かに何かを言われずとも響一はさっさと楽器のメンテナンスを終わらせセレスタンから貰った修正の入った楽譜の確認をしている。


「先生の手が回らない部分を固めた感じですね」

「ソウソウ。特に自由曲がめちゃめちゃ。違う! って言っても伝わらない。高校生には無理だって」

「無理って……俺の代わりに誰か?」

「アイリス」


 響一は思わず顔を上げてトランペットの位置にいるアイリスに視線を送った。

 彼女はそんなこと、一言も言わなかった。怒りもせず。


「そうでしたか……」

「彼女も君と出会って少し変わった。音もとっても良くなった」

「……だと、いいのですが」


 響一のそんな言葉にセレスタンは苦笑する。




 噂に聞いた通り、新たな指導者がやって来た。

 全員揃った吹奏楽部を興味津々で見つめている。


「ふむ。これで全員、って訳ね」

「どうしましょう? 一回通しでリハーサルする?」


 ざわめく生徒を制して響一は立った。


「必要ありません」

「おやおやぁ、そんなん言ってええの?」

「たった三日。されど三日よ。君が寝ている間にこの部も変わったわ」


 部員のプレッシャーは半端ない。

 そりゃあ、三日。死ぬ気で練習こそしたが、響一と合わせて通してはいないのだ。


「それは、それは。楽しみです」


 相変わらず響一にステージに立つという緊張感はない。

 本人は至って普段通りなのに、何故か場の空気が締まる。


「じゃあ、一度、ミンナでやる」


 普段の合奏練習に一人抜けて一人戻っただけ。そんな大した違いなんてないはずなのに。


 ソロが変わるだけで曲が大きく変化する。


 響一は変わらず淡々と自分が吹くべき箇所を奏でる。


 確かに、全体的にうやむやになっていた部分が確立されている。言うだけのことはある、という訳だ。


 何てことはない。今まで通りに吹けばいい。時々、突拍子もなく入るセレスタンの指揮に応えるのに必死でそれどころではなかった。


 それでも、久しぶりとなる合奏は楽しかった。

 大勢の人数で一つの曲を奏でる。


 自分はソロを吹いているけれど、一人では曲にならない。


 校内に僅かにいる生徒は久しぶりに吹奏楽部の演奏を通しで聴いた。


 曲は綺麗に終わる。


 観客がいる訳ではないので拍手喝采なんて起こらないが部員たちは少し感動していた。

 ちゃんと曲になったことも大きいが何よりも今更ながら響一の偉大さを思い知ったのだ。


 指導者の二人は立ったまま何も言わない。


 セレスタンはにっこにこの笑顔。


 以前にもこんなことがあったような。

 一人、男性の指導者が口を開いた。


「君は、何を思ってこのソロを吹いているの?」


「……何……ええっと、感謝、でしょうか」


「感謝? 何に?」


 今度は女性の方だ。

 そんな突然、迫真の勢いで攻められても困るのだが。


「俺が、こうやってステージに立てるのはこんなにたくさんの生徒が楽器を持ち、切磋琢磨して来た結果です……その感謝?」

「お前ね、そこは『生徒』じゃない。『仲間』でしょーが」

「うっ……」


 相変わらず、朝倉は響一にツッコミを入れている。


「なるほどねぇ。そりゃあ、言うことなんて無くなるわな」

「ぶっつけで合わせてくれるなんてねぇ」

「ダカラ! 言ったでしょ?」

「不思議な子ねぇ。音に言うことはないのだけれど。なんて言うか今まで見て来たどの部の部長とも違うわ」

「表沙汰で練習しないタイプだわな。聞いてた通り」

「え、……ええっと、練習は見せるものでもないと思いますけど……」


 その言葉に部員たちは脱力する。

 響一は基本的に部活が終わればさっさと帰る。友人が居残るから、その場の空気で合わせたりはしない。


 だからと言って全く練習していない訳はなく。


 その練習量を聞くのは恐ろし過ぎる。


「まあ、彼、ちゃんと一度、自分で聴いて、鞣してる」

「また面白い言葉を覚えましたね」


 響一の言葉にセレスタンは満足気に頷いた。






 それは少し唐突な問いだった。


 アイリスは気が付いたら程よく蓮華家に通うようになっていた。


 彼の新しい父親は確かに少しウザいのだけれど、基本的には部屋に籠り原稿に追われている。


 夏は特に暑い。


 寮のエアコンは古く音は五月蝿いわ、温度設定があるわで居心地が良いとは言い難い。


 これだけ行き来していたら母親とも出くわしそうなものだが、どうやら母の帰宅時間は遅いのかそんなことはない。


 響一の部屋で共に国語の夏休みの宿題をしている時だった。


「そういえば、アイリスはフランスにボーイフレンドは居ないのか?」

「え?」

「いや、向こうでは仲の良い異性はボーイフレンド、と呼ぶんだろう?」

「うーん、実家の手伝いをしてくれる人なら数人いますけど。ボーイフレンドではないですねぇ」

「そうなのか。随分モテるだろうに」

「……そりゃあ、否定はしませんけど。どうにも向こうの感じが合わなくて。ちょっと食事したら彼氏面です」

「そっか、君はセレスタンが居たから」

「それもありますけど」


 何故、そんな会話に……と思えば響一は机に英語のテキストを広げていた。


 そこには良くある外国人風の男女の会話文。先程の質問から察するに内容は伺える。


 そして今更ながら思い出したが、確かにアイリスにもボーイフレンド、と呼ぶものかはともかく男性の友人ならいた。主に実家の手伝いに駆り出していただけだが。


「それに、セレスタン先生は私の先生、と言うより父の友人です。私なんてただの近所の子供だと思いますよ」

「……そんなこと無いと思うがなぁ」

「何です? 珍しい」

「いや、美人で気立てのいい君に男の影が全然見えないのも変だと思って。文句の一つぐらい言われそうなのに」


「……え?」


「君は全く、何も行動なんて変えていないだろうけど、分かるの人には分かってしまうものさ」


 その響一の言葉にとあることを思い出しグサリと胸に刺さる。




 それはまた別のある日のこと。

 起こりうる可能性はあった。しかし、アイリスが留学しているのは縁もゆかりもある日本だ。だから少し油断していたのかもしれない。


 ことの発端は暑い夏の夜、風呂揚がりにまた豪快に麦茶を飲んでいる時に起こった。


 やたらとスマートフォンがピコピコと五月蝿いので何事かと思えば弟のマルコーだ。


 彼は全く、いつも時差なんてお構い無し。仕方なくメッセージを開くとトロンボーンが難しすぎる、という愚痴が延々と続く。


 そして、気になる一言。


『そういえば、ガリウスが心配してたよ。帰って来ないの?』


 その一言にアイリスの手は止まる。

 髪を拭きながらアイリスは必死に考えた。

 ガリウス。誰だ。


 アイリスは夏は忙しいので戻らない、という旨をそのままメッセージで送る。

 途端に通話が着てアイリスは慌てて電話出る。


「今、何時だと思ってるんだよ!」

『え? ああ、時差か、ごめん、ごめん。でも、みんな心配しているよ。ガリウスもセシウスもマグネスも』

「いや、それ誰」

『えぇぇえええー!?! ねーちゃんのボーイフレンドじゃん』


 はて、ボーイフレンド?

 アイリスは首を傾げる。

 そんな人は居ただろうか。名前を聞いてうっすら思い出しはしたけれど、彼らはただのクラスメイトで時々畑の手伝いをしてくれていた、という記憶しかない。


「ただのダチだろ」

『あらー。ねーちゃん、すっかり日本に染まったねぇ』


 そういえば、向こうでは仲の良い異性はボーイフレンド、と呼ぶ。

 そして思い出したが、これでもアイリスはそこそこモテた……と思う。

 日々、トランペットと葡萄の世話が忙しく彼氏所では無かったし、妙に馴れ馴れしい感じがどうにも好きにはなれなかったのだ。


「別に。何か用?」

『かーちゃんが一回戻って来て欲しいって』

「えー、めんど」

『何でそんなに渋るのさ』


 アイリスはぼんやり、旅行用のパンフレットで見た富士山を思い出した。そんなパンフレットを戸棚から取り出しペラペラと捲る。


「当分は戻らない」

『え、ぇええ!?』

「富士山、観に行くんだ」

『何、ソレ、一人で!?』


 アイリスは数分考えた。


 ここは友人、と言うべきか。

 しかし、響一は友人とは少し違うし、今の彼の家庭環境が心配だ。

 確かに、暑いのは参るのだけれど、それでもアイリスは今は彼の側に居たかった。


「んんー、彼氏」

『か、か、彼氏ー!? 日本のボーイフレンド?』

「まー、もうそれで良いいや」

『何、ねーちゃんボーイフレンド作りに日本に行ったの?』

「そんな訳あるか!!」

『大丈夫? 変に言い寄られたの?』

「違う、違う。こっちが言い寄ったの」


 アイリスがそう言うとマルコーの返事に妙な間があった。


『な、何だってー!?!?』


 思わずスマートフォンを耳から遠ざける。


「そんなに驚くことか?」

『驚くよ。ねーちゃん、まー美人だからモテるくせにセレスタン先生以外の男に全然興味無し、って感じだったじゃん』

「別にピンと来なかっただけ」

『じゃー、その日本のボーイフレンドはピンと来た訳?』

「まー、そうなるかなぁ」

『何ソレ!!? どういう人!?』

「トランペットがめちゃくちゃ巧い」

『いやいや、何ソレ』

「とーちゃんより巧い」

『え、……どっかのオケの人?』

「いいや。高校の吹奏楽部の部長」


 また微妙な間だ。


『それって歳上?』

「え? ああ、二つ上」

『あれぇ、ねーちゃんって歳上好きなのかと思ってた……いや、そうなのか!!』

「ちげーよ!! そんな判断基準じゃない!」

『じゃあ、何さ。あのね、とーちゃんは一応、フランスのオケの主任だよ。高校生って……ええっと、英語は、ハイスクール? まっさかあ』


「……そっちにデータ送る」


 もうその方が早い。

 アイリスはデータから一つ取り出しそのまま弟に転送した。


 一度、アイリスがフランスの子守歌を歌ったら今度は響一が日本の曲をトランペットで奏でてくれた。それがこの『ふるさと』だ。


 彼はやはりゆったりした曲が好みなのか、そういう選曲も多いし何よりも巧い。


 アイリスは彼の演奏を聴く度にやはり、肺活量、複式だよなぁ、と思う。

 音量がまず圧倒的に違う。


『なんか不思議な曲だね。確かに上手だ……どーしよ、とーちゃんが知ったら……』

「別にどうにもならねぇよ」

『もー、とーちゃんは、ねーちゃんと良いとこのお坊ちゃんと結婚させる気でいるんだよ?』

「何時の時代だよ!! 大体、私は家、継がないから。マルコー、頑張れよ」

『えぇええー!?! ちょっと、ちょっと待て!! その彼氏、大丈夫なの!?』

「は? 何が?」

『何だ……ねーちゃん知らなかったのか……レンゲ キョウイチって人でしょう?』

「はぁー!? 何でお前が知ってるんだよ」

『何でか突然、荷物が届いたんだ。綺麗な箱で蜂蜜が色々な種類入ってて。かーちゃんスゲー喜んでたよ。でも、皆して何でかなぁ、って』

「……そりゃあ、お歳暮だ」

『おセーボ?』

「意味は自分で調べる!」

『とにかく、帰って来てよね! とーちゃん、五月蝿いんだよ。俺だけじゃもう限界!!』

「いやだー!」


 トンッと画面を押して通話を終了する。


 そんなことがあったのがここ最近。



「……アイリス?」


 響一に現実に引き戻される。

 響一は既に英語の課題を終わらせたのか数冊置かれたアイリスのノートを手に取って固まった。


「あー!!!」

「これ、数Ⅰじゃないか。何でここ、まるっと抜けてるんだ?」

「あ、いや……それは……その」

「こっちは使う公式が違うよ。ちゃんとページ数と日付ぐらいは付けないと」

「うっ……そーゆう先輩は!!」

「俺、数学は得意なんだ。ちょっと待て、ええっと、この時期だと……」


 響一は後ろの本棚からごそごそと一冊のノートを取り出した。

 軽く埃を叩けば数学のノートだ。


「って、それ前のヤツじゃん」

「教師が変わっていないんだ。授業内容も大して変わってないよ」

「へ……ぇ……」


 手渡されたノートを見てアイリスは愕然とした。


 一言で言うなら細かい。

 ノートの両端には縦線が引かれ常に日付とページ数が記入されている。


 公式は全て手順が分かるように丁寧に書かれ、時々赤や青で注意点が記入されている。

 アイリスの穴ぼこだらけのノートとは大違いだ。


「ノートは人の性格が出る。君は気分屋で最初は頑張るけれど途中で飽きるタイプだ」

「うぐっ……」

「抜けてる所は?」

「そこは……その……」

「そういう時は篠宮に聞くんだな。数学、化学、物理、生物なら教えてやれるが」

「じゃあ、先輩は苦手な教科、どうしているんですか?」

「朝倉に聞くかな」

「うわー。あの人、見るからに文系そう……そういえば、先輩は進路決まってるんですか?」

「ああ。もう提出した」

「早!?」

「結構前から決まっていたから」

「やっぱり、音大?」


 響一は頷く。

 かなり早い段階から響一にはちらほらと音大のスカウトが来ているのは知っていた。

 彼の母方の祖父伝だったり、色々だがそれでも純粋に凄いと思う。

 更に普通にセンターを受けてもまず、落ちないであろう成績だ。


「新しい父親さんに反対されないの?」

「何で。親父は工業高校卒で大学に行かず漫画家になったんだよ。そりゃあ、その道の厳しさは知っているだろうけど反対されることはないな」


 アイリスが思うに、どうやらその辺の感性、というか信頼度は芸術家らしく合うらしい。唯一は基本的に響一がトランペットや楽器を奏でる事に付いて何の疑いも無く信頼しているし、響一は響一で唯一が仕上げた作品を疑いもせず読んでいる事もある。


「……その、何て言えば良いか分からないけど、お父さんと上手くやれてそうで良かったです」

「ありがとよ」


 またポンポン、と頭を撫でられる。


 しかし、本当に彼の義理の父となる唯一は響一と違って明るい性格をしていて良かったと思う。

 接し方はほとんど兄の様だがそこは仕方ない。

 漫画家らしく様々な事に興味津々でアイリスを見つけると喜んで飛んでくる。確かに、知らない少女だったら犯罪者にまっしぐらだ。それで何度か響一に回し蹴りを食らって沈んでいる。


 そんな出来事が最近は雑誌に掲載され密やかに話題になっているのだが、おそらく響一はそんなことは知らない。



 元々、料理が出来る響一だが最近は何を思ってかお菓子を良く作ってはアイリスに渡してくれる。

 彼の家族はさほど甘いものが好きではない。彼が良くストックしているスナック菓子も大体がしょっぱい物だ。


 彼自身は思い出せば食べるが、大体が誰かの為で、そのほとんどがアイリスか唯一になる。


 最初はサンドウィッチや、お弁当やら、そういったものだった。それでも純粋に喜んでいたのだ。

 今日はカヌレが菓子皿に乗っている。

 間違いなく、普通に美味しい。

 普通に食べているとうっかり手作りだったりすることが何度もあったので侮れない。

 アイリスの家は良くある大家族で料理は女がするもの、と叩き込まれて来たので少し新鮮だ。


 そんなことも唯一の漫画には描いてあった。


 また程よくデフォルメされたキャラクターなのに微妙に人々の特徴を良く掴んでいる。

 最近は高校生である響一がメインの登場人物であるお陰か新たに若い層のファンをゲットしたらしい。それでも、響一=熊のくーくん、なのだがそれがバレることはない。最近は少し唯一を見直した。


「そういや、先輩。実家に何か送りましたね?」

「ああ。セレスタン先生に相談されて。君は帰る気が無さそうだから家族の人が心配しているだろうと」


 因みに、何故か彼はセレスタンとも仲が良い。元々陽気な性格の人と相性が良いのか好かれやすいのか。

 いや、そもそもどうやら同性に好かれやすいのだろう。

 何だかんだ、柚姫の彼氏である九条寺にも慕われている。

 アイリスの穴ぼこだらけのノートを添削しながら響一は答えた。


 これで会話の流れは大まかに繋がった。


 突然、見知らぬ男から贈り物が届いても文句一つ無いのか。ということだ。


「家族から来なければ大丈夫だと思いますけど」

「ああ、君は弟がいたんだな」

「へ!?」

「いや、突然連絡が来た。一応、連絡先は記入した手紙に入れたんだけど」

「はぁあああ!?」

「兄ちゃん、と呼ばれるものだから驚いたよ。日本語も達者で」

「そりゃあ、元々マルコーが日本のアニメオタクで私も詳しいので……それに翻訳アプリでも使ってるんじゃないですか?」

「ああ、なるほど。着たのが夜中だったからぼんやりとしか覚えてないのだが、アニメの話を色々されても俺は詳しくないんだ。申し訳ない」

「あの馬鹿……」

「まあ、君が心配だったんじゃないか?」

「絶対、違いますよ! 何か変なことは言われませんでした?」

「ん、んんー? 多分、特には。とにかくアニメの曲を吹いてくれ、と言われて。俺は曲を知らないので吹けないし。親父なら知ってるだろうけど。何せ夜中だったから」

「それは先輩が悪い訳ではありません」


 アイリスは頭を抱える。

 何故、ここでアイリスの弟と響一の義理の父の趣味が合うのか。


「陽気ないい弟じゃないか」

「多分、家族は先輩に興味津々ですね……。ええっと、私、フランスには特別親しい異性の友人、簡単にはボーイフレンドは居なかったので……」

「君は違うと思っていたけれど、向こうはそうだと思っていた可能性はある訳だ」

「うっ……そうですね」

「そういう意味での好奇心、なら仕方ないだろうなぁ」

「へ??」

「つまり、君はモテる訳だ。確かそんな会話をした気がする。姉の君の方から異性に興味を持つのは珍しい、だったかな」

「何故、そんな赤裸々に……」

「だから何処からか文句の一つ飛んで来ても可笑しくないだろうに」

「あのー……先輩って、もしかしてその辺気を使ってます?」

「当然だ。ただでさえ、君は異国の女性だ。ええっと、とにかく君に言い寄る男なんて五万といる。それとなく知って下がって貰うしかないだろう」

「へ……どうやって?」

「企業秘密」

「何、ソレー」

「些細な牽制の方法、と言うのは幾らでもある訳だ」

「ブー、ズルい! 先輩だってそこそこモテるくせに!!」

「俺は日の目に出ることがまず少ないし」

「言ってなさい! 先輩だって私の国に行ったら超目立つんですよ! そもそも、向こうの人はアジア人の見分けなんて出来ないし。自分より背の高いアジア人がいるとは思っていません。しかも先輩は基本的に程よくフォーマルでお洒落ですね」

「え、……ええっと、俺は背は高い方だとは思うけど……」

「因みに、先輩と朝倉先輩なら父より高いです。白人の私服なんて超適当です。今時、白シャツにオーバーオールですよ。しかも最近は肥満が目下の悩みです」

「あ、そうなのか……」

「ちょ、セレスタン先生を基準にしちゃ駄目です! 先輩だってそこそこ特殊な容姿をしてるんですよ!」

「え?」

「……絶対、そこ先輩は分かってない!!」

「うっ……?」

「何も、そこが無くて私がコロッと惚れてると思ったら大間違いです!!」

「ええっと、……背、以外に特徴……? まず、それが分からないけど」

「……はー」


 アイリスは机の上に伸びた。

 まず、その特徴を説明した所で響一が理解出来るとは思えない。


 彼は普通に美形の部類だ。切れ目だけれど、光の加減で輝くその瞳。そして長身。作る表情は優しく穏やか。

 本当に、作る表情が違うと全然違う。そして配慮、思慮深さは高校生とは思えないレベルの人だ。



「うん。俺や朝倉を基準にされても困るなぁ。別に普通でも特別って訳でもないけど」

「うっ……だって、藤堂の男子って基本背が高いじゃないですか。柚の彼氏だって平均以上はあるし。何だかんだイケメンだし」

「ああ。藤堂は元々、武道の稽古場が学校になったらしいから。日本武道の方では有名だな。そういう授業もあるし。姿勢が良い生徒が多いのは確かだ。だから高く見えるんじゃないか?」

「へぇー。だから校舎が古い感じなのか」

「そうだと思うけど。だから和道の何かの本家である生徒も多い。朝倉の家は寺だし、篠宮兄妹は茶道、確か生徒会長は神社。そういう感じ」

「なんというか、ぽいっとイケメンがいるので普通にビビるんですよね」

「どういう基準かは知らないけど、藤堂の男子はレベルが高いとは噂で聞くな」

「生徒会長は童顔だなぁー、と思ったらスッパリした演説で驚きました。堂々としているというか。圧がある、というか」

「ああ、彼はそういう性格らしい。俺ではなく朝倉の方が親しいのだが」

「へぇー。正直、舐めてたって言われても仕方ないとは思いますけど……」

「ほう。それは最初は、と」


 響一は目線をノートから動かさない。アイリスは思わず詰まる。


 仕方ないだろう。

 元々、フランスと日本は遠いし、歴史的に見ても関わりはあまり無いのだ。

 確かに今は日本車や日本製品等が様々入っては来るのだけれど、後々知る事もある。

 アイリスが居たのはフランスのド田舎でまず、日本人は知らないだろうし、日本人を見ない。

 セレスタンさえ興味を持たなければ来る事もなかっただろう。


 結果、今は日本に住み、目の前の日本人に惚れてしまったのだから人生、何が起こるか分からない。


「そーです、最初は! だって、まず私より巧く楽器を吹く人なんて居ないだろうと思っていたし!」

「そこではっきりと言っちゃうのが君らしいよ」


 響一は苦笑している。

 なんというか、最近の彼は穏やかだ。元々、穏やかな人なのだが、やはりずっと家にいる父親なる存在は大きい様だ。

 アイリスはずっとそうあって欲しいと密やかに思う。


 唯一を知らずとも響一にどう影響しているかは明らかだ。


「このまま、部もいい感じに、行けばいいですけど……」

「というか行って貰わなければ困る」

「え?」


 珍しく、響一は真面目な表情で言い切った。


「……? 珍しいですね、先輩がそんな風に言うなんて……」

「俺もそうだが、この時期に来てまだ部活を現役でやるのは結構キツいんだぞ」

「それは……」

「俺は、直接結果が成績に関わるからいい。けど、そうでない生徒だっている。朝倉はそうだ。そのまま文系の大学に行く。けど、アイツはそもそも頭がいい。そんな生徒ばかりではない」

「それは……」

「実際、全国まで行くとキツい生徒だっているだろう」

「そうですね……」


 アイリスでは何とも言えない。

 確かに、進路というのは悩めるものだ。アイリスとて、目下の悩みではある。

 確かに農業に興味があるし、日本の農業の大学に行ってみたいと思う。けれど、そのまま日本で就職するのかまでは分からない。

 トランペットも続けたいけれど、きっと響一程極めるのは厳しいだろうと思う。

 そうなって来ると、どうするのか。


「アイリス、君は……」

「私は、とりあえず日本で就職するのか、しないのか、を決める所からです」

「え?」

「? 一応、日本の大学に行く予定ですけど」

「それは……」

「農業」

「トランペットは続けないのか?」

「そりゃあ、続けられるなら続けたいですよ。でも、私もそこまで自分が見えてない訳でもないんです。先輩に出会わなければ分からなかっただろうけど……私はプロに向いて無い」

「そう、言い切るのか」


 アイリスは頷いた。

 響一は少し寂しそうな表情を浮かべている。

 確かに、高校から先も楽器を現役で続ける生徒は少ないだろう。いくら全国に行こうが。そんな現実が分かってしまった。最近、妙にアイリスは自分の感情の起伏が激しかった理由が今更ながら分かった。響一に当たっていたのだ。いくら何でもそれはない。


「そう、悲しまないで。だから、私は高校生で悔いの無いようにやりきる、って決めた」

「そう、思いながら続けている生徒の方が多い、ってことぐらいは分かる」

「楽器でプロになるのは中々難しいですからね。覚悟もいる」


 アイリスの大人びた表情に自然と唇が重なった。

 力に流されて居たらアイリスは、ぽふん、とクッションの上に押し倒されていた。


 夕刻。

 電気を点けることさえ忘れて暗い。


「ねぇ、」

「ん?」

「先輩がプロになったら、お嫁さんにしてくれる?」

「ああ」

「いや、即答すんの!?」

「当然だ。俺は確かにプロを目指す。けれど、最善に望む人生もあるからな」


 そんな言葉に聞いたのはアイリスなのに何故か照れしまった。


「……私も」

「ん……」

「私、まだ先輩と恋人に成れないとか訳分からないこと言うし、進路も未定で、ぐちゃぐちゃだけど……私、響一は大好き」

「ああ」


 夏の夕暮れ時。


 ひょっとしたら、唯一がいるやも知れないのに。


 彼の姉、母が帰って来るかも知れないのに。


 重なる唇は深くなり、拒む理由がない。

 少しずつ日が暮れる。


 そんなゆったりした時間をゆったり味わった。

 思考はどろどろで、気持ち良くて、本来の目的はすっからかんになっていた。


 全く、こんなことが向上してどうするのか。絶望的に下手よりも良いけれど。


 ちょっとした吐息の合間すら気が抜けない。



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