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アスタリスクを五線譜に*  作者: kisaragi
Connection 輝く星たちの宴
16/27

輝く星は空の向こうに☆

 

 その日が来た。


 ここで終わるか。


 ここから始まるのか。


 木々の木漏れ日と近代的なデザインが同調するホールは外観だけで緊張感に満ちる。


 コーンクール銅常連高校吹奏楽部。

 無名の有名。

 金優勝校のお膳立て。


 それが藤堂高校吹奏楽部の異名である。


 更に一年、コンクール辞退。


 実績、名声、実力。など知るものはおらず。実力無名の高校。



 案の定、都大会となればほぼ無名の藤堂高校吹奏楽部はガチガチである。


 周囲の興味の嘲笑う声まで聞こえそうな気がする。


 セレスタンの実績と権力で会場までバスが出た。

 楽器の輸送も問題なし。

 最近は金常連高校が当然のごとく、そして堂々と会場に向かう姿を見ると誰しもが緊張する。


 無言でそそくさと楽器を運んでいるとまるで泥棒にでもなったかのような気分だ。


 近代的なホールに集まる学生たちは皆、いかにも進学校のような制服。藤堂の濃紺のセーラー、学生服を見て一体どこの高校だろうか、としきりに首を傾げている。


 最近は無名の高校が優勝しテレビの取材等で一躍有名になったこともあるにはあるが藤堂は無名過ぎる。


 コンクールは金常連、都大会優勝常連、更に全国は誰もが知る関西が強い。


 その一歩。

 ここまではほぼセレスタンの力で来れたようなものだ。そう誰しも思っている。

 嘲笑られるのか。誰も聴く価値すらないのか。


 バスから降りる上級生は皆、足が震えていた。


 副部長の夜宵はどこか落ち着きがなく自分の楽器を間違えるぐらいだ。


 何処とも知れぬ藤堂高校は武道、例えば弓道、剣道に置いては全国常連だが芸術方面は無名である。

 バスの外の景色は、久しぶりのような、新鮮なような、なんとも言えない風景だ。


 大きな近代的なホールに生徒はただ、圧倒されていた。


 全国常連高校吹奏楽部は藤堂高校吹奏楽部の生徒を訝しげに眺めていた。

 そんな藤堂の吹奏楽部は大きく、近代的なホールを呆然と見上げている。


 一年、コンクールには参加していないのだ。見知った制服もあれば聞かぬ高校もある。


 そもそも、ほぼ実績がない藤堂が都大会に出場出来るのはセレスタンの力が大きい。

 セレスタンが指揮をするのであれば、よっぽど悲惨な演奏にはならないだろうと。

 彼は審査員も頼まれたそうだがキッパリ断ったそうだ。


 そんなセレスタンは人気者で多くの女子生徒が彼に手を振っている。まるで芸能人のようだ。


 藤堂がシードな訳はなく、また微妙に順番は最後らへん、というのもだ。周囲には強豪が犇めく。


 強豪、藤堂、強豪という順番で普通の高校ならば絶望的だ。

 しかし藤堂の生徒は絶望に絶望を重ねているので、そうだよなぁ、というのが感想だ。


 むしろ課題曲と自由曲があまりメジャーではないので被らなかっただけ御の字だ。


 流石に一年コンクールを経験していない女子生徒は皆ガチガチだが、何故か経験者が多い一年と男子生徒はのんびりというかマイペースだ。


 そんな視線や噂話を無視してサクサクと楽器を運ぶ。


 打楽器は全て九条寺海の支配下にあり海は元ヤンであり、一応……『元』……ヤンなので、多少の噂話、誹謗中傷など全く気にせず楽器のチューニングと調整に集中している。


 気が付けば打楽器、後方の楽器は全て海を中心に動いていた。

 海は楽譜は曖昧かつ適当に覚えているのだが、その分耳で覚える。


 楽譜を読み込み、正統に中学でドラムを習った後輩の偲は最初は衝突していたが海の実力、感覚、センス、耳の良さ、器用さは尊敬しているらしくこの二人は案外上手く行っている。


 セレスタンも最初は海の存在にはぽかーんとしていたが彼は実力者には従うという、まあヤンキーらしいポリシーがあるのでこの二人もまた相性は良いらしい。


 意外かもしれないが、海は弱い者、ダサい者、貧弱な者、志しが死んでいる者には興味がない。


 あえて関わらない。これが彼の信条なのだ。

 売られた喧嘩は買うのだけれど。


 だから多少でもやる気がある人間性が好きだ。

 同じ趣味嗜好であるなら尚更。


 多少、口調が……悪い……強いのだがどうやら皆慣れてしまったらしくパーカスのパートリーダーというよりは打楽器のボスだ。

 パーカスに三年がいないというのも原因かもしれない。


 更に藤堂は男子部員が他の吹奏楽部よりは多い。それが更に周囲の興味を惹くらしい。


 そんな中で蓮華響一はまた普段通り、のんびりというか、マイペースに自分の楽器を運んでいる。

 彼は背が高い。目立ち、そうではあるのに死んだ目と表情と、何処から放っているのかどんよりしたオーラで彼がとてもトランペットのソリストで更には希な存在だと誰しも思わないだろう。


 藤堂の学生服は濃紺の学ランに金縁ボタン。珍しくはないが正統派な学生服とも違う。


 こそこそと噂話が聞こえる。


『あそこ、かわいそー。だって間と間じゃん?』

『でも良いんじゃね? 聞いたことねーし。全国目指してないんだろ』

『あーねー』


 そんな噂話を柚姫とアイリスは怪訝そうに聞いていた。


 都大会のホールは会場、リハーサル室、観客用ホールに別れる。


 藤堂の順番は後方なので途中は会場外で順番を待ち、2~3番目からリハーサル室に入るのだ。



 途中、都大会強豪の女子高校吹奏楽部団体とすれ違う。

 そんな緊迫した状況でも響一は表情一つ変えない。


 すれ違う瞬間。

 名門の女子生徒が振り向いた。

 またえらく美人で、姫カットの黒髪が美しく舞う。

 手に持つのは大きさ的にはトランペットだ。

 その女子生徒は響一の腕を掴む。


「負けません」

「……え?」


 響一らしい反応だなぁ、と部員は思う。


「中三。貴方の韃靼人。聴きました」

「え、あ、そう」

「貴方のソロは完璧でした。他が追い付いていなかった。完璧だったら、優勝したのはウチではなく貴方の中学です」

「あ、はい……」


 気の強そうな黒髪の美少女は響一を睨む。制服は名門の衣川女子高校。順番は藤堂より先だ。


「負けません。貴方をぶっ潰す!」


 随分、気の強い女子のようで響一に向かって指差し宣言した。


「ちょっと!」


 流石にアイリスが間に入ろうとするが響一に制される。


「相変わらずだな。是非、ぶっ潰してくれ」


 その言葉に部員はポカンとする。

 しかし、これが響一だよなぁ、とアイリスは思う。


 そんな言葉など興味無さそうに黒髪の美少女は髪を靡かせ通り過ぎた。


「知り合い?」

「いや。しかし、トランペット界では有名だな。黒姫。父親がプロだそうだ」

「む。負けません!!」


 そんなアイリスに柚姫は微笑む。


「アイリスちゃんは白雪姫だね!」

「なんで! 私が毒リンゴを食べるなんて間抜け……」

「リンゴは蓮華先輩」

「え?」

「……」


 アイリスは否定しない。まあ、王子様なんて柄でもない。


 広い会場外は閑散としていて、当然ながら強豪高校の演奏に観客は首ったけだ。

 そんな演奏がここまで聴こえて来た。


 会場外は近代的なガラス張りの完全防音なのにも関わらず。


「いっやー、流石に都大会は椅子のクッションが違いますね~!」


 もふもふと椅子で遊ぶのは紫織だ。


「うぇええー、淀川だー」

「あら、運動会やん。意外と大道やね」

「ってか、今年は王道路線っすねぇ」


 聖の言葉に夜宵は頷く。三人は並んで赤いビロードのソファーにぐでっと腰掛ける。


「せやね~」

「ってか、なんで……先輩たち緊張してないのー!!」


 聖の叫びに二人はポカンとする。


「一応、しとるって。でも、ほら、トランペットなら部長の方が巧いやん」

「そーですけど」


 微かに聴こえるのはトランペットのソロだ。この曲に掠れた高音は合わない。確かにテンポは速いのだけれど。そう言われると部長の方が巧い。


「サビはもっと、パーンッって感じやわ。ロングトーン巻き過ぎやわ。巻いてもええけど、悟られたらあかんて」


 確かに、課題曲は巻き気味だ。トランペットの高音が追い付いていない。

 それでも『合奏』になっているのだから強豪は違う。

 しかし、このトランペットソロは言うて高校生。巧いが後、もう少し。そこは違う。とホールの外で思う。


「うーん。高校生なら巧いんだよな。複式の呼吸が響いてる。あれじゃちょっと……そう思うと部長って、憎いぐらい巧いんだよなぁ」


 ソロに入る瞬間、呼吸の間が入る。

 その感覚を察すると三人はぐてーっと足を伸ばした。


「ま、部長ぐらい上手になろうと思ったらそりゃ、練習量聞きたくないわな」



 紫織はポツリと呟いた。

 合奏は纏まっている。しかし、所々雑だ。


「あーあ、ウチら、部長のせいで耳肥えましたね~」

「あら、遊乃ちゃん、部長は?」

「さー?」

「ま、どっかくっらーい所でメンテでもしてんじゃないですか?」

「ま、部長らしい」


 夜宵の問に聖と遊乃が答える。


 そんな噂話など興味無さそうに響一はホール外のガラス張りの窓から風景を眺めていた。

 大きなホールらしく敷地面積も広い。

 程よい木々。

 自分の娘、息子の演奏を聴きに来た母親。


「キョ一くーん! そろそろリハでーす!」

「その声はセレスタン先生」

「セレスタンでーす。しかし、どーして初夏なのに冬服なのデスカー!!」

「一応、正装が規則なので」


 そういう響一は目線も向けず、コンコン、とホールの壁を叩いていた。


「何やってるんですか? これからリハダヨー?」

「今、行きます。しかし、これは……」

「え?」

「このホールは会場は木造7対3。外観は逆。リハーサル室は五分五分」

「はい?」

「窓枠と柱は少し劣化している。音量を重視するならあまりキツキツに吹くのは良くない。逆に小さな音も拾うし響く。少しテンポが速い所は繊細に演奏すべきかもな」


 響一の言葉にセレスタンはポカンとする。


「詳しいですね?」

「俺は屋外練習が好きなので。だからホールの時は違いが分かるんです。木造がメインだと音が少しまろやかになる。困ったな。リハーサル室と会場は造りが違う。音がずれないといいが」

「ふむ。何校かずれてました」

「都大会なら希にありますけど」


 確かに、今、演奏している高校は外から聴いた様子では少し音が固い。というよりは籠っている感じがする。


「オケのホールと響きが違うネ」

「ああ。先生はフランスのオケでしたか。比べるものではないですけど、規模も造りも違うからなぁ。音響機械はこちらの方が優れているんですけど」

「それは駄目です! 音で勝負しないと!」


 そんなセレスタンの言葉に響一は苦笑する。

 演奏を聴いて、確かに全体的に課題曲は巻き気味で、自由曲は細部はいいとして全体の構成は少し雑だ。

 タン、タン、タン、と重要視すべき区切りとブレスのタイミングが分かる。

 それでも普通に聴けばそんなものは分かる訳もない。

 相変わらず響一は鬼のような音感の持ち主だとセレスタンは感心する。


 曲を聴いて響一は唸る。


「どうしたんですか? そりゃ、ちょっと雑ですけど。迫力は段違いだし、都大会と見るなら悪くないと思いますけど。ワタシ、吹奏楽はあまり詳しくない」

「うん。まだ吹奏楽、と言った感じですよ。どうやら指揮者が若いですね」

「……え?」

「悪くないです。細部は丁寧だ。むしろ巧いが全体的にのっぺりしている。少し合わせるタイミングが難しいからずれる。というか入りのタイミングが解り難い。これはセレスタン先生の影響です。全体的に先生と真逆ですね」

「見て来たんですか?」

「ちょろっと。場所によっては聴こえるので」


 響一は頷く。


「トランペットのソロは一年生でした」

「あの、喧嘩売ってきた一年デスネ!」

「喧嘩って……そうですが。彼女の父はトランペットのプロだったと思います。指揮者は外部だな。やはりプロだと思います。名前は聞いたことがあるので」

「なんでそんな詳しいの?」

「そりゃあ、一年はコンクールには出ていませんけど、一年はコンクールに出ていますから。それにトランペットは俺個人の趣味です。衣川は二年連続都大会優勝している。狙うは三連覇全国優勝」

「……うえ……」


 確かに、巧い。

 音量もある。

 トランペットのソロも巧い。


「あれ、ちょっとドラムがずれてる?」

「ホールで聴けば大差ないでしょうね。少しずれてるな。惜しい」

「巧いですよね? なるほど、これが高校生の実力」

「はい。しかし、息の入れ方が今一つ。サビの前後のブレスが少し意識し過ぎかな。思ったより響く」


 響一は小さなメモ帳に何かを書き込んでいる。


「それはキョウイチが可笑しいんです」

「一応、強豪と聞いて聴いてみたくなったのです。先生と同じで指揮者が外部のプロだし」

「ふーん。キョウイチって結構、突っ掛かってくる人、好きですよね。アイリスなんてあんなに突っ掛かって来たのに」

「否定はしません。俺は影でこそこそされるより、ハッキリ言ってくれる人が好きなんですよ。それだけ自分の。俺の音を聴いてくれた、ということですから」

「なるほど。発想の転換デスネ!」

「細々した強弱は流石強豪。しかし、曲全体の構成は甘い。音量はいい。おそらく全国を見据えての調整だ」


 これは金を取ると想定しての演奏だ。

 ただ、一人トランペットのソロが浮いている。


 遠目で聴けば素晴らしい演奏。

 しかし、所々に甘さがある。


 そんな響一をセレスタンは横目で眺める。

 その姿に緊張の気配は微塵もない。

 このホールで自由曲は丸々ソロと言っても過言ではないのに。


「さて、どうしましょう」

「んー?」


 響一はパタン、と小さなメモ帳を閉じて制服の胸元のポケットに仕舞いセレスタンと向き合う。


「この演奏、都大会金。全国代表。それを想定しての演奏です。衣川はもう少し巧い」

「ソウデスネー」

「ウチもそんな感じで行きます?」

「やだー」


 セレスタンは中央の赤のソファー上でバタバタ、ごろごろ暴れた。そんなセレスタンの姿に響一は苦笑する。


「全力、全身ですー!」

「ですよね」


 拍手喝采が会場を包む。



「そろそろイキマスカ!」

「はい。今回は何も言わないのですね」


 いつも響一に無茶振りをするセレスタンは今回ばかりは神妙な顔付きで頷いた。


「ええ。全力で。楽しんで下さい。合奏をね」


 と、セレスタンはウィンクをした。


 リハーサル室は皆、わたわたと楽器のメンテナンスをしていた。

 響一は普段通り楽器のケースを持って指定の位置に腰掛ける。


「課題曲と自由曲は被って無かったぞ」

「そりゃ、あれ被るってそりゃあらへんよ……」

「全体的に課題曲と自由曲の方向性が似ている。王道、と言えば早いがあの選曲は正解だな」


 響一の言葉に海は頷く。


「ああ、ウチ、課題曲と自由曲じゃ方向性まるで違いますもんね」


 その時、がしゃーん、と派手な音がした。誰かが楽器を落としたのだろう。


「あ、その、すみません……」


 上川すみれだ。彼女だけではなく、皆どこか落ち着きがない。当然だ。本格的なコンクールとなればそれは久々なのだ。


 そんな様子を見て、セレスタンはパン、と手を叩いた。当然、生徒はセレスタンに注目する。


 本番は近い。


「さて。幸運か、不幸か。ウチは強豪挟んだ後方です。順番が来るまでに色々な高校の演奏を聴きました。どこも巧い。ですが、トランペットにおいては。響一より良い音を出す演奏者はいましたか?」


 それは疑問系だった。疑問系にする意味がどこにあるのか、と部員は首を傾げるが、トランペットの最終メンテナンスをしていた響一は思わずトランペットを落としかける。


 しばらく静寂が続いた。


「そら、おらへんなぁ」


 部員は全員頷いた。そんな周囲に響一は一人、わたわたとしている。



「え……?」

「アホか。自分の音聴け言ったの自分やん」


 響一はキョトンとしていたが夜宵の言葉に全員頷いた。


「そう。だから、我々は響一に合わせるのです。それはとても難しい。響一の音をこの会場に響かせるのです。でないと彼は埋もれてしまう。浮いてしまう。巧いのに。とびきり。それは惨めでしょう。我々が」


 部員たちは頷いた。


「そして、ワタシは課題曲と自由曲。全て合わせて一つの構成にしました。課題曲は和風をアレンジした合奏。自由曲はトランペットソロをメインとした曲。最後はパーンと終わるのですよ。曲は違う。けれど、これは一つのストーリーなのです」


 セレスタンの言葉は一つ、一つが詩的でフランス人らしい。


「ワタシ、皆の基礎をとことん底上げした。とことん。曲の構成、全てです。ワタシ、本番は本番。本番は全力。今、皆さんの力。全て出しなさい。曲を奏でるのです」


『はい!』


 生徒全員が返事をする。


「キョウイチ」

「は、はい」


 突然、名前を呼ばれ響一は挙動不審に立ち上がる。



「君は他の音は聴かなくていい。他の何かは無視していい。自分の思うがまま。自分の演奏をしなさい」

「え……はい?」

「思うがまま。ワタシの指揮ぐらい暗記しているでしょう」

「あ、はい……」

「たった一つの星に成りなさい」


「……」


「大丈夫。貴方はたった一つの星。でも周囲にはたくさんの星があるのです。貴方はただ、輝きなさい」


「……はい」


「では、部長として一言」

「え、……あ、……えぇええ??」

「ハイ! どうぞ!」


 しばらくの間、響一は立ち上がる。


「あ、……えっと。その、まず、俺の音を聴くのは君たちだから。俺は君たちに聴かせる為に音を出す。だから一緒に奏でて欲しい」


 部員全員に向かってペコリとお辞儀をした。



 幕が上がる。


 懐かしいステージの緊張感。

 眩しい照明と暗い観客席。

 上部にはセレスタンが如何なる実力か見極めようとする者が数名。


 観客席はどこか閑散としていて、やはり強豪と強豪の間はトイレ休憩か、と響一は苦笑する。


 セレスタンはそんなことを気にする様子もなく指揮棒を掲げる。


 曲が始まった。

 上川すみれのフルートのソロから一気に合奏が始まる。


 課題曲は和風の童謡のアレンジでタイトルのせいもあり今年は人気がなかった曲だ。


 しかし、指揮するのはフランスの巨匠セレスタン・ラガルド。和と洋がいかにして交わるのか。好奇心からかちらほらと観客はいるにはいる。


 だが無名の藤堂に期待など誰もする訳はなく 、やはり観客席はざわつき人の出入りが激しい。


 しかし、セレスタンが指揮棒を振り下ろした瞬間に時は止まる。

 むしろ何故、この課題曲の人気が無いのかと誰もが驚く。

 和であり、童謡であり、曲であるこの課題曲は個人のソロよりは全体の迫力の塩梅が全体の構成だ。


 いかに格好良く。

 いかにダイナミックに。

 そしてどこか懐かしく。細部は丁寧に。


 セレスタンだからこそ、この迫力が出せるのだ。


 席を立ちかけた観客はそのまま動きが止まり、隣の観客によって座るよう促される。


 のっぺりしてはならない。

 巻いていると悟られてはならない。

 サビはダイナミックに。けれど、細部はより丁寧に。


 この曲は藤堂が苦手としていた『合奏』曲だ。


 課題曲が終わる頃には観客は全員戻っていた。


 拍手が何処か遠くに聞こえる。


 しかし、皮肉にもやはり誰かが言うのだ。


『やっぱ、ズルいよなー。だってフランスのプロの指揮者じゃん?』

『だよね? 一年出てないって、一年コレ練習したんじゃね?』

『あー、ね』


 そんな声が歓声と共に聞こえる。


 しかし藤堂の生徒は苦手な合奏をやりきった、という達成感の方が強く、続く真逆の方向性の自由曲をいかにするかと呼吸を落ち着かせていた。


 この盛り上がりは骨頂ではない。

 始まりなのだ。


 課題曲のお陰で観客席はほぼ満員になる。

 自由曲もまたメジャーな曲ではないし、前の高校が既に自由曲でトランペットソロの曲を奏でていた。


 一瞬の間。

 アナウンスによる曲の紹介を聞いても観客は首を傾げるだけだ。


 名前は聞いたことはあるが、どんな曲かは知らない、と言った感じで。


 そんな中、自由曲が始まる。

 限られた時間の中での最高の構成。


 自由曲は課題曲とは違い、個々の実力が重要で個々の音が合奏となる。

 ドラムは課題曲ほど激しくないが、代わりに多くの楽器を兼用する。海は幾つかの楽器を偲と兼用していた。

 トランペットのソロになるまでが勝負だ。ここで挫ければ曲にはならない。


 課題曲の骨頂の後の静寂。


『なぁ、ってかこの曲もトランペットソロ?』

『みたいだな。前の子、一年らしいぜ』

『うーん。映画なら知っているけど、知らない曲だな』

『全体的に静かだな。今年は珍しい』

『ねぇ、中央から微妙にずれてたってる子。あの人がソロ?』

『あ、男子だ』

『けど……なんか地味~!』


 そして、トランペットのソロが会場に響く。

 誰しもが驚く。あんな地味な男が、まさか……と。

 しかし音が響けば観客は静まる。


 確かな音量。確かな音程。どこまでも優しく。伸びやかな音。


 段違いの滑らかさ。

 ホールを包む曲。


 オーディションの時よりも更に深く、緊張感に満ちた音。

 合わせる方は彼の音に追い付くのがやっとだ。

 それなのに何故か響一からは何処か余裕さえ感じる。


 彼の本来の音は慈悲に満ちた音で、この曲調には素晴らしく合っている。


 サビに向かうにつれ、埋もれるはずのトランペットが響く。


 セレスタンの指揮は普段の楽し気な様子とは違い汗が滴るほど真剣に、激しく、曲を構成していた。

 曲調はどちらかと言えば淡々としているのに。


 響一のソロに合わせる為に。


 ただ、大きく、激しく、曲を奏でることはある程度の経験者なら難しくはない。

 最も難しいのは優しく、自然な消音とその維持を保ちながらの音階だ。


 それは響一が最も得意な部分なのだ。

 曲もまた、どちらかと言えば響一が得意な柔らかく、穏やかな曲調であることも大きい。


 セレスタンの言葉通り。

 トランペットのソロと共に曲は骨頂を迎え、最後はパーン、と終わる。


 そう。終わるのだ。


 観客は全員、あ、終わった、とひたすら呆然としている。


 響一がトランペットを降ろし、お辞儀をすると会場は静まる。


 唖然、という表現が正しく、拍手喝采をするタイミングを完全に観客は見失っていた。


 静まる会場に流石の響一も演奏の余韻から意識を戻しきょろきょろと周囲を見渡す。

 誰も何も言わないのでどうすべきか分からず、とりあえずペコリとお辞儀をした。


 次のプログラムが迫っているのでまたそそくさと楽器と楽譜を片す。

 妙な静けさに首を傾げるが観客が出てしまっていないのか、と思うことにした。


 楽譜を運んでいると次のプログラムの後方の他校の生徒たちが何故か泣いている。

 響一からしてみれば、全く訳が分からず。


 どうしたものか。演奏が駄目だったのか。聞くタイミングも分からず。


 ホールから退場していると頭に衝撃が走った。


「痛っ!?!?!」

「先輩の、先輩の、馬鹿ー!!」


 その声と行動はアイリスだ。

 何故か彼女の声と行動は安心する。響一は楽譜で殴られた頭を撫でながら彼女と向き合った。


「あ、えぇええと、その、駄目だったのか?」

「はぁ?」


 ホール外はざわついている。

 藤堂の後は強豪が続くのだ。何故か泣いている生徒がいる。一体、何が何だか全く分からない。


「その、それはすまない……」

「何に謝っているんですか」

「え、えぇえっと……なんか、空気が……」

「先輩は完璧でしたよ。いえ、完璧以上でした。合わせる方が苦しかったのは初めてですよ」

「え?」

「私の音、聴こえました? 先輩に届きました?」


 そんなアイリスの言葉に響一は黙る。


 正直にそれどころでは無かった。ひたすら自分の音を奏でる、曲を奏でるだけで。


 彼女の美しい瞳から大粒の涙が溢れて落ちる。


「悔しい。悔しくて、悔しくて、悔しくて、憎い」


 たった一言。

 それが彼女の全てなのだ。

 愛情があれど。欲情しようが。

 そんなものをひっくり返してしまうほど憎い。


 彼女の涙は止まらず、響一は慌ててポケットからハンカチを取り出した。


 そのハンカチを手に持ったアイリスはそのまま屈んでしまう。


「アイリス……」

「先輩の音は届いた。響いた。会場全部に。結果なんて聞かなくても分かる。都大会は金、代表でしょう」

「……でも、君がいたから」

「え?」

「君も、九条寺も、朝倉も、篠宮も。セレスタン先生も。たくさん。部員がいたから俺はステージに立てた。君は俺の音を届けてくれた」

「その言い方はずるい」

「一番、最初に俺の音を聴くのは君だ。そんな君が泣くほどの演奏が出来たのなら、俺は悔いはない」

「ちょ、今はだめ! 止めて、ずるい、ずるい!!」

「うん」


 響一は優しく、涙でぐちゃぐちゃなアイリスを抱き寄せた。そのまま頭を撫でる。


 残りの強豪高校の演奏がホールに響く中、アイリスは響一の胸の中でひたすら泣いていた。



 帰りのバスの中の空気はまた微妙、の一言に尽きる。


 セレスタンはるんるんで異様なテンションの高さから結果は分かる。


 しかし、部員たちはどこかどんよりしていた。

 圧倒的な差。しかも同じ部員での。悔いや後悔ばかりが渦巻く。

 響一のトランペットソロの余韻が抜けない。


 都大会金賞。しかも代表に選ばれたのにバスの中は何故か通夜のようにどんよりしていた。


 正直に響一のソロに全体が追い付いていない。彼の音が既に都大会のレベルではない。

 元々そうだったのだ。


 アイリスはハンカチを返そうか、と隣の響一を見ると彼は寝てしまっていて驚く。


「先輩?」


 アイリスの肩に重みがかかる。

 寝息は深い。


 ひょっこりとセレスタンが顔を覗かせる。


「あれれ。全力でいけー! と言いましたけど。本当に全力全霊で望んだのですね」

「……すごい。疲れきって、寝ちゃうぐらい全力を出せるって……」


 アイリスはそっと響一の頭を撫でた。


「それだけの情熱を掛けられるって……すごい」

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