8 《汝 帰還》
悲鳴とサイレントうめき声。さまざまな騒音が渦巻く中、俺は声を張り上げた。
「オットー、この基地はもう終わりだ。脱出艇はあるのか?」
「終わり、かも知れんな。貨物船が一隻入港したままだ。あれに全員のれる」
「よし、そいつに乗ってさっさと脱出しろ」
「って、お前はどうする?」
「奴らの狙いは俺だ。俺が同行したら、いつまでも追撃を受けるぞ」
「女を置いて逃げられるか」
そういえば、こいつはバカだったな。忘れていたぜ。
「アリスさんの言葉を聞いていなかったのか? 俺は死者だ。今さら成仏するのを恐れたりしない」
オットーは何か言い返そうとしたが、それより早く報告が入った。
「第2リング、再度B兵器の発射態勢に入ります」
人の波がどっと動き出した。誰だってあんなものの直撃は受けたくない。入港しているという貨物船に向けて、無重力空間を泳いでいく。
俺も《アカシックゲート》の向こうに意識を飛ばす。
なんとかして、ブラックホールを止めなければならない。どうすればいい?
俺の能力は味方に対する支援魔法しかかけられない僧侶系キャラクターみたいなものだ。敵への直接攻撃は出来ないし、バッドステータスも付けられない。
まさか、外壁の強度を上げたぐらいでブラックホールが止められるとは思えないし…
考えがまとまるより早く、変形した第2リングから空間の歪みが打ち出される。
思い出せ、俺! ブラックホールには何がある?
ブラックホールには毛が3本しかないという。質量と運動量とそれから電荷だ。それ以外の情報はすべて超重力に塗りつぶされて無意味と化す。
逆にいえば、ブラックホールは電気を帯びることはできる。
あれを動かせるものはそれだけだ。
《アカシックゲート レベル1 検索 超電導コイル》
アリスさんは言っていた。この基地は外壁の太陽電池で発生させた電力を超電導コイルに蓄えていると。
検索すると、第3、第4リングの外周部にいくつも並んでいた。
《アカシックゲート レベル2》
俺は超電導コイルの一つを暴走させた。それだけでは足りない気がしたので、発生した電磁気力をブラックホールに向けて収束させる。
「うわぁぁぁっっ、もうダメ。死ぬ、死ぬ、死ぬ。…あれ、死んでない」
宇宙港側は阿鼻叫喚だった。
オペレーター業務についていた者たちは司令室を離れても基地の情報機器とつながっていた。今の一部始終が見えていたようだ。
「何があった?」
「B兵器、発射されました。直後に第3リングで超電導コイルが破損。コイルにひきつけられてB兵器は軌道を変更。スペースポートブロックとリングたちの間をすり抜けていきました」
「な? そんな偶然が…」
「ある訳ないだろう」
オットーのツッコミを、俺は冷たく引き取った。
奴の黒い顔が近い。何でこいつは俺を抱きかかえて移動しているんだ? さりげなくあちこち触っているあたり、本当にぶれない野郎だ。
俺は自分のボディを軽く帯電させて、黒人男の抱擁をはねのけた。
「まさか、お前がやったのか?」
「狙われたのも俺だけどな。俺にこの力がある限り攻撃はやまない。ほかの者たちを連れて早く脱出しろ。それまでの時間は稼いでやる」
「死ぬつもりか?」
「特に問題はないな」
問答はまだまだ続きそうだったが、第2リングのほうで動きがあった。俺の注意はそちらにひきつけられる。
変形したリングの巨大なクローアームが動いていた。再び自身の体のまた別の部分をえぐる。
あれは俺が『邪神の祭壇』と感じた赤黒く輝く物体のあったあたりだ。
先ほどの俺の本体と同じように宇宙空間に投擲され、ブラックホールに狙い撃たれる。
あの『祭壇』の正体が何であったにしても、この攻撃に耐えることはできなかった。物体は宇宙の塵と化して消滅した。『宇宙の塵』にすらなれずに消え去った部分も多いのがB兵器の恐ろしさだ。
《魂捕獲装置 破壊確認》
これは『神』の声?
《任務 完了》
え?
任務が終わった?
『神』はこれが目的だった。俺にリチャードたちと対立させ、チートな能力をふるわせる。よみがえった死者が制御不能な存在である事、現在の秩序をかき乱す存在であることを痛感させ、邪神の祭壇『魂の捕獲装置』を自らに破壊させる。それが『神』の計画だった。
俺の振る舞いなど、多少違おうと最終結果は同じようになる。その程度の物だったのかもしれない。
俺の重要度など、所詮はその程度か。
ホッとしたような、侮られたような、複雑な気分だ。
《アカシックゲート 閉鎖開始》
何?
「おい、ちょっと待て。ここで梯子を外されたら、こっちはどうなる?」
俺は思わず、声に出していた。
《汝 帰還》
「死後の世界に帰って来いってか? 俺はそれでいい。だが、ここにはまだ生きている者たちがいるんだぞ!」
《生者 必滅》
「冥界の神に生命の尊さを説いても無駄かよ」
俺に生身の肉体があればはらわたが煮えくり返っていただろう。
「オットー、まずいことになった。今の一撃で俺の力の供給元が手を引いた。B兵器の攻撃をもう一回受けたら、防げる保証はないぞ」
『神』はゲートの《閉鎖開始》と言った。一瞬で閉鎖されたわけではない。今でもある程度の力は使える感触がある。《レベル2》が後一度ぐらいは使えるかどうか、その程度だが。
俺の言葉を漏れ聞いて、皆は我先に貨物船へ逃げ込んでいく。
オットーは…動かない。
「どうした、早く行け」
「仲間を…女を見捨てるわけにはいかない。それは俺の信条に反する」
「俺はどうあっても一緒には行けない。おまえにはお前の仲間たちを導く役目がある。それはお前にもわかるはずだ」
「しかし!」
「俺は見捨てられるわけじゃない。俺はここで俺の役目を果たすんだ」
「分かった。だが、一つだけ約束してくれ。…死ぬなよ」
「難しいことをいう」
「少なくとも自分から死に急ぐようなマネはするな。生き残るための最善を尽くせ。これは約束しろ。約束できないのなら、俺もここに残る」
強情な奴だ。
涙がほしくなってきたぜ。
「いいだろう、約束しよう。この俺、相楽虎太郎は生き残るために全力を尽くす」
「そうか、では、またな」
「ああ、冥土以外で会おう」
オットーは貨物船に向かってツーと加速した。
振り返って言った。
「サガラ、お前はいい女だぜ」
「その言葉だけは訂正しろ!」
黒人男も去り、俺のそばに残るのはあと一人だけになった。
メタルボディのアンドロイドは何も言わずに佇んでいる。
「アリスさん、君は行かなくていいのかい?」
「私にはコタローに同行するように、という命令がまだ残っています。それに、私への命令権はまだ本部棟にあります。現在は連絡が途絶していますが、新しい命令が来たら私は彼らの不利益になる事でもやらなければならない。私も彼らと一緒に行くことはできません」
「そうか…」
アリスさんは本当に高性能だ。ほとんど自由意志を持っているようだ。その意思が彼女にとり呪いでないことを祈ろう。
貨物船の出発準備が整ってゆく。
ケーブルやアームが切り離され、船が自由の身となる。戻ってきたタグボート2機が船体をつかみ、港の外へ運び出す。
その時、B兵器がもう一度発射された。
またコイルを、と思ったが、俺が何かするより早く第3リングの超電導コイルの一つが破裂する。船の中から通常の操作でやってくれたようだ。俺は発生した電磁気力を収束する作業だけを担当する。おかげで、余裕をもってブラックホールを防ぐことができた。
俺は出港してゆく船の中を《アカシックゲート レベル1》で『見た』。
オットーがいた。肩に包帯を巻いたジュディがいた。一見してサイボーグと分かる姿の傾奇者たちがいた。対G仕様の小人たちの生き残りがいた。いつの間にか合流していたあの変態、コットン・コーデックまで乗り込んでいた。
彼らの行く手はかなり厳しいだろう。
話に聞く限り、すべての人間に番号が割り振られた管理社会のようだし、ここから逃げ出しても追いかけられて『処分』される可能性はかなり高い。
だが、俺の手はそこまでは届かない。
俺にできるのは、今この場で彼らが命を落とさないようにすることだけだ。
そこから先は彼ら自身の才覚にかかっている。
だから、俺は祈る。
俺に力を授けた身勝手な冥府の神ではなく、また別種の神がいるのならこの祈りを聞き届けてくれと。
彼らの前途に幸あれ。




