表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リバース・シンデレラ  作者: 天そば
エピローグ きらきら光る日曜日
27/28

きらきら光る日曜日

 わたしたちの秘密が余すことなく嶋くんにバレてしまった土曜日から、一夜明けた日曜日。小雨が降ったおかげで開始時間が少し遅れたけど、以前から予定されていたとおり、柔阪高校との練習試合が行なわれた。

 わたしは隙あらば嶋くんに話しかけようとチャンスを伺っていたけど、なかなかみつからなかった。偶然ではなく、明らかに嶋くんから避けられていたからだ。昨日の一件で、相当彼をびびらせてしまったらしい。

 それでも虎視眈々と嶋くんに話しかけるタイミングを計っていると、お昼休憩時、マネージャー三人で木陰に陣取ってお弁当を食べているときに、それは訪れた。


「藤井先輩のファインプレー、すごかったですね! あの打球を捕るなんて!」

「だよね。あれのおかげで流れがうちにきたし、さっきの試合のMVPは藤井君だね」


 食事もそこそこにあかりと瑞樹が盛り上がる中、わたしは少し面白くなかった。まあ確かに、藤井のダイビングキャッチはすごかったけど、嶋くんのリードがよかったから相手を一点に抑えられたんじゃない。もっとそこら辺も触れてよ。……あ!


「嶋くん!」


 ちょうど、嶋くんが一人でグラウンドを横切っていた。たぶん、グラウンドの端にある裏門から外に出て、飲み物でも買いに行くつもりだろう。食べかけのサンドイッチをおき、わたしは彼に駆け寄った。


「お疲れさま! いい試合だったね」

「あ、ああ。うん」


 嶋くんはあたりを見回し、小声で、


「今日は……お姉さんのほう?」

「そうよ。でも、お姉さんって呼ばないで。柚香よ、柚香。言ってみて」

「え? あ、うん。柚香……さん」


 照れながらもちゃんと呼んでくれた。わたしは顔いっぱいに笑顔を広げる。


「うれしい! 名前で呼んでくれたの、初めてよね」

「うん、まあ、いちおう……」

「あのね、嶋くん」


 距離を半歩詰めて、囁くように言う。


「昨日は、二人して興奮しちゃってごめん。もうわたしたちは落ち着いてるから。すぐには難しいかもしれないけど、これまで通り接してちょうだいね」

「あ、うん。わかった」

「うん。それじゃあ。次の試合も頑張ってね!」


 とどめにもう一度満面の笑顔を向けて、わたしは嶋くんから離れていった。そうしつつ、心の中ではガッツポーズ。

 よっしゃよっしゃ。今朝からなんとなく嶋くんに避けられてたけどうまく話しかけられたし、昨日のことのフォローもできた。上出来だ。こうやって少しずつ、嶋くんの恐怖心をなくしていけばいい。

 お弁当を食べていた場所に戻ると、あかりと瑞樹がきょとんとした表情でわたしを出迎えてくれた。


「ユズ、なんか急に積極的になったね」

「そう?」

「そうですよ。いままで自分から話しかけに行くことなんて滅多になかったのに」

「ああ。だって昨日、勢いで告白しちゃったし」


 ええっ! と二人の声が重なる。


「マジですか、それ?」

「マジよ。大マジ」

「じゃあ、どうだったんですかっ? 付き合うとか、そういうことには?」

「ぜんぜん。いまは野球に集中したいって」

「え、そうなんですか? それにしてはユズ先輩、あんまり落ち込んでませんね」

「そう言うだろうってわかってたから。来年、部活を引退するまで待つわ」


 そうですかあ、と瑞樹が肩を落とす。その横で、あかりはじっとわたしの目を見てきた。わたしは少したじろぎながら、


「な、なに? ゴミでもついてる?」

「ううん。ただ、ユズ、すごいすっきりしたような感じだなあって」

「そう?……うん、でも確かに、すっきりはしたかも」


 それは紛れもない本心だった。長い間、身体中を縛りつけていた鎖から、やっと解放されたような気分だった。

 ――うん、そうだ。

 サンドイッチの最後の一片を飲み込んで、わたしは頷く。


「これから、やっと始まるって感じよ」


 いままでのわたしは、用意どんの掛け声を待つランナーのような状態だった。嶋くんにアタックするのは、高校を卒業してから――学校にバレたら大変だからと、柚希の存在を隠さなければならない状況から開放されて、わたしたちが一人の人間として嶋くんと接することができるようになってからだと、わたしは決めていた。だけど昨日、思いがけず始まりのピストルの音が響いた。

 準備期間はもうおしまい。わたしの恋は、これから始まるのだ。

 わたしの言葉を受けて、あかりはにっこり笑い、瑞樹は興奮したように拳を握った。


「そっか。じゃあ、これからも応援してるね、ユズ」

「あたしもです! なんか進展したら教えてください」

「ありがとう、二人とも」


 わたしは微笑む。本当のことを話せない罪悪感はあったし、柚希の存在を知ったら二人がどっちを応援するかわからなかったけど、それでも、そう言ってくれるのはうれしかった。

 雲に隠れていた太陽が顔を出す。日差しが眩しい。わたしは視線を右にずらした。


「……ん?」


 裏門を出てから、反対側の歩道に目が行った。自動販売機の前に、人が二人立っている。一人は嶋くんだ。そしてもう一人は、ウェーブのかかった茶髪をポニーテールにして、サングラスをかけた女の人。……あれってまさか。

 話はもう終わったのか、二人は離れていった。嶋くんは販売機にお金を入れ、女の人は駅のほうへ歩いていく。わたしはまた立ち上がった。


「ちょっと電話してくる」


 あかりたちにそう告げると、手近な木陰に移り、辺りに人がいないことを確認してからアドレス帳を選択、通話ボタンを押す。

 電話に出た声は、かなり白々しかった。


「も、もしもし? なにかあった?」

「なにかあった、じゃないわよ。柚希、あんたいま、嶋くんと話してたでしょ。カツラかぶってサングラスかけて」


 う、と声に詰まる。ほんとに機転が利かないというか、素直すぎる。


「なにやってんのよ。誰かに見られたらどうすんの?」

「だって……。昨日あんなことがあったから、嶋くん、どんな感じかなって気になって……。でも、遠くで見てるだけのつもりだったよ。これは本当」

「でも実際、話してたじゃない」

「どのジュースにしようか悩んでたら、嶋くんが近づいてることに気づかなくて……」

「なによそれ。ま、いいわ。それで、嶋くんとはどんな話したの?」

「べつに、大したことはなにも。あ、でも嶋くん、しばらくは混乱するかもしれないけど、頑張って整理するからって言ってたよ」


 頑張って整理する、ね。それってつまり……。


「そっか。なら、よかった。……じゃあ、また家で」

「うん。ばいばい」


 通話を終え、ため息をついて背後の樹にもたれた。

 整理するっていうのは、つまり、わたしたちがどっちがどっちなのか、はっきり区別して接するということだ。嶋くんのことだらか、昨日わたしが言ったとおり、どっちを好きなのか自分なりに考えようとしているのだろう。それを望んだのはわたしだけど、いざそうなると、また別の感情が湧いてくる。


 わたしたちのうちから一人を選ぶというとは、先送りにしてきた柚希との一騎打ちが現実のものになることを意味している。わたしの恋が始まるというのは、そういうことも含まれているのだ。その事実が、急に現実味を増して胸のうちに広がってきた。

 はあ、ともう一度、大きく息を吐く。相手が柚希ということを考えると、他の恋敵と勝負するときと同じような心境ではいられない。けど、嶋くんがわたし以外の誰かのものになるのはぜったいに嫌だ。


 先行きはあまりにも不透明だった。

 まあ、それでも、最初に嶋くんにわたしたちのことがバレたと聞かされたときに感じた、あの不安。もう嶋くんとまともに話すことはできなくなるんじゃないかという途方もない絶望感に比べたら、ぜんぜん大したことはないか。

 今朝降った小雨で濡れた樹の葉っぱが、太陽の光を浴びてきらきら光っている。それを見上げながら、わたしは思った。


     *


 大丈夫かなという思いはあったけど、やっぱり気になる気持ちのほうが強かった。

 もしものときの変装用に買ったカツラとサングラスを装着して、わたしは柔阪高校へ向かった。

 着いた頃にはちょうど試合が終わったところで、両チームがホームベースを挟んで向かい合い、礼をしていた。わたしはそれを、柔阪高校の反対側の道路から見た。


 嶋くんはキャプテンだから一番前にいる。こうして見る限りでは、普段通りに見えるけど……。

 選手たちがグラウンド整備を始める。いつもの流れなら、これからお昼を食べてもう一試合だ。

 ずっと棒立ちでグラウンドを見てるのは怪しいから、わたしは自動販売機にもたれ、ケータイをいじるふりをした。これなら、誰かと待ち合わせてるように見えるはず。


 ケータイに視線を落としているように見せかけて、上目遣いでグラウンドの様子を探る。思った通り、グラウンド整備が終わると、選手やマネージャーがいろんなところでお弁当を広げはじめた。……どうしよう、そういえばわたし、お昼まだ食べてなかった。向こうのコンビニでなにか買ってこようかな、なんて考えてると、


「すんません、お姉さん」

「うわっ!」


 急に声をかけられた。びっくりして隣を見ると、更に驚いたことに、藤井がいた。や、やばい。もしかして、わたしが柚香と同じ顔をしてることに気づいた?


「すんません、驚かせちゃって。ちょっとおれ、自販機でジュース買いたいんですけど……」


 あ、ああ。なんだ、そんなことか。わたしは無言で販売機からどいた。


「ありがとうございまーすっ」


 テンション高くそう言って、お金を入れると、


「ここの自販機ねえ、品揃えいいんすよ。おれら、何回か柔阪に来てますけど、そのたびにここでジュース買ってます」


 あ、あれ? なんか話しかけてきた。


「あ、そうなんですか」

「はい。特におすすめは、これ。さっぱりしてるし、中にブドウ入ってるし、おれにはドストライクなんすよ。ただ、ちょっと高いんだよなあ。でも……」


 藤井は急に、にんまりと笑った。


「今日は、自分へのご褒美ってことで買っちゃいます。おれ、見ての通り野球部なんすけど、さっき試合で、自分でもほれぼれするようなファインプレーができたんすよ! こう、外野に抜けそうなライナー性の辺りを、横っ飛びでキャッチするっていうね! もう、チームは大盛り上がり、今日の勝利はおれが引き寄せた、って感じで!」

「はあ……」

「だから、ちょっと高いですけど、いいっすよね。これに決ーめた!」


 勢いよくボタンを押す。落ちてきたジュースとお釣りを手に、それじゃあー、とか言って、藤井は歩道橋の方へ去っていった。

 ああ、あっちの歩道橋から来たから、わたしはあいつが近づいてくるのに気づかなかったんだ。てか藤井のやつ、知らない人によくこんなに話しかけられるな……。こういうところは素直に羨ましい。


 藤井が買っていったジュースを見る。ブドウの実入りジュースか……。確かにおいしそうかも。あ、でも、隣の完熟マンゴージュースもなかなか。ううん、藤井の言うとおり、この販売機、品揃えいいな。わたしもなにか飲みたくなってきた。けど、どれにしよう……?


「あの、すいません」

「え、はい!」


 また、急に声をかけられた。隣を見ると、そこには、


「し、嶋くん!」

「えっ?」


 間違いない、嶋くんだった。わたしはサングラスを外し、目元を見せる。


「あ、妹さん」

「妹さんって……」


 確かにそうだけど、なんか嫌だな、その呼び方。それを察したのか、嶋くんは慌てて言い直した。


「ごめん。柚希さん……でいい?」

「う、うん」


 名前で呼ばれたのは初めてだった。ぐわ、と全身の体温が上がるのがわかる。


「どうしてここに?」

「あ。あの、わたし、嶋くんがどうしてるかなって気になって。昨日、なんか中途半端な感じで別れちゃったから、なんかいろいろと気にしてて、それで、変な感じになってたら嫌だなって……」


 我ながら要領を得ない答えだったけど、いちおう嶋くんはわかってくれたみたいだった。


「そっか。なんか、いろいろと気を遣わせたみたいでごめん。いまちょっと、お姉さんと話したんだけど……」


 軽く後ろに目をやる。柚香は、あかりと瑞樹と一緒にお弁当を食べていた。


「あんまり気にしないで、これまで通りに接してくれって言われた」

「あ、うん。わたしも、そうしてもらえるとうれしいな」

「うん。しばらくは、混乱すると思うけど……でも、ちゃんと整理するから。あと、昨日はごめん」


 手を合わせて、嶋くんは頭を下げた。


「スパイだなんて言って。どうかしてた」

「ああ。いいよいいよ。わたしこそ怒ってごめんね」

「謝ることないよ。俺のせいだし」

「あ、まあ。うん……」


 会話が途切れた。ええっと、どうしよう、いままでは柚香としてしか嶋くんと話したことなかったから、いざ正体がバレると、どういうふうに話していいのかわからない。

 沈黙が気まずさに変わる前に、わたしは言った。


「じゃあ、もう行くね。ありがとう、嶋くん。……またね」

「うん。また……火曜日に」


 あ、うれしい。わたしが次いつ来るか覚えててくれたんだ。

 嶋くんに背を向けて、駅へ向かって歩き出す。そうしつつ、ぶはー、と大きく息を吐いた。

 すっごく緊張した。でも、嶋くんと話せてうれしかった。どうしようか迷ったけど、来てよかったなというのが本音だった。

 そううかれかけていると、ポケットのケータイが震えた。取り出すと、着信、川口柚香!

 しまった。そういえばさっき、柚香は余裕でわたしが見える位置にいた。カツラとサングラスは二人で買ったから、当然、柚香も知っている。ぜったい、あれがわたしだってわかったんだ。なにを言われるだろう?

 不安を必死に抑えながら、通話ボタンを押す。


「も、もしもし? なにかあった?」

「なにかあった? じゃないわよ。あんたいま、嶋くんと話してたでしょ。カツラかぶってサングラスかけて」


 う、やっぱりバレてた。なにもいいわけできない。


「なにやってんのよ。誰かに見られたらどうすんの?」

「だって……。昨日あんなことがあったから、嶋くん、どんな感じかなって気になって……。でも、遠くで見てるだけのつもりだったよ。これは本当」

「でも実際、話してたじゃない」

「どのジュースにしようか悩んでたら、嶋くんが近づいてることに気づかなくて……」

「なによそれ、ま、いいわ。それで、嶋くんとはどんな話したのよ?」

「べつに、大したことはなにも。あ、でも嶋くん、しばらくは混乱するかもしれないけど、頑張って整理するからって言ってたよ」


 なんとなく、電話の向こうで柚香が眉をひそめたような気がした。


「そっか。なら、よかった。……じゃあ、また家で」

「うん。ばいばい」


 電話を切る。とりあえず、怒られなくてほっとした。

 けど、改めて冷静に考えたら、嶋くんはけっこうすごいことを言ってた気がする。

 整理できるように頑張るってことは、昨日柚香が言ったとおり、わたしたちのどっちに好意を持っていたのかはっきりさせるってことだ……たぶん。そうなったら本当に、わたしと柚香の一騎打ち。


 わたしじゃどうやっても柚香にかなわないけど、もし嶋くんが柚香と付き合うってことになったら、いままでどおりわたしに接してくれるかな? なんかこう、変なギクシャクした感じにならないかな。不安を挙げていけばきりがなかった。

 ――それでも、昨日電車の中で感じていた不安に比べれば、かなりましだ。


 歩きながら、わたしは意味もなく頷いた。

 もう入れ替わりを続けられなくなって、嶋くんの顔を見ることすらできなくなる。あの大きな不安に比べたらなんでもない。

 雨で濡れたアスファルトは、太陽の光に当たってきらきら光っていた。それを見ながら、わたしは思う。


     *


 わたしたちの、奇妙で、だけど途方もなく幸せな生活は、もう少し続くんだな、と。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ