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うろな天狗の仮面の秘密  作者: 三衣 千月
うろなを守る天狗のはなし
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12月13日 天狗、夕闇に駆ける

12月13日 夕方



 一体、どれほどの時間が経っただろうか。いや、時間にして見ればほんの数十秒だったのだろうが、院部を引率している井筆菜伸太郎にとってはまるで永劫にも感じられるほどの時間であった。なぜならば、彼の思考の大半はこの場をどう切り抜けようかと考えることで超圧縮されていたためである。


 目の前にはひょろひょろした青白い肌をパーカーから覗かせながらも、目だけは血走らせている自称宇宙人。さらにその向かいには町の警護に余念がないと噂の天狗面の青年。


 井筆菜は思う。一体これはどうしたことだろうかと。

 なぜこうも余計なことをしてくれやがるのかこの白磁の白ヒョウタン野郎は。模試の結果が芳しくなく焦っているというのに、これ以上勉強時間を削られてはたまらんではないか。

 院部のパーカーを後ろから引っ張ってやろうと伸ばした手はぺちりと叩かれてしまった。


「お、おい、院部」


「邪魔をしないでいただきたい所存でありけるぞ。

 お前さんは非道を前にして何もせず悔し涙で枕を濡らせと申すか!」


「待て、待て。何がなんだかよくわからんがまあ待て」


「そうですよ、落ち着いて下さい院部さん」


 どうどう、と一緒にいる少女が院部をなだめる。井筆菜もまた、お前が濡らすのは枕ではなく不気味な菌類だろうがと心で思いながらも、これ以上騒ぎを大きくするのは憚られると少女に同調して院部を抑えにかかった。しかしそれを天狗仮面が手で制する。


「私も何やらよく呑み込めぬ。

 だが、団蔵殿の憤りはどうやら私に原因があるらしい。

 あい済まぬが、その理由を教えてはいただけないだろうか」


「天狗めよくもぬけぬけと!大方、吾輩の美的センスに嫉妬したのであろうが、

 あの仕打ちは非道も非道!姿形は見えぬども、下手人ははっきりとわかる!

 夏の一夜のイケナイ仕打ちはこの尻が憶えているぞ!」


 その一言に場の空気が凍る。


 数瞬の後に、井筆菜は慌てて日本の正しい情操教育に思いを馳せながら少女の耳を塞ぐ。

 天狗仮面は天狗風で院部を飛ばしたことに思い至り、天狗であるという正体を暴露されるのではないかと身を硬くする。


「あ、あいわかった!皆まで言うものでもあるまい!

 伸太郎殿!しばし団蔵殿をお借りする!」


 言うが早いか、天狗仮面は院部の手を取り、そのまま商店街の路地の奥へと消え去った。きゃあきゃあと院部が騒いでいたが、その声も路地に入って少ししたあたりでぱたりと止んだ。


「あの……」取り残された少女が口を開こうとするが、同じく取り残された井筆菜が首をよこに振ってそれを制止する。


「世の中には、知らん方が良いことも多分にあるんです」



  ○   ○   ○



 路地裏では睨みつける院部と焦りの色を浮かべた天狗仮面が相対していた。

 天狗仮面の右手には赤い番傘。左手には風呂敷で包まれたうろな酒店の大吟醸。


「団蔵殿。その節は誠に申し訳なかったのである。

 しかしながら、あの時は団蔵殿を放っておく訳にもいかなんだのだ」


「しかし、吾輩の美の結晶を打ち壊すこともあるまいに!

 大小さまざま、実に108の石で造られた美の塔を……

 宇宙の真理として銀河ヒッチハイクガイドに掲載され、

 ゆくゆくはこの銀河の観光名所になるはずだったものを」


 なおも滔々と院部が己の作品について語りあげる中で、天狗仮面、平太郎はふとある部分が気にかかり目の前の人物に遠慮がちに声をかけた。


「団蔵殿」


「……そして最終的には超銀河遺産として、その製作者たる我に

 湯水の如くあふれ出る巨万の富と……」


「団蔵殿!」


「ああ、いくらでも汎銀河ガラガラドッカンが呑めますぞ!

 わざわざサントラジナス星系まで海水をとりに行かなくても!」


 彼は自らの妄想世界から一向に帰ってくる気配が無い。どうしたものかと平太郎が天狗面の鼻を掻きながら思案していると、「兄貴、ここはあっしにお任せを」と右手の番傘が唐突にばさりと開いて軽く辺りに風が舞った。

 思わぬ傘次郎の行動に平太郎は驚いたが、舞い上がった風は路地裏に転がっていたビール瓶を一つ巻き上げ、それなりの高さから院部の頭頂めがけてそれは落下をはじめた。

 平太郎が瓶の行方を目で追う。ごつりと妙に鈍い音がして瓶は目標物を正確に捉えた。たまらずうずくまる標的にあわてて駆け寄り、平太郎は声をかけた。


「次郎!やりすぎであるぞ!

 団蔵殿!大丈夫であるか!?」


「ぬぅ……お?螺旋状に並んだ吾輩の巨万の富とリゾート惑星はどこへ?」


「い、いや、私にはわからぬのである。

 それよりも団蔵殿。先ほどの石塔の話なのだが……」


「お前さんも気になりけるか、今更惜しんだとて……」


「石は108個で間違いあるまいか?」


「我輩、自慢ではないが幼少の砌はちゃんと風呂で500まで数えられると

 母に褒められたものですぞ。100と少しなど、間違えようもない。

 能ある鷹は茄子を隠すと言うのを知りませんかな?」


 刹那、平太郎の中でばらばらになっていた情報の断片たちが繋がった。

 千里が町の妖怪に箝口令を敷いたことも、今になって小角の術書が偶然手に入ったことも、千里がわざわざ権蔵の元へ押しかけたことも。


「なるほど……千里なりの助言、という事か。

 私がどこへいくべきか、そして何をすべきか」


 そこまで呟いて、「赴くべきは、西の山に」と腕を組み、大きく一つ頷いた。


「団蔵殿!貴殿に感謝するのである!

 私の向かうべき場所が今、しっかと理解できた!」


「藪からスティックによく分かりませぬな。

 そんなことよりも我輩のリゾート惑星の返却をですな……」


 院部のその言葉が天狗仮面に届くことはなかった。唐草模様のマントを翻し、高らかに天狗笑いをしながら路地の奥へと駆けてゆく天狗仮面の姿しか見ることはかなわなかったからである。

 「ようわからんやっちゃ」とぷつぷつ言いながら路地から戻った院部に対して、表で待っていた二人は心配そうな視線をよこした。


「なんぞ、その不安に押しつぶされそうな子ウサギのような眼は。

 天狗仮面ならば、我輩の美にひとしきり感謝して去りけるぞ」


 あまりにも要領を得ない院部の説明に、青年、井筆菜と少女、鸚屋の二人は目を見合わせて「もう手遅れか」とでもいわんばかりに首を横に振るのだった。



   ○   ○   ○



 日も暮れ、西の山には闇が広がっている。

 山頂より少し奥。登山道から外れたちょっとした広場に平太郎はいた。夏の大戦の折に山中に風を滑らせた際に、院部の気配を場所。院部の言ったように塔らしきものの残骸があり、石が一つだけ塔から離れて転がっていた。


 108個。これはとある術を完成させるのに必要なものの個数である。術の名は「六道辻の陣」。現世と常世をつなぎ、縁のあるものを呼び戻す術である。


「夏には、これに苦労させられたことを思い出す」


「まったくでさぁ。しかし、兄貴……。

 もう一度陣を完成させようだなんて、どういうことですかい?」


「いやなに、どうやらこれが最後の試練であるようなのでな」


 そう言いながら天狗の面を外し、黒い翼のある天狗姿に戻る平太郎。天狗風で塔から離れた一つの石を浮かせ、ゆっくりと塔の頂上へと降ろした。

 陣の完成間近まで石が積み上げられているところを見ても、やはり千里がここまで仕組んだのだなと平太郎は納得する。

 そうであれば、町に禍を呼ぶような術式は省かれているに違いない。術者の意に沿う者だけがこの陣から姿を表すはずである。辺りに術の気配が満ちるのを感じながら、平太郎はその時を待った。


「鬼が出るか……蛇が出るか……」


「どちらにしろ不気味なもんしか出ねえんですかい?」


「千里が仏を出すように見えるのであるか?」


「いいえ、皆目。

 それはもう、きっぱりと、でさあ」


「そうであろう。

 ……来るぞ!」


 石塔から妖力が吹き出し、黒い塊が次第に形を成していった。

 そこに現れた者は―――



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