12月11日 仙狸、鬼を訪ねる
作中に出てくる「先日の集まり」についてはこっそり差し込み投稿済みです。
そちらもよければご覧下さいませ。
11月3日 仙狸、酒を振舞う
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12月11日 深夜
平太郎に事の真相を告げた後、千里はうろな町に住む鬼、鬼ヶ島厳蔵の家を訪ねた。
「お邪魔するわよ、厳蔵さん」
妖怪姿のまま家に押し入り、半纏姿で文机に向かってなにやら黙々と作業をしている厳蔵を後ろから覗き込んだ。どうやら、年賀状を書いているようである。
居間を見渡せば、葉書の山が数箇所に出来ている。机の上には白紙の年賀状が周りの山の倍は積もっていた。
「本当、こういう所はマメねえ」
作業に没頭しているためか、千里が来ていることに厳蔵は気づいていない。約束を取り付けた訳でもなく、ただ勝手に来ただけであるので、千里を迎える準備がないのは当然である。
しかし、葉書の山に囲まれたままというのもどうにもいけない。人間の姿になった千里はそれぞれの山を見渡し「なるほど、地域別に分けてあるのね」と山と積まれた年賀葉書を綺麗に積みなおし始めた。
○ ○ ○
乱暴に置かれた葉書の山を、宛先の地域ごとにきっちりと積みなおし、それでもまだ寛ぐには狭すぎる、とそれぞれ膝丈ほどまである葉書の塔にひらりと手をかざして指先ほどの大きさにまで縮め、台所から菓子の空き箱を持ってきてそこに器用に並べた。
「これでヨーロッパ圏はしまいじゃ!今日はここまで!」
厳蔵が叫び立ち上がる。ごきりごきりと体をほぐす音がこちらにまで聞こえてくる。そして振り返った厳蔵は「ぬおぉう!?千里!?」と妙な声を上げた。
「なあに?悪戯好きの妖怪でも見たような声を出して」くすくすと口許に手を当てて千里が笑う。
「来ておったなら声をかけんか!まったく。
……千里よ。ここらにあった年賀状はどうしたのじゃ?」
不安そうな顔をする厳蔵に対して、千里は何も言わずににやりと口の端を上げた。
「捨てたりなどは……しておらぬ……よな?」
楽しくて仕方が無いというように千里は先ほど術で小さくした葉書を並べた菓子箱を開け、中身を見せた。
「ひどいわねえ。せっかく整理してあげていたのに。
もっと小さくして飲み込んでしまおうかしら」
「分かった!変に疑って悪かったのじゃ!
しかし、便利な術じゃな!」
千里の十八番である、物の大きさを変える術は単純である分、用途は広い。千里自身も、大小の上限がどこまでなのか測った事もない。
「して、今日はどうしたのじゃ!また酒でも飲みに来たか?
先日の酒はまっこと美味かった!儂の秘蔵酒に劣らんかったのう!」
「そう言ってもらえて嬉しいわ。今日は遊びに来ただけよ。
ついでに数日お世話になるわね」
千里の急な申し出に、厳蔵は怪訝な表情をした。
「平太郎に追い出されちゃった」
「嘘じゃな」
「ええ、嘘よ」
力を無くした天狗、平太郎と千里が共に住んでいるのは知っているが、厳蔵にはどうしても、あの天狗が千里を追い出すような場面を厳蔵は想像出来なかった。
事実、千里は自分自ら平太郎を置いて家を出たのだ。むしろ、置き去りにされた被害者は平太郎の方である。
まったく、この忙しい時に一体何を考えているのじゃ。厳蔵はやれやれと息を吐いたが、それを見た千里がそれを予測していたというように言葉を紡いだ。
「もちろん、ただとは言わないわ。お世話になる間は家のことは任せてちょうだい」
「なんじゃ、お主。家事できたのか」
普段の傍若無人ぶりを見て、厳蔵はてっきり家事全般は全て平太郎がやっているものと思っていた。口に出してから「しまった」と口を塞いだが時すでに遅し。目の前の妖怪から冷たい妖気が流れてくる。菓子箱の上で千里の手がひらりと揺れ、厳蔵のここ十日あまりの努力の結晶は消え去った。
「いやすまぬ!悪気はなかったのじゃ!
年賀葉書だけは勘弁してくれ!頼む!」
「先日と言い、今日と言い、失礼ねえ。
おねーさんは芸達者なのよ。食べたいものを言ってごらんなさいな。
今日はもう遅いけれど、明日の夕食に作ってあげるから」
もう一度ひらりと手を動かし、菓子箱を机の上に出現させる。厳蔵からのリクエストは鰈の煮付けであった。
○ ○ ○
客間を借り、千里は灯りもつけずに部屋の隅に座り込んだ。厳蔵は自分の部屋で眠っている。いびきがこちらの部屋まで聞こえてくるのが少々愉快だった。
「今年でちょうど300年……覚えてくれているかしらねえ」
千里は昔を思い出す。
遠い昔の自らの一族の事を。
独りで諸国を渡り歩いていた時代の事を。
平太郎と出会ってからのいくつかの出来事を。
ゆっくりと目を閉じ、まるで夢でも見るかのようにそれらを回想し始める。
● ● ●
現在、千里の一族は、彼女を除いて全て絶えており、彼女が唯一の仙狸の生き残りである。はるか昔、平安の時代に、幼い彼女を残して皆旅立っていったのだ。
その頃、一族の者達は全て『嘘吐き仙狸』という呼び名で通っていた。事実を曲げ、真実を隠す。そうやって彼らは人間達を、または妖怪達を騙し、面白おかしく生きていたのだ。
彼らの享楽主義は止まるところを知らず、果てには自分達が妖怪であるという事実をも曲げるに至った。彼らは妖怪である事を偽り、妖怪でない者―――いわゆる、神と呼ばれるものへ成り代わる事を臨んだのである。
千里の親は、千里に対して「ここで待っていなさい。必ず帰る。『約束』しよう」と言い残して一族の者達と共に去って行った。
鎌倉の時代。いつまで待っても帰らぬ一族を追って彼女は里を出た。自らの名を“千里”とし、『嘘吐き千里』と呼ばれながら諸国を巡る。
海を越えて世界を巡り、そこで皇(当時はハマナーンと名乗っていたが)や様々なものに出会う。
水神・水羽や当時の巫女と出会ったのもこの頃である。神たる水羽に対して、一族の者達が魅かれ、目指した存在として話がしてみたかったのだ。結果、人の子との不思議な縁もでき、千里はひと時、楽しい時間を過ごすことが出来た。
室町の頃には、もう一族を待つようなことはしなかった。風の噂で、妖怪である事を捨てた彼らは神にもなれず、また妖怪としての力も失い、ただ何者にもなれずその存在は消失した、と聞いたからだ。
もう、誰も帰ってこない。ただ「つまらない」と呟き、彼女はそれまでにも増して『嘘吐き千里』の名に違わぬ行動をし、諸国の妖怪を震え上がらせていた。
その力に目をつけた顔なじみの鬼、前鬼と後鬼らが千里を仲間に引き入れようとしたが、千里とのささいな『約束』を破り、その逆鱗に触れた。
一族が去ったあの日以来、彼女は『約束』というものに固執するようになっていたのである。
そして江戸時代。千里は平太郎に出会う。
自分を怖れず、正面切って向かってくる天狗に、千里は新しい玩具を見つけたような気持ちを覚えていた。愉快な気分、というものを久しぶりに味わっていたのである。
○ ○ ○
思い出したように天狗の山を訪ねては、平太郎にちょっかいをかける千里。平太郎もまた、そんな千里に決して退かず、頑固一徹といわんばかりの姿勢を見せた。
そして平太郎の父、琴科総一郎も、想像に違わぬ頑固者であった。
「ああ、楽しい。思っていた以上にそっくりなんだもの。あなた達」
「当然である。私は父上を尊敬しているのだからな!」
50年もすれば、平太郎も千里の性格を良く理解しており、あしらい方もうまくなっていった。千里の酒を勝手に飲み、瀕死の状態にまで追い込まれたのもこの時期である。
言葉を交わすうち、平太郎は仙狸の一族の事を知り、千里の生い立ちや状況を知った。
ある日、平太郎は千里に対して真剣な表情で言う。
「私は千里の一族では無いが……これからは私が供にあろう。
天狗では不服であろうが信じて欲しい。信心には信頼で応えるのが天狗である」
ただ一人で数百年の時を過ごしてきた千里に対して、初めて傍に歩み寄ろうとした存在。それが天狗・琴科平太郎だった。
千里は「おもしろいことを言うのね」と笑い、流し見るように平太郎を見た。
「いつまで?」
「いつまででも、である。『約束』しよう」
力強く言い切る平太郎から視線を逸らして、千里は空を仰いだ。
「それも……、おもしろいわねえ。
あなたが楽しませてくれるなら、私はそれでいいわ」
そしてそれ以降、千里は平太郎の傍で、平太郎で遊びながら過ごす事を決めた。
300年前の出来事である。
● ● ●
長い回想を終えて、千里はゆっくりと目を開ける。
すでに部屋には朝陽が差し込んでおり、立ち上がった彼女はそっと窓を開けて自らの住む木造二階建てのアパートの方向を見た。
「……楽しみはとっておきましょうか」
遠見の術で平太郎の様子を探ろうとした千里だったが、平太郎の決断をそっと待つ事にして術を使うことはやめておいた。
「ああ、楽しい」
どんな決断をするのだろうか。初めて、彼が天狗としての矜持を捨てる所を見ることができるかも知れない。今の彼はこの町を、うろな町を愛しているからだ。どちらも簡単には捨てられないものだろう。
「少しだけ、妬けるけれど」朝陽の中でふふ、と千里は笑う。
天狗として生きるか、天狗仮面として生きるか。
3日後、平太郎の決断がとても待ち遠しいと思える千里だった。
回想でした。千里さんの昔話。
うろな町の出来事えでゃないですが、昔こんなことがあったんですよ。
と千里さんのバックボーンを語ってみました。
桜月りまさんの水羽様、当時の巫女
零崎虚識さんの鬼ヶ島厳蔵
蓮城さんの皇悠夜
それぞれ話題にお借りしました。
りまさんの所での水羽様と千里が出会った話『邂逅中です』がまた違った見方になるかも知れません。




