12月11日 天狗、困惑する
12月11日 夜
平太郎は、今日の見回りを終えて、自らの住処である木造2階建アパートの前にいた。この数日で自分が知るかぎりの妖怪仲間を訪ね、何か千里から言われていないかと聞いて回ったが、彼らの返答は皆一様に「手出し無用、口出し無用と聞いている」とにべもないものだった。
「やれやれ、松殿と渡り歩いていたのはこの口止めのためであったか」
「結局、何も分かりやせんでしたねえ、兄貴」
扉を開けるために、息を整えて、しっかりと気を入れる。平太郎は、千里が自分に対して嘘をついている事を知った。いや、千里が嘘を吐くのはいつものことであるが、今回はずいぶんと大層な物のようである。なにせ、自らの根幹に関わってくることなのだから。
扉を開けると、千里はリビングでビールを飲んでいた。仮面を外して「今戻った」という平太郎を見ながら、彼女は妖しく微笑みかける。部屋の暖房はついておらず、しんしんと冷える部屋で酒を飲んでいるのはいつものことである。平太郎や千里は妖怪であるので、暑さや寒さなどに対して多少の気温差などは気にならないのである。
「ねえ、平太郎。一緒に飲まない?」
「よかろう。ちょうど酒の肴に良い話があるのだ」
マントを外し、ジャージ姿のみの素顔に戻った平太郎も冷蔵庫からビールを取り出して千里の対面へと座る。冬の静かな夜に、ビールのタブを起こす音がぷしゅう、と響いた。
「それで、何か面白い話でもしてくれるのかしら?」頬杖をついて平太郎を見る。
「うむ。昔話を少々、な」
「珍しいわねえ。過去の事なんか気にしない方だと思っていたのに」
くすくすと笑う千里に対して、平太郎もまた笑った。
「なに、たまにはよかろう、次郎も共に飲もうではないか」
「では、お言葉に甘えまして……」唐傘化けの姿になり、テーブルにつく。
そして平太郎はビールをぐいと傾けてから、ゆっくりと話し出す。それは、平太郎と千里が初めて出会った時の話であった。
○ ○ ○
話は、数百年前、おおよそ江戸の時代まで遡る。平太郎も千里も、まだうろな町には来ていない時代の話。
それは、徳川の政治が武を重んじたものから治を重んじたものへと変遷していく時代。五代将軍、綱吉が時の権力者であった時代。
もちろん、平太郎や千里にとって、人界の様子の変化などはどうでもいいことではあった。
この頃の千里は“嘘吐き千里”として妖怪達の間で名を馳せており、気の向くままにあちらこちらへ行ってはいたずらを仕掛けていた。
ある時、平太郎と、その父である総一郎が住む山に千里が現れる。
剣の稽古をしている所へふらりと現れた千里に対して、平太郎は木剣の切っ先を向けた。
「お前が噂の妖怪、嘘吐き千里であるか。我が琴科の山に何用か。答えよ」
多少の怒気を孕んだその声に臆することなく、千里は「遊びに来たの。この山の天狗は強いと聞いて」とくすくす笑った。
武を究めに来た訳ではなく、ただ自らの暇を持て余して立ち寄ったらしい。そのような者に交わす剣などない。平太郎は一言「相手をする理由がない。帰るのだな」と言い放った。
「負けるのが怖いのかしら?」
「安い挑発であるな。剣を交えるだけの価値がお前には無い。それだけの話である」
「私が、この山の者たちを支配する、と言っても?
この辺りは琴科の縄張りでしょう?」
底意地悪く笑う千里に対して、平太郎は「下賎なものよ」と溜息をついた。
「その気概も気迫も感じぬ。嘘吐き千里とはよく言ったものであるな。
しかしよかろう。そのひねくれた根性、叩きなおしてくれる」
「勝ったらこの山は私のものにするけれど、いいかしら?」
「好きにするがいい。しかし、私は負けるつもりは微塵も無いのである」
大口を叩くものねえ、と千里は笑い懐からいくつかの符を取り出す。平太郎は木剣を一文字に構えた。
半日ほどの戦いの結果、勝者は千里であった。奈良・飛鳥の時代から世を渡っている大妖に一介の天狗が敵うはずもない。
「あなたのお父上はもっと強いのでしょう?
助けを乞うてはどうかしら?」
天狗の羽は折れ、傷付き膝を落としながらも平太郎は答える。
「確かに父上は私の万倍は強い。しかし、まだ勝負は終わっておらぬ」
「その状態で何が出来るというのかしら」
「愚問である。言ったであろう。私は負けるつもりなど微塵も無い、と」
千里の表情が幾分か冷たくなり、平太郎を睨みつける。
「戯れに加減してあげていたのに……その存在ごと消してしまっても、
私は一向に構わないのだけれど?」
向けられた冷たい妖気と声に臆することなく、平太郎は笑ってみせた。
「私も一向に構わんのである!そうなれば私の勝ちであるからな。
私は決して負けを認めぬ。例え塵芥に還ろうとも、だ。
負けたと言わぬ限り、負けではないのである!
勝つべき相手なくば、永久にお前は私に勝てん」
木剣を支えにしながらやっと立っているような状態の平太郎を見て、呆れたように千里は溜息をついた。
「あなた……馬鹿なのかしら?
私があなたを消した後に山を支配するかも知れないじゃないの」
「それは私の及び知るところでは無い。
私は負けぬと言った。そして負けなかった。
戦いの約束を守るかどうかは、お前が決めれば良い」
しばらく千里は平太郎を見つめていたが、やがてクスリと笑って平太郎に近づいた。目の前まで歩き、膝をついている平太郎を見下ろす。上から覗き込んだ天狗の瞳には強い不退転の意志が燃えていた。
「あなた、名前は?」
「妖怪相手に名を尋ねるとは大胆なヤツであるな。
しかし良かろう。私は平太郎。琴科一派が天狗、琴科平太郎である」
「また遊びに来るわ、平太郎」
無邪気に声をあげて笑い、千里はひらりと風に乗って去っていった。「幾度来ようが、私は負けぬぞ」平太郎は、千里の去った方角に向けて、ぽつりと呟くのだった。
○ ○ ○
そこまで話し終えた所で、また平太郎はぐいとビールの缶を傾けたが、すでに空になっていた。平太郎と千里、互いのビールが空になり、置いてあった料理も粗方無くなっていた。
唐傘化けの傘次郎が話を聞いてほほうと唸る。
「兄貴は昔っから頑固で負けず嫌いだったってことですかい」
「そ。あれから何度も遊びに行ったのに、一度も参ったって言ってくれないの」
「互いに負けず嫌いなのは変わっておらぬからな!」
それは出会った時からずっと変わらぬものだろうと平太郎は思っている。どれほど時が経とうとも千里の悪戯好きがなくなる事は無い。それもよく分かっている。
確かに自分は千里に騙されていたようだが、だからといって別段それに対して怒っているだとかでは無いのだ。二人の馴れ初めを話すことで、それを傘次郎に分かって欲しかったのである。
「ところで千里よ。私に何か隠し事をしているのではないか?」
「ええ、しているわよ」
テーブルの上に被さりながら腕を組み、腕に頭を乗せたまま千里が見上げて言った。それは何もおかしいことでは無いように。あまりにも自然に。
平太郎もまた、日常会話の中でそうするように何食わぬ顔で問いを続ける。
「天狗仮面として町で尊敬と感謝を集めていても、私の妖力は回復しない。
あの言葉は、千里お得意の嘘であるな?」
「ふふ、そうよ。それで正解。見破られちゃったわねえ」
「流石に気づくのである。まったく、相変わらず困ったものであるな」
平太郎が立ち上がり、流しにビールの空き缶を置く。「もう一本、いいかしら?」そう千里に言われ、自らの分と千里の分、そして次郎の分を共に冷蔵庫から取り出して持っていく。
傘次郎は、今のやりとりを聞いて思わず口を挟んだ。
「ちょちょい、兄貴!何を暢気にしてるんでやすか!
姉御も、何か他に言葉はねえんですかい!?」
「だって事実だもの。訂正する部分もないわ。
あ、平太郎。菓子棚にあるつまみも適当に持ってきて」
「慌てても妖力は戻らぬのである。
む、柿の種は切らしていたか。スルメで良いか?」
「スルメは気分じゃないわ。じゃあ適当に作ってちょうだい。
次郎ちゃん、何か食べたいものはある?」
「なら、あっしは出汁巻を……。
一体お二人とも何を考えてるんですかい?
あっしにゃあ、さっぱり分からねえ」
○ ○ ○
簡素な料理が食卓に並び、それをつまみながら平太郎は話を再開した。
「では、本題に入ろう。次郎も待ちくたびれているようなのでな」
「そんなに慌ててもイイコトないわよ。次郎ちゃん」
「え、あっしがおかしいんですかい!?」
ビールの空き缶が並び、今は燗酒を飲んでいる千里がほう、と一つ息を吐く。
平太郎は問いかけた。
「このまま天狗仮面として町にいても、妖力が戻ることはない。
ならば、一体何を企んでいるのだ。千里よ」
傘次郎が真剣な表情で平太郎と千里を見比べる。千里はただただ穏やかに酒を飲み、緩やかな顔をしている。対して、平太郎の表情はどこか硬いものがあった。
燗酒を飲んでいた猪口をテーブルに置き、千里はじっと平太郎を見つめる。
「天狗の妖力を取り戻す方法、教えてあげるわ」
「本当ですかい!姉御!」弾んだ声で傘次郎が言う。
「ええ、言う通りにすればかつての力を取り戻せるでしょうね。
『約束』するわ。そんなに難しくない事よ」
「……して、どうせよと言うのだ」静かに平太郎が問う。
千里のことだ。このまますんなりと妖力を戻す方法を教えるとも思えぬ。まだ何かしら仕掛けがあるはずである。そう、平太郎は考えた。そしてその考えは見事に的中する。
「簡単な事よ。あなたが天狗仮面で無くなればいいのよ」
耳を疑う言葉。平太郎は言葉を失った。
平太郎は町に降りてきた最初の頃こそ、妖力を取り戻すために町で人助けを繰り返してきた。石を投げられ、パトカーに押し込まれながらも自らの目的のため、その意志を曲げることは無かった。
いつしか、妖力が目的ではなく、町を守る事に重きを置くようになり、そのために力を求めるようになっていった。誰かを守る事を意識し始めたのは、やはり自らの父を救えなかったことが大きな要因であり、平太郎は心の中で常に自らの力の不足で救えぬ者がいる事を嘆いていた。
夏。町に攻めてきた人外の集団を力を合わせて追い返した時にも、自らの力不足故に、弟弟子である妖狐、稲荷山考人に助けられた。なんとか町は守れたものの、平太郎の心にはやはり自分だけでは町を守れないという事実が刺さっていた。
それ故に、ここの所は天狗仮面として仲間を見つけ、自らの意志を共有できる者を探していた。人間、妖怪問わず仲間を増やし、守る心を強く意識して町の為に尽力せねばと固く誓ったのである。
それらは全て、天狗仮面として培ってきたものである。
それを、捨てろと言うのか。
「驚いたฺ顔をしているわねえ、とても面白いわよ、平太郎。
ねえ、天狗の妖力の源は何か知っているかしら?」
「いや…分からぬ。幼き頃より山で過ごしてきた。
それ故、考える必要性がなかったと言ってもよかろう……」
「ふふ、そうでしょうねえ。でなければ今のように
天狗らしからぬ行動はとらないでしょうから」
千里の視線が妖しさを湛えながら平太郎に絡みつく。蛇に睨まれた蛙のように、平太郎は身動きが取れなかった。
「慢心や驕り、自尊心……。それが天狗の妖力の源よ。
なのにあなたは、町を守ることに慢心は無い。驕ることもない。
いつでも、困った誰かに手を差し伸べているもの。
それでは、いつまでたっても妖力は手に入らないじゃない」
そうころころ笑って「そうでしょう?平太郎」と呟いた。
平太郎が重々しく口を開く。
「私に、驕れと言うのか。他人を見下せと言うのか」
「そ。人間たちの言葉にもあるでしょう?
あなたは……自惚れて“天狗になれば良い”のよ」
千里の顔に張り付いたままの笑みは崩れることなく平太郎を見つめ続ける。作り物のように張り付いた狂気を孕んだ笑みが。
「選びなさい。平太郎」冷たく笑う千里が言う。
―――天狗としての力を得るためにうろな町を捨てるのか
―――うろな町を見守るために天狗の力をあきらめるのか
「三日、時間をあげる。私はその間、厳蔵さんの所にでも押しかけるから。
ちゃあんと選んでおいて頂戴ね、平太郎」
そう言うと、ひゅるりとヤマネコの姿に身を変じ、千里は窓から夜のうろな町へと跳ね出そうとする。そこに傘次郎が鋭い声で問い詰めた。
「姉御ッ!姉御はどうしてこんな事を……ッ!」
「決まっているじゃない」
振り返り、千里は言った。「面白いからよ」
それだけ言うと、千里は夜の中へと消えた。
残された平太郎はまったく予想もしていなかった千里の種明かしに呆然とする。
「む……う、流石に想定外であった」「どうなさるんですかい?兄貴」
腰掛けていた椅子の背もたれに寄りかかりながら、平太郎は一つ大きく息を吐いた。
「分からぬ。明日、再び町を巡ってみることとしよう」
玄関の方をちらりと見て、そこに置いてある天狗の面の事を考えた。
いずれも捨てられぬ2つの事柄を平太郎は天秤にかけようとしたが、すぐにそれが意味のないことであることに気がついた。
どちらが大切、などと比べられるようなものではないからだ。
「これは厄介なことになったのである……」「まったくでさあ」
腕を組み、目を閉じる。それを傍で見ている傘次郎は、平太郎が何を考えているのか分からなかったが、ただ平太郎を信じてついていこうと心に決めるのだった。
これ、リアルタイムで書けてたら面白かったのになあ。
ようやく一話から仕込んでいたネタばらしが出来ました。
さあ、どうする平太郎。一文字も書いていないぞ、どうする三衣。
次回、『天狗、揺れる』
お楽しみに!




