10月24日 教師、妖怪を相手取る
清水先生、ごめん…
地獄の修行はまだ終わらないんだ…
10月24日 朝
竹刀と番傘の打ち合う音が栃の木の広場に響く。清水と天狗仮面が打ち合いをはじめてから、十数分が経過していた。
清水の剣は一向に天狗仮面に当たることはなかった。天狗仮面がその身のこなしを最大限に発揮して、避けに徹していたからである。
「ふむ。やはり町での修行の成果であろうな。剣閃は鋭く、足運びに無駄も少ない。
私は攻撃しないので、見事私に一撃打ち込んでみるがいい!」
「く、そ…。相手が攻めてこないってのはやりにくいな…
でも、それじゃ勝てないだろう?天狗君」
肩で息をする清水。普段の稽古の数倍は疲れることに清水は驚きを感じていた。挑発するように天狗仮面に話しかけ、何とか相手に一撃入れる流れを作ろうとする。
「私がこの稽古で渉殿に勝つ必要はないのでな。それよりも、気が乱れている。
如何に長時間気を張っていられるか。それがこの稽古の目的である。
妖気を撥ねることは元より、相手の剣気に呑まれぬようにするためでもあるのだぞ」
天狗仮面はそう言いながら変わらず受けの姿勢に徹する。捌き、かわし、時にはいなす。そうしている内に、清水の体は再び自由を失い、剣をあげることすら困難になった。
この竹刀のせいか?いつもより疲れるのが異常に早いぞ。でも、何も出来ずにへばるのも悔しい。確かに天狗君は妖怪かも知れないけど、俺だって、町で死ぬほど苦しい修行に耐えてきたんだ!一撃くらい入れてやる!
腕を力なく降ろし、立っているのがやっと、と言った様子の清水を見て、天狗仮面が一言「ふむ。限界であるな」と呟き、番傘の構えを解く。
「驚きの連続である。気概のない者であれば数振りで気力が尽きるものであるというのに。
流石は渉殿であるな」
そういって清水に近づいていく天狗仮面。
そう、そのまま。あと二歩。一歩…。今だッ!
清水が最後の気力を振り絞り、渾身の突きを繰り出した。もらった!この間合いなら入る!
体の正中線を見事に狙った突き。これならば、左右どちらにかわしても避けきれるものではない。天狗仮面の体がゆらりと横にずれたが、充分に圏内であった。
清水の手に、突きを打ち込んだ感触が一瞬現れる。だが、刹那の内にその感触は消え、代わりに自らの腹部に強烈な肘打ちを食らっていることに気が付いた。天狗仮面がいつの間にか清水の懐に、清水に背を向けるように入り込んでいたのだ。
「攻撃…しないんじゃなかったっけ…」
それが、清水が意識を手放す前の最後の台詞だった。
○ ○ ○
天狗仮面は慌てて清水の方に向き直った。
「いかん!よもやあの状態から攻撃が来るとは思ってもみなんだ!
つい天狗車を放ってしまった!千里!」
桜の木の枝に腰掛けて様子を見ていた千里に声をかけた。ふわりと千里が飛び降りてきて、清水の前に立つ。ぺちぺちと清水の頬を叩いて「大丈夫かしら?清水センセ。ね、起きてちょうだいな」と声をかけた。
呻き声と共に意識を回復させた清水だったが、まだ体の自由が利かない。そもそも、修行用の竹刀の効果のお陰で、気を張っていない状態で動けるはずもない。
うう、ん…。次は何をしようっていうんだ。何だかこの人は苦手だぞ。
そう警戒心を高める清水の目の前で、千里はひらりと手を翻して小さな球状のものを取り出した。指先ほどの小さい球。それは、どこか白く輝くような真珠色をしていた。
「清水センセ。はい、あーん」
悪戯っぽく微笑みながら千里が屈み、その小さな球を仰向けに倒れた状態の清水の口に近づける。もちろん、千里に対して警戒心をいだいている清水がそう簡単にその言葉に従うはずもなく、疲労困憊の顔で「…これは?」と聞き返そうとした。
その隙をついて、千里が清水の口にそれを捻りこむ。人差し指をぐいと喉奥まで押し込まれ、清水が咳き込むが、千里はそれを見て「おもしろいわねえ」と笑っていた。
「何をするんですか!それにさっきの白いものは!?」
むくりと起き上がり、抗議の声をあげる清水だったが、いつの間にやら自らの体に気力が充満していることに驚いた。
千里は目を細めたまま説明を始めた。
「今のは霊玉。妖力を術で反転させてつくるのよ。詳しくは面倒だから話さないけれど、
気力と体力が回復する飴玉だとでも思えばいいわ。これで心置きなく鍛錬が
続けられるでしょう?」
そう言ってくすくすと笑う千里の顔はとても楽しそうなものだった。
「へえ…、えっと、ありがとうございます」
うーん。面白がっちゃいるし、どうにも何を考えているか分からない人(?)だけど、力を貸してくれるのは確からしい。
つまり、無限コンティニューが可能ってことか。これ、試合の時にも使わせてもらえないかな…。いや、なんだかそれはずるい気もするな。確かに試合には勝ちたいけど、あくまでも最後は自分の力であの義父に勝たなきゃ意味ないもんな。
しばらく考えを巡らせる清水だったが、天狗仮面が番傘を一振りして言った。
「さきほどの一撃、見事であった!
次は貴殿の防御を試させてもらおう!」
「臨むところだ!防御に関してはみっちり修行したから、
天狗君と言えどそうそう簡単には決めさせないからな」
気力も回復し、にやりと笑みを浮かべる清水であったが、ふとあることに思い至り、天狗仮面にむかって質問を投げかけた。
「防御力を見るっていったけど、こっちから打ち込める時は打ち込んでもいいのか?」
「もちろんである。では、始めるとしよう」
天狗仮面が番傘を横一線に構え、精神を集中していく。
「本気を出させていただく。ゆくぞ、次郎ッ!」
「合点承知!その一言を待ってましたぜ兄貴!」
「……やっぱりアレも妖怪だったのか。
ってか、プレッシャーがハンパないんだけど…」
天狗面を装着したままであるので、清水が感じているのは傘次郎の妖気、および天狗仮面の剣気である。それでも、妖気や人外といったものに無縁の生活を送ってきた清水にとって、未知の感覚というものは充分に脅威であった。
しかし、不思議と恐怖はない。どこか自分の記憶の奥底に似たような気配を体感した事があるような感覚があった。
「あの三つ首の犬ほどのプレッシャーはないけど、絶対に気は抜けないぞ。
ってか天狗君。必要以上にやる気出してないか?」
「今の私は天狗であると同時に、一介の剣士でもあるのだ。
勝負とあらば全力を出すのが礼儀であろう!」
「待って待って!さっきは手加減してくれてたじゃないか!」
千里が互いの気迫から逃れるように下がりながら清水に告げた。
「ふふ、さっき一撃もらったのが悔しかったのよ。
ああ見えて負けず嫌いな所があるのよ。かわいいでしょう」
「いや、それを向けられるこっちは溜まったものじゃないんだけど…」
「図星を突くものではないぞ千里よ!
いたたまれなくなるではないか!」
「そんなに堂々としたいたたまれなさは無いよ!
もう滅茶苦茶だな色々と!」
困惑する清水をよそに、妖気を纏った番傘を振って天狗仮面が迫り来る。
竹刀と番傘。2つの得物は栃の木の広場に心地よい打突音を響かせるのだった。
○ ○ ○
気付けばすでに陽は高く昇っており、清水は自らの空腹を自覚した。
「そろそろお昼時だけど、妖怪も食事ってするのかい?天狗君」
「うむ。必ずしも必要という訳ではないがな」
ちょうどその時、栃の木の広場に一人の青年らしき人物が現れた。顔に白い狐の面を被っており、その表情を見ることは出来ない。しかし清水はその青年をどこかで見たような感じがしていた。
「阿呆天狗。ご飯持ってきたぞ」「うむ。助かる」
そういって彼が手に持っていたおかもちを開けると、中からは和洋折衷、様々な料理が現れた。清水に好きなものを選ぶように促した天狗仮面だったが、清水は出てきた料理のバリエーションの多さに絶句していた。
狐面の青年がカレーライスを。天狗仮面がさつま揚げをそれぞれ取り、器用に面をずらして食べ始めた。戸惑いながらも清水は焼飯を手に取った。千里はいつの間にやら姿を消していた。
「……うまいな。全然メニューに統一性はないけど」
「気にしたら負けである。食って一言、うまいと思えば
食事はそれだけで幸せではないか」
「そんなもんかな」
「そんなものである」
そこで清水は気になっていたことを天狗仮面に尋ねた。
「ところで天狗君。そっちの彼は?」
「明日の渉殿の修行相手である。明日と明後日は具体的な技の修行を行うのだ」
「……よろしく」
狐面の青年はうろな中学における清水のクラスの生徒である稲荷山考人その人であった。流石に自らの事をばらすのは複雑なものがあったのだろう。千里の持つ狐の面を借りてこの場にいるのだった。
なんだろうなあ。どこかで見た気がするんだよなあ。この狐の面の彼。雰囲気とか、さっきの声とか……でも、まさかな。俺に妖怪の知り合いはいないもんな。あ、いや、天狗君が実はそうだったのか。分からないもんだよなあ。ほんと。
「天狗君は何か策あるかい?相手は本当に手強いからさ。
どんなささいな事でもいいんだ。あれば聞いておきたい」
「ふむ。確か相手は人間界における剣の達人であったな。
相手が得物を持っているならば、『天狗突き』であるな」
「天狗突き?」
「左様。極限にまで高めた集中力で相手の得物を突き落とし、
そして、相手を蹴るのだ」
「こら。剣道じゃ反則だ、阿呆天狗」
考人が口を挟む。
「む。ならば、先ほどの技。あれはどうだ」
「さっき?何か特別な技があったっけ?」
「『天狗車』だ。剣を受けた勢いを利用して回転し肘打ちを」
「反則だっつってんだろ」
その後も、数々のトリッキーな技の案が次々と飛び出し、清水は思わず苦笑した。
面白いけど、実戦じゃ使えそうに無いかもしれないなあ。でも、やっぱりあの狐面、どこかで会ってる気がするんだよなあ。
清水がそんな事を考えながら昼食を済ませると、いつの間にか姿を消していた千里が広場に戻ってきた。
「清水センセ。はい、これ」
小さな袋を清水に投げて寄越す千里。袋の中には先ほどから清水の体力、気力回復に使われている霊玉がいくつも入っていた。天狗仮面と打ち合いをしている時にも、力を使い果たして倒れては霊玉を千里に捻じ込まれて無理やり体を回復させて鍛錬をしていたのだ。
「お昼からは別のことをやるわ。清水センセの口にそれを捻じ込むのも飽きちゃった。
危なくなったら自分で使ってちょうだいね」
本当に、よく分からない人だ。でも、見た感じそんなに強そうには見えないんだよなあ。
いやいや。油断は禁物だぞ。なんだか、この場で一番危ないのはこの人のような気がする。
「よろしくお願いします。普通に戦えばいいんですか?」
「そうよ。連戦することになるから頑張ってちょうだいね」
そう言うと、千里は口の端を引き上げて、にやりと笑った。
○ ○ ○
清水だけが栃の木の広場で竹刀を構え、天狗仮面は広場の隅に待機している。狐面をつけた稲荷山考人は自分の出番はまだ先だと一度姿を消した。
千里がふわりと桜の木の枝に飛び上がり、手を翻して1つの数珠を取り出した。そして一言二言つぶやくと、数珠がまるで生き物のようにうねり、ぱちんと弾けると同時に幾本もの数珠が蜘蛛の巣を張るように清水の周りをドーム状に取り囲んだ。
「これで逃げられないわ。覚えたばかりだけれど、便利な術ねえ。
準備はいいかしら?清水センセ」
「耐久戦ってことか。飴玉もあるし、いつでも来い!」
「とりあえず5体くらいかしらね」「え?」
千里がそう言うのと、地面から何かがどろりと這い上がってくるのは同時だった。
およそ人として異形なそれに生理的な嫌悪を抱くものの、清水はなんとか気を立て直して目の前のモノを倒そうと気を込めるのだった。
清水の地獄の特訓はこうして幕を開けたのである。
YLさんより清水先生を。
寺町さんより考人君を。
修行回、書いていてとても楽しいのです。
もうちょっとしごかせてくださいまし;




