10月24日 教師、山に登る
清水先生、対決前の山篭り回。天狗の話では今回と次回が修行回です。
後で千里さんが記憶を消すと分かっているのである程度突っ込んでみました。
10月24日 朝
うろな中学国語教師、清水渉は歩いていた。うろな裾野の駅からうろな町西部に位置する山を登っていたのである。
彼の出で立ちはトレーニングウェアとキャンピングセットの入ったリュックだけと簡素なものであり、簡単なハイキングにでもいくような装いであった。財布や携帯も持っておらず、他の人が状況を見れば、単純に山に遊びに来た客、とくらいにしか捉えられなかったであろう。
「何だか遊びに来たみたいな装備になっちゃったな。
天狗君が言った事とは言え、なんだか不安になってきたぞ」
荷物を背負い、足取り軽く山道を登っていく清水であったが、さすがに荷物を持たずに登山とは普通であればありえない所業である。
○ ○ ○
平太郎は数日前に清水から依頼を受けた。それはある人物と勝負をするので、力を貸してほしいと言う内容のものであり、天狗仮面、琴科平太郎は当然一も二もなく答えた。「困っているものに手を差し伸べるのが天狗仮面である!」と。
そして、対戦の相手が人間界における剣の達人であると知った平太郎は清水の力になるべく、妖狐である稲荷山や猫夜叉である無白花、斬無斗らに声をかけ、うろな山での数日間に渡る山籠り修行を企画したのだった。
清水は尚も山道を歩き、天狗仮面と約束をした広場まで歩いていた。天狗が言うには、大きな栃の木が目印であり、山で鍛錬をする時にはいつもそこなのだと言う。
「藤堂さんが不思議な強さだって言ってたけど、まさか本物の妖怪って訳でもあるまいし
どこかで特別な訓練でもしたのかも知れないな。何か攻略のヒントになればいいけど……」
何気なく歩いていた清水だったが、しばらく歩いてから異変に気がついた。裾野から歩き出して1時間ほど。本来であれば、うろな高原駅が見えてきてもおかしくないはずである。それなのに、まったく周りの景色に変化が見られない。むしろ、木々が深くなりだしている感じさえするではないか。
どこかで道を間違えたかと判断し、もときた道を引き返そうとする清水だったが振り返ると何故か道は無く、鬱蒼と茂る森からは何かが甲高くクスクスと笑う声がそこかしこから聞こえていた。
「う…そ…だろ?何だこれ」
愕然とした清水だったが、呼吸を落ち着けて状況を理解しようと試みた。が、ものの数秒でとうてい理解できるはずも無い出来事だと認識し、今目の前にある問題をなんとかしようと気持ちを切り替えた。
この感じには覚えがある。町で修行をしていた時も、こういった非現実にいきなり叩き込まれてきたのだ。三つ首の魔物に比べればこれくらい!
そう自分を鼓舞して、今自分がすべきこと―――、栃の木の広場目指して進む事を優先させた。
「とはいえ、どっちが目的地なんだろうなあ……
ん?あれは……」
道の先に真新しい看板が立てられている。そこには「そのまま歩むのだ。しかしこれより先、決して後ろを振り向いてはいかん」と荒々しい文字で書かれていた。
こりゃ天狗君の字だなと思いつつ、この不可思議な状況の中で1つでも自分が知っているものの情報が増えた事に安堵を覚える。
「つまり、もう修行は始まってるってことか。
ヒヤッとしたよまったく」
息を吸い込み、揚々と清水は歩き出す。
○ ○ ○
「もう限界だ……これは精神的にくるな」
清水が再び歩き始めてから数十分。後ろからはひそひそと誰かの囁く声が絶えず聞こえ、距離をぴたりとつけて足音も聞こえてくる。
足音は近づいたかと思うとぴたりと止まり、しばらく時間をおいて駆け足でまた清水に近づく、といった事を繰り返していた。
時折、背負っているリュックを引っ張られたりもするなど、天狗仮面の注意書きが無ければ清水は確実に振り返っていただろう。
律儀に振り向かずにいる清水であったが、彼を振り向かせまいとしているのはこれが修行の一環だという認識と、強くならねばならないという意地だけだった。ここで振り向いてしまえば、なんとなくであるが山での修行がすべて台無しになってしまうような危機感を覚えたのである。
町で様々な人々に鍛えられたからこその察知能力だった。
事実、この不思議な現象は千里の術の仕業であり、後ろを振り向けば清水はたちどころに山の麓、うろな裾野まで戻され、修行はそれにて終わりになるはずだった。
栃の木の広場では平太郎と千里、そして傘次郎が待っていた。遠見の術を使って清水の様子を窺い、クスクスと笑う千里と対照的に、平太郎は友が無事にここまで辿り付けるだろうかと張り詰めた顔をしていた。平太郎の手に握られた傘次郎はその様子を感じ取って「大丈夫でさあ、兄貴」と平太郎をなだめている。
千里が唐突に口を開き、「埒が明かないわねぇ」と目を細めて舌なめずりをした。新しい玩具を見つけたような気分なのだろう。
天狗仮面と清水が約束の場所で見えるための最後の試練が開始された。
○ ○ ○
こんな所に、司さんがいるはずが無い!分かってる。精神攻撃の定番中の定番だけど、分かってても辛いぞコレは!
清水は拳を固く握り締め、背後から聞こえる自らの妻の声を聞いていた。
「おい!渉!どうしてさっきから返事をしないんだ!」
「お前の事が心配でここまで来たのに、私はお前にとって必要のない存在なのか?」
「……そうか、淋しいが仕方ない。私は帰ってお前を待つよ」
「帰る前に、顔くらい見せてくれてもいいだろう?なあ、渉」
「どうしてだ?私は……お前に嫌われてしまったのか?」
涙声になっていく司の声に、清水は何度後ろを振り返り、最愛の妻を抱きしめたいという衝動に駆られたことだろう。口をきいてはいけない訳ではないが、一度口を開いてしまえば、誘惑に負けてしまいそうな気がした。
さすがにコレは悪趣味すぎる!もう何だか色々通り越して怒りが湧いてきたぞ。天狗君がこんなことをするとは思えないけれど、会ったら一言文句言ってやる!
足早に進む清水の背中で、司の声がだんだんと遠くなる。
よし、このまま吹っ切ってやる!そう意気込んだ清水の耳に、微かに聞き取れる程度の声で「さよなら、渉」と声がした。
ビクリと体を震わせて半身、体を捻ったがしかし、清水はすんでの所で振り返ることを躊躇った。
幻だ、幻覚だ!幻影だ!幻聴だ!
地面に蹲り、何度も頭を打ち付ける。一体何なんだ。この試練は!文句どころじゃ済まないぞ!
清水は吼えた。そして地面を蹴り、一心不乱に前へと走る。不意に目の前が拓き、大きな栃の木が視界に入った。
木の下には、天狗の面をつけ、番傘と竹刀を持っている天狗仮面。その横には目を細めておもしろくてしょうがないと言った風に笑みを貼り付けている千里の姿があった。
天狗仮面が駆け寄り、清水に声をかけた。
「渉殿!無事であったか!何よりである!」
心底ほっとしたようなその声を聞いて、先ほどの試練はやはり天狗君が仕掛けたものではないと感じる清水の元に、ゆっくりと歩いてきた千里は言った。
「どうしたの?清水センセ。そんなに息を切らしちゃって。
麓からここまで、さほどの距離でもないでしょう?」
口元に手を当てて可笑しそうに言う千里を見て、清水は確信した。この女性だと。恨みがましい目を向けるが、そんな事はなんでもないように千里は木の下へと歩いて戻って行く。
そして、ひゅるりと身を翻したかと思うと、その身を大岩ほどのヤマネコの姿に変えた。ヤマネコ姿の千里が冷たい声で言い放つ。
「自覚なさい。あなたは人ならざる者の領域に足を踏み入れたわ。
いつ何時、その命を失うことになろうともおかしくはないの」
清水の背筋に、冷たいものが一筋流れた。
「振り返っていれば……文字通り道半ばで果てる事になっていたでしょうね」
清水を見下ろし、威嚇するように低い声で言う千里と清水の間に天狗仮面が割って入り千里を嗜めた。
「千里よ。そこまで脅すものではない。あいすまぬ。渉殿。
先ほどの幻覚も千里の仕業である。なまじ力がある妖怪であるが故、
性質がわるいのだ。渉殿も重々気をつけてくれ」
ころりと人間体に戻り、千里は天狗仮面の肩に手をかけた。そして耳元で「何か文句でもあるのかしら?」と囁くように言う彼女に、天狗仮面は「事実である。そして変に私に妖気を当てるものではない。怖いではないか」と言った。
○ ○ ○
清水はしばらく固まって、頭の中で情報を整理した。
なんだって?妖怪?本当に?じゃあ天狗君は本当に天狗だって言うのか?見た目はいつも通りジャージにマントだけど…。彼が本当に妖怪だとしたら、あの傘も妖怪だったりするのか?
夢だとは思えないし…うーん……
考え込む清水に天狗仮面が振り向き、竹刀を差し出し、背負っているリュックを下ろすように促した。
「我らの正体を明かしたのは、遠慮なく鍛錬するためである。
隠し立てすると鍛錬の効率が悪いのでな」
「でも、いいのか?ばらしちゃって」
「うむ。万事問題ない」
「ならいいけど…って何だコレ!?」
清水が荷物をおろし竹刀を手に取った瞬間、彼の体を疲労感が襲った。それと同時に、粘度の高い液体の中を泳ぐような体の不自由さが感じられた。
「渉殿は人間であるからな。気を張らずに妖気に当っては危険だ。
今日一日ほど、それを使って鍛錬すれば体が慣れるはずである。
いうなれば、今日は修行のための体作りを行う」
「でもこれ、ほとんど動けないんだけど……」
「さあ!打ち込んでくるのだ!」
「聞いてくれよ!」
「来ないならば、こちらから行くぞ!」
「ほんと聞く耳持たずだな!鬼か!」
「否ッ!天狗である!」
「そんなとこだけ律儀に返さないでくれよ!」
迫り来る天狗の面に、身動きのとれない清水は叫んだ。
番傘で打ち据えられ、地面に倒れる。
よろよろと立ち上がる清水に向かって、天狗仮面は言った。
「丹田に力を込めるのだ。気を入れる、というヤツであるな。
さすれば妖気をも跳ね返すことが出来る。その竹刀は
気が抜けている時に貴殿を拘束する仕組みになっているのだ」
「つまり、常に気を張っておけって事かい?
でも、達人ならまだしも俺なんかが気を込められるのか?」
「様々な者と稽古をしてきた渉殿であれば、大丈夫である」
「そんなもんかな?」と呟き、清水は竹刀を構えゆっくりと精神を統一させる。すると先ほどまでの疲労感と動き辛さが嘘のように掻き消えていく。
「そうである。その状態で鍛錬を積めば相手の気を読む事も出来よう。
人間も鍛錬にて気を知覚出来る様になるが、今回は時間が無い。
その状態を良く覚えておいてくれ」
「まったく、最初から言ってくれればいいのに人が悪いな。
で、打ち込んでいいんだっけ?」
清水が不敵に微笑む。
「うむ。かかってくるのだ。鍛錬はまだまだこれからである!」
天狗仮面も大きく1つ頷いた。
天狗仮面と清水は栃の木の広場で互いの得物を構えて対峙する。千里はいつの間にか栃の木の横にある桜の木の枝に腰掛け、微笑みながら上から二人の様子を眺めていた。
清水の山篭り修行はまだ始まったばかりである。
YLさんより清水先生をお借りしました。
結婚式編の最後で何をどこまで思い出すかはまた相談しましょう!




