6月12日 天狗、町を走る
たまには天狗を活躍させないと回!
子供にかまってばっかりじゃないんですよ、と。
6月12日(水) 昼
天狗仮面・平太郎が住む木造2階建てアパート。その一室で猫塚はソファに寝転がりながら、綺麗な模様の丸い石を眺め上げる。
「その石がそんなに珍しいのか?千里」平太郎が問う。
「瑪瑙入りだわ。タツキ君、いい子ね」
数日前に平太郎が町の子供達を西の山に連れて行った時に、猫塚は妖力で体を小さくし、「百里」として平太郎に同行した。
その帰り際にタツキから受け取ったのが、この石である。
「あまりちょっかいをかけようとするのではないぞ。
あの子らの人生に、あまり妖怪が関わるものではない」
「公私混同しながら世話をしている平太郎に言われたくないわねえ。
大丈夫よ。おねーさんだって良識くらいあるものよ」
そう言って、猫塚は石を見上げたまま少し寂しそうな顔をする。
「それに、人間はすぐ死ぬわ。ほんと、あっという間」
「妖怪から見れば、そうだろうな。さて、見回りに行くとしよう。
今日もついてくるのであろう? 飽き性の千里にしては珍しいことだな」
「そうかしら。たまには平太郎の活躍も見たいのだもの」
「そう言ってあれこれ引っ掻き回すのだろうが。
まあいい、行くとしよう」
唐草模様のマントを羽織り、天狗面をつけていつものように平太郎は町に出た。
○ ○ ○
いつものように住宅街を歩く平太郎。1丁目の河本家の犬には相変わらず吠えられた。「またか。一体、どこが不審だと言うのだ」「全部でしょう」「非常に心外だ」
五丁目の安藤さんの奥さんに声を掛けられる。
「前はうちの主人が迷惑かけたねー」「なに、天狗として当然の事をしたまでだ」
スーパーの前では井戸端会議をしている奥さま方に混ざり、情報交換をする。
「天狗ちゃん、今日もご苦労様ねえ」「相変わらず仕事は見つからないの?」
「いくら町の為だからって、真面目に働かなきゃ千里ちゃんがかわいそうじゃない」
「しかし、天狗たるもの町の平穏を乱すものを事前に見つけねば……」
「何言ってんの! 最初はアンタが不審すぎて何回も警察呼ばれたクセに!」
「刑事さんにもご迷惑かけたって話じゃない!」
「いや、池守殿とは最終的に良い関係に……」
「とにかく、早く仕事みつけて、千里ちゃんを養ってあげないと! 男でしょう?」
平太郎は、パワーのある奥様方に弱いのである。これに打ち勝てる男性はそうそういないのではないだろうかとも思っている程だ。
見かねた猫塚が会話を引き継ぎ、近所で最近変わったことは起きなかったかを聞き出す。
「平太郎なら大丈夫ですよ。今にきっと真人間になってくれますから」
「でもねえ、千里ちゃん、この手のオトコは甘やかしちゃダメよぉ?」
「そうそう! いつまでも待ってるだけじゃ駄目よ! 切る時はスパっと! ね!」
「でも、子供達には人気なのよねー」「そうそう。危ない事は注意してくれるし」
日頃の行いのお陰か、なんとか奥様方からの猛攻をしのいだ平太郎は猫塚と共にスーパーを後にする。肩を落としながら歩く平太郎。
「あの人達はどうも、こう、苦手である……。何か収穫はあったか」
「ええ、最近ひったくりが出るから気を付けてって言われたわ」
「むぅ、不届き者め。見つけたら捕まえねばならんな」
そう平太郎が言い終わるか否か、後ろの方から「ひったくりよぉ!」と叫び声が聞こえてくる。
驚いて振り返ると、地面に倒れた買い物帰りの女性と、原付に乗ってこちらに走ってくるひったくり犯が見えた。片手にハンドバッグを持っている。現行犯だ。平太郎は原付の前に立ちはだかる。
「馬鹿者があッ! 取り押さえてくれる!」
急に目の前に飛び出た天狗面に驚き、ひったくり犯はハンドルを急激に切り、バランスを崩す。倒れ転がる原付を乗り捨て、犯人は住宅地方面へ走って逃走する。
「逃がさん! 千里ッ!」
「はあい、こっちは任せておきなさいな。いってらっしゃい」
ひらひらと手を振る猫塚。
「うむッ!」平太郎は駈け出した。
妖怪であった頃ならば、天狗風の一つ吹かせれば事は済んだだろう。神通力で原付ごと浮かせても良かった。しかし、平太郎に天狗的力は残されていない。体力も、平均的な成人男性のそれと同様である。
それを平太郎は悲観しない。無いものを願えばどうにかなるというのか。答えは否である。
そして力の無いものは何も成す権利が無いと言うのか。それも、否である。
妖怪であるかどうかは問題ではないのだ。
力があるかどうかも問題ではないのだ。
「しつっけえなテメエ! サツじゃねえだろ!」
住宅地を走り抜けるひったくりと平太郎。住宅地の昼下がりはあまり人が多くないので、二人は延々と走り続けた。「この辺りは…!」途中、平太郎はある民家の外壁がずっと続いている場所を走っていたことに気付く。そしてすぐに叫んだ。「ここにひったくり犯がいるぞ!」と。
「なンだぁ? 今になっていきなり……うおっ!?」
「コケッコーーーーーッ!!!」
一羽のニワトリがその民家の外壁を乗り越え、弾丸のようにひったくり犯の頭部に直撃する。いきなりの襲撃に面食らったひったくり犯が地面に倒れ伏す。
すぐさま平太郎が追いつき、倒れたままの犯人を後ろ手に捻り上げる。
「オバハン殿! かたじけない!」
「コココッ、コケッ!」
『いいのよこれくらい!おばちゃんちょっと縄持ってくるわね』
「コケッコーーー…コココッ!」
『あらあら、こっちからだとうまく壁を超えられないわね…
ちょっと天狗ちゃん、私を投げてちょうだい』
「うむ。助かる」
平太郎は外壁の向こうへと草薙家の飼いニワトリ、オバハンを投げ入れる。壁の向こうで「プギィッ!」と何かがクッションにされたような声が聞こえたが大丈夫だろうかと考える。
しばらくすると、またバサバサと外壁を飛び越えてきたオバハンは咥えていた縄を平太郎に渡す。
「ココ、コケッコー!」
『まったくもう、ひったくりなんてもう!』
「うろな町民の風上にも置けぬ!」
そうとも、平太郎自身に力がなかろうとも、町を愛する心を持つのは彼だけではない。
様々な人が助け合いながら、良き町を目指せば良いのだ。ニワトリでさえ、この町を愛しているのだから。
「ちくしょう…てめえ、一体何なんだよ…」
平太郎は確かに妖怪である。力の無い天狗である。しかし、だからどうしたと言うのか。町を守ることに、困っている人を助けることにそんな肩書きが必要だろうか。平太郎はその答えを知っている。もちろん、否である。
ただ、目の前の人を助ける事に全力を尽くす。それが――
「天狗仮面だ!覚えておけ!」
平太郎の名乗りとともに、オバハンが一声、高らかに鳴いた。
○ ○ ○
警察への犯人の引渡しも無事に終わり、夕食の買い物を済ませて平太郎と猫塚は帰路につく。オバハンは再び塀の中へと投げ入れておいた。塀の向こうからはまた「プギィッ!」と聞こえたが。
「奥様方、平太郎の事、見直したって」
「そうか。千里にも感謝せねばならんな」
「警察への連絡したことかしら? あれくらいいいわよ別に。
それより、聞きたいことがあるんだけどいいかしら?」
「どうした? オバハン殿との出会いか? それとも二人の活躍記か?」
「そんなことじゃないわ。いやそれも面白そうなんだけど。
どうしておねーさんに追わせなかったのかしら?」
そう、猫塚も仙狸と言うヤマネコの妖怪である。しかも平太郎と違って妖力を失っていないのだ。猫塚が追いかけていれば、ものの数分で犯人を捕まえることが出来ただろう。
平太郎はスーパーで買った荷物を持ち替えて答えた。
「天狗の力の為、と答えるのが一番なのであろうが……」
――天狗の力を取り戻すためには人間の尊敬と感謝を集める必要がある。
これは猫塚から聞いた、平太郎が人助けを始めるきっかけになった言葉である。
「しかしながらだな……」
「別の理由でもあるのかしら?」
「……少し、格好を付けたかったのかも知れぬ。千里の前でな」
しばらくの沈黙の後、猫塚がくすりと笑う。
「やっぱり、あなたといると楽しいわ平太郎。
あなたが楽しませてくれるなら、あたしはそれで満足よ」
「うむ。そうか」
二人は並んでアパートへの家路を歩く。
明日も平太郎は町を見回り、猫塚はそれを見て楽しむのだろう。
この町に二人が来てから幾度と無く繰り返された、いつも通りの日常がそこにはある。
裏山おもてさんのオバハン(ニワトリ)と、
稲葉孝太郎さんの池守刑事を名前だけお借りしました!
オバハン、どうやって外壁越えてるんだろうか…




