【うろ夏の陣・8月14日】術師、人間と相対する
8月14日(水) 夜
夜の闇は深く深く降りる中、小角は錫杖をしゃらんと鳴らす。そうすると、辺りに広がる闇の中から魑魅魍魎が溢れ出る。目の前には、人間の能力者たち3人が徒党を組んで彼を睨んでいる。
小角の横には、すらりと紅い角を右の額から生やした雪鬼が寄り添っている。その紅い瞳で小角を見つめ、白く透き通るような髪をさらりと揺らして語りかける。
「小角様。私は誰を殺せばいいの?」
何の躊躇いも無く紡がれる残酷な言葉に、小角に相対する面々はぞくりと寒気を感じた。
「誰でもよい」
小角が短くそう応えると、雪鬼はくすくすと笑って「じゃあ、あの子」と3人の人間たちのうちの1人を指差した。「だって、美味しそうなんですもの」
指差した先には、精霊達を引き連れた如月澪の姿があった。その両側に、陰陽師・芦屋梨桜と闇人・十六夜零音が立っている。
3人は小角の発する強大な妖気を感じて、それぞれこの場に集まってきたのだった。こうしている今も、小角はその強大な妖気を隠そうともせず、威圧するように放っていた。
「闇人よ、我に降れ」小角が錫杖を零音に向ける。もちろん、零音がそれに頷くことはなく、「みんなを返せ」と叫んでいた。
「…愚かなり」
そう一言呟くと、小角は数珠を鳴らして呪言を唱え始める。小角の影や辺りの闇の中から、染み出すように妖怪が湧いて出る。小角の「鬼寄せ」によって辺りは妖怪達で埋め尽くされていく。
3人がそれぞれ湧き出た妖怪を相手取っている中、雪鬼は、精霊憑きの澪に向かって駆け出していた。
「まず逃げられないように足を切らなきゃ」そう言ってすらりと爪を伸ばす雪鬼。
身構える澪の前に突如として2つの人影が姿を現した。
「見つけたぞ、雪姫!」片方がそう叫ぶ。それは、雪姫を探すために山を下りていた猫夜叉、斬無斗と無白花だった。彼らもまた、強大な妖気を感じてこの場へと駆けつけて来たのだった。
「私をその名前で呼ばないで。私は雪鬼よ」
「違う!雪姫だ!思い出してくれ!」
「無白花ぁ。周りの悪鬼が多すぎるよ。
これじゃ破妖刀が使えない」
斬無斗が澪の前に立ちはだかりながら周りを見回した。そしてそこで相手の主力級であろう鬼、前鬼と後鬼の姿がない事に気がついた。
「あのチャラい鬼がいないなら、なんとかなる、か。
話に聞いてた陰陽師もいるみたいだしね」
そういって太刀を構え、雪姫を傷つけないようにと牽制しながら戦う猫夜叉達。それを雪鬼は快く思わなかった。
「どうして本気で来ないの?前鬼お兄様も、後鬼お姉様もいなくて退屈なのに。
この前もそう。もう飽きたわ。あなた達も殺してあげる」
雪鬼の周りに黒い靄が現れ、寄り集まって漆黒の太刀を形作っていく。雪鬼の操る蟲が集まっているのだと猫夜叉は気づいた。
「ふふ、これ、前鬼お兄様に名付けてもらった武器よ。操蟲鋭牙。
後鬼お姉様が子供っぽい名前だって笑ってたの。とっても楽しかったぁ」
無邪気に笑う反面、その手に握られた太刀は禍々しい力を放っている。斬無斗に向かってそれを振り上げ、躊躇い無く振り下ろす。
「くっ!」斬無斗はそれを太刀で受け止めようとしたが、操蟲鋭牙の黒い刀身は音もなく斬無斗の刀身をすり抜けて斬無斗の体を大きく斜めに切りつけた。
「ぐあぁッ!」「斬無斗ッ!」その傷口は、刀で切られたような鋭利なものではなく、抉られたように溝になっていた。
「あはは、騙された、騙された!蟲で出来た塊だもの。受け止めたりなんか
出来ないのよ。ふふ、少し楽しくなったわ」
数日前に猫夜叉達が山で受けた蟲でできた黒い腕と同類のものなのだろう。無白花は群がり来る雑魚を蹴散らしながら、斬無斗へと駆け寄る。
「大丈夫かッ!」
「なんとか…。油断したよぉ。雪姫、本当に僕達を殺すつもりなのかな」
「諦めるな。必ず雪姫を取り戻すと決めただろう」
「そう、か。そうだね、ごめん」
雪鬼の持つ黒い太刀は、さらにその大きさを増していく。
「あ、あのっ」
猫夜叉に声をかけたのは、精霊憑きの澪だった。
「なぁにぃ?あんまり邪魔しないで欲しいんだけど」
「あの黒い刀、僕がなんとか出来る、かも…」
「本当かっ!?」
精霊憑きの澪は、「う、うん。多分」と言ってから、雪鬼が何かに取り憑かれていることを見抜き、あの蟲もまた、それによって生まれているものだと説明した。
「なんで分かるのぉ?」
「僕も、精霊が憑いてるから、なんとなくだけど、分かるんだ。
あの黒い刀も、邪霊みたいなものらしいし、もしかしたら、あの人に
憑いてるものも祓えるかも知れない」
「分かった。ならば、私たちが隙を作る」
「本当は頼みたくないけど、できるならやってみてよ」
そういって猫夜叉達は雪鬼に対峙し、避けに専念する。間合いに入った周りの雑魚も蹴散らしていくが、なかなか数が減る様子を見せない。
妙だと思いながらも、二人は雪鬼の隙を作るために雪鬼の攻撃を避け、澪の行動を待った。
澪の手に、身の丈程の大きな盾が現れる。ほのかに光り輝くそれは、澪がその聖気で創造したものであり、それを構えて澪は身を守っている。しかし、盾に触れた悪鬼が崩れ散るところを見ると、攻防ともに効率のよい物のようだ。
斬無斗と無白花が澪の準備が整ったと見て、雪鬼から飛びのく。
「いっけえええぇ!」
太刀を振りかぶる雪鬼に対して、盾を正面に構え突撃する。受け止めた瞬間、乾いた音を立てて消える雪鬼の太刀。そのまま、澪が盾を雪鬼に押し出す。
触れた爪が折れ、巫女服の袖口が裂ける。そして両者が後ろにはじけ飛ぶ。
「やったか!?」
「雪姫ッ!」
しかし、雪鬼の右額から伸びる真紅の角は折れず、邪悪な気配も消えてはいなかった。
「なんだよ!ダメじゃないか!」斬無斗が叫ぶ。
雪鬼は「いたぁい」と爪の折れた手を眺めながら立ち上がる。再び蟲を集めようとするが、うまくいかないようで、「おかしいなぁ」と首をかしげている。
多少なりとも効いたのか、と無白花は判断した。きっと、まだ雪姫の意識は残っている。今の一撃で、支配が緩んだに違いないと斬無斗に目で伝え、斬無斗も無言でそれに頷き返す。
雪姫の意識が少しでもあるのならば、身の守りにと作ったペンダントも効果を示すだろうし、雪姫の意識が取り憑かれたそれを上回れば、破妖刀で取り憑いた鬼だけを斬ることも出来る。
わずかな希望がそこには見えた。
「ごめん、憑いているモノが大きすぎたみたい…」
よろよろと起き上がった澪がすまなさそうに二人に声をかけた。
「いや、助かった。後は私達に任せてくれ」
「蟲を喚ぶことを封じただけでも感謝しなきゃねぇ」
猫夜叉達はそれぞれの得物を構え直す。やっと、やっと希望が見えたのだ。その糸を手放す訳にはいかない。澪は「無理はしないでよ!」と小角の影から湧き出る悪鬼の相手をするためにその場を離れた。
「斬無斗、傷は?」
「痛くて倒れそう」
「まったく、少しはヤセ我慢したらどうだ」無白花の表情に笑みが浮かぶ。
「痛いものは痛いんだってば。でも、倒れないけど」
「取り戻すんだ。雪姫を」強い意志を示すように二人が同時に口にする。それは、純然たる決意の表明だった。
「蟲が言うことを聞いてくれない…。
頭のなかで変な声も聞こえる…」
雪鬼の動きが目に見えて鈍くなる。しかし、それでも妖気の大きさは周りの妖怪に比べれば桁違いだ。
「引き裂いて、喰いちぎるんだからぁぁぁ!
邪魔しないでぇぇ!」
呻き声を上げながら、猫夜叉に向かってくる雪鬼。「雪姫!」と名を呼び続けながら応戦する2人。きっと、雪姫はこの鬼の支配に打ち勝ってくれる。一瞬でいい。あとは、私達に任せて。そう想いを込めて繰り返し彼女の名を呼ぶ。山で育ち、友と呼べるもののいなかった二人に出来た初めての友の名を。
「違う、違う、ちがう、チガウ!
その名前で私を呼ばないで!私は、私はぁ!」
「何度でも言う、何度でも呼ぶ!雪姫!
私の友達、雪姫!」
「僕の友達でもあるんだからね、無白花ぁ。
でも、早く目を覚ましてよねぇ。雪姫」
振り回される雪鬼の腕を受け止め、かわし、時には頬を爪が掠め、うっすらと赤い筋が2人の顔に走る。それでも、2人は自分たちで友を助ける、その一心で周りの妖怪を蹴散らしながら雪鬼と立ち回り続ける。
○ ○ ○
一方、陰陽師と闇人の間にも和解がなされたようで、能力者達の優位に見えた。しかし小角は影から配下の妖怪を次々に「鬼寄せ」するばかりで、一向に自らが動く気配はなかった。
この時はまだ、誰も小角の真の狙いに気がついていなかったのだ。何故、わざわざ強大な妖気を隠そうともせずに能力者達を集めるような真似をしたのか。この数日、行動を起こそうと思えばいつでも動けたはずの小角が、何故わざわざ数日の間を空ける必要があったのか。彼が西の山に施した策とは何だったのか。
真夜中、目の前で繰り広げられる戦いを見つめながら、小角は錫杖をしゃらんと鳴らし、
「間もなく、時満ちたるぞ」と辺りの喧騒とは対照的に静かに笑みを浮かべた。
この後、寺町さんの「人間どもに不幸を!」の【うろ夏の陣】8月14日 役小角 に続きます。
さて、妖怪軍団の方も活躍させていかないと。




