【うろ夏の陣・8月9日】天狗、羽扇を手に入れる
8月9日(金) 昼
天狗と唐傘と自称宇宙人は、うろな町の西にある山の中を歩いていた。天狗である平太郎が「なぜ、早朝に山を歩いていたのか」と問えば、自称宇宙人である院部は「そりゃあ、宇宙人だもの」と答え、院部が「おみゃあさんは何故、そんなへんちくりんなお面を被っているのか」と問えば平太郎は「もちろん、天狗だからだ」と答える。
あまりに不毛すぎるやりとりに、唐傘化けの傘次郎は大きくため息をつきたくなったが、一般人(?)の手前、傘の姿に化け続けなければいけなかった。口もはさめぬ傘次郎は「こりゃあ一体、なんの苦行でぃ」と平太郎にも聞こえぬように漏らした。
「つまり、天狗仮面は町の人々を助けて、あわよくば感謝してもらおうとか、
なんだか下心が見え隠れする理由で動いているのですかな?」
「団蔵殿の言い方には何やらトゲがあるが…おおむね、その通りである。
いや、『だった』という方が良かろう。今では、純粋に町の皆が平穏に
暮らしていけることが喜ばしいのだ」
「さいでっか」
(てめぇ、このノッペリ顔野郎!兄貴の立派な心意気をさらりと受け流すんじゃねぇよ!)
傘次郎は心の中で吠えた。
○ ○ ○
山の奥に分け入っていく中で、平太郎は何度か歩調を速めて院部を引き離そうとしたが、彼はその度に同じ部屋に住むという「イビツナ」と言う名の青年の話をして平太郎を引き止めた。曰く、病的な肌の色をした腐れ浪人生で、大家の孫娘に青汁の摂取を管理されている人物だと言う。あまりに多くの情報を彼がもたらすものだから、会ったことも無いその青年の姿が随分と身近に感じられた。
「話を聞く限りでは、随分と仲が良さそうに聞こえるのだがな」
「何をおっしゃる。我とヤツとは水と油の仲ですぞ。ヤツの考えていることは
全く持って我には理解し難い。これだから人間というヤツは」
「団蔵殿の考えていることも、私には理解し難いのである。
それに、そろそろ帰らずとも良いのか?随分と疲れているようだが」
「その通り!鼓動はまるで麗しのアノ子を見た時のように荒くなり
我のスマートな膝も、箸が転んだだけで笑う有様ではありけるが、
何よりもこんな所で置き去りにされては帰れんじゃないか!」
「ならば、私の目的を果たした後に送らせていただこう。
ここまで来てしまっては仕方が無い」
はなから付いてくる気しかなかったじゃねえかこのヤロウと傘次郎が心の中で考えるのと、平太郎が「着いたぞ」と声をあげるのが同時であった。
西の山の奥、そこには天狗がかつて過ごした庵があった。この庵に、彼の父が使っていた妖具、天狗羽扇は安置してあるのだ。
羽扇から出る妖力によってこの庵には「人払い」の結界が張られている。しっかりとこの庵を認識し、目的を持ってこの場所を目指さなければたどり着けないようになっている。
○ ○ ○
平太郎が「しばし待っていてくれ」と院部を外に残し、手に持った傘次郎と共に庵へ入ると、庵は平太郎の記憶と相違なく、懐かしさを感じ、それと同時に父、総一郎の姿を思い出すのだった。
「父上…、妖具・天狗羽扇、琴科一派が天狗、平太郎が拝借いたします」
棚に置かれていた羽扇を手に取ると、羽扇に込められていた妖力が平太郎に流れ込んでくる。本来、妖力に熱はないが、流れ込む力の大きさに体が灼かれる錯覚さえ覚えた。
「兄貴、やりやしたね!」
「…うむ。次郎にもいくらか流れたようだな」
「へい、あっしも真・傘次郎として生まれ変わりやしたとも」
平太郎は父の形見である羽扇をまじまじと見つめる。羽扇は、小刀ほどの長さを持った大烏の羽根を5枚、扇状に並べたつくりをしており、根元の拵えには5cm大の水晶玉が嵌まっている。
それを片手に山を飛び回る父の姿を思い出し、平太郎はしばし昔の思い出に浸ろうとしたが、庵の外から聞こえてくる奇声がそれを許さなかった。
「何事かッ」と庵を飛び出した平太郎と傘次郎が目にしたのは、和服姿の男性に胸倉をつかまれて情けない声を出している院部と、その上をひらひらと漂う一反木綿の姿だった。
「団蔵殿!」平太郎が叫ぶと、和服姿の男が振り返り、一反木綿は「きひひ」と不快な笑い声を上げた。
「死にぞこないが来た。あぁ愉快、あぁ愉快」と一反木綿が平太郎めがけて布の先端を鋭く延ばす。
平太郎は気合を込めて、鋭く伸びる布を傘で弾き、「効かぬッ」と吠えた。和服姿の男が「ほう」と唸る。
「一反。話が違うでござる。あの天狗の妖力はどう見てもそなたより上でござろう」
「どうやら先をこされたようだよ、一本。あぁ惜しい、あぁ惜しい」
一本と呼ばれた和服姿の男性は、なおも院部から手を離さずに、締め上げている。「離してくれぇぇ」と、院部が相変わらずか細い声で叫んでいるが、彼らは気にも留めていない。
「団蔵殿を離すのだ!不埒者共ッ!」
平太郎は羽扇を大きく振り、天狗風を起こした。院部がその風に巻き上げられて宙を舞い、平太郎の後ろへと落ちる。尻から落ちた院部が「ぐべぇ」とカエルのような声をあげた。
「手荒で済まぬ。団蔵殿。何があったのだ?」
「決まっている!ヤツらがこの我の宇宙的美貌に嫉妬して、美容の秘訣を
聞き出そうと絡んできたのだ。ヨーリョクの源はドコだ、などとほざいていたぞ」
平太郎は訳がわからず、一反木綿と和服の男性に向き直り、再び問う。
「…貴様ら、何があったか教える気はないか?」
「きひひ、教えてたまるものか」
「教える義理も必要もないでござるよ」
「…如何にも」
気を取りなおして傘次郎を構える平太郎。一反木綿が上へと舞い上がり、平太郎を貫かんと布を伸ばす。それを弾いた隙を突いて、和服の男性が平太郎の懐へ飛び込むが、平太郎は繰り出される拳を傘の柄で受け止めた。
二人でかかられると防戦一方になってしまう。後ろにいる院部をちらりと見た平太郎は、傘を薙ぎ払って和服の男性と距離を空けた後、傘次郎に告げる。
「次郎、任せても構わぬか」
「へい。真・傘次郎の力を見せてやりまさぁ」
平太郎は番傘を和服姿の男性へと投げつけた。「自棄っ八、捨て鉢でござるか?」
「奥の手、決め手でぃ!」妖怪姿、唐傘化けにその身を変えた傘次郎は勢いに任せて相手を蹴る。
「唐傘化けでござるか!」不意を突かれた男性は傘次郎の蹴りを受けてよろりとよろめいた。
「頼んだぞ、次郎!」
「合点でさぁ!」
○ ○ ○
平太郎は、羽扇を構えて宙を舞う一反木綿を追う。数日前に相対した時とは違い、平太郎の身には天狗としての妖力が満ちている。
「町に仇なす貴様らを許しておくことは出来ん。覚悟するのだ!」
「きひひ、負け戦に身を投じる阿呆ではない。退かせてもらおう。
不意討、騙し討が信条なのでなぁ」身を翻す一反木綿。
「待てッ!」
平太郎は羽扇を振り天狗風を起こす。鋭い風が一反木綿の一部を裂いたが、一反木綿はそのまま上空へとあがる。
「待てと言われて待つ阿呆でもない。背中には気をつけるのだな。
道具の力を自らの力と勘違いせぬことだ。あぁ、口惜しや。あぁ、口惜しや」
彼らは、この場所から発せられる妖気の元を主である役小角に持ち帰る為にこの場へと立ち寄ったのだったが、それを平太郎が知ることはなかった。平太郎は一反木綿の去った空を睨んでいたが、やがて意識を逸らした。
「下の様子も気にかかる…。深追いは禁物であるな」
その頃、院部の前では唐傘化けと和服の男性との戦いが繰り広げられていた。
○ ○ ○
院部は何がなにやらわからぬ様子で和服と傘がぶつかるり合う姿を眺めていた。天狗型宇宙人が持っていた傘も実は宇宙人だったのかと驚き、さらには先程まで自分の首を締め上げていた和服の男性には足が一本しか見当たらない。そのような人間を院部は見たことがなかったので、これまた宇宙人だろうという結論に達した。
ぱちぱちと目をしばたたかせた後、どうやらこれは逃げた方が良いのではないかと思い至り、こそこそと這いずった。
「まぁまぁ、そう慌てるものでもないでござるよ。御代は見てのお帰りでござる」
一本足の和服が大きく跳ねて院部の逃走を阻む。「てめぇの相手はあっしでぃ」とそれに続いて一つ目、一本足の傘も彼と和服の間へと跳ね降りた。
「何奴!何奴!」院部が叫ぶ。
一本足の和服は少し身を引いて構えを解いた。
「名乗りをあげるのは苦手でござる。拙者は一本だたら。呼び名は特にござらん。
拙者も、一反木綿も身寄りの無い捨て妖怪でござる」
どこかさみしそうに、妖怪・一本だたらは首を振った。
「…故に行く先々で好き勝手に人間を喰えるので不自由はござらんよ。
しかし、お主は不味そうな顔つきでござるなぁ」一転、にやりと黒い笑みを浮かべる。
「ひぃっ!捕食型宇宙人とは野蛮なり!求む、文明開化!文明開化!」
「不味い飯は喰わんでござるよ。町に下りれば数多の餌がある」
傘次郎がしびれをきらしたと言わんばかりに一本だたらにくってかかる。傘次郎もまた、うろな町を守るという意気込みを持って平太郎と共に過ごしているのだ。平気で人間を喰うだのという輩を許せるはずもなかった。
「てめぇ、いい加減にしねぇと、その足へし折るぜ」
「さすれば、お主の足を奪い取るまでよ。足の無い唐傘とはさぞ愉快でござろうなぁ。
そのような間抜けな唐傘の名を広めるのもまた一興。お主、名をなんと言う?」
傘次郎はばっさばさと傘を開閉して見栄を切る準備をした。後ろにいる院部に「今のうちにお逃げなせえ」と小声で呟いた。
「あ、問われて名乗るもおこがましいが、生まれは日ノ本加賀ノ国。
傘に生を受け幾星霜、辿り着いたるは琴科が家。拾われた恩義を
返さぬとあっては唐傘化けの名が廃る。恩に報いる義の番傘。
人呼んで、うろな天狗の懐刀、あ、唐傘化けの傘次郎たぁ、あっしのことでぃ!」
「おおー」院部と一本だたらが並んでぱちぱちと拍手をしている。
「ちょちょい!何でそっち側にいるんでやすか!?」
「え?こういうのは正面から見るものではないのか」「え!?」
一本だたらもまさか院部が自分の隣に並んで唐傘化けの名乗りを聞いているとは思っていなかったのだろう。驚いて横を見る。そしてそのままむんずと院部の首根っこを捕まえた。
「傘次郎と言ったか。この奇妙奇天烈な生物は妖怪でござるか?」
「知ったこっちゃねぇ。あっしにゃ救いようの無い阿呆に見える」
「心外であるぞ!宇宙に名だたる万能科学でおみゃあさんらの足の指をすべて水虫に
してしまっても我は構わんのだぞ!」
じたばたと手を振り回す院部に、一本だたらと傘次郎は何やらよく分からないもやもやとした気分に駆られ、どうにも真面目に戦うという気になれなかった。
それが院部の策略の内なのかどうかはまったくもって理解し難く、また理解できる日もおそらく来ない。
「興が削がれたってなぁ、こういう気持ちなんだろうなぁ」
「同感でござるよ。明日の夜に決着をつけるでござる」
「…場所は?」
「町のどこか。遅れてもらって結構。その間に、ゆるりと人を喰って待つでござる」
そう言って、一本だたらは院部の首から手を離し、森の茂みの中へと消えていった。平太郎が風を纏って空から降りて来て、相手を撃退できたことを労った。なんだか素直に頷くことが出来ず、「へぇ、まぁ」と曖昧な返事を返す傘次郎の一方で、「我が敵対宇宙人の戦意を削いだのですぞ!」と叫んでいた。
○ ○ ○
目的も果たし、山を降りようかとしている時に、平太郎は山のさらに奥で不穏な妖気が蠢くのを感じた。羽扇を手に入れ、妖力を感じる能力もまた鋭敏なものになっていたのだ。
「次郎、団蔵殿を町まで送り届けるのだ」
「兄貴はどうなさるんで?」
「無山の方で、何やらおかしな気配を感じるのだ」
「ならばあっしも…」
「我に行き倒れろと仰るか!?今回の功労者でありますよ!?」
「次郎…、あいすまぬが、頼む」
「…へい……」
揚々と歩き出す院部と、しょぼくれてそれに着いていく傘次郎。平太郎は「済まぬ」とその後姿に声をかけてから、無山の方へと跳んだ。
無山は、猫夜叉と呼ばれる一族が治めていたはずだ。それがここまで邪悪な気配を感じるとなると、何かしら悪いことが起こっているのではないかと考えてしまう。
「杞憂であればよいが…」
と呟いて、平太郎は風を纏って山の奥地へと向かっていった。




