【うろ夏の陣・8月6日】仙狸、外の鬼と遭遇する
8月6日(火) 早朝
千里は平太郎と傘次郎の治療を終え、二人に安静にしているようにと伝えて木造2階建てアパートを出た。平太郎はまだ目を覚ましておらず、傘次郎は「兄貴を看ておりやす」と辛そうな表情を浮かべていた。
アパートに向けられた妖気に千里は覚えがあった。
外には、ラフな格好をした二人組がおり、アパートから出てきた千里を見ると、二人は被っていたキャップを外し、額から映える鬼の角を現した。
「千里ちゃーん。俺様のコト、覚えてっかなぁ?」
「アタイもいるよぉ」
「……殺されにでもきたのかしら?」
千里の目がスッと細められる。目の前に現れた鬼の事を、千里は知っていた。遥か遠く、奈良時代から面識のある鬼達である。
「おおぅ。いと恐し。またまたぁ。千里ちゃんなら分かってるっしょ?」
「いい加減、アタイらの仲間になればいいのに」
「お断りよ。断固、お断りよ。それはもう、きっぱりと。
前鬼。いい加減諦めたらどうなの?1000年前から変わらないわね」
この二人の鬼はそれぞれ前鬼、後鬼という名の鬼である。時代に合わせた姿、服装をとりながら、さまざまな妖怪を傘下に置こうと企む2人組である。
おそらく、平太郎を襲った一反木綿もこの二人の傘下に降ったのだろう。
「赤坊主も青坊主もあなた達の仲間になったってコトね」
「あー、あの力だけが取り柄の二人組ぃ?アタイの好みじゃないんだけどぉ」
「あなたの好みはどうでもいいわ、後鬼。それで、どうしてココに来たのかしら?
私が断るのは分かっていたはずでしょう?それに、この町の妖怪であなた達の誘いに
乗る妖怪はいないはずよ」
こうして話しながらも、3人は常に相手への警戒を怠らない。お互いに、手が届く場所にいるのだ。いつ戦闘が始まってもおかしくない状況である。
前鬼がにやりと笑い、木造アパートの一室、平太郎の部屋を指さした。
「今はあの天狗がお気に入りなんだろ?千里ちゃん」
「……そう、殺されるだけじゃ足りないのね」
千里の瞳が前鬼を見据える。殺気を十二分に含んだその視線をものともせずに前鬼は続けた。
「取引しようぜ。俺と後鬼は天狗にゃ手を出さねえ。
代わりに、千里ちゃんはうちの妖怪を手にかけねぇでくれよ。
もちろん、俺達や小角様のことを他のヤツに知らせるのもダメだ」
「随分と割りに合わない取引を持ちかけるのね」
「今、ここでアタイらが天狗をやっちゃってもいいんだよぉ」後鬼が邪気のある笑みを浮かべる。
ふざけた態度と物言いだが、この鬼達の実力は相当なものである。今ここで戦えば、千里も平太郎も無事では済まない。そう、千里は考えた。
昔から、二人のこういう所が気に食わないのだ。自分から楽しみを奪っていく。
「わかったわ…」
「おっと、ちゃんと宣言してくれよ。嘘だと困るからな、“嘘吐き千里”」
千里が軽く顔をしかめる。
「……“約束する”わ。町の妖怪に、あなた達や小角の名前は出さない。
妖怪も手にかけないわ。わたしとあなたの契約よ」
「上々。じゃ、俺達は行くわ。後鬼、行くぞ」
「はーい。上手くいったねぇ。小角様も喜んでくれるよぉ」
「用が済んだなら、とっとと失せなさいな。
今、とても不快な気分よ」
「それでも、“約束”したからには千里ちゃんは何も出来ねえよ。
ま、仲間になってくれるってんなら……」
千里の妖力が怒りによって急激に高まる。前鬼と後鬼は一瞬身構えたが、それが威嚇以上の意味を持たないことに気が付き、笑みを浮かべて去っていった。
アパートの前に一人残った千里はしばらく立ちすくんでいたが、二人が見えなくなると口の端をあげてニヤリと笑った。
「……甘いわねえ。まだまだ」
名前を出さないとは言ったが、危機を伝えてはいけないとは言っていない。
妖怪に手をかけないとは言ったが、町の妖怪に手を貸さないとは言っていない。
千里に出来ることはまだまだある。
「とりあえず、鬼ヶ島さんの所に行きましょうか。あの人の情報網なら、
手がかりさえあればすぐに調べられるでしょうから」
自らが動けないことに不満はあるが、それでも充分である。
目下、あの気に食わない二人組の鬼をどうしてやろうかと考えながら、千里は早朝の町を歩き出す。




