中編
「やっぱり言わなければよかった」
侍女を下がらせた自分の部屋で窓の外を眺めながらポツリと呟く。窓の外には小さな庭があるだけで、その奥には家、家、また家。王都の中にある屋敷では、あんな自然に囲まれる事も静かな時を感じる事もない。
あれから部屋に籠ったロベルトに会うことはできず、予定よりも早めに馬車を呼んで帰って来てしまった。
嫌になってしまっただろうか。私が婚約破棄をしたくないからと夜会に誘ったこと。彼が苦手だと知っていてお願いしようとしたのは、やはりまずかっただろうか。
「あぁ、もう。どうすればよかったのよぉ! 私はただ……」
ーーただ、貴方のお嫁さんになりたいだけなのに。
破棄されるって聞いてロベルトはどう思ったのだろう。悲しんでくれた? なんとも思わなかった? それとも喜ん……あれ、そう言えば私、ロベルトに好きだと言われたことがない。
いつも私が好意を伝えてただけ。もちろん思春期になってからは恥ずかしくて言えてないけれど、幼い頃は毎日のように言っていたし、今でも屋敷に通ってる。
友人には女性が男性の家に通うなんておかしいとか言われていたけど、私が会いたいのだからいいと思ってた。でも、ロベルトは会いたいと思ってないんだとしたら? 一応、婚約者だからと受け入れていただけで好きとかではなかったら? 拒絶されないからと良いように解釈していたけれど、よく考えれば彼の気持ちを聞いた事がなかった。
突然身体がふらつく。ショックだった。というか、なんでそんな事にも気づかなかったのかと呆れてしまう。こんなに一方的な想いを彼にぶつけ、返答を待っていても答えが返ってくるわけがなかった。そもそも聞いても返ってこない相手から、ちゃんと聞き出さなかった私が悪いのではと思えてくる。
「もしかして……さっきも私に気を使って返事をしなかったの? ということは、婚約破棄は嬉しいってこと? 私がへこんでいて言いづらかったとか?」
次から次へと悪い事ばかりが頭の中を駆け巡る。どうしよう……私、彼の気持ちを全然知らないわ。
「お嬢様、よろしいですか?」
扉の外から侍女の声がかかる。なんとかうな垂れた態勢を立て直し、椅子に座ってから入室の許可を出す。侍女は一通の手紙を持って入ってきた。
「ライセル様からです」
「ライセル様から? 何かあったかしら?」
手紙を受け取り中身を見た瞬間、私は再びうな垂れることになった。
「忘れてたわ……今日はロブに剣技選抜大会を一緒に見に行こうと誘う予定だったんだ」
「お嬢様! 大丈夫ですか?」
「えぇ……なんとか」
手紙の中にはロベルトの兄ライセル様が出場する国内の剣士(騎士も含む)の剣術を競う大会の入場チケットが2名分入っていた。
****
あれから8日が経った。結局、ロベルトの気持ちを知るのが怖くて彼の元に行けず、そのせいで誘うこともできず、今だ険悪ムードのお父様と剣技選抜大会を見に来ることになった。お母様を誘ったのだが、友人とお茶会があると断られてしまったのだ。
会場は大変盛り上がっていた。昨日予選が騎士団の訓練所で行われ、本日は本戦となる。国王夫婦なども出席する歴史の長いこの大会は、毎年、観光客が来るほど人気がある。チケットもそう簡単には手に入らないのだ。
「きっと素晴らしい男性がいるはずだよ」
「お父様!」
「だが、この由緒ある大会の本戦に出られる者は皆優秀だし……」
「おーとーうーさーまー!」
「わかった、わかったからそんな怖い目で見るな」
何がわかったですか! 婚約者候補を探す気満々ではないですか! 娘の気も知らないで! 試合会場に視線を戻し、楽しみにしているのを隠しもしないお父様を睨みつけながらも、やはり考えるのは彼のこと。
あれから何にも話し合わず逃げているけれど、このままではいけないことはわかっていた。しっかり彼と向き合い、彼の気持ちを確かめ、もし無理だったら……お父様の要求をのんで潔く婚約破棄するしかない。
「これより剣技選抜大会、本戦を始める!」
大きな掛け声と共に音楽がなり始める。大会開始の合図だ。本戦は予選を勝ち上がった8名がトーナメントで戦い、勝った1名が前回優勝者と戦う。ちなみに前回の優勝者はライセル様だ。そのためチケットが手に入ったという訳である。
次々と繰り広げられる戦いの中で素晴らしい剣技が披露されていく。戦っているのに舞を踊るかのような鮮やかさ、力強さ、躍動感、全てが観客を魅了する。勝者には賛辞の言葉を、敗者には労いの言葉を。皆が出場者に尊敬の眼差しを向けた。それ程に皆の実力が高かったのだ。そして最後の一組が呼ばれる。
「シュバルツ・ヴェルディ! ロベルト・フォルツェン! 両者前へ!」
「ロベルト・フォルツェン? おいエリー……もしかしてロベルト君か!?」
「そ、そんな! 聞いてないわ!?」
混乱する私達親子を他所に出場者が入場してくる。しっかりと整えられた茶髪に相手を真っ直ぐ見る翠色の瞳、白い肌……いつもと雰囲気は全く違うのに、彼だとすぐにわかった。だってその横顔は私が十年間特等席で見てきたものだから。
「どうして」
私の呟きは開始の合図で掻き消される。合図と共に動き出した相手の剣をロベルトがギリギリでかわす。そのまま背後に回り込み剣を振り下ろす。刃の潰された剣では致命傷にはならないが、相手は思い切り吹き飛ばされた。
あんな細い身体のどこにそんな力があるのか。それよりもボーッとしてばかりの彼が早く動けている事だけでも驚愕ものである。そんな彼が剣を振り、相手を蹴り飛ばし、睨みつける。その姿全てが初めて見る彼だった。こんな彼は知らない。あんな躍動感のある彼は見たことがない。
驚きを隠せないままロベルトの一試合目は勝利で幕を下ろした。隣で興奮気味に話しているお父様を放置して、選手の控える部屋へと走る。
どうして、なんで、何をしたいの
どう聞くのが正解なのかわからなかった。それでも彼が怪我をしていないのか確認したくて堪らなかった。だって、彼が剣を振れるなんて思わなかったから。
控え室がどれかわからず、肩で息をしながら廊下を彷徨う。名前の書かれていない控え室を一つ一つ訪ねようか考えていた頃、突然背後から肩を叩かれた。慌てて振り返れば、そこには苦笑いしたライセル様が立っていた。
「エレイン、何をしてるの?」
「ライセル様!? 大変なんです! ロブが……ロブが大会に!」
「落ち着いて、エレイン。知ってるよ、私が登録してあげたんだからね」
「え? それはどういう……」
ライセル様は彼が出るのを知っていたの?いつから彼は決めていたの?なんで言ってくれなかったの?溢れる疑問が止まらず、何から聞けばいいのかわからないままオロオロしだす私の頭をライセル様が撫でる。それはまるで幼い頃のようだった。
「大丈夫、悪い事は起こらないよ。終わった後にロベルトに聞いてごらん? だから今はこのまま席に戻るんだ」
「でも!」
「あいつのためにも戻って、ちゃんと見届けてあげてくれ」
「……はい」
「ありがとう」
ニコッと笑ったライセル様は、いつも庭で並んで座る私達を見ていた時のような表情だった。ライセル様はロベルトの良き理解者であり、私の良き相談相手だった。そんな彼が言うのだ、従うべきだろう。
そのままロベルトに会わず、私はロベルトを応援するため会場に戻った。もう他の人の試合なんて構っていられない。怪我はしないだろうか、勝てるだろうか、大丈夫なのか、そればかりが頭の中を駆け巡り落ち着かない。
そしてロベルトの二回戦目がコールされた。入場してくるロベルトは前回の戦いと変わらぬ表情だった。私の方が緊張しているのではと思う程だ。
バッと席を立つ。ほとんどが貴族で固められている席のため立って見る者はいない。長く立っていれば迷惑になる。そうならないために躊躇なく叫んだ。
「ロブーー! 頑張ってーーー!」
たくさんの声援で掻き消されてもいい。伝わらなくてもいい。ただ彼の頑張りを一番に応援したいから。
ロベルトがこちらに振り向いた。そして小さく頷く、私の目を真っ直ぐ見つめて。私も頷き返し、ストンと席に座った。周りの生暖かい眼差しが恥ずかしかったからだ。何となく怒られた方がよかった気がする。
こうしてロベルトの試合が始まったのだった。




