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鬼灯町の百鬼夜行◆祭  作者: 宵宮祀花
【愛ノ幕】結びの春

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五光

 微睡みから浮上し、隣を見る。白い背中がこちらを向いていて、千鶴はその背に身を寄せて抱きしめた。


「……先輩、起きてるんですよね」


 僅かに身動ぎをしたが、答えはない。


「わたし、別に気にしてませんよ」

「千鶴……」


 あからさまに落ち込んでいる声で名を呼ばれ、千鶴は広い背中に頬を寄せた。今朝はきちんと着物を着ていることに安堵しつつ、背中越しの心音に耳を傾ける。


「我は……とんだ意気地なしだ……」

「そんなことないです」


 昨晩。桜司は、千鶴を抱きはしなかった。

 何度も口づけをし、抱きしめるまでは良かったが、そこから先に至れなかったのだ。理由はわからない。興が削がれたというわけでもなさそうで、ただ、千鶴を抱きしめた格好で小さく「すまぬ」と呟いたきり、それ以上はしてこなかった。

 そのときの表情が、いつかの部室で見たあのひどく傷ついたような顔に似ていたのは何となく覚えている。だから千鶴は、彼を責める気にはなれなかった。


「先輩は、あのまま……感情のまましていたらだめだって思ったんですよね。わたしは先輩の気持ちの整理がつくまで待ちます」


 暫く沈黙が流れ、ややあってからもぞりと身動ぎをする気配がした。手を離すと広い背中が反転して千鶴と向き合う格好になり、ぎゅっと力強く抱きしめた。


「……お主は、本当によく出来た嫁だな。あのように半端な辱めを受けたというのに、我を赦すというのか」

「桜司先輩のことが好きだからですよ。好きなひとのためなら何だってしたいですし、赦す赦さない以前に、嫌な気持ちにすらならないんです」

「っ……、はぁぁ…………全く、お主は……」


 目を瞠り、千鶴を抱く腕に力がこもる。触れて抱く度に千鶴の小ささを思い知るが、言葉を交わす度に心の大きさを思い知るのだ。桜司が呪詛によって魂を縛り付けていた頃の「何でもない」とは違う、千鶴の本心からの言葉は、桜司の寂寥を満たしていく。


「これだけは言っておくが、お主に問題があったわけではないぞ」

「はい、大丈夫です。わたしは桜司先輩を信じていますから」


 優しく微笑む千鶴の頬を手のひらで包み、啄むような口づけをした。

 勢いに任せて事に及ぶことは、忌々しい人間に流されるようで癪だった。いくら当の千鶴が構わないと言ったとしても、後々自分が赦せなくなると思って、踏み留まった。それでも、いずれにせよ千鶴を傷つけることになるだろうと思ったのに、千鶴は途中で折れた桜司をそれでも待つと言うのだ。


「千鶴」

「はい」

「……好きだ」

「はい……」

「特異点如何に拘わらず、お主の全てが愛おしい」

「っ、はい……」

「いずれ必ず、お主を我の許へ迎え入れる。その身に我の神性を宿し、我らと同じ時を生きる存在へと変える。そのための儀式はやはり、時を選んで行うべきだな」

「…………はい、先輩。そのときは、必ず……」


 千鶴の答えごと飲み込むような口づけがされ、優しく髪を梳く大きな手に千鶴が頬を寄せると、愛おしげな眼差しが惜しげもなく注がれる。

 そうして甘く揺蕩うような時を過ごして、漸く寝台から降りたときにはすっかり日が高くなっていた。


「休みだと思うといかんな……つい離れがたくなってしまう」

「学校があったときと違って、決まった日課がないですからね。課題も自分のペースでやらないといけないですし」

「そういえばお主、授業にはついて行けているのか? 何度も転校していれば、内容が違ったこともあっただろう」

「はい、大丈夫です。成績優秀とまではいかないですけど……真ん中よりは上なので、何とかなってると思います」

「そうか」


 居間へ向かいながら保護者のようなことを訊ねられ、千鶴はどことなくくすぐったい気持ちになった。しかも廊下を進む僅かなあいだでさえ、桜司は千鶴の手を離さない。

 居間の前に着くと、中からなにやら物音が聞こえてきた。テレビの音と、人の声だ。何と言っているかまではわからないが、中に複数いて、会話しているようでもある。


「……あれ、なにか物音がしますね」

「ああ……まあ、見ればわかる」

「……? はい……」


 何だろうと思いつつ、障子戸を開いた桜司に続いて居間に入った。すると、


「あ、おはよー千鶴」

「邪魔してるぜ」


 大きなテレビの前に設置されたソファに、見慣れた三人が集っていた。どこを見ても和風な作りの部屋の壁に立てかけられた、薄型の大きなテレビにはゲーム画面と思しき映像が映し出されており、ソファとテレビのあいだにあるローテーブルの上には置き型ゲーム機が鎮座している。あまりにもアンバランスな光景と、初めて見るのに見慣れた日常風景のような光景に千鶴は一瞬理解が追いつかず固まってしまった。


「……えっ、あ……せ、先輩!?」

「おチビちゃん、ロード時間長かったな」


 からからと笑いながら、柳雨が言う。


「おチビちゃんの鞄、届けるっつったろ。ついでに寛いでた」

「僕はそれについてきた。で、せっかくだから伊月も連れてきた」


 テレビ正面のソファに柳雨と桐斗が並んでゲームをしており、左隣に伊月が頭だけを高くして寝そべりながら本を読んでいる。何だか部室と変わりない空気がそこにあり、然程日にちが経っていないはずなのに、千鶴は懐かしい気持ちになるのを感じた。


「全く……千鶴、少し早いが昼食にするぞ。朝食を食い損ねたからな、時間は丁度良いだろう」

「はい。わたし、なにか手伝うことはありますか?」

「いや、既に作らせてあるゆえ、大丈夫だ。座って待っておれ」

「わかりました」


 紐を引くと御簾が巻き上げられ、入口が出来る。中に入って椅子に座ると、ゲームに飽きたのか桐斗が寄ってきて背後から千鶴に抱きついてきた。


「ちーづるっ」

「はい、って……黒烏先輩と遊んでいたのでは?」

「すぐ戻るよ。てゆーか、アイツ昨日あのまま千鶴のこと食べちゃうかと思ったけど、案外冷静だったみたいだね」

「!? ど……どうしてそれを……?」


 じわじわと顔が熱くなるのを感じながら、千鶴は動揺を露わに訊ねる。桐斗はなんてことないようにさらりと「見ればわかるし」と言って、千鶴の頭を撫でた。


「千鶴、まだ人間だからね」

「あ……なるほど……」


 納得して、ふと。

 つまりは桜司とそういうことに至ったときも、彼らにはっきり伝わってしまうということなのではなかろうか。

 そこまで想像が至り、顔に火がついたようになる。


「あははっ、可愛いー」

「これ猫、ひとの嫁を揶揄うな」


 そこへ、朝食を持った桜司が食卓に戻ってきた。炊きたてのご飯に、油揚げとネギの味噌汁、卵焼きに焼き鮭にごま豆腐、デザートの水菓子は、瑞々しいメロンとスイカが並んでいる。


「あ、メロンいいなー」

「お主らにも切り分けてあるから持っていけ」

「やったー!」


 パッと千鶴から離れると、桐斗は御簾をくぐって台所へ駆けていった。そしてお盆を手にして居間へと向かいながら「メロンもらったよー」と機嫌良く声をかけている。


「彼奴は一人で騒々しいな」

「ふふ、そうですね。いつも通りって感じがします」

「……まあ、そうだな」


 しあわせそうに笑う千鶴を見て、桜司は嘆息しつつも同意した。

 手を合わせて「頂きます」と声を揃え、温かな食事に手をつける。その背後では最早いつもの光景と化した日常が、賑やかに流れていた。

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