夕闇が攫う影
長い授業が終わり、開放感と共に生徒たちは表情を明るくさせる。昼休みに懐かしい遊びに興じようと言っていた集団は、早速鞄を肩に提げて教室を出て行った。その中に千鶴に話しかけてきた件の女子生徒も居り、キーホルダーやアイドルグッズで飾られた鞄を景気よく鳴らし、似た格好の友人と話しながら出て行くのが見えた。
「じゃあ、わたしは先輩のとこに行くね」
「はい。また明日です」
笑顔で答える真莉愛と、軽く手を上げて応える伊織に見送られ、千鶴は教室を出た。
文化部の部活棟は、音楽室を使う吹奏楽部と講堂を使う合唱部、美術室を使う美術部以外の部活及び同好会が使用している。全員がなにかしらの部に所属することを校則で義務づけているだけあり、部屋数や設備は充実しているようだ。
部活棟一階の最奥部。以前は突き当たりの窓しか見えなかったはずのそこに、左側に並ぶ扉と同じ形の引き戸がある。何度見ても不思議な光景で、何度訊ねても慣れない。
「失礼します」
ノックをして扉を開けると、既に柳雨と桐斗が待っていた。そして相変わらず花札を遊んでおり、僅差で桐斗が負けたところだった。
「あーもー! おっしーい!」
両手を振り上げて悔しがり、万歳の格好のまま桐斗が振り向く。
「千鶴いらっしゃーい!」
「こんにちは。黒烏先輩に呼ばれてきたんですけど、なにかあったんですか?」
「まあ、まずは座って座って」
言いながら手招きされ、千鶴は開いている桐斗の隣に腰を下ろした。
「あ、呼び出しといてなんだけど、俺、ちょっと伊月見てくるわ。女子に捕まってたらあいつ一人じゃ抜け出せねえし」
「よろしくー」
桐斗と共に柳雨を一度見送り、静かになった室内を何気なく見回す。
そこでふと、桐斗の爪の色がいつもと違うことに気付いて、思わず見つめた。確か、皆で外出したときはもっと色の濃いピンク色をしていて、その前までは桜貝のような、自然な淡いピンク色だった。だがいまの色は、ピンク色ではあるものの若干オレンジが混じった色をしている。
「赤猫先輩、もしかして爪の色変えました?」
「あっ、わかるー?」
千鶴の言葉に桐斗の表情が一瞬で明るくなり、弾んだ声が返ってきた。
「これねー、もうすぐ夏休みだからテンション上がる色に変えたんだー」
「すごい……季節とかでも色を変えたりするんですね……」
全く以て化粧っ気のない千鶴は、その一言だけで感心しきりだった。
千鶴に見せるために揃えられた指先は、男子にしては小さく繊細な作りをしている。それでも、女子の中でも小さい千鶴と比べるとどこか力強さを感じる少年の手で、日頃気遣って維持しているのであろうことが窺える。
「千鶴はお化粧とかしないの?」
「え、わたしは……どう選べばいいのかも良くわからなくて……」
「まあ、最初はそーだよねー」
うんうん。と声に出しながら頷くと、桐斗は一つ手を叩いて元気に声を上げた。
「そうだ! 今度僕が色々教えたげる!」
「いいんですか?」
「もっちろん! あっ、そーだ! せっかくだしさ、この前買った服に合わせてメイク選ぼうよ。プチプラでも全然可愛くなれるんだよー」
「じゃあ、お願いします」
「おっけー決まりっ!」
自力ではなにをどうすればいいかもわからない千鶴にとって、桐斗の魅力的な提案を断る理由はなかった。
「なになに、楽しそうな話してんじゃん」
「…………」
扉が開き、柳雨と伊月が現れた。柳雨は部屋の奥、桐斗の隣に腰掛け、伊月は柳雨が懸念した通りの事態に遭っていたのか、不機嫌そうな顔のまま奥のソファに腰掛けた。
「そだ、小夜ちゃんは職員会議だってさ」
「りょー」
スマートフォンを取り出しながら柳雨が誰にともなく言うと、桐斗がひらひらと手を振って答えた。
「それで……なにかあったんですか?」
「あー、それなー」
千鶴が呼び出した当人である柳雨のほうを向きながら訊ねると、柳雨はちらりと目をやってから再び画面に視線を落として答えた。
「子供の魄が作った秘密基地に、現世の子供らが引きずり込まれる事件が起きててな。こないだ行方不明事件あっただろ」
柳雨の言葉に合わせて、伊月は鞄からパッドを取り出して机に置いた。以前、桜司が千鶴に動画を見せたそれと同じものらしく、スライドしていく画面の内容に、いくつか見覚えがあるものが見られた。
いくつか画像を通過して、指先が止まったところにあったのは妙な古くささを覚える新聞記事だ。右上の欄外に小さく犬神新聞と書かれている。
行方不明の小学生男児、鬼灯町河川敷で発見される。そんな見出しから始まる記事は行方不明になってからの簡単な捜査内容と、両親のコメントや男児の容態、ネット上の反応などが記されていた。
「この迷子の友人曰く、隠れ鬼の最中に突然いなくなり、そして三日後に見つかった。更に、空白期間の記憶はなしときた」
「典型的な神隠しだよね。この子が帰ってきたのは偶然だと思う」
「なんでこれで親を責める方向に行くのかわっかんねえなぁ……」
柳雨の説明に続き、画面を覗き込みながら桐斗が言う。柳雨のぼやきの通り、記事の中にネット上で親を責める声が上がっていることが取り上げられていた。
「コイツの特徴としては、鬼遊びをしている最中に紛れて一人離れた者を自身の領域に連れ込んで、自分の仲間に引き入れようとする怪異だな。その実は子供の頃に死んで、帰りたくても帰れず彷徨ってる魂だ」
「影鬼自体に悪気はないんだけど、連れ込まれた子は結局異界に取り込まれて、同じく帰れなかった魂になって影鬼になっちゃうんだ。終わりがないんだよ。今回のみたいに戻ってきたとしても、魂が影鬼に侵蝕されると自我が混ざっちゃうんだ」
「鬼ごっこさえしなきゃいい話だけどな、どうやって禁止するんだって話だし」
柳雨と桐斗の言葉に、千鶴も難しい顔をして記事を眺める。早く帰るようにと伝えることは出来ても、外で遊ぶこと自体を制限することは難しい。ましてや遊びたい盛りの小学生は、大人の理屈で無理矢理納得させることは殆ど不可能だろう。
「正しく帰れなくなった子供の魄は、秘密基地っつう空間を作ってそこで暮らすことがあってな、そこは人間の子供じゃねぇと入れねーんだわ。だから今回はちっとばっかし面倒なんだよな」
「僕らじゃまず異界の場所を探すことから始めないといけないからね……」
鬼ごっこ。鬼遊び。その言葉を聞いてからなにか引っかかる心地だった千鶴は、ふと気付いて「あっ」と声を上げた。視線が集まる中、怖ず怖ずと口を開く。
「わたしのクラスで、放課後に影踏みしようって公園に行った人たちがいました……」
千鶴の言葉で、室内が水を打ったように静まり返った。




