秘め事一つ
鬼灯小の、とある教室。扉前のプレートには二年二組と書かれている。
朝の賑やかな時間帯。授業前のささやかな自由時間に、集まって噂話に興じる女子のグループがあった。だが彼女らの雰囲気は、とても楽しそうには見えなかった。一人の女子児童をチラチラと見やりながら、笑い声混じりに囁き合っている。
「ねえ、聞いた? 六年生の人がカミサマポストに願い事聞いてもらったって」
「聞いた聞いた。いいなー、あたしもお願い聞いてもらいたいなー」
「えー? 梨紗はどんな願い事があるの?」
「聞きたいー?」
聞こえよがしに声をあげ、再びチラリと視線をやる。三人分の視線が集まる先には、大人しそうな少女が俯いていた。周りのクラスメイトは誰も彼女らを咎めない。自分が身代わりになることを恐れているのだ。
「どっかの根暗ブスががっこー来なくなりますように!……とかぁ?」
「あははっ、誰のことだろうねー?」
わざとらしい口調と笑い声が、少女に突き刺さる。
この学校ではいま、カミサマポストという噂が流行していた。旧校舎の前にある木造ポストに願い事を入れると数日のうちに叶うというものだ。いかにもおまじないの類が好きな子供が飛びつきそうな噂だが、出所不明な上に根拠も特にない。ただ、噂だけがいつの間にか発生して蔓延していた。
ふと、上機嫌に悪口を言っていた女子に向けて、男子児童の声が投げつけられた。
「くっだらねー!」
「女子ってあほみてーな占いとか好きだよなー」
「そんなもんあるわけねーじゃん。マジで信じてんのかよ、だっせー!」
二人組の男子にゲラゲラと大声で笑われ、三人の女子グループのうち二人が顔を赤くしながら叫んだ。
「うるさい! あんたたちなんかに話してないんだから、入ってこないでよ!」
「サッカーしか能のないスポーツバカにはどーせわかんないんだから!」
「うるせーブース! お前またオーディション落ちたの皆知ってんだかんな!」
「そこのデブはそのブタ肉何とかしてからバカとか言ってくださーい」
「つーか梨紗とかもったいねー名前なのってんじゃねーよ、デーブ!」
梨紗と呼ばれた一番体格の良い少女は、その一言で大袈裟に声を上げて泣き出した。周りは彼女のほうを一瞬迷惑そうに見ただけで、どちらを止めることもしない。ただ、早く先生が来て授業にならないかと内心で思うばかりだ。
「皆、席に着け。高橋はうるさいぞ。泣いて構ってもらえるのは幼稚園までだと言っただろう」
鐘の音と共に入ってきた男性教師が、梨紗が大泣きしているのをどうでも良さそうに窘めると、梨紗は机を両手で思い切り叩きつけ、大股で足音を踏みならしながら教室を出て行った。先ほどの男子二名がクスクス笑いながら「ブタゴリラ」「足音超やべぇ」などと囁いているが、教師はなにも言わない。
「今日は一時間目に小テストがあるから、皆準備をしておくように。それと、旧校舎のほうへ行く人が最近多いそうだ。見るだけなら構わないが、中は老朽化して危険だから勝手に入ったりしないように」
淡々と連絡事項を告げると、担任教師は予鈴の音と共に退室していった。
授業は滞りなく進み、昼休みは担任も教室にいる状態でまとまって給食を取るため、大きな騒ぎは起きなかった。朝の会の時間に泣きながら出て言った梨紗も、友人二人に宥められて授業までには戻ってきていた。
だが、放課後は違った。
完全な自由時間。担任教師は居残ってまで児童を監視する熱心なタイプではないため早々に職員室へ戻っていった。残された児童たちのうち、クラブ活動などがない子供はランドセルを鳴らしながら友人と帰っていく。朝に梨紗を泣かせた男子たちはサッカー少年団の活動に向かっており、既にいない。
梨紗を含めた三人の女子グループは、ひと気が殆ど失せた教室の後ろに一人の女子を追い詰めて、強い口調で詰問していた。
「あんたのせいでバカにされたじゃん。どうしてくれるわけ?」
「あーあ、可哀想。愛梨ちゃん傷ついたってー」
愛梨と呼ばれた児童は長い髪をツインテールにして、児童向けブランド服を纏った、顔立ちだけなら子役としていても違和感ない容姿の少女だ。だが、事あるごとに梨紗ともう一人、小柄でおどおどした少女、紗愛を引き連れて一人の少女をいじめているため友人は決して多くない。
囲まれている少女はなにも言わず俯いている。それが面白くないのか、梨紗が少女の肩をロッカーに叩きつけた。派手な音が響き、廊下を歩いていた児童が何事かと視線をやるが、すぐにそそくさと目を逸らして去って行く。
梨紗に肩を押さえつけられた状態でもなお、無抵抗に俯いたまま、なにも言わない。なにも反応せず、抵抗もしない。
「このハエ女! 二度と学校来んな!!」
「さっさと死ね! どうせお前なんか死んでも誰も悲しまないんだから!」
愛梨が叫びながら少女のものと思われるランドセルを机ごと蹴り倒すと、梨紗が肩を引っ掴んで床に投げ倒した。その様子を見て、紗愛は小さな声で少女に囁く。
「南風里さんが悪いんだよ……弱いくせに調子に乗ってるから……」
ボソボソとそう呟くと、二人を追って駆けていった。
「…………どうして、わたしばっかり……」
無人の教室でぽつりと呟くと、少女は床にばらまかれたランドセルとその中身を拾い集めた。夕暮れに染まった教室は朱く暗く、夜へと向かっていく。
少女はまだ二年生だというのにもう何年も使い古したような傷だらけのランドセルを背負うと、教室をあとにした。
「あ……そういえば……こっちだっけ……?」
旧校舎前のポストは神様に通じている。
下らない噂だと思う。神様が助けてくれるなら、とっくに助けてくれているはずだ。だが現実は神様どころか、同じクラスの人間でさえ誰も助けてはくれない。それでも、最早彼女には根拠もなにもない噂しか縋れるものがなかった。
ランドセルから彼女らに破られて無残な姿となったノートを取り出すと端を千切り、カラーペンで願い事を書き殴ってポストの口にねじ込んだ。ポストには既にたくさんの手紙が押し込まれており、一部は風雨でボロボロになっている。万が一にも彼女たちに見つからないよう奥までねじ込んだせいで、古い木の棘で手の甲が小さく傷ついたが、構わずその手を引き抜いた。
“わたしをいじめるひとがいなくなりますように”
あとを振り返らずに、少女は涙を堪えながら走り去った。




