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桃と料理人 - 希望が丘駅前商店街 -  作者: 鏡野ゆう
本編

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第五十一話 新しい家族がやってきた

 予定日一週間前、その日は魚住のお父さんとお母さんがたくさん筍を持って遊びに来てくれた。京都出身でお母さんと仲良しのお客さんが実家で採れたものをお裾分けで持ってきてくれたらしくて、それをうちにお裾分けのお裾分けってことらしいんだけどそれにしても物凄い量。一体どれだけの筍を貰ったんだろう。もしかしてその人って筍農家でもしてるのかな。筍って竹林にはえてるものでしょ? もしかして竹林限定の物凄い土地持ちの人?


「そろそろ産まれる頃だし嗣治が仕事でいないから桃香さん一人じゃ心配だってお父さんがうるさくってね」

「わしはそんなこと言ってない、うちでは食べきれないぐらいの筍をもらったからたまたま来ただけだ」

「そんなこと言っちゃって。毎日カレンダーを眺めたり電話が鳴るたびにソワソワしているのは誰なんだか」


 本当にツンデレ爺さんなんだからとお母さんが呆れたように笑うと、お父さんは憮然とした顔をしながら筍を片手にキッチンへと入っていった。筍は既に下ごしらえはできているようで、どうやら今日のお昼ご飯はお父さんが作る気満々でいるみたい。お母さんはお父さんがご飯の支度を始めたのを見ながら私の横に座る。


「それで? 赤ちゃんはどんな感じ?」

「えっとですね、実は昨日の晩辺りから時々お腹が痛いっていうか何ていうかギューってなるんですよ」

「あら、それって……陣痛の始まり?」


 お母さんはお父さんに聞こえないように声を潜めてきた。


「かもです。一応病院には連絡したんですよ。そしたら痛くなるのが五分間隔ぐらいになったら来て下さいって言われたので今は間隔を計りながら様子見です」

「それ、嗣治には言った?」

「いえ。ほら、そんなこと言ったら仕事が手につかなくなっちゃうじゃないですか。だから病院に行かなきゃいけなくなるまでは黙ってた方が良いかなって」


 何となく腰の辺りが痛いようなだるいような感じになってきて最初は嗣治さんに言った方が良いかなとは思ったんだ。だけど籐子さんの時の徹也さんの話を聞いたり下の森崎さんの旦那さんの話を聞いたりしていると、後で嗣治さんには何で言わなかったんだって叱られるかもしれないけどギリギリまでそういうことは言わない方が良いような気がしたんだよね。


「やっぱり言っておいた方が良かったと思います?」

「うちの男連中のこれまでの行動からして桃香さんの判断は間違ってないと思うわよ。ここはドーンと構えていた方が良いわ。嗣治が帰ってくるまでは私達がいるから安心してなさい、ここに経験者がいるんだから」


 その代わりお父さんには今のこと内緒よ?とお母さんがニッコリと笑いながら言った。そんな訳で何となく痛いような痛くないような時間を繰り返しながら、お父さんがご飯を作るところを眺めつつお母さんとお喋りを続けた。だけどご飯の用意が出来上がっていざ筍ご飯を食べようかという時になっていきなり今までとは違う痛みがやってきた。あー、なんかこれはもしかしてってやつかも。せっかくの筍ご飯、食べ損ねちゃうことになりそうな予感……。


「桃香さん、どうした?」


 思わず顔をしかめていたのをお父さんが見ていたらしく慌てた様子で椅子から立ち上がった。


「えっと急に痛いのが……」

「あらあら、大変。そろそろかしら」

「かもです」

「おい、そろそろとかかもですって何だ。もしかしてわし等が来た時から陣痛が来てたのか?」

「陣痛が起きる前の予兆みたいなものなんですから大騒ぎしないで下さいな、お父さん。それより車、用意した方が良いかしらね。お父さん、運転できそうですか?」

「わ、わしがか?!」


 そのギョッとした顔に思わず笑ってしまう。お母さんはそんなお父さんの様子に溜息をつきながら電話に手をのばした。


「……タクシーを呼んだ方が安全そうね」

「その方が良いです。病院の駐車場そんなに広くないし。えっと、タクシー会社の電話番号はここに書いてあった筈……」


 電話の横の置いてある電話帳に貼り付けてあった付箋紙のページを開く。


「桃香さん、私が電話しておくから出掛ける準備をしなさい。一人でできる?」

「はい、大丈夫です。それにもうお泊り用の荷物も作ってあるので」

「お父さん、嗣治に電話。これからタクシー呼んで病院に行くって伝えておいて下さいな」

「分かった」

「余計なことは言わないで下さいね、慌てさせても何にもならないから」

「分かっている。ワシは子供じゃないぞ」


 そんな二人のやり取りを聞きながら寝室に行くと病院に行く時用にまとめておいた小さな旅行鞄をクローゼットから引っ張り出した。それといつものお出掛け用のバッグ。それを手にリビングに戻るとお父さんとお母さんが筍ご飯をおにぎりにしているところだった。


「二人して何を?」

「せっかくの筍ご飯だから病院に持っていけるようにお弁当にしているの。恵里菜さんの時もね、こうやって持って行ったのよ。桃香さんが食べられなかったら嗣治が食べても良いし」

「腹が減っては戦は出来んというからな」

「そういうこと」


 タクシーが来る頃には筍尽くしのお昼ご飯はお弁当になっていた。そしてお母さんは私と一緒に病院に来てくれるということで、お父さんは残ってご飯の片付けをしてから嗣治さんと一緒に顔を出してくれることになった。心づもりは出来ていたけどお母さんがいてくれた時で良かった。



+++++



「初産は遅れがちって言うけど桃香さんと嗣治の赤ちゃんはせっかちみたいね」

「ですよね、私もびっくりです。あと一週間はあるなーってのんびり構えていたのに」

「もしかして赤ちゃん、四月生まれに拘りがあるのかもしれないわね」

「なるほど、それは有り得るかも。予定日が端午の節句じゃ嫌だって思ったのかな」


 ゾロ目を狙っているらしい嗣治さんには申し訳ないけどこの子は余程のことがない限り四月生まれになりそう。それから病院に到着して病室であれこれしているうちに廊下でボソボソと話す声が聞こえてきて嗣治さんとお父さんが並んで部屋に入ってきた。


「落ち着け、オヤジ」

「お前こそ落ち着け」


 どうやら二人してちょっとしたパニックになっちゃってるみたいで、お互いにお互いを落ち着かせようと頑張っている最中らしい。慌てたってどうしようもないのになあ……産むのは私なんだし。嗣治さんはベッドに座っている私のことを見下ろしてちょっとだけ怖い顔をした。別に怒ってるわけじゃなくて心配してくれているのは分かるけどやっぱり目つきが悪いよ、嗣治さん?


「モモ、なんで言わなかったんだ、朝からだったんだろ?」

「嗣治、こんな時に桃香さんを叱るな」

「叱ってなんかいないだろ。普通に話をしているだけだ。寝てなくて良いのか?」

「その口調の何処が普通だ」

「ツンデレの親父に言われたくない。それで痛みは?」

「親に向かってなんて言い草だ」

「やかましい、黙ってろ、親父」


 こんな調子で私のことなんかお構いなしに二人して言い合いを始めてしまった。これにはさすがにお母さんも呆れた様子で肩をすくめる。


「ほんとこんな時までツンデレ親子振りを発揮しなくても良いのにね。二人とも、そんなに騒いだら桃香さんが落ち着けないでしょ。ほら、お父さん、帰るわよ」

「帰るって何処へだ、いま来たばかりなのに」

「家に決まってるじゃないですか。落ち着かない男に二人して狭い病室でウロウロされたら桃香さんだって落ち着いてお産に集中できないでしょ。だから年寄りの方は退散しますよ。嗣治、生まれたら直ぐに知らせてちょうだいね」

「分かった」


 お母さんは渋るお父さんの腕を掴むと、ハイハイ年寄りは邪魔になるだけだから大人しく帰りましょうね~とまるで幼稚園児に言い聞かせるみたいに話しかけながら病室を出ていった。あまりのことにポカンとしてしまう。それは嗣治さんも同じだったみたい。


「良かったのかな、わざわざ来てくれたのに早々に追い出しちゃうことになって」

「お袋が言い出したことなんだから心配することないさ。ところで痛みはどうなんだ? 寝てなくて良いのか?」

「今はちょうどおさまってるところだししばらくは普通にしてたら良いって」

「しかし二人がいる時で良かったな」

「うん。お母さんがテキパキと動いてくれたから凄く助かったよ」


 嗣治さんはベッドの横にある椅子に座るとやれやれと溜息をついた。お母さんとは反対に嗣治さんはお父さんと一緒になってちょっとしたパニック状態になっていたみたいだけど、二人っきりになって病室が静かになったことでいつもの落ち着きを取り戻したみたい。


「頭では分かっていてもいざその時が来るとなかなか落ち着いていられないな」

「二人で漫才してるみたいでおかしかった」


 お父さんと嗣治さんのやり取りを思い出してクスクスと笑うと笑うなと言って軽く睨まれちゃった。


「こういう時は男は全く役に立たないからなあ……」

「お店の方は大丈夫?」

「ああ。徹也さんの親父さんがいるから問題ない」

「ところでさ、本当に立ち会いたいの?」


 嗣治さんがお産に立ち会いたいって言い出したのは確か年が開けた頃だったかな。一緒に出産教室なんていうのに出席してから急にその気になっちゃったみたいで、無理に立ち会わなくても良いよ?って言ったんだけど本人は俄然その気満々。それは今も変わっていないみたい。別に嫌なわけじゃないけど所長からちょっと気になる話を聞いちゃったんだよね……。


「そのつもりだが何で?」

「だってさ、うちの所長さんの知り合い、立ち会ったら逆に旦那さんの方が気分悪くなって倒れたんだって。そうなったらた困るじゃない」

「俺がそんなやわな男だとでも?」

「その人、柔道三段でオリンピック代表になるぐらいの強者だよ?」


 そんな人がお産する場所で気分が悪くなって倒れちゃってきっと大変だったと思うんだ、お医者さんや看護師さん達も。もちろん奥さんもね。まあ奥さんは男の人って本当に困った人達よねって呑気に笑っていたらしいけど。


「モモは立ち会って欲しくないのか?」

「そんなことないよ、一緒にいてくれたら心強いけど嗣治さんが倒れたりしたらそれはそれで困るかなって思っただけ。あ、そうだ、今日ね、筍をお母さん達が持ってきてくれてね。筍ご飯のおにぎりにして持ってきてるんだけど嗣治さん、お昼ご飯は食べた? お父さんが腹が減っては戦は出来ないとか言ってた……なに?」


 嗣治さんが妙な顔をしてこちらを見ているので首を傾げてしまう。なに? 私なにか変なこと言った?


「落ち着いてるなあって感心してるんだよ」

「今のところはね。本格的に陣痛がきたらこんな呑気なことしてられないだろうけど……あ、いたたたたっ、嗣治さんがそんなこと言うからぁ」

「俺は落ち着いてるなって言っただけなのに」

「私のこと感心なんてするから痛いのきちゃったじゃないっ」

「どんな理屈だよ、モモ」


 その時は苦笑いしながら腰をさすってくれていたんだけど、そこから何時間かはずっとこんな感じだった。後から冷静になって考えてみるとやっぱり滅多に言わないことを口にすると痛くなるのは偶然じゃないかも……なんて二人で話すことになったんだけど、その時はそんなこと言ってられないぐらい時間もかかったし痛かったし辛かったんだ。何ていうか暴言を吐かなかっただけでも褒めて欲しいぐらい? そしていよいよですよって時に本当に立ち会いたいの?って尋ねた私に、嗣治さんはそんなに痛がってるモモを一人にしておけないだろ?って何でもない顔をして答えてた。後から私の様子を見ながら自分の方が辛くて本当に倒れるんじゃないかって思ってたんだってこっそり白状したけどね。



 そして四月に産まれたいって頑張っていた我が家の新しい家族は初志貫徹、ちょっと時間がかかったけど無事に月末の朝に産まれました。


 名前は春香はるか、千堂家の新しい家族の一員です。



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