第三十九話 ツグモモのちょっと大人なお悩み? ②
寝室に戻るとベッドに座るように促されたので枕のところに座ると、嗣治さんが引き出しの中かられいの冊子を引っ張り出してきて隣に座った。
「これ、本当に読んでないのか?」
「……うん。だってこういうのって旦那さんが読むものだって思ってたから」
「そんなことないぞ、体位のこととか色々と書いてあって、これはモモの方も読むべきだと思う」
「た、体位……」
「あまり深く入れないような体位でしないとダメらしい。勿論そんなことばかりが書かれている訳じゃないけどな、悪阻のこととか妊娠期間中の過ごし方とか色々ある」
嗣治さんは図解が載っている目的のページを開いて私に見せた。わあ、文章での説明だけじゃなくてちゃんと図解入りで説明されてる。まあ確かに文字ばかりの説明より分かりやすくて良いけど結構これは恥ずかしいよ? 恥ずかしいよとか言いながら思わずガン見しちゃったけど。
「なんとまあ……」
「本当に読んでなかったんだな、モモ」
「……そうみたい」
「それで平気なのかって聞いたのは何でなんだ?」
「えっと、ほら、私の妊娠が分かってから全くしなくなったでしょ、そのう……エッチを……。寝てる時も背中向けちゃうことが多いし手を握ったりすることも無くなったし……キスもしなくなったし……」
嗣治さんは今までと同じで多少口煩くなった感じはするけど相変わらず優しいし暗い夜道を歩いている時とかは手をつないでくれる。だけどそれが今までの時と何か違う気がするんだから仕方がない。なんだか改めてこんな風に言うと私って欲求不満な人みたいだなって自分でも呆れちゃうよ……。
「赤ちゃんが大事だってのは分かるんだけどね……」
「そのことが俺がモモより赤ん坊の方を優先しているような気持ちにさせたってことか」
「お母さんになるのに恥ずかしいことだよね、赤ちゃんにヤキモチやいちゃうなんてさ……」
そこは自分でも分かっているし反省している。だけどやっぱりモヤモヤしちゃうんだよね……。
「この冊子を渡された時、俺はこれはきっと桃香が今までみたいに応じられなくなったんだなって解釈したんだ。だからその気にならないのに強引に誘うのもダメだろと思って誘わなかっただけで、別に桃香より赤ん坊の方が大事だからって理由じゃないぞ」
そんな風に考える男だって思われていたなんて心外だって呟きながら少しだけ怖い顔をした。
「この際だから白状するが、背中向けて寝ていたのは桃香の顔を見ていたら絶対に我慢できなくなるのが分かっていたから。つまりは自衛の為かな。キスしないのも手を握らないのも同じ理由。水族館では危うく外だってこと忘れそうになったし、色々と自制心が危うくてこのままで大丈夫なのか?ってたまに心配になる時がある」
あの時のことを思い出したのかおかしそうに笑っている。そう言えばやめるきっかけになった水族館の職員さん、いつの間にか後ろに忍び寄ってきたりして何であんなに気配を消すのが上手なんだろうって未だに不思議だ。嗣治さんはあのおじさんは忍者かもしれないって本気で思っているようだし。
「……自制心が危ういの?」
「ああ、かなり危ういよ。赤ん坊が生まれるまで耐えられるのか?って真剣に考えてた」
「そうなの……全然気が付かなかった」
「だよなあ。それなのにモモときたら媚びた顔で俺のこと見上げてくるし、寝たら寝たで容赦なく俺にひっついてくるし、一体なんの拷問なのかと」
「媚びてなんていません~~」
「いや、俺に何かを頼む時なんて全力で媚びた顔して俺の自制心を壊そうとしていると思うぞ。これで女子力皆無とか言うんだから信じられん」
「そんなことない~~」
そんな媚びたりしてないって膨れるとそういう顔もヤバいからやめろだって。じゃあ一体どうすればいいのよ、紙袋でもかぶって生活しろってこと?!
「まあでも結局のところ、それはお互いの誤解だったってわけだよな。俺はこの冊子を渡されて桃香がエッチしたくないと思ったし、桃香は桃香で俺が桃香とエッチしたくないって思っていると考えたわけだし」
「そういうことになるのかな……」
「じゃあお互いの誤解も解けたことだし、これ、読むより実践してみないか?」
「はい?」
嗣治さんはいたって真面目な顔のままさっきのページをこちらに見せている。パパとママが愛し合う時に気を付けることなんて、何でピンク色でそんなに可愛い書体で書かれているのか、この冊子のデザインをした人をちょっと問い詰めたい気分になってきた。
「実践って今夜?」
「違う、今から」
「い、今から?!」
思わず聞き返してから時計を見る。そりゃまだ早い時間だよ? 私は休みだし嗣治さんの出勤時間はまだまだ先だし。だけど外が明るくなってきて雀がチュンチュン鳴いているのが聞こえるし、たまに下の道路を車が走っていく音やらバイクの音がしてるいんだよ? 世間は既に社会活動を開始していて……とにかくエッチする雰囲気とはちょっと違うような気がしません、か?
「この三か月、すぐそばにいる桃香に触ることも出来なかったんだぞ。桃香はまったく平気だったのか?」
「そんなことないよ。嗣治さんが私に触れないのは私より赤ちゃんの方が大事なのかなって思ってちょっとモヤモヤしてたし……それに……」
「それに?」
「それに、エッチしたかったかも……」
「だからそういう表情はやめろって。本当に自制心が崩壊するから」
「やめろって言われも困るよ……」
私が困惑していると嗣治さんはガックリと項垂れてしまった。嗣治さん大丈夫?って覗き込むとちょっと怖い目つきをしてこちらを睨んできた。あ、なんだか久し振りに見たその逆三角形の目、何だか凄く嫌な予感がするんだけど気のせいかな?
「ああもうっ、桃香のせいだからな」
「え?」
「崩壊して決壊した、もう我慢しない」
「ええ?」
「先に言っておこうか、御馳走様でした」
「ええええ?!」
「大丈夫、俺はちゃんとこの冊子を真面目に読んだから。モモにもちゃんと実践して教えてやるから心配するな」
「心配するなって、あの嗣治さん?」
気がついたらベッドに押し倒されていて、ちょっと怖い顔をした嗣治さんが私を見下ろしていた。
「あの、嗣治さん、いま朝ですよ?」
「それが何か? 朝ご飯に桃香を食べるなんて久し振りかもな」
「ずっと無くても良かったかも……」
そんなわけで嗣治さんは私のことを優しく愛してくれた。だけど途中で冊子に書かれていたことを私の耳元でクスクス笑いながら説明したりして何気にちょっと意地悪な状態だったかも。やっぱり三か月もお預けを食らうと男の人って満月とか朝とか関係なしに狼さんに変身しちゃうみたいです……。
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「モモ、朝飯と昼飯の用意してあるからちゃんと食べろよ?」
「……分かってるよお」
本来ならお買い物に出かけるつもりでいたんだからお昼ご飯は外食、つまりは何を食べたか写メして嗣治さんに知らせれば良かった筈なのに。もう出掛ける気力っていうか体力ありません。おかしい、あの冊子にはやり過ぎはヨロシクないって書いてあった筈なのに今の私ってば絶対にやり過ぎちゃいました状態。
それを嗣治さんに抗議すると、やり過ぎではなく俺のテクニックが凄すぎたんじゃ?なんて、普段言わないような事をにやけた顔で言ってきたのでムカついて枕で思いっ切り殴っちゃった。それなのに嗣治さんってば上機嫌なままキッチンで私のご飯の用意をしていたけど。
そしてシャワーを浴びた嗣治さんは私にちゃんとご飯を食べるようにと言い残して仕事に出かけて行った。にやけた顔のままで仕事して徹也さんや大空君に思いっきり冷やかされてしまえ!!なんて玄関のドアの閉まる音を耳にしながら毒づいてみる。あ、だけどこれは諸刃の剣だよね、ダメダメ、やっぱりさっさとにやけた顔は消してもらわないと。嗣治さん、いつものポーカーフェイスでお仕事して下さい!!




