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桃と料理人 - 希望が丘駅前商店街 -  作者: 鏡野ゆう
本編

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33/55

第三十二話 中毒再発の気配? ①

「最近、桃香ちゃんってば薄着よね」


 お昼ご飯を食べ終わった後に菅原さんが急に思い出したように言った。


「そうですか?」

「うん。ここに来た当時は寒がりなんですとか言ってて夏場もここでは靴下履いてたし、冬場は冬場で厚手の靴下が手放せないって言っていたけど、今年はそれほど防寒対策してないみたいだから。暖冬ってことないわよね、例年同様の寒さだろうって天気予報でも言われていたし、室内の温度だって上げているってこともないし」


 確かに去年あたりの冬場までは夏でも足元が冷えて辛かった。だから夏のクーラーが使われている季節も普通に靴下を履いていたし、冬場はスリッパにしてタイツの上から厚手の靴下を履いていた。言われてみれば今年は十月に入ってからタイツにはしたけど、まだ靴下を履こうって気にはなっていない。うーん、なんでだろう。


「妊娠して体質が変わったってことなんでしょうか?」

「それで寒がりじゃなくなるってあまり聞いたことないわよ?」

「うーん……だけど今年はそれほど寒いって感じないんですよね。それでも人並みなんでしょうけど」


 そこへ澤山君と所長が証拠物件の入ったコンテナを台車に乗せて戻ってきた。今回の証拠物件は都内で起きた強盗殺人事件の現場にあったもの。被害に遭ったお宅は都内でも指折りの資産家で澤山君曰くそりゃもう眩暈がするような調度品が所狭しと飾られていたそうだ。本当は私も行きたかったんだ。だけど暖房もつけていない場所で長時間座ったままとか立ったままの姿勢でいるのは妊婦さんには良くないという所長の鶴の一声でお留守番組になってしまった。普段は頼りないのにこういう時だけ強権を発動するなんてちょっとずるい。


「これの調査はいつから?」

「一課は可能な限り早くと言ってます」


 また徹夜が続くんですかねえと嫌そうに溜息をつく澤山君。今年のクリスマスまでには事件が解決していると良いねえ……なんて不吉なことを所長が横で呟いているのを聞きながらちょっと泣きそうな顔になっている。そう言えば去年のクリスマスは確かカボチャの被り物をした強盗のせいでカノジョさんとクリスマスデート出来なかったんだよね……。


「じゃあ今から早速始めましょうよ。少しでも早く調べればそれだけ事件解決は早くなるんだし」


 私がそう言うと菅原さんがちょっと困ったような顔をして壁にかけられている時計を見上げた。


「だけど桃香ちゃん、そろそろあがる時間よ?」

「なに言ってるんですか、菅原さん。まだ定時前じゃないですか。皆で作業を始めれば日付が変わるまでには大体の結果は出ますよ!」


 不謹慎だけど久し振りにお仕事魂に火がついた感じ。うん、これぞ科捜研!! 所長が持っていた箱を取り上げるとそれを持って張り切って澤山君とラボへと直行する。


「頑張って調べればきっと手掛かりは出るだろうしクリスマスまでに事件は解決するよ。今年こそカノジョさんとクリスマスデートだ、頑張ろうね、澤山君」

「桃香さん、有難うぅぅぅ」

「泣かないの。ほらほら、鼻水が遺留品についたら犯人は澤山君になっちゃうよ」


 そう言うと証拠品を大きな台の上に並べる作業に入った。そんな私と澤山君の後から慌てた様子でやってくる所長。


「モモニャン、今日は残業しないで早引きで帰る日だろ? 奥、じゃなくて旦那さんに叱られないかい?」

「やだなあ、このぐらいのことでうちの旦那さんは怒ったりしませんよお」


 もう嗣治さんってばどんだけ怖い旦那さんだと思われているんだろう。


「だったらせめて連絡を入れておいた方が良いんじゃないかな? 前みたいにモモニャンが行方不明だってことになったら今度こそ僕のところに旦那さんが柳刃包丁を持って押し掛けてきそうなんだよね」


 所長の言葉に二人して首を傾げてしまう。何で私が仕事をすると嗣治さんがお魚用の包丁を持って押し掛けてくるなんて話になるの? なんで?


「……それって殺人未遂ってことかな?」

「ですよね……下手すれば殺人事件ですね。あ、でもその前に銃刀法違反で職質されるかも」

「だよねえ」

「冗談で言ってるわけじゃないから、モモニャン。とにかく仕事するなら旦那さんに連絡して。お願いだから」


 あまりにも真剣な顔して言われちゃったものだから仕方なく遺留品を並べる作業を澤山君に任せて私物の携帯電話が置いてあるロッカーへと向かう。嗣治さんが包丁持って所長を追い掛け回しているところをちょっと想像してみると、何だか出来の悪いコメディ映画みたいな映像が頭に浮かんで思わず声を出して笑ってしまった。


「んと……この時間はまだ仕事中かな」


 ちょうど夜の仕込みの最中で忙しい時間だから、もしかしたら携帯は手元に置いていないかも、留守電に残しておくか……と思いながら電話をしてみる。すると嗣治さんは2コール目で出た。はやっ! ってことはポケットか何処か近くに置いていたってことかな。


「どうした?」

「ああ、ごめんなさい。もしかして忙しい?」

「いや、ちょうど仕込みの下準備が終わって一息ついたところだ。で、どうした?」

「うん。あのね、急な仕事が入って、今日は早く帰れそうにないんだ」


 そう言った途端に何故か電話から冷気が漂ってきたような気がした。う、うん、あくまでも気がしたってだけで実際に携帯電話から冷気が吹き出す筈はないんだけどさ、何故だか耳の辺りが凍傷になるんじゃないかって気がするよ。


「えっと、嗣治さん、聞いてる?」

「ああ、聞いてる。急な仕事なんだな」

「うん。詳しくは言えないけど事件でね、早く調べて欲しいみたいで人手が一人でも多い方が早く終わるから」

「そうか」

「うん。だから夕飯はこっちで食べることになると思う」

「分かった。ちゃんと食べるんだぞ、一人の体じゃないんだから」

「分かってる。じゃあ切るね」


 そう言って電話を切るとカバンの中に入れた。耳が凍傷になりそうな気がしたのは別として、特に包丁を持ってやってきそうな雰囲気ではなかったじゃない。所長ってば嗣治さんを怖がり過ぎ。



 だけどそう思って笑っていられたのは家に帰るまでだったんだよね……。



+++++



 久し振りに大量の遺留品が持ち込まれたせいで皆して手分けして調べていたのは良いんだけど、気がつけば時間は十時近くになっていた。嗣治さんのことを怖がっていた所長も、早引きじゃ?って心配してくれていた菅原さんも仕事に入ってしまうとそんなこと忘れて凄い集中力で仕事をこなしていく。そんな仕事中毒集団なものだから結局のところ皆して夕飯はコンビニのおにぎりとかジャムパンだったりするわけ。こんなの嗣治さんに見られたら絶対に叱られちゃうねってパターンそのもの。


「ふう……」


 終電前には帰りなさいって我に返った所長に追い出されてタクシーに乗せられたのは一時間ほど前。週末で気持ちよく酔っぱらっているサラリーマンさん達が大勢いる電車から降りると冷たい空気を思いっ切り吸い込んだ。その拍子に何故かお腹が鳴った。


「お腹空いたあ……」


 そう言えば嗣治さんと初めて会った時も駅でこうやってお腹空いたって呟いていたっけ。もちろん今はあの時ほど飢えている訳じゃないけれど、それでもお腹が空いちゃったな。何かコンビニで買って帰ろうかなあ……などと考えながら歩いていると、向こうの方で見たことのある顔が腕組みをしながらこらちを見ている、っていうか睨んでいる? ん~~なんだろう、この強烈なデジャブは。


「ただいま、嗣治さん、遅くなっちゃった」

「……」

「えーと……ごめんなさい、遅くなるならちゃんと連絡すれば良かったかな……」


 こっちを黙って見下ろしている嗣治さんに何故か落ち着かない気分。何となく所長が言っていた包丁の話が浮かんでちょっと怖くなってきた。もしかしてメチャクチャ怒ってるとか?


「夕飯は何を食べた?」


 以前と同じような問い掛けに不意を突かれてポカンとした顔で嗣治さんを見上げた。


「夕飯。まさか食べるの忘れたとか言わないよな」

「ちゃんと食べたよ、ツナマヨのおにぎりとひじきと枝豆の入ったサラダだったかな。あ、それと何故か牛乳パックも渡されたからそれも飲んだよ……」


 途中で買い出し部隊としてコンビニに行った澤山君と鑑識課から来た野口君が色々と買ってきてくれて、何故か桃香さんはこれを全部食べて下さいと言って渡されたものの中に牛乳パックが含まれていたんだよね。おにぎりに牛乳だなんて小学校の給食じゃないんだからと言っても聞き入れてもらえず、全部飲み終わるまで何故か監視されていた。一体誰の命令?ってさりげなく問いかけてみれば、何故か二人とも所長の方に視線を向けていたっけ。


「まったく……」


 嗣治さんは溜息をつくと何故か私を猫掴みしてお店の中へと入っていく。久し振りのそんな状態の私に籐子さんと徹也さんが目を丸くしてこちらを見ていた。


「こんばんは~~」

「桃香、そこに座れ」


 エヘッと二人に笑いかけた私が連れていかれたのはいつものカウンター席。


「それだけしか食べずに今まで仕事していたんなら腹が減ってるんじゃないのか?」

「んー……確かにちょっと空いてるかも。あ、だけど倒れるほどじゃないよ」

「当然だ」


 行き倒れていた時のことを思い出してそう言えばピシャリと嗣治さんの返事が返ってきた。ううう、怒ってるよ、絶対に怒ってる。


「桃香ちゃん、嗣治さん、心配してたのよ。まだ帰ってないのかって」

「……すみません」

「謝るのは私じゃないでしょ?」


 籐子さんはそう言ってポンポンと私の肩を叩くとゆっくりとした足取りでお店の奥へと消えた。徹也さんも厨房の奥で片づけをする為に引っ込んでしまったので今ここにいるのは私と嗣治さんだけ。


「……嗣治さん、心配かけて御免なさい」

「……とにかく食え。話はそれからだ」


 嗣治さんはそう言うと、私の前に卵雑炊と山芋と蓮根で作ったお焼きを置いた。

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