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受難の恋  作者: 安芸
第一章 誰にも渡さない
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7 エミオン・小さな思い出

 エミオンは七日間、部屋から一歩も出なかった。

 色々な意味で気力を失い、なにをするのも億劫でひどく疲れていた。

 さいわいにも救出と傷の手当てが早かったことが功を奏したのか、首吊りの痕跡はきれいに消えていた。

 エミオンは無意識のままホロホロと泣いていて、ほとんどベッドに伏せって無為に時間を過ごした。

 最初の数日は夜にゼクスが訪ねて来るのではないかとびくびくしていた。ゼクスとの初夜など考えただけでも耐えがたいのに、夫という立場を盾に取られればエミオンに断るすべはない。


 ……怖い。


 いつゼクスが現れるか知れなかったので、エミオンは小さな物音や風の音一つとってもギクリと身をこわばらせて、それが足音ではないとわかるたびに安心した。

 そんな具合に日が過ぎたが、ゼクスはまったく音沙汰なかった。

 やがてエミオンは遅ればせながらゼクスもこの結婚は間違いだったと認め、家に帰してくれるのではないかと期待を抱くようになっていた。


「お嬢様、なにかお召し上がりになりませんと」

「食べたくないの」


 チャチャがエミオンの体調を気遣い、食事を運んできてくれるのだがほとんど手をつけずに残す。そんなことを繰り返すうちにだいぶ食が細くなって、気がつけば、自分でも驚くほど痩せていた。

 エミオンはのろのろとベッドから身体を起こして呟いた。


「でも……いつまでこうして伏せっていてもはじまらないわよね」


 病で身体を壊しても、結局は自分がみじめになるだけだ。それはなんだかゼクスに負けたような気がしてならない。


 ――どうしてだろう。悔しい……。


 エミオンの胸にゼクスに対する反発心が沸き起こった。

 ゼクスがなにを考えてこんな強引な婚姻を結んだのかはわからなくても、このままずっと泣き暮らすなんて嫌だ。

 肩を丸めて、とぼとぼと昼食を下げようとするチャチャを「待って」と引き止める。


「やっぱり……食べます」


 少しでも食べないと、体力は落ちる一方だ。

 席につき、食膳を前に胸を撫で下ろす。豆の冷たいスープと野菜とチーズを挟んだパン、蜂蜜入りのヨーグルト。どれもエミオンの好物だ。

 ゆっくりと手をつける。よく噛み、飲む。黙々と食す。傍らでチャチャが固唾を呑んで見守ってくれている。

 食べながら……エミオンは泣いていた。

 こんな寂しい食事はしたことがない。家ではいつも食卓は家族と囲むものだった。賑やかで、笑いにみちていたものだ。


「これからずっと、私一人で食事をするの……?」

 

 そんなのは寂しい。


「お嬢様」


 おろおろとチャチャがエミオンを慰めようとするが、言葉は続かない。

 エミオンは涙を拭いながら食事を終え、不意に思い立って庭に出てみることにした。

 七日ぶりに部屋から出ると、扉番をしていた二人の女騎士はハッと表情をあらため、どこか安堵したように口角をゆるめて、一礼した。


「外を少し散策したいのだけれど」

「お供いたします」

「案内してもらえますか」

「はい。どうぞこちらです」


 導かれるまま庭園に出た。広い。王宮正面の優雅な大庭園とは違い、こちらは素朴なつくりになっていた。雑草はきちんと刈り取られているものの、木々は自然と伸びるままに緑をしたたらせ、花壇はエミオンの好きな白い花で埋め尽くされている。

 ひときわ立派なカゼッタの大樹の太い枝には一人乗りのブランコが吊り下げられていて、近くにいってよく見るとどうやら手造りのようだ。


「……」


 揺らしてみる。


「……」


 エミオンは勝手に自分が乗ってもいいものかどうか逡巡したものの、女騎士たちに止められなかったので、おそるおそる腰かけた。体重で吊り紐が切れやしないかとハラハラしたものの、大丈夫そうだ。

 少し地面を蹴る。キィ、キィ……と優しい音をたててブランコは前後に揺れる。

 木漏れ日が眩しい。

 風は穏やかで心地よく、エミオンは深呼吸した。久しぶりに気持ちが晴れていく。よく見ると鮮やかな翅の蝶が花々を渡り、シッポのふさふさしたリスが小走りに駆け、鮮やかな羽の小鳥が餌箱と水場にたむろしていた。

 いつまでも飽かずに眺める。

 次第に心が安らいでいく。


「……」


 ブランコを()ぐ。

 そういえば、と記憶を辿る。

 昔、まだほんの幼い頃――あれはそうだ、まだゼクスと出会って間もないときだ――屋敷を訪れていたゼクスと兄のクアンとエミオンの三人で庭のブランコで遊んでいたときのことだ。

 誰が一番遠くまで飛べるか、と競争しエミオンが失敗して落ちた。そのままブランコに轢かれて頭をぶつけたのだ。びっくりしたのと痛いのとでエミオンはワアワアと泣きじゃくり、ゼクスとクアンが慌てて駆け寄ってブランコを止めてくれた。

 それ以来ブランコで遊ぶのをやめた。そしていつのまにか庭からブランコは姿を消していたのだ。

 懐かしく思い出す。

 ブランコは大好きだった。好きだったからこそ、痛い目に遭って、なんだか裏切られた気がしたものだ。

 エミオンはブランコはまだうまく漕げなかった。代わりに背中を押してくれたのは、ゼクスとクアンだ。あのときも力いっぱい大きく揺らしてくれて――結果はひどいものだったが、途中まではとても楽しかった。

 空を近くに感じ、風を切って――。


「エミー!」

「ゼクシュー」


 幼い笑い声の幻聴に、ふと哀しみをおぼえる。

 そうだ、あの頃はそんなふうに名前を呼び合ったものだ。


 ――苛められただけじゃない。確かに楽しい時間もあった。

 ――どうしてこんな歪な関係になってしまったの……?

 

 エミオンは鬱々と溜め息をついた。

 風に白い花がそよぐ。

 遠い昔、同じような白い花を髪に挿してくれたのはゼクスだったか、兄のクアンだったか……。


 ――思い出せない。

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