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受難の恋  作者: 安芸
第一章 誰にも渡さない
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6 ゼクス ・曲げられない心

「医者を呼べ!」


 文字通り血相を変えてゼクスは王宮医師を大至急だと召集した。


「エミオン姫が怪我をされた。だがこのことは他言無用、余計なことは一言も漏らすな。皆、心して治療に専念せよ」


 命令は速やかに実行された。

 ゼクス自身は執務室にこもり、夜を徹して仕事に没頭した。否、没頭するふりをして気を紛らわせていた。

 なにかしていないと、とてもではないが正気を保てそうにない。

 あのとき――エミオンの首吊りを目撃した瞬間――本当に死ぬかと思った。胸が潰れそうな衝撃を受けたのだ。事実、エミオンにもしものことがあればゼクスも生きてはいなかったろう。


 震えが止まらない。

 歯の根が合わない。

 気分がよくない。

 脈が乱れている。

 

 ともかく、不調だ。絶不調だ。エミオンを喪うなんて絶対に耐えられない。

 ゼクスは歯を食いしばり机上で顔を覆った。


 ……あとほんのわずか数秒でエミオンは帰らぬ人となっていた――。


 取り返しのつかない事態になっていたのだ。ゼクスは嘔吐した。何度も何度も吐いた。胃液すら吐いて、血が混じった。


 エミオンをあそこまで追い詰めたのは私なのだ……。


 激しい後悔とそれでもエミオンを手放したくない利己的な想いに苛まれる。


 嫌われても。

 憎まれても。

 どう思われようとも。


 エミオンの傍にいたい。一番近くにいて見つめていたい……エミオンは嫌がるだろうがそれだけは許して欲しい、とゼクスは念じた。

 本当の夫婦にはなれなくてもいい。むりやり触れることはするまい。これ以上、エミオンを傷つけるようなことはしたくない。


「……いや、それは無理、か」


 ゼクスは自嘲気味にひとりごちた。

 傷つけるだけ傷つけた。おそらくこれからも傷つけるだろう。ゼクスがなにをしてもエミオンの気に障るに違いないのだから。

 ややあって、医師団の長がエミオンの治療を終了したと報告してきた。


「傷の具合は?」

「ご安心召されませ。傷は浅く痕も残りません」


 ゼクスは極度の緊張状態から脱して深い吐息を漏らした。


「……そうか。よくやった、ありがとう。下がってくれ」


 ひとまず安堵し、ゼクスは労をねぎらって引き続き慎重に看護にあたり、逐一経過を報告するよう命じた。

 そこへ控えめなノックがあった。


「入れ」


 相手はわかっていた。

 ダン・スルージァだ。拝命十三貴族の第三位スルージァ家の次男で、生まれながらのゼクスの側近だ。ゼクスより四歳年長で、ゼクスの公私ともに生活全般を管理している。


「やはり起きていたのか。いいかげん、もう休め。超過労働だ」

「まだ働く」

「俺が休めと言ったら休むんだ」


 ダンはゼクスの手から書類一切を没収した。シッシ、と手を振って椅子から追い立てる。

 ゼクスは渋々と席を立った。だがその場でぐずぐずしていると、ダンが素っ気ない調子で口を切った。


「エミオン姫が自決をはかったそうだな」

「……誰から聞いた」

「気色ばむな。医師団の長から報告を受けただけだ。姫君が無事でよかった――とは納得していない顔だな」


 ゼクスは執務机に寄りかかった。

 ダンは無言でゼクスが口を開くのを待っている。


「……危ないところだった。私が部屋を訪ねたのがあと少し遅ければ、エミオン姫は命を落としていた」

「助かったんだ、それでいいだろう」


 ゼクスは机の縁に指をかけた。指に力が入る。


「私は嫌われている。いいや、憎まれているといったほうが正しい……」


 ダンはわかりきっていたことだ、といわんばかりに肩を竦めた。


「婚姻を強要すれば嫌われるに決まっているだろうが。だからよせと言ったのに。俺ははじめから反対しただろう。おまえの嫁は、エミオン姫以外がいいと」


 ゼクスはプイ、と顔を横に背けた。


「……私の花嫁はエミオン姫のほかは、考えられない」


 ダンはゼクスから奪った書類を仕分けしながらとても面倒くさそうに言った。


「あのなあ、これも散々忠告してきたことだが、おまえの好意は重くて深すぎるんだよ。執着もひどいし、ばかくさいほど傾倒しすぎている。そんな状態で一方的に好きな相手と結ばれてもうまくいかないし、どちらも疲れるだけだ」

「決めつけるな」

「決めつけるさ。この十二年、エミオン姫に夢中のおまえを見てきたんだから、俺にはわかる。せめてもっとあたりをやわらかに接すればいいものを、おまえときたら執拗に追いかけまわすものだから、逃げられてばかりいるじゃないか」

「……」

「まあ、おまえが不器用なのはいまにはじまったことじゃないが……」


 ダンは言いすぎたと思ったのか、顔を顰めて頭を掻いた。


「ともかく、さらってしまった以上どうしようもない。あとはおまえがどれだけ誠心誠意尽くし、努力して、エミオン姫に好いてもらえるかどうかだな」

「手を貸してくれ」

「わかってる。とりあえず、様子を見よう。数日は近寄るなよ」


 ゼクスは苦虫を潰した顔を浮かべた。

 指をいじりながら、そろそろと訊く。


「……陰からちょっと見守るくらいならいいか?」


 途端、ダンはギロリと眼を吊り上げ、バンと机を叩いた。


「この根暗男! もっとましなことを言え! もういい、とっとと寝ろ。明日は――いや、もう今日だが予定が立て込んでいるんだ」


 怒らせてしまった。


 ゼクスはここはおとなしくダンに従うことにした。

 ダンは口が悪く態度は横柄だが、ゼクスを裏切らないという一点においては信頼が置けた。

 いつもなんのかんのと言いつつも、味方をしてくれる。

 エミオンを娶れるようゼクスと共に国王夫妻を説得し、万事の手筈を整えてくれたのは他でもないダンなのだ。


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