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受難の恋  作者: 安芸
最終章 もう一度はじめから
23/35

22 ゼクス ・夜会にて・2


 王妃陛下の生誕を祝う祝賀会がはじまった。

 盛大な式典の終了後、大広間は舞踏会場に開放され、小広間は紳士淑女の交流の場、続きの間には豪勢な食事や飲み物がふんだんに振る舞われた。

 趣向を凝らした優雅な演出、絶えまない音楽、どこもかしこも招待客で溢れ、宮殿の夜は賑やかに更けていく。


「失敬する。まだ他に挨拶が残っておりますので」

「あん、ゼクス殿下――」

「すみません、美しい姫君方。のちほど、またお目にかかりましょう」

「お待ちになって、クアン様」


 欺瞞と虚飾に満ちた、上辺だけは立派な紳士専用の社交場をさりげなく退出したゼクス、ダン、クアンの三人は次々と押し寄せる女性の誘いを片っ端からかわしまくって空き客室に飛び込んだ。


「だからこういう場は嫌いなんだ」


 ゼクスは安楽椅子にドサッと座り、心底腹立たしそうに吐き捨てた。

 今夜だけでもいったい何人の女性に言い寄られたことだろう。それもほとんどが人妻、或いは未亡人なのだから世も末だ。

 ダンが上着の襟元をゆるめ、「ははは」と笑い飛ばしてソファにゴロリと横になる。


「まあそう言うな。一夜のお相手なんて、お互いあとくされなく愉しめればそれでいいのさ」


 ゼクスは呆れ顔でダンに忠告する。


「ダン。おまえいつか刺されるぞ」

「美人に殺されるなら本望。いつだってかまわないぜ」


 クアンは勝手に失敬してきたワイン三本をテーブルに置き、栓抜きで次々とコルク栓を抜いたものを一本ずつ配る。


「ところでゼクス、エミオンはどうしたんだね。私が挨拶に行ったときは一緒だったろう」

「はぐれた」

「バカ。最愛の妻を一人で放置する夫がどこにいる」


 ゼクスは肩を竦めた。

 無論、そんな危険を見過ごすわけがない。

 海千山千の有象無象が集まるのだ、あらゆる魔の手が考えられる。


「女騎士を三十名、武装この場合は女装いや正装させてエミオン姫の警護にそれとなくつけている。主にエミオン姫に顔の割れていないものを配置しているからな、気づかれはしないだろうから窮屈でもないだろう。彼女たち以外が姫に話しかけることはまずあるまい」


 なにせ自分がそう命じたのだから。

 常に眼を光らせ、老若男女すべて力で排除しろと。

 第三王子の正妻というだけでも近づきたい人間は腐るほどいる。

 それに加え、社交界にほぼ姿を見せないとくれば滅多にないこの機会に飛びつくだろうことは疑いない。そしてゴシップの渦中の人物になる。


 そんなことは断じて許さない。


「いや、それはいくら君でも無理だよ。エミオンは君の正妻で拝命十三貴族の令嬢だよ。この肩書だけでも挨拶を口実に大勢が押しかけるに違いない」

「だから力ずくだ。近づく人間すべてを脅せと命じた」

「命令の内容は?」

「『ゼクス王子殿下のご命令です。お引き取りください』だ。私の名を出されては背けばどうなるかわからない者はそういまい」


 クアンとダンが怪訝そうに見合い、口を利いたのはクアンだった。


「もしいたら?」

「口で言って聞かないなら強制排除だ。宮殿から叩き出せと命じてある」


 ダンが血相変えていきり立つ。


「おまえ! もし相手が上位三家の者だったらどうする!」


 ゼクスは平然と答えた。


「上位三家の者が私の掌中の珠に触れる愚を冒すか? そんなことをすれば爵位剥奪にもなりかねないのに」

「爵位剥奪だって? まさか本気じゃないだろうね」

「無論、本気だ」


 内政に関しては裏も表も知り尽くしている。情報戦が命のかけひきが常なのだ、爵位が上位であればあるほど国の暗部に関わり深く、負っている闇も重いだろう。

 だがそれだけに慎重だ。ゼクスを怒らせて心象を悪くするようなことは避けるはず。特にエミオンに関してゼクスの執着が尋常でないのは周知の事実なのだから、むしろ積極的に接触を回避するだろう。

 ダンがお手上げだ、という身ぶりをした。


「政治に私情を挟むなよ」

「政治など私情の塊だろう」


 言い捨ててゼクスはさきほどの会話の続きを言った。


「例外は私の母君か兄上、それに姫のご家族くらいだな。だからエミオン姫が自分から話しかけでもしない限りは、大丈夫だ」


 さすがにそれは阻止するすべがない。

 クアンが嫌な点を指摘する。


「エミオンが話しかけた相手に誘われでもしたら?」

「邪魔するよう言ってある。男の場合は私を呼べとも命じた」


 ダンが口をへの字に曲げ、手を広げる。


「用意周到だな。それじゃあ誰も姫君にダンスを申し込めないだろう」

「それでいい」

「おまえがよくても姫君は寂しかろう。だからおまえがいってダンスに誘えよ」


 ゼクスは素で動揺し、訊き返した。


「私が?」

「なんで驚く。お・ま・え・が、夫だろうが!」


 所詮、名ばかりの夫だ。

 ゼクスは俯いた。


「……私が誘ってもエミオン姫は喜ばない」


 それどころか拒まれるに決まっている。

 いや、体面を重んじるエミオンのことだから一応は受けてくれるかもしれないが無理をさせてはかわいそうだ。

 クアンがワインを煽り、寛ぎながらおかしそうに笑う。


「喜ぶと思うよ。君と踊って喜ばない女性はいない。君に誘って欲しい女性がどれだけいると思う? さっきだって殺到されただろう。道を歩けば物欲しそうな眼でみられるし、本人がわかっていないだけで君はモテるんだ、ゼクス」

「バカも休み休み言え」

「これだ。どうして私の言うことを信じないかな。友達だろう」

「私が女性の関心を惹けるわけがないだろう。こんな陰気な男、誰が相手にする」

「陰気でも。一途で誠実で思いやりがあって、いい男だと思うけどね、私は」

「そんなわけがあるまい」


 ゼクスは取り合わないことにした。

 様子見をしていたダンが口出ししてきた。


「それで? どうして自分の妻をダンスに誘えないんだ、おまえは」

「……」


 ゼクスの沈黙を正確に分析してダンが呆れかえった溜め息を吐いて手を振った。


「おおかた、まーた愚にもつかないことを言ってエミオン姫を怒らせたんだろう」

「……」


 クアンがダンのあてずっぽうな意見を嫌そうに聞いて顔を顰める。


「そうなのかい?」

「……」


 ゼクスはワインをぐいぐい飲んで軽く一本空けたあと、ポツリとこぼした。


「エミオン姫が口をきいてくれない」

「いつから」

「かなり前」

「なぜ」

「わからない。ただ私を殺せと言っただけなのに」


 瞬間、ダンとクアンがそれぞれ吹いた。


「ぶっ」

「げほっ」


 ゼクスは真面目に訊いた。


「噎せたのか。二人共、大丈夫か?」


 ダンがむっくりソファから起き上がり、つかつかとゼクスのもとまで来たかと思うと、ふっと身を沈め、拳を繰り出した。ゼクスは椅子ごと床に転がった。


「っ、おまえ……」

「悪い。手が滑った」

「手、手が滑った?」


 そんなこともあるのか、とゼクスは首を傾げながらのろくさく立ち上がり、服を払って椅子を元の位置に戻した。


「……? まあいい。見たところ、どうも怒っているようなのだ。剣を差し出したのが気に食わなかったのかと思って短剣や毒を用意してみたのだが――ぐっ」


 今度はクアンに椅子ごと蹴られて吹っ飛んだ。


「ごめん。足が滑った」

「……」

 

 さすがに頭にきたゼクスが文句を言おうと顔を上げたところ、彼らの面相の凶悪さにたじろいだ。どちらも平静を取り繕っているものの凄まじい怒りを感じる。エミオンと同様の。


「な、なんだ。どうした」

「気にするな。それで?」

「話を聞こうじゃないか」


 どちらも屈託ない調子だが、眼が笑っていない。空気が異様な緊迫感に包まれている。

 ゼクスはわけがわからず訊ねた。


「なぜおまえたちが怒るのだ?」


 するとますますダンとクアンの機嫌が急下降した。


「なぜ、だって?」

「なぜ、ねぇ……」


 ダンとクアンが腹に一物どころか何物も抱えた凄みのある顔で渇いた笑声を漏らす。


「ははははは」

「ふふふふふ」


 ゼクスは二人の様子を気味悪く思いながらも頭を下げることにした。


「助言が欲しい。エミオン姫ともとのようになりたいのだ」

「助言ね」


 ダンがふっと笑う。


「助言か」


 クアンがにこっと笑う。

 そして口を揃えて言った。


「二人でよく話し合え!」


 耳がキーンとするほど金切り声で叩きつけるように怒鳴られて、ゼクスが怯んでいる隙にむずと腕を掴まれた。


「来い」

「来なさい」


 ゼクスは有無を言わさず客室から引きずり出されて大広間に放り込まれる。


「エミオン姫を探して連れて来る。待ってろ」

「エミオンを探してきます。待っていなさい」


 ところが二人がエミオン捜索に出かけてまもなく、入れ違いで本人が大広間に現れた。


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