18 ゼクス ・所詮は名ばかりの
「へぇ、珍しく顔色がいいじゃないか」
エミオンの兄であり、ゼクスの長年の友人であるクアンが執務室を訪ねて来るなりそう言った。
手に抱えていた籠を差し出される。
「はい、ご所望のキュプリ産のイチヂクだよ」
「ありがとう。わざわざ届けてくれたのか」
「礼などいいよ。どうせ暇だし。それに母から妹夫婦の様子を見てきてくれと頼まれたほんのついでだから」
クアンが軽口を叩きながら笑う。
彼はいつもそうだ。相手の心の負担を減らすためいつも暇人をよそおい、気遣い無用と笑い流す。
だがゼクスは知っていた。家長であるエミオンの父が体調不良のため伏せっており、ほとんどの仕事をクアンがこなしているのだ。
忙しくて家を空けてなどいられないだろうに……。
たとえそうでも疲れたそぶりや口に出さないところがクアンのクアンたるところだ。どうでもいいことはべらべらとまくしたて、訊かないことも教えてくれたりするが、愚痴や不幸自慢や蔭口などは一切言わない。
長年の付き合いで彼の性格はわかっているので、ゼクスも余計な点には触れず、ただこう答えるにとどめた。
「エミオン姫が毎年実家に届くイチヂクが食べたいと侍女に話したらしいのだ。取り寄せようにもそれがどこの産地のものなのかわからなくて……すまない、助かった」
「本人に直接訊けば早いだろうに。それともサプライズの贈り物かな?」
クアンはパチリと片眼をつむった。ゼクスには真似できない小気味よい所作だ。
「それで? 妹とは仲良くやってる?」
ゼクスが話に乗らず肩を竦めたのに対し、クアンは顔を曇らせ疑惑をぶつけてきた。
「……まさか、まだエミオンに隠れてこそこそ覗き見しているわけじゃあないだろうね」
「……誰から聞いた」
「誰でもいいよ」
ダンだな。
とゼクスは勝手にあたりをつけた。そんなことをクアンに漏らすような共通の知り合いは彼しかいない。
「……別に悪いことをしているわけじゃないからいいだろう」
ゼクスは居直ってそっぽを向きながら呟いた。
ふざけるんじゃない、とばかりに眼を吊りあげてドン、とクアンが執務机を叩く。
「いいわけないだろう。なんで自分の妻を陰からこっそり眺めて指をくわえていなければならないんだ。いいかげんにその根暗気質をどうにかしたまえ。君は正真正銘、妹の夫なんだぞ。もっと堂々とイチャイチャすればいいだろう。それともなにかね? まーだ不仲のままなのかね?」
「……」
ゼクスは無言を通した。
結婚して二年も経つのに手も触れられない関係だ、などと言えるわけがない。
それどころか、気軽なおしゃべりすらままならないのだ。
ゼクスは手元の書類を片付けながらぼそりといいわけした。
「……不用意に近づいてこれ以上嫌われたくない。エミオン姫だって私が傍にいない方が心休まるだろう」
情けない話だが、事実だ。
ゼクスの言い分にクアンは天井を仰いで嘆息した。呆れかえったようにゼクスを見つめる。
「母になんと報告しろと?」
「特に変わりないとお伝えしてくれ」
嘘ではないが、しかし一部、正確ではない。
エミオンはこのところ物憂げな様子なのだ。生来のはきはきした明るさに影が差し、元気がなくてしょんぼりして見える。
ゼクスはなんとか励ましたくて、このたびもクアンに足労をかけさせてまでエミオンの好物を取り寄せたのだ。
クアンはやれやれ、という顔で手を振り、暇を告げながら扉口で足を止めた。
「来月、王妃陛下の生誕の祝宴には夫婦で出席するのだろう?」
「……一応、そのつもりだ」
「一応なんて言わずに出席したまえ。たまには皆の前に顔を出すのも職務のうちだろう。私と両親も共に招待にあずかっているからご挨拶させていただく。君とエミオンにも会いに行くつもりだ。どうか逃げないでいてくれよ」
「逃げるつもりなど――ただ私は」
エミオンをできるだけ人前に連れ出したくないだけだ。
醜い本音が顔にあらわれたに違いない。
クアンはゼクスの苦々しい表情を読み取って薄く微笑したまま去った。
ゼクスはイチヂクの盛られた籠を手にぶら下げて中庭へ向かった。この時間、エミオンは散歩に出ることが日課となっている。
初夏のまぶしい陽射しの中、チャチャが日傘をさし、エミオンは白い帽子をかぶって白百合の花壇をそぞろ歩いていた。
彼女の足元には先日贈った黒い毛並みの王犬が元気にじゃれついている。どうやらかわいがってもらっているようで、よくエミオンになついていた。
地面には濃い影が落ちて、暑気を孕んだ風がきまぐれに吹いてはエミオンの長い髪を掻き乱した。
「……」
ゼクスは木陰からエミオンを見つめた。
――恋しい。
――なんてきれいなのだろう。
いつまで見ていても飽きない。
端麗な容姿に見惚れる反面、もの哀しそうな瞳に胸がズキッと痛む。
ゼクスは、自分と出会わなければエミオンの未来はもっとずっと明るいものであったろうと考えて暗くなった。
望まぬ結婚を強いて、ムリヤリ妻にしてしまった。
そのことを悔いたことはないが、エミオンにしてみれば迷惑このうえなかったことだろう。
「大嫌いな男の妻になるなんて、な……」
それだけではない。
身の安全を図るという大義名分のもと、その実は他人に奪われることを恐れてほとんど軟禁生活を続けさせている。はじめこそ抗ったものの、そのうち諦めたのか、暴れなくなった。
いまでは一日のほとんどを庭と部屋の往復で過ごしている。
ふと、チャチャと眼が合った。
もう気配に気づかれたことを残念に思いながら、ゼクスは手にしていた籠を眼の高さまで持ち上げ、近くのベンチにそっと置いた。
「……」
そのまま黙って踵を返す。
耳の奥でクアンの声が甦った。
――君は正真正銘、妹の夫なんだぞ。
「所詮、名ばかりの夫だ」
ゼクスは自嘲気味に呟いた。
背後から名を呼ばれた気がしたが、おそらく幻聴だろう。エミオンが自分を引きとめるとは考えにくい。ましてや最近はどうも避けられている節がある。
切なくて、苦しい。
自分の妻に片想いしているなんて、笑い話にもならない。
いつまで。
いつまでこんな日々が続くのだろうか。




