15 エミオン・自覚
「殿下とお話しようと思って」
就寝前の身づくろいを整えながらエミオンはチャチャに言った。
チャチャは一瞬驚いた顔をして、ついで両手を合わせて微笑んだ。
「頑張ってくださいませ、お嬢様」
「……やっぱり頑張らなきゃいけない?」
エミオンはベッドに横になりながら溜め息をついた。
「失礼ながら、お見受けした感じですとゼクス殿下はおしゃべりが苦手のようです。お嬢様が率先して色々お聞きしていく方が会話は弾むかと思います」
「やってみるけど……うまくいくかしら」
ゼクスのあの仏頂面を崩し、固く重い口を割らせることは至難の技のように思える。
エミオンは眼を瞑った。すぐに睡魔が襲ってくる。
眠りに落ちかける寸前、エミオンは夢の入り口でゼクスの姿を見かけた。 ゼクスは物憂げな眼でエミオンを見つめている。じっと、なにか物言いたげに。
翌日、ゼクスの部屋を訪ねると留守だった。
まだ執務中とのことで、エミオンは考えた末、思い切ってゼクスの執務室を訪ねてみた。
「お仕事を拝見させてはいただけないかと思って」
単刀直入に申し入れると、ゼクスは机の向こうで羽ペンを握ったまま硬直してしまった。
代わりに応えてくれたのは側近のダンで、快く了承してくれる。
「よろしいですよ。見ていて面白いものでもありませんが、そちらの来客用の椅子へどうぞお座りください。いまお茶をお持ちしましょう」
「いえ、おかまいなく」
「そうですか? では区切りのいいところまで片付けますのでお茶はそれからに」
ダンがゼクスに目配せすると我に返ったようで、ゼクスはまごつきながらも執務に戻った。
見ていてわかったことは、ゼクスはよく働く男だということだ。次から次へと決裁を捌いていく。報告書を作成し、書簡に眼を通し、書類をまとめる。
半端じゃない仕事量だ。
それをただ黙々とこなしていく。たまにエミオンをちらっと一瞥することもあるが、無表情のまま書面に眼を戻す。
……毎日こんなことをしているのか。
仕事だからと言ってしまえばそれまでだが、それにしても国政の一端を担うということは思ったよりも遥かに大変で、逃れ難い重責を負っているのだと改めてわかった。
たった一歳、年上なだけなのに。
ゼクスは仕事の苦労も不満も愚痴も一切言わないので、エミオンはなにも知らずにいた。多忙な日常を見ようともせず、労うこともなく、優しさの一片も与えることすらしなかった。
――二年も経つのに。
望まぬ結婚だったとはいえ、いかにゼクスに対し不誠実であったのか、ようやく思い知る。
エミオンは自分が恥ずかしかった。
些細なことでケンカし、どれだけゼクスを罵倒して嫌な思いをさせてきたのだろう。
これまでお世辞にも、エミオンはゼクスに対し真心のこもった態度で接してきたとは言い難い。そんなエミオンに対し、ゼクスは一切なにも言ってこなかった。
不要なことは漏らすのに肝心なことは沈黙するゼクスに問い質したいことがたくさんある。
だがむしろ、ゼクスこそぶつけたい文句が山ほどあるのではないか。
――嫌われているのかな。
そう直感する。
いつからかはわからない。
けれど初対面からして最悪なのだ。たぶんあのときから嫌われて、うとまれて、あるいは憎まれてきたのだろう。
そうでなければ初夜も迎えないまま二年も放置されるはずがない。
結婚という名目で世間から隔離し、手も出さず、ろくに話もしないのは、単にエミオンに興味がないというだけではなく、そうすることで孤立感を味わわせ傷を負わせたいのだろう。
そうなると、アギル殿下への嫉妬だって本当かどうかわかったものじゃない。
ゼクスがアギルに嫉妬し不機嫌になっていると知ったときは、くすぐったい気持ちがした。嬉しくて、ちょっぴりときめいたりもした。
でもそれも実際は違ったのかもしれない。
そう見せかけて、別に思惑があって……だから話をしたくないのだろう。
ゼクスははっきりと「気持ちなど知らない方がいい」と言った。それは進展を望まない、関係の改善を求めていない、必要としていないから拒絶する――。
つまりはそういうことなのだ。
ズキッと胸が軋んだ。
「エミオン姫」
気がつけばゼクスが傍に片膝をついてエミオンの顔を覗き込んでいた。
「どうしたのだ。どこか具合でも悪いのか?」
「え?」
「泣いている」
頬に触れると濡れていた。知らない間に涙が溢れていたようだ。
「なんでもありません」
眼元を拭い立ち上がる。
「しかし」
「大丈夫です。本当になんでもないんです」
ゼクスは怪訝そうにしながら、エミオンの身を案じているようにも見えた。
「部屋まで送る」
「一人で平気です」
「送る」
気遣って後をついてくる。だが腕を貸すでもなく、泣いた理由を聞き出すこともしない。
優しいのか、冷たいのか。
ゼクスの真意がどこにあるのかわからない。
だからこそ、話し合いたいのに。
今朝までは持ち合わせていた勇気が萎んでしまった。
あんなにはりきっていた自分が滑稽にも思える。
――どうしよう。
――どうすればいいの?
エミオンは葛藤した。
ゼクスの本心が知りたい。でも面と向かって「いらない」と言われたくはない。だったら聞かなければいいのかもしれないが、このままの状態が今後もずっと続くのかと思うとそれも辛い。
そう自覚した途端――気づいてしまった。
いつのまにか、心が奪われていたことに。




