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受難の恋  作者: 安芸
第二章 すれ違う日々
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13 エミオン・誤解です


 ゼクスがものすごく驚いた顔でこちらを見ている。

 途端に恥ずかしくなった。

 エミオンは顔をハンカチで隠しながら後ろを向いた。五時間泣きっぱなしだったので、涙と鼻水でぐしゃぐしゃなのだ。こんなひどい顔、とてもではないがゼクスに見せられない。


「どうして……」


 ゼクスの呆気にとられた呟きが聞こえて、エミオンはカチンときた。


「妻が夫の心配をしてはいけないのですか」


 名ばかりの妻だけど。


 ……本当に名ばかりの妻で、奥さんらしいことはなにひとつしていないという事実がエミオンを情けなく後ろめたくさせる。

 なにせ、ゼクスの寝室に入ったのもこれが初めてだ。

 それどころか部屋の場所さえ教えられていなかった。

 結婚して二年も経つというのに、さすがにこれはどうなのだろう。世間一般の常識に照らしあわせてみても、こんな夫婦関係はまずありえないのではないか。

 初夜はおろか、キスすらしていない。

 手を繋いだり、デートしたり、そういう甘い時間も皆無だ。

 思い返せばこの二年、いったいなにをしていたのだろう?

 エミオンはあらためて振り返り、蒼褪める思いだった。

 記憶にあるのは、ひたすらケンカ。それもエミオンが一方的に怒り、ゼクスが謝り、仲直りをしたりしなかったり、だいたいがうやむやのうちに流される。


 子供だ。

 子供のやりとりだ。こんなの夫婦じゃない。

 夫でも妻でもない――!


 少なくとも、エミオンが想い描いていたような理想の夫婦像からはかけ離れている。


 だめだ、このままではいけない。

 やり直さなきゃ。でもどこから? どうやって?


 エミオンが半ばパニック状態になっているところへ、ゼクスの声がかかる。


「……あなたが、心配? 私、を……?」


 いかにも不思議そうに問われるなど心外だ。

 エミオンはキッとゼクスを横目で睨んだ。


「心配ぐらいするでしょう! いきなり原因不明で倒れたなんて聞いたら」

「そうそう。知らせをやったらものすごい勢いで駆け込んできましたよね。俺の方が驚きましたよ」


 ゼクスは信じられないという表情でエミオンの反応を伺う。


「……そうなのか?」

「知りません」


 エミオンのすげない態度にゼクスはやや落胆した面持ちでダンを睨んだ。


「そんな見え透いた嘘で私を担ぐな」


 ダンが心外だと声を上げる前に、エミオンは咄嗟に口走っていた。


「嘘なんかじゃありません!」

「……嘘じゃない? では……本当にあなたが私を心配してくれたのか?」


 エミオンは疑り深いゼクスに苛立った。


「私が殿下を心配することが、それほどおかしいですか」

「いや……」


 ゼクスは戸惑っている。

 ゼクスの腹心、ダンはニヤニヤしているだけで口を挟む気配がない。 

 エミオンも黙っていた。

 ややあって、ゼクスに静かな声で訊ねられた。


「……泣きながら看病とは?」


 エミオンは頬に血が昇るのがわかった。

 恥ずかしい。認めるのは癪だが、自分でも驚くくらいうろたえて涙がボロボロこぼれるのを止められなかったのだ。


「……いいでしょう、別に。看病くらい。私はこれでもあなたの、つ、妻ですもの。それとも、私がお傍についていてはご迷惑でしたか」

「いや」


 珍しく即答され、そのまっすぐな瞳にエミオンは怯んだ。

 普段はどことなく陰のあるゼクスの眼が素直な喜びの色を浮かべて細められる。


「あなたが傍にいてくれて、私は嬉しい」

「そ、そうですか」

「うん」

「『うん』って……」


 絶句する。

 こんなに素直なゼクスはいままで見たことがない。

 俄かに体温が急上昇する。エミオンは照れるあまりカアッと赤くなり、いてもたってもいられなくなって席を立った。


「も、もう少しお休みになってください!」


 エミオンがゼクスの肩まで隠れるように掛けものを引っ張ると、不意に手首を掴まれた。

 ドキッとしてゼクスを見る。


「……眠るまで傍にいてくれるか?」


 エミオンが頷くとゼクスは微笑み、さっそくうとうとし、間もなく寝息を立てはじめた。

 気がつけばダンの姿はない。いつのまにか退出していたらしい。

 ゼクスの手を振りほどこうと思えばそうできるのだが、そのままにしていた。

 仕事に従事する男の手だ。思ったよりずっと大きくて、頼もしい。


「……」


 飽かずにゼクスの整った顔を見つめる。

 いつもどこかもの寂しそうで、苦しそうで、それでいて怒ったようで、口を開けば偏屈のかたまりで、ケンカ相手にしかならないと思っていたのに――。


 まさかアギル殿下に嫉妬していたとは……。


 クスッと、笑いが込み上げる。

 誤解もいいところだ。どうりでアギル殿下と話すたびに傍から離れず、恐ろしく不機嫌だったはずだ。


「……嫉妬だなんて」


 ……ちょっと嬉しいかもしれない。


 エミオンはくすぐったい気持ちですうすうと眠るゼクスを見つめた。

 無防備な寝顔に、チクリと針で刺されたように胸が痛んだ。

 倒れるほど疲労困憊だったのに、気づかなかった自分に腹が立つ。

 少なくとも、夕食では顔を合わせるのに。

 無関心でいなければ、もっと早くに労わるなり、休ませるなり、できたはずだ。


「ごめんなさい……」


 差し入れの件についてもそうだ。

 あのあと一度も話題に上らなかったので、てっきりうやむやになったものだとばかり思っていたが、そうではなかったのだ。

 

 やはり、きちんと説明しよう。

 あれはゼクスのために考えたレシピで、アギル殿下へはお裾分けにすぎないのだと。

 エミオンは自省の念に駆られた。

 ゼクスに対し、言葉が足らなかったのかもしれない。

 もっとよくお互いを知れば、このぎこちない関係も少しは改善されるだろうか?


「……眼が覚めたら」


 話をしよう。

 二年分のわだかまりをすべて払拭するくらい。

 いや二年なんて言わず、この十四年の間に積み重ねてきた思いをぶつけるのだ。

 エミオンはゼクスの手の温かさに心地よく浸りながら、いつしか自分も夢の世界に入っていった。




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