9 エミオン・絶対に違うもの
「……少し、お気の毒ですね」
チャチャが遠ざかるゼクスの背を細眼で見送りながらそう言った。
エミオン「いきなりなにを言い出すの」という眼でチャチャを見た。
「さしでがましいようですが、お嬢様の勘違いでございますよ。殿下はお嬢様がなにか不自由などされていないかと私にお訊ねになっただけです」
「え」
チャチャが畏まった様子で小さく頷く。
「それから、以前私に暴言を吐いたことも頭を下げて謝ってくださいました」
エミオンは眉をひそめ、信じ難い面持ちでかぶりを振った。
「そんな殊勝な方ではないわ」
「本当の話でございます」
「でも――だって――じゃあ、それならそうと言ってくださればいいのよ。ううん、違う。私がいきなり食ってかかったからいけないのよね。どうしよう、あ、謝った方がいいかしら」
エミオンは狼狽した。
だが自分で勝手に誤解したくせに、謝罪となるとなんだか気が進まない。負けたような気がする。勝ち負けの問題ではないというのに。
悶々と考える。
客観的に判断すれば、葛藤はあるものの非があるのは間違いない。
……やっぱり、謝ろう。
「ねぇチャチャ」
「はい」
部屋に戻り、夕食までのひとときを持て余してエミオンはお菓子作りの本を捲っていた。
チャチャはエミオンのために明日のドレスを見つくろっている。
「……どうして殿下は私を妻にしたと思う?」
訊ねると、チャチャは緑色のドレスかクリーム色のドレスにしようか迷っていたが、エミオンが緑色を指すと丁寧に会釈してドレス掛けに吊るした。
「お嬢様のことをお好きなのではないでしょうか」
「それは絶対にないの。だから悩んでいるんじゃない」
「そうでしょうか」
チャチャがかわいらしく小首を傾げる。エミオンが全否定したことが納得いかないようだ。
ムッとして、エミオンは主張した。
「そうよ。だって私、小さい頃からブスブスって言われているのよ? 会えば意地悪ばかりされるし、嫌味もたくさん。それなのにしょっちゅう顔を見せるの。もう嫌になっちゃうくらいに!」
だんだん、腹が立ってきた。
次に会ったら誤解したことを詫びようと思っていた気持ちがきれいに消えてなくなった。
少しくらい自分本意でもかまうものか、と開き直る。
ゼクスだってむりやり人をさらい、こんな王宮の翼棟に押し込めて、いつのまにか結婚証書を作成したのだ。責められてしかるべきだろう。
「絶対に違うんだから」
「はあ。左様にございますか」
気のない返事が癇に障る。
「あの意地悪殿下が私を好きなんて、間違ったってないわ」
ちょっと、いや、かなりむきになってしまった。
「ではお嬢様は?」
「なによ」
「お嬢様はゼクス殿下のことをどう思っていらっしゃるのですか」
「そんなの――決まってるでしょ」
ぷい、と横を向く。
今日、何日かぶりに会ったゼクスを思い浮かべる。
相変わらず顔色が悪く、憔悴していた。働き詰めなのだろう。兄クアンの話によると国政に携わるようになってから過労で倒れることがたびたびあるらしい。
まだ十六だというのに、もっとずっと大人びて見えるのは陰りを帯びた眼のせいだろう。
黒い瞳。
冷たくて、哀しげで……傷ついているようにも見えた。
エミオンは部屋の隅を見るともなく見つめながら思慮を巡らせ、自問した。
――どうして?
――私以外を選べなかったと言っていたけど、その理由は?
すまない、なんて謝るくらいならなぜこれほど強引な婚姻を結んだのだろう。
考えに没頭していると不意に声をかけられた。
「どう決まっているのだ?」
「だから、嫌いに決まって――」
ハッとした。
弾かれたように振り返る。
そこには無表情のゼクスが立っていて、その背後では侍女たち数名が手際よく動きまわり、いつのまにか食卓の支度が整えられていた。
「聞くまでもなかったな」
ゼクスはつまらなそうに言って、エミオンに手を伸ばした。
「食事だ。来い」
「え? えっ」
ぐい、と手首を掴まれ、食卓の席につかされる。なぜか向かいにゼクスが座り、チャチャは無言で給仕をはじめた。
「あの……」
「今夜から夕食は共にとる」
眼を丸くする。
ゼクスはうんともすんとも言わないエミオンをジロリと睨んできた。
「迷惑か」
慌ててかぶりを振る。
「別に、そんなことはありませんけど……」
「けど、なんだ」
肉を切るナイフを止め、ゼクスはエミオンの言葉をじっと待つ。
そう改めて訊かれるときちんとした返事を用意していない身では答えに詰まるというものだ。
エミオンは不機嫌になりながら、ぐいと食前酒を呷った。
「食事の時間は守ってください」
「わかった」
そして黙々と食事を済ませると、ゼクスは自分の部屋に帰っていった。
新婚の妻をおいて、なにもせずに。
「……変な人」
エミオンはゼクスの黒い背を見えなくなるまで見送って、なんとなく、ほんのちょっとだけ高揚した気分で部屋に戻った。




