十六☆記憶を戻した夜……。
失くしていたもの……。
深夜三時三十分頃……ベッドの上で上半身だけ起こし放心しているなゆり……
隣でちぃがミッシェルを抱きぐっすりと眠っている。その隣のベッドでは楓だけが一人で眠っていた。
なゆりはまだ整理出来ないまま脳裏に流れ込んで来た映像を繰り返している……夢?……寝起きにこんなにも鮮明に覚えていた夢なんてなかったわ。私、中学生の時に桐宮くんと、皆と会っていたの?……記憶?……しおんと桐宮くんが?……嘘よ。私……応援なんて……。
「確かめたい……」
ベッドから出ると急いで階段を下りリビングへ向かった。電気をつけるとコウが椅子を三つ並べその上に横になり眠っていた。なゆりはただならぬ形相で近寄りコウを揺さ振りながら呼び掛ける。
「桐宮くん!桐宮くん!!……起きて!」
コウが眩しそうに瞬きをしながらなゆりに気付く。
「柊か。どうした?そんなに焦って……ん?なんなんだこの記憶は。んつぅ……頭いてぇ」
「嘘よ!そんな訳ない!これでは誰も悲しまずにはいられない!」
コウは寝起きでもなゆりの言わんとしていることが理解出来ていた。
「てことはこれは夢ではないんだな。どうなってるんだ?……俺たち過去に会っていたのか?」
「分からないわ。こんなの常識で考えて理解ができる訳がないもの……」
いつになく取り乱しているなゆり。コウが頭で状況を整理している。急に溢れた記憶……柚葉不在の理由……溢れた記憶が柚葉の記憶を占める割合が多い事象。
コウがなゆりの落ち着きを取り戻せるようにと優しく話し掛ける。
「柚葉が何処にいるのか分かるか?この記憶。柚葉が関係している気がするんだ」
「それが……起きたらいなかったの」
「近くにいるはずだ。探してみよう」
「二階の女子の部屋には居なかったから外だと思う」
部屋に掛かっている時計を見たらまだ四時前だった。二人は急いで別荘の玄関の扉を開けると夜の闇が辺りを包んでいた。外の手すりに脱力をし、ぶら下がりもたれ掛かる人影があった。柚葉だった。
物音でこちらに気付いたが柚葉は振り向こうとはしなかった。遠くを見つめながら視線をコウ達へは合わせないままでいる柚葉。そんな柚葉へコウが問い掛ける。
「柚葉……この記憶は何なんだ?何か知ってるんだろ?……」
柚葉が遠くを見つめたままで重たそうに口を開く。
「わたしの失くしたものがあったじゃない?……それは失くしたものを取り戻す前に、その内容を誰かに伝えてしまうと決して戻らないものだったの……」
吐息と一緒にぼそぼそと漏らすように告げられる言葉達。柚葉は未だにどこか遠くを見つめたままで話を続ける。
それは柚葉がこちらを見ようとしなかったことや声色だけでも悲報というのは容易に想像ができた。
「わたしが失くしていたものはね……過去のある時期にある人を好きになった記憶だったの。奪われていたの。今まで誰を好きだったのかはわたしも分からなかったわ……」
想像力を全力で働かせようとしたが絶句するしかないコウ。……記憶を奪う?……そんなことが出来るのだろうか?
コウが現実離れした話題を現実まで引き戻そうとする。
「ちょっと待ってくれ!記憶なんて……」
柚葉が先を読み、話を組み立て直し被せ気味に話しを続ける……
「うん。わたし……小学生の時にね。一度、魔術でね。未来を覗いたことがあるの。魔術には色々な力があるわ……そして今回は魔術の力で『愛する思い』と『愛する思いに関わる記憶全て』を奪われてしまっていたみたいなの……」
溜息混じりの柚葉の声。暗く……悲しく……頼りない声色。
その声、表情に一切偽りは含まれてはなさそうだ。躊躇するコウ……なゆりがその場で脱力をし倒れるように座り込んだ……今にも横たわってしまいそうななゆりをコウが支えながら声を掛ける。
「柊。大丈夫か?」
なゆりは声も出さずに涙を流し、放心状態のまま柚葉を見つめ続け次の言葉を待っている。
コウが浮かんだ疑問を投げ掛ける。
「でも誰がなぜ柚葉を?……」
「それは分からない……あ。そうか。関わる記憶。なゆりもなのか……」
なゆりの異変に気付き、何か辻褄が合ったかのように話す柚葉。
「わたしね。何でこうなったのかを考えていたの。でも今分かったわ。わたしが愛情を抱いていたのはコウとなゆりの両方だったみたいなの……なゆりには愛情のような友情を抱いていたから。わたし……本当に皆といる時間が大好きだったから……」
深くからの本音を吐露するとも言える声色の『大好き』の言葉と同時に柚葉がやっと振り向きコウ、なゆりの順番で視線を向けた……
「柚葉……お前ずっと泣いて……」
その目元は柚葉の整った顔立ちを変えてしまう程に腫れていて、言葉を失うコウ。
再び声を出さずに頬を伝う涙を流し始める柚葉。壊れてしまいそうな柚葉をコウは何とかしてあげたくて抱き締めたくなるが思い直す。
そして思い知ったことは二人と約束を交わしたことになっている取り返しのつかない現状だった。
今のコウの記憶にはどちらが先とも言い難く時間軸としては先は柚葉。今のコウの体感の順序としてはなゆりが先……
どちらかを選ばなければならない。誰も悲しまないで済む方法などない選択を強いられるコウ。それを知りコウも地に膝をつけ床に両手をついた。
「ふざけるな……これじゃ答えなど無い……ゴールの無い迷宮と変わらないじゃないか……」
それから三人は沈黙を続けていた。沈黙を続けるしかなかった。口を開けば汚い言葉が溢れ出て何もかもを壊してしまいそうだった。そんなことは誰一人望んではいない。
そんな三人を朝日が包み長すぎる夜は明けようとしていた。コウは「そろそろみんなが起きる頃だろう」と言い、なゆりに肩を貸し手を掛けさせゆっくりと部屋へ運びその後に柚葉も同じように運んだ。心には明けることの無い薄暗い曇り空がどんよりと広がっていた。
楓達が三人の異変にはすぐに勘付いたが、三人の様子が暗過ぎて深入りが出来ずにいた。
邦正がいつも通りに明るく振舞うが、上手く三人には届かなかった。マスターだけにはコウが直接に事情を話していたのでマスターがある程度は上手くその場を取り繕ってくれた。
ちぃが放心状態のなゆりを見て心配そうにしている。楓が足をバタつかせ退屈な時間を持て余している。邦正は困り顔でそれでもある程度を指揮し、朝食は簡単にグラノーラとシリアルにヨーグルトとクランベリーとジャムと牛乳を入れた物を邦正と楓とちぃがメインに作り皆で食べた。
コウの家によく遊びに行った時に出るコウのオリジナルのメニューだ。無心にそれを食べるコウ。柚葉は窓越しに外を見ていた。なゆりは食べれずに「具合が悪くて……」と言い二階の部屋へ上ってしまった。
朝食を終えリビングで各自自由行動をとっていた。マスターは食後の珈琲を飲み本を読んでいる。
別荘での合宿と言うよりは同居生活のようなしっぽりとした空間になり時間が経つのが急に遅くなった。
楓がコウを誘い遊びに行きたそうにしているが、コウはそれに応えられなかった。
そのまま昼になり、ほぼ沈黙のバーベキューは味気ないものだった。
昨日の盛り上がりとは一変した二日目の二度の食事を終え、帰りの車内ではとうとう会話は全く無くなり、柚葉は窓越しに外を見つめ続けている。なゆりは一番後ろの席で横にさせてもらっている。そのなゆりをちぃが膝枕をし髪を撫でてあげている。邦正は助手席でスマホゲームをしている。楓はコウと柚葉に挟まれただコウに寄り添い心配そうにしている。コウは一人深刻な顔で頬杖を付き考え込んでいた。
車内にはマスターが気遣い付けたラジオのコメンテーターの笑えない冗談だけがただただ流れ続けていた……。




