最終話☆【後編(中)】あれから……夢のような曖昧な記憶の中……☆パラレルワールド。
その頃の喫茶えんじぇるの店内では……。
昔ながらの約五十年以上全く変わらない落ち着いた空間の喫茶えんじぇるでは、今日も二名のスタッフがマスターの手伝いをしていた。大盛況という程でもないが、経営困難な状態でもなく適度に賑わう店内。
マスターとおそらくマスターの奥さんと思われる女性が、奥のキッチンでスタッフのまかないと、夕方からの営業時間に備え下ごしらえを始めた。長年連れ添った仲が故の阿吽の呼吸で、二人の左手にはお揃いのリングが輝いていた……。
時計の針が午後の三時を回り、スタッフの一人が表の営業中の札を裏返す。十五時から十七時はえんじぇるは準備中になる。そのスタッフの服装はメイド姿ではなく、私服にエプロン姿だった。
最後のお客の会計を終え、お店の準備中の時間に雑誌を見ながらスタッフ同士で話しをしている。
「ねえねえ。この柊なゆりさんってピアニスト知ってる?」
「あ!知ってる!この近くの生まれの子でしょ?」
ぬいぐるみを抱えながら応えた女の子。
「そうなのよね〜中学三年生の頃からずっと海外留学でピアノを学んで、今は日本で活動をしているらしいわよ。ママが好きで去年もソロコンサートに行ってたけど、今年も行くらしいの」
「凄いな〜私も何か才能あったらな〜」
「杏は可愛いから大丈夫よ!」
「ソ、そんなことないわよ……あなたの方が可愛いし、勉強もできるじゃない」
「わたしは全然もてないもん。杏、声裏返って可愛い〜」
「ほんとやめて!褒められるの慣れてないっていつも言ってるじゃない!」
「ごめんごめん杏の反応が可愛いからついちょっかい出しちゃうのよ」
「うぅぅ。もう……」
この世界の喫茶えんじぇるではコスプレ喫茶はやっていなく、ちぃは『ちぃ』ではなく『杏』と呼ばれているようだ。同い年位の女の子と仲良く話しをしているちぃ。この世界のちぃはしっかりと学校に通い、仲の良い友達もいて一緒にえんじぇるでバイトをして高校生活をそれなりに満喫していた……。
その頃のとある大学のサッカー部……。
校舎の側にあるグラウンドでは放課後に部活動が行われていて、サッカー部、陸上部、野球部、ソフトボール部が、それぞれの決まった領域でグラウンドを使用する。
グラウンドで部活生が真夏の暑さを掻き消すように声出しをしている。時折、バッターが投球を芯で捉える心地良い音が響く。ソフトボール部の女子の高い声も聞こえてくる。
サッカー部の練習中に順番を待つ邦正と後輩が無駄話を始めた……
「邦正さん!泰斗さんってマジやばくないですか?キャプテンだし、頼れるし、スポーツ万能、成績優秀、おまけに可愛い彼女と上手くいってるらしいし……あぁ。俺も彼女欲しい〜」
「お前この前バイト先の子で可愛い子いるって言ってたじゃん。その子とはどうなん?」
「あ。楓ちゃんですよね?それが……魔性と言うか、不思議属性と言うか。確実に妹属性なんですけどね。いっつもお兄ちゃんお兄ちゃんしか言ってなくて……あれは確実にブラコンだわ。あ〜俺にもあんな妹いたらな〜」
「ぬわっ。おまえ引くわー。しばらくはお前にはムリっぽいわー」
「ぇええ!どこ?おれのどこがだめなんですか?!邦正さんもすらっとしてるしモテモテだし。ずるいっすよ……」
「おれ、食っても太らない体質みたいだからな」
この世界の邦正はサッカー一筋で、その運動量からかすらっとしていて、イケメンのままずっと太ることなく育ってきたようだ。だがモテモテな筈なのに空気が読めなく彼女はできていないらしい。不思議なものだ。そしておそらく運動しなくなったら太るタイプだ。
練習の区切りのいいところを見計らい、泰斗が時計を確認しサッカー部員に告げる。
「よし!十分休憩なー!しっかり休んどけー!」
休憩になり給水に来た泰斗を、マネージャー兼彼女の子がタオルとスポーツドリンクを持ち迎えに行った。
「お疲れ〜これ飲むでしょ?今日はどう?」
「お。ありがとな!最近調子良くてやばい。これは全国制覇も近いかもな」
その子は泰斗のことを気遣いながら、泰斗がスポーツドリンクを飲み終えた後にさり気なく受け取り、そして今度はタオルを渡した。そのやり取りはとても自然でその子は泰斗のことを充分に理解しているようだった。
「またぁ〜泰斗はいつもそうなんだから〜。でも、頑張ってね!」
「おう。いつもありがとな」
この世界の泰斗は柚葉とは知り合っていなく、高校二年の頃に友達の紹介で知り合った別の高校の女子に恋をし、二人は次第に共に過ごす時間を増やし、毎日のように会い、付き合うのが当然な関係を続けていた。出会いから二ヶ月後にやっと泰斗の方から想いを打ち明け、その恋を実らせ順調な付き合いを続けていた……。
初めの世界は本当は柚葉が生まれていない世界だった。
もう一つの世界の柚葉ママは、もう一つの世界の柚葉がずっと体調が悪く治らないので、せめてしおんのいない他の時間軸の世界で、十八才の誕生日まででもいいから……と魔術で転移させていた。
対価として奪われるモノを考えると柚葉の転移は十八歳までが限界だった。柚葉ママは転移の影響で身体機能が再生する可能性があることを調べていた。この可能性は絶対ではなかったが、手段は他に無かった。柚葉ママの想いは届いた。その筈だった。
昏睡状態のままの転移には危険が伴う。結果的に転移は成功していたが、昏睡状態の柚葉の体はこの世界から消えることはなく残り続けていた。柚葉が二つに分裂したかのように……。
初めの世界の柚葉ママが消息を絶った理由は、もう一つの世界の柚葉ママと魔術で会話をしていて全面協力をすることになる……「一度でいいからしおんに会わせて……」あなたがそう言うのは想定内よ。だって……私だもの。と、もう一つの世界の柚葉ママが告げ、もう一つの世界の昏睡状態の柚葉と初めの世界の柚葉ママは一度だけ会うことができた……
「……しおん……会いたかったわ……」とだけ言って初めの世界の柚葉ママは柚葉を抱きしめ続けていた……。
存在できなくなることをある程度把握していたもう一つの世界の柚葉ママは、もう一つの世界の柚葉パパにしおんが心配だからと頼み、その際も初めの世界のパパと、もう一つの世界のパパが魔術で話し合いをした後に、双方一致でパパ同士の入れ替わりの転移を選び、初めの世界のパパともう一つの世界のパパは入れ替わることになった。
入れ替わったことで、始めの世界の柚葉パパがもう一つの世界の昏睡状態の柚葉の様子をみることになる。
そしてその入れ替わりの転移の魔術を唱えた初めの世界の柚葉ママも、対価として初めの世界に存在できなくなる。
初めの世界の理事長へは、転移してきたもう一つの世界の柚葉パパがこの秘密を「細かくは話せないのですが……」と概ね共有していた。
始めの世界に転移した柚葉は柚葉ママの想いが届いたのか体調も回復し、一緒にこの世界に来たもう一つの世界のパパのサポートの甲斐もあり、柚葉は何も不自由なく暮らすことができるようになる。
それから十八歳になり、もう一つの世界に戻った柚葉も柚葉パパも、魔術での転移のことを互いに、コウにも誰にも口外しないようにしていた。口外してしまえばどんな不足な事態が起きるかわからない……それは魔術に対して多少知識がある二人なら当然のことだった……。
初めの世界のコウの楠高校卒業の頃……。
例年よりも少し早く咲いた桜の花が門出を祝うようで、青空に抱かれた太陽がポカポカとした春の暖かな陽射しと安らぎを届けてくれている……
その心地よさにコウはいつもの屋上で寝転がり、卒業証書の入った筒を持ち一人空を見ていた。
なぜ時は止まらずに流れ続けるのだろう……
願っても願っても時は戻ることはなく……止まることもなく流れ続ける……
出会いがあれば別れがある。時はそう告げるように、登校時には昇り始めだった太陽も今は上空に位置していて、目視はできないがゆっくりと移動し、やがて山の向こうに隠れ、夜を連れ今日を終えるのだろう。それが当然のことのように……いつまでも変わらないものなどないと諭すように……。
そんなことを考えながら空の青と雲の白をぼんやりと眺めていると、止まっているように見えた雲さえ少しずつ形を変えながら漂っていた……。
すると一人の女子生徒が視界に入りコウを覗き込んだ。
「桐宮くんやっぱりここにいた。もう……卒業だね。明日からは本当にここには来ないんだよ?なんか信じられなくて……」
「そうだな……もう一度、三年の最初からやり直したいな」
ぼーっとした声で答えるコウが右腕で表情を隠した……そんなコウの隣に寄り添うように体育座りをするなゆり。コウが見えるように片方の膝に頬を乗せなゆりが不安そうな声で呟く。
「もう一回やり直してもまた楽しくできるかな?……」
「そんなの……当たり前だろ」
その寂しそうな声でなゆりの心境を察したコウ。これからはなゆりは都内の音大へ、コウは同じ都内だがなゆりとは別の大学に通うことになる。因みに邦正もコウと一緒の大学に決まった。楓はこの近くの服飾の専門学校へ行くことになった。
これからは確実に皆で会う回数は減るだろう。そもそもこのままなゆりと別れたらいつ会えるのだろうか……。
「また桐宮くんと出会って、そして仲良くなれるかな?……」
「そんなの当たり前だろ。何度だって見つけてみせる」
少しだけ驚いた顔をしたなゆりをコウは見逃さなかった。この一緒にいて落ち着く感覚はなんなのだろう……疑う余地もなく信用しているからだろうか……。
この一年でコウは確かに変わった。
心の底から人を信用することができなくなっていたコウ。
以前に親友と信じていた仲間から、幾つかの裏切りにあった……
今迄に仲の良かった友も、距離が遠くなるにつれ疎遠になってしまった……
その為か、友達を作ることを無意味に思えて、新たな交流を遠ざけていた……
それからはどこかで信じることを諦めていた……。
だが、柊は違った。コス部のみんなは違っていた。
それから視界に入るモノ全てが輝きや彩りを増していった。
全ての始まりはそう……柊からだった……。
本当は人を信じていたかった……
本当は人を求めていたかった……
本当は人を好きだった……
本当は人の支えになりたかった……
本当は人に愛されていたかった……
柊と出会って……
柊と約束をして……
柊に恋をして……
柊に信頼されて……
柊が大切になって……
柊が気付かせてくれたことだ……。
「あのー……柊さん?」
「はい?……」
寝転がったまま体ごと向いたコウの、いつもと違う様子を察したなゆりは、コウを変に意識してしまい目を逸らし俯いた。
「あのー。今日で柊の制服姿も見納めってことで……過去を振り返っていて疑問が一つ……なんでおれ達って付き合ってないんだっけ?かなり仲良いよね?」
「実は……それを私も少し前から考えていたんだけど……あれかな?タイミングとかかな?……」
目を泳がせながら応えるなゆりを、敢えてまじまじと見つめ続けるSっ気全開のコウ。
「タイミングって何よ。じゃいつよ〜」
「うーん……いつだろう……」
「ははっ。冗談だよ。ちゃんと言うな」
寝転がっていたコウが起き上がり胡座をかき、一つ大きく深呼吸をした。その表情は清々しく、この晴れた青空に重なり爽やかに映った。
「……おれは柊が好きだ……柊に出会ってからおれの何もかもが変わった……柊のその人柄が滲み出ている仕草や話す言葉選び、料理の上手いところとかも、優しさが滲み出ちゃってるだろ。そんな柊が大切で大好きだ……この一年。色々とあったけど、もっともっと色々なことを柊と見つけに行きたい。いや、見つけに行く!おれって結構信用できる人な筈なんですけども……そこんところどうでしょう?」
最後に照れ隠しからか立ち上がり、タキシードを着た紳士がしそうな仕草を真似て右手を差し出し、紳士的に振るまうコウ。辺りには春一番が吹き抜け、桜の花びらがそんな二人を祝うように舞った……
風になびく髪をおさえ、なゆりが言葉を探している……長い沈黙の後で心を決めたのか、柊の表情から迷いや動揺が消えた……。
「うん。えっと……桐宮くんに会ってから私は沢山の勇気を貰えました……桐宮くんが色々な世界を見せてくれた……その世界はとても楽しくて。嬉しくて。温かくて。わくわくして……ドキドキして……キラキラしていて……交わした約束がとても心強くて……」
そう言ってなゆりは胸を撫でながら早鐘を打つ鼓動をなだめようとしている……一旦、なゆりの心が限界を迎えたのか呼吸を整えているようだ。再度持ち直し心を決めた清々しく迷いの無い笑みで……そして何故か涙を浮かべていた……
「……わたしもずっとずっとあなたのことが……好きでした!……」
♪——
私は君を唄おう
終わりのないメロディー
探してた…
君の為に
何かを
してあげたいよ
君の隣で un…
——♪
急にまた恥ずかしさに襲われたのか恥じらいのなゆりが頬にチェリーを浮かべて視線を泳がせていた……。
「あははっ。可愛い過ぎだろ。おれとずっと一緒にいてほしい。そしておれが調子に乗ってまた変なことをし始めたら、いつもみたいに柊が止めてくれ……こんなおれだけど柊に後悔はさせないようにしたいんだ。これからも今ある信用を失わないようにしたい。おれと……」
「おれと付き合ってほしい……」
なゆりの潤んだ瞳が輝きを放つ……
その嬉しそうにはにかむ笑顔だけで答えは聞くまでもなく伝わってきていた……
「……はい……喜んでお受けします……」
コウが再び右手を差し出す……するとなゆりは左手でそれに応えた……
気温が上昇したかと思う程に、頬が熱い。体温の上昇が告げている……
「柊?なんで泣いてるんだ?」
「わからない……嬉しさとか恥ずかしさとか、色々な感情が混ざって溢れて……何故だか止められなくて……」
「そうか……こうしてればいいか?……」
コウがそのなゆりをゆっくりと引き寄せ優しく包むように抱き締めた……
「うん……」
その温もりは今までに無かった高揚感と安心感に満ち溢れていて、この喜びをどう表現すれば伝えられるのかが分からない程、素晴らしく……とてもとても……素敵なモノだった……。
終章挿入詩 君に捧ぐ物語
私は君を唄おう
終わりのないメロディー
探してた…
君の為に
何かを
してあげたいよ
君の隣で un…
私は君を唄おう
二人の五線譜に
音符〈おもい〉を並べ…
君が好きで
言葉が
探しているよ
二人の在り方を…
泣きたく辛い時には ねぇ…
抱き締めていてね




